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「はよ行かんと……暗うなってしまうな。ほんにこっち行ったんやろか紗夜は。邑の男らはあてにならん」
「萌葱っ、ほんにこの山超えるんか? 夜に」
「待っとくれよーっ。歩きにくいんよここっ」
萌葱が薄暗くなってきた道をずんずんと歩けば、後ろから数人の少年たちがおそるおそるといった足取りながら、萌葱を見失うまいと必死についてきていた。
「だったらついてこんでええってばー。はよう帰り」
こんな状態でついてこられても邪魔なだけだと正直思う。ひとりでもなんとかなる。
「それより、本当なんね。あのお人、山に登ってったんね」
萌葱の剣幕に、少年たちはたじろぎながらも頷いた。ここで嘘をついても彼らに得がないどころか、あとでどれだけ萌葱が怒鳴り散らすかわからない。
「あとでな、こっそり見とったんよ。男といっしょやったけど、話は聞こえんかったわ」
「けど、萌葱、やめたほうがええって! さっきも言ったけどな……」
あぁ……と萌葱はうなずく。
「馬が突然なんもないとこから出てきおったんやろ。そんなわけない」
「けんど! おれ見たんよ、ほんになんもなかった」
「一人はおっかしな格好しとったしな」
「あれは妖や。目に真っ黒いもんつけとった」
彼らは口々にそう言うが、そのどの言葉も萌葱の行動を抑制することはできなかった。
「そんで? 山のどっち行ったん?」
「……し、知らんよそんなことまでは」
彼らはみな、萌葱よりも年上の少年たちで、そろそろ大人と言われてもおかしくない年齢に達していたのだが、小柄な彼女のにらみひとつでぎくりと肩を震わせた。
「た、たぶん山を越えるんやなかろうか」
「そったらことできるわけない。山には神名火がおるけん、追い出されるか喰われるかのどっちかやろ」
ここはけもの道しかないような山だ。昼間に山の幸を求めて入ることはあっても、夜に山越えをしようなどという酔狂なものがいようはずはないのだが。
「……あのお人はきっと、神名火がおることを知らん」
萌葱はひとりつぶやく。赫映のこともまほろばという言葉さえも知らなかったのだから、この世の成り立ちについて何も知らないに違いなかった。
ここ螢国の北の山。それは京の方角。
山を越える……その意味。
「わかった。あんがとな。あたいもう行く」
「ちょちょっと待っとっ。ほんに一人で行くんか」
少年たちは慌てて引き止めた。
彼らとも幼いころから近くの山や川で遊んだ。虫採りでも魚採りでも、たいてい萌葱は負けなかった。そんな彼らも、ここ数年で萌葱よりずっと背が高くなった。
彼らを見上げる。
そしてその視線はその向こうへ、自然と向けられて。
萌葱は腕に抱えた小さな袋をじっと握り締めた。家族が用意してくれたその荷を。
行ってこいと一言だけ告げた父。
悔いんよう、好きなことをしたらええと言ってくれた母。
萌葱はそれらをありがたいと初めて思った。―――だから、行く。
「あたいはあのお人を追っかける。あんなわけわからんこと言うお人を放ってはおけん」
それが萌葱の旅立ちの第一歩となった。