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第一帖 月冴ゆる宵の鼓動  作者: 水城杏楠
一章  あはれとや言はむ あなうとや言はむ
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「……や、やっぱり(あやかし)じゃないのかね」

「そ、そうだよなぁ。なんか変な格好しとるし、変なもの持っとるしの。じいですら、こんなの見たことねえって言っとったで」

「で、で、でも、こっちは(みやこ)官人(つかさびと)でねえか。綺麗な身なりの公達に見えるけんど、こんなとこ入れたらバチあたらねえか」

「莫迦言うな。悪さなんもしてねえのに官人(つかさびと)がこんな(ひな)に来るわけねえ。去年(こぞ)の税もちゃあんと払っとる」

(あやかし)が転じてるにちげえねえ。さっさと殺さんと災いが起こんで」

 遠くで誰かの、声がする。

 くぐもっていてよく聞こえなかった。

「あははは……(あやかし)、じゃあないんだけど……って言っても意味ないよねえ」

 かなり控えめな反論をしたのは、どこか知っている声だった。けれど、思い出せなかった。なんか、ずいぶん印象が……違うような気がしたから。

 それよりももっと引っかかる言葉が聞こえたのを思い出して、はっと紗夜は覚醒した。

(こ、殺さないとって―――っ? な、なんでっ)

 とたんに脳裏がはっきりしてきて、ぐらぐらとかき混ぜたような世界は、焦点の定まった普通の世界に……。

(―――ふつう?)

 がばっと起き上がった紗夜は、何度も目をしばたいた。

 もはや『普通』の定義は明確になった。自分の主観でおかしいものは普通ではないのだきっと。そして今、紗夜の目の前に広がるものはすべて、何かがおかしかった。

「あー、起きたー?」

 緊張感の欠片もない、のんびりとした声。

「な、な、なにこれ! どこ? え? 本屋さん? 大学はっ」

「あー、えっとね。あははは」

 相変わらず神主の格好をしたままの男は、やはりへらへらと笑う世良(せいら)だった。

 混乱した頭でも、この男に何を言っても無駄だと直感的に認識した紗夜は、驚いたように紗夜から離れる男たちを睨みつけた。

 世良(せいら)よりもずいぶん、みすぼらしく薄汚れた服をそれぞれ着ていたが、時代劇のような格好だということに関しては同じだ。たぶん役柄は貧しい農民A、B……以下略。いったいなんのサークルなのか。

「ちょっちょっとっ! 待ってっ」

 彼らは紗夜の視線に一瞬怯えたような表情を浮かべたが、すぐに何人かは踵を返して逃げるように立ち去ってしまった。不穏かつ非友好的な態度によって、紗夜の懇願は綺麗に無視された。

 追いかけようとして片膝を立てたところで、目の前でがたんと古びた木の扉が閉じられた。続いて鍵をかける無機質な音。

 一瞬にして広がる闇で、自分の手元すら見えなくなった。手探りで扉を掴み、がたがたと揺らしてみるが、簡単には開きそうにない。

(……閉じ込められた? ていうか……ま、まさか、誘拐、された、とか)

 何をしていたのかすぐには思い出せない。瑚月(こげつ)……と一緒にいたのに。

(黒い影、とか……日本刀、とか……)

 瑚月(こげつ)はどうしただろうか。彼とどこかで別れた記憶はない。紗夜は瑚月(こげつ)に助けられることに慣れすぎていた。それなのに今はいない。

 火事があって黒い煙が近づいてきて―――だがその記憶も曖昧すぎ、今となってはどこからが夢なのか境界線が定かではなくなっていた。そもそも瑚月(こげつ)が日本刀を振り回すなんておかしいではないか。……おかしすぎる、うん。

 一つ確かなこととして思い出せるのは、アルバイトの待ち合わせをしていたということだ。

(そういえばどうなったんだろ。待ち合わせ、相手のひと来なかったんだっけ……)

 やはり友人のいうように、怪しげなバイトを持ちかけられてこんな目にあっているのだろうか。

 今頃は地方にいる両親が捜索願とか出してたり。それどころか身代金とか要求されちゃってたり。東京で独り暮らしは反対なんだと言っていた父親の声を思い出し、ようやく何か大変なことが起こっていることを実感し始めた。

(嘘。あたしだってまだ大学入ったばっかり。これから花の女子大生とかっていうときに何やってんの。ワイドショーのネタみたいなことっ)

