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第一帖 月冴ゆる宵の鼓動  作者: 水城杏楠
二章  散りのまがひに 家路忘れて
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 ぐいっと腕をつかまれたその強い力で、紗夜ははっと顔を上げた。いや、そう錯覚した。

「―――え?」

 自分がそうつぶやいたことすら、無意識で。

 頭を誰かにぐらぐらと回されているような錯覚。炎に囲まれて熱いはずなのに、地面につけた背中も葉をざわざわと揺らす風もひどく冷たい。

 紗夜をのぞきこんできたのは、あの無愛想な、けれど作り物のように綺麗な顔。

「『え』じゃない。莫迦じゃないのか。なぜそう簡単に取り込まれる」

 頭ごなしに言われても、今の紗夜は何も理解できなかった。―――ここは、どこ。

「……え?」

「だから……っ! ……いい」

 何かを言いかけた彼は、紗夜の腕から手を離してひとつ小さなため息を落とした。

 眩暈を振り切って身体を起こしてみれば、月明かりがわずかに手元を見せるだけの深い山の中にいた。……そうだった。宮などにはたどり着かず、けっきょく人生初めての野宿を経験するはめになったのだった。ようやく紗夜はそれを思い出していた。

 だのに紗夜は、たしかになにかの建物の中にいた。

 頭上の月。

 その形だけは、あの庭で見たものと違わぬ姿を留めて。

(―――いまのは、なに?)

 今の状態と小屋での記憶をつなげようとしたのだが、どうしても途中がぽっかりと穴になって消えていた。

 だが、夢というにはあまりにもリアルだ。炎は熱かったし、女性の冷たい手を鮮明に覚えている。

(でも、知らないおんなのひと、だったかも……)

 名前を知っていたような気がしたのに。それに顔も……もう曖昧でわからなくなっていた。つかもうとすればするほど消えていく記憶。一秒ごとに。

「野宿で眠れるはずがないとか騒いでいたな、あんた」

「…………う、うん」

 なのに気づけば固い地面の上で寝転がっていたのだった。野宿なんていやだとわがままを言った、そちらのほうが『正しい記憶』なのだろう。

(……どうして、火事にあったことばかり思い出すの?)

 燃え上がる炎や、充満する煙を見るたびに。

 揺蕩う思いは、儚く遠い。つかもうとしても届かない。白昼夢のようなのに、紗夜は懸命に思い出そうとしている自分に気づく。

 あったこともない出来事を思い出そうとするなんておかしい。

 難しい表情のまま黙り込んでしまった紗夜に、サングラス男はため息とともに一言を吐き出した。ほんの助け舟のつもりで、たぶん。

「―――あれはヨミだ」

 だがそれは