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『世の中に いづら我が身の ありてなし あはれとや言はむ あなうとや言はむ』
(この世の中に、さても、この身はあってないようなもの、とすればこの身を含めた世の中全部を「いとおしい」と言おうか、「嫌なものだ」と言おうか)
マーブル模様のように、世界がねじれていた。
チョコとバニラのソフトクリームみたいな。
熱い紅茶にミルクを垂らしていくときみたいな。
まるで、天から堕ちていく。
吸い込まれるようにして、ただ。
つかまるものがなくて、緩やかな慣性に身を任せている。そんな感じに似ていた。
(何で、あたし)
そんなこと知ってるんだろう。
すごく静かで、音がない。
時間は同じ速度で前に進んでいるのか、それどころか時はまだ刻まれているのか……そんなあたり前のことが、ここでは何もわからない。
真っ白な世界だった。上も下も右も左もない。
そこに紗夜だけがいた。紗夜だけが堕ちていった。下ではないどこかに向かって、ただひたすらに。
パリー……ン
瞳の前で、耳の側で、何かが弾けた気がした。
ガラスが割れたときの。そんな音。だけど、紗夜には神聖な鈴の音のようにも聞こえてきた。さらさらに流れていく、砂丘の砂みたいなつかめない音。遠すぎて、手が届かないもの。
一瞬の沈黙。
スローモーションみたいに奇妙な光景を、紗夜は見ていた。
白黒のサイレントムービー。ぎこちなく、だけどやけに鮮明な映像がこま送りにゆっくりと進んでいった。
つかめない、もやのようなものだったけれど。
その曖昧な風景の中で、音がする。
……誰かの声。
聞こえてくる。
『どうして、壊そうとした? あんなにも大切だったのに』
(違う、違うよ)
自分の声が、勝手に、反駁する。可笑しい。
(大事なものだから、壊してしまったの。ケースの中に入れて、なんにもつかないようにして、それでただ。……眺めるだけなんて)
思ってもみなかった思考が次々と流れては消えていく。
この白い世界のように。
(それってホントに大事なものじゃないから。あたしは、それを知ってたんだよ。ずっと前から知ってたの。だから……)
もやの他には何も見えない。ただ、堕ちている。まだ。
言葉はもう続かなかった。
思考が急に、止まった。
目の前がふっと眩しすぎるほど明るくなって、目を細めた……つもりだった。
(大丈夫。君のこと、好きだよ)
―――大好きだよ。
呆れるくらい何度も、そう言った。
(次が来たら、その時は、わたしが、君を探しに行くから)
あの言葉を信じたから……そう、言えた。
信じたから、手放すことさえ恐れなかった。
広い世界に独りきりで、取り残されるとわかっていても……。
(でもごめん……あたしは……)
まだ、探しにはいけない。