 焦燥感よりも先に、呆然とした溜息が漏れた。だってなんだか、現実味があまりにもなさすぎて。

「……誘拐ってホントにもうなにそれ」

 思わず呟いた声は、むなしく反響した。慌てふためいて泣き喚く気にもならない状況だった。

「待つしかないのかな……連絡、とか」

 身代金の要求、かもしれないが。

「うーん? 待ってもいいけど、どうせ(にえ)になるなら、しばらくはこっちにいることになるよ?」

 気を紛らわせる独り言のつもりだったのだが、背中に掛けられたのんびりすぎる声で、紗夜はそういえばこの部屋にはもう一人いたのだとようやく思い出した。

 けれど、その内容までは脳裏に入ってこなかった。振り返ったが、声は近くから聞こえたはずなのに暗すぎて表情も確認できない。

風城(ふうじょう)……えーと?」

「うん、(にえ)。というか捧げ物」

 世良(せいら)は、いつも友人とはしゃいでいるのとまったく変わらない口調とともに紗夜に笑いかけた。いや、少し違っていたかもしれない。雨で桜が早く散ったときの、少しのもの哀しさを漂わせていたような、それでいて来年また咲くのだから執着しないと思わせるような―――。

 だから反応が……少し遅れた。

「ニエっ? って生贄……っ? だだだ誰がっ。なにそれっ。ていうか、いまどきどんな宗教っ?」

「宗教? それあんまり関係ないかなあ」

「じゃあなに? 変人のシュミなわけ? なんであたしがそんな目に遭うのっ」

「え? でも、むしろ選ばれたらラッキーていうか」

「ラッキーなわけないよーっ、生贄でしょ生贄っ」

 そんなものをラッキーとは言わない。でも選ばれなかったらもっと酷いことが待っているのかもしれない。それだったら、潔く? ……いやいや、どっちにしろ辿り着く結論は同じではないか。

 身代金どころではない。いきなり命の危険が目の前だ。

 ぐるぐると、取り留めのない考えばかりが浮かんでは、その手に何も残さずに儚く消える。

(いったいどういうこと? 生贄って意味がわからない……なんて考えてないでとにかく逃げないと! でもどうやって? 風城(ふうじょう)が手伝ってくれたらなんとかなる? でもこいつすっごい落ち着いてるし、生贄になるのは女だけかっ?)

 うら若き乙女……などと自分で言うのもなんだが、まだ十八歳。女子大生というブランド名もくっついている。

(どどどど……どうしたら……)

 真っ暗な部屋を、闇に慣れた目でとりあえずぐるりと見回してみる。

 そもそもこの部屋のつくりからしておかしい。むき出しの木の壁だし、天井はやたらと低くてよけいに狭く感じる。同じような木でできた扉は、普通の民家のつくりではありえない粗雑さ。そもそもこんな大雑把な木の家なんて見たこともない。押入のようなところに閉じ込められたのだろうか。それとも―――。

「……ねぇ、なんかここって牢屋、とか?」

 それも、現代風ではなく時代劇に出てくるような……牢獄。小さな窓に木が何本もはめ込まれているが、それは外に続いているわけではないのか、それとも外ももう真っ暗なのか、灯りは漏れてこなかった。悪のお代官なんかが出てきたらよく似合う。誘拐犯たちの格好はやけに古びていたが、お代官にこき使われる農民か奴隷の役柄だと思えばそんな気もしなくもない。

 やはり時代劇のセットだろうか。いまどきいくら田舎でもあんな服装してないし、こんな家にも住んでいない。

「あーうん、似たようなものだと思うよ。僕たちってほら、(あやかし)みたいなこと言われちゃったしね。そうじゃなくてもたぶん不審者って扱いなんだよね。さすがにちょっとヒドイよねえ」

 だが、彼の口調はその酷さを嘆いたり恨んだりするものではなかった。

「あ、あ、あたしが不審者っ? どう考えてもあっちのほうが悪でしょー、誘拐犯なんだから」

「誘拐?」

 まるで初めて聞いた言葉であるかのように、怪訝な表情で首をかしげる彼のシルエットだけが見える。

「サヤちゃん、僕たち別に誘拐とかじゃなくて、まほろばの世に来ちゃっただけなんだよ」

「なに? 世って?」

 説明できるものならしてもらいたい。

「ここはね、常世(とこよ)とは違う世。まほろば。えっと、赫映(かぐや)がいる世って言ったほうがいいのかな。常世(とこよ)の人たちはみんな知ってるんでしょ? 赫映(かぐや)のこと」

「ふーん? カグヤがいる―――」

 あまりにもあっさりと言われたものだから、そのままあっさりと納得しそうになった。

「……?」

 その意味がやっと、脳裏が理解しはじめた。

(……………………)

 今、すごいことを聞いた気が……した。

(カグヤっ? かぐや姫? 竹取物語の、あれのことっ?)

 ますます意味が分からない。

 かぐや姫といえば、竹から生まれたくせにありえないくらいの美人で、何人もの男を騙しまくったあげくに全員を捨てて、さっさと月に帰ってしまったとかいうあれだ。かぐや姫がいるというのなら、ここは月だということになってしまう。

「あれ? おかしいなぁ、サヤちゃんも赫映(かぐや)を見てるはずなんだけど、日本で」

「え? 見てる?」

 そう言われてすぐに思いつくのは、赤い着物の少女だった。とんでもない登場の仕方をしたかと思ったらすぐに消えてしまった彼女だが、たしかに求婚者が絶えないのも頷ける『ありえないくらいの美人』に当てはまるし、夢のように奇妙な出来事だった。

(って、そんな現実的に考えてどうするのあたし)

 単なる御伽噺だ。かぐや姫が現実にいるはずはないし、自分が月にいるわけがない。

(アポロ十一号だってかぐや姫と会ってないんだから)

 無理矢理な結論で自分を納得させようとしたが、そこに依然として横たわる多くの疑問の一つとして解消されることはなかった。

「こんなの……夢だよね……」

 友人がはまっているドラマや映画だったら、ガンを持った特別捜査官なんかがラスト五分で一気に事件を解決してくれそうだが、ここでもそうなってくれたらいい。ドラマの見すぎ……数時間前に自分が呟いた言葉を思い出しながら、そんな身勝手なことを思った。

(数時間前……かどうかも本当はよくわからない。あれから何日も経ってるのかもしれない)

 時間を知る方法は、ここにはなかった。

「夢なんかじゃないよ。ここホントに日本じゃないんだよ?」

「……?」

 閉じ込められて一筋の光も入らないほど暗い部屋に、どこからか春とは思えないほど冷えた風が流れてきたような気がした。

「日本じゃ……ない―――っ?」

 海外まで誘拐されたということだろうか。いやでもパスポートだって持ってないし。そもそもそんな問題でもないし。

(嘘でしょ。初めての海外渡航がこれ? いやまさかそんな……。英語もしゃべれないしフランス語だってまだ大学でメルシーしか教えてもらってないし)

 だが、先ほどの男たちは紗夜にもわかる日本語を話していたし、顔だってほとんど見ていないけれど日本人だと思う。

「そう、ここはまほろば。常世(とこよ)の表であり裏。双子の国。えっと、日本風に言うと、異世界? うーん、ちょっと違うかなそれも」

「……は?」

「でも、帰るのは―――」

「はぁっ?」

 紗夜は思わず大声をあげていた。普段だったら考えられない自分の反応だった。

「異世界って、異世界ってなに? 小説みたいなやつ? あたしはこっちに飛ばされてきたってこと? んで何? 元の世界に戻る方法を探して旅に出たりして、えっらそうな王様がやってきて世界を救えとか唐突に言われたりして、悪の魔法使いに追っかけまわされて、カッコイイ男に助けられて恋に落ちて、最後には帰りたくなくなっちゃったりするあーゆー世界っ?」

「え、えっとー、あははは」

 世良(せいら)は、今日何度目かわからない、同じような笑い声を出した。

 そんなことないと全否定してもらうために言ったのだが、彼から望む言葉はすぐに出てこなかった。かといって現実にこんなことが起こるはずもなく。

(そうだよね、そもそも風城(ふうじょう)だって同じ本屋さんにいたはずなのにここにいるし)

 考えれば考えるほど、世良(せいら)の言葉が真実味を失ってくる。

「そんな世の中じゃないんだけどー」

「あー、そう?」

 長い沈黙のあと、世良(せいら)はやっと否定した。

「探さなくても別に戻れないわけでもないし、旅とかされても困っちゃうし、魔法使いとかいないし、王様はたしかにえらそうだけど、世界は救わなくてもいいよ……―――たぶん、今のところ」

「……たぶん?」

 今のところ?

 ―――妙な間が、気になる。

赫映(かぐや)がいるし」

「カグヤ?」

 ただ世良(せいら)の言葉を反芻した。それ以外何も、口から出てこなかった。

「うんそうだよ。言ったでしょ。ここは赫映(かぐや)のいる世界だって」

 たしかに聞いた。

 かぐや姫。彼女がいる世界だと、本当に世良(せいら)は言いたいのだろうか。だが、牢屋。しかもそこに紗夜がいる意味も必要もあるとは思えない。ますます混乱する。

「おかしいなあ。常世(とこよ)のひとたちはみんな赫映(かぐや)を知ってるって聞いてたんだけど、そんなことないんだ?」

 世良(せいら)に質問されても、紗夜には答える言葉が見つからず、沈黙を保つしかなかった。そもそも常世(とこよ)なんて場所は知らない。

「だからね、ここはもう赫映(かぐや)の世なんだよ」

 ―――何度同じ言葉を繰り返されても、意味がわからなかった。


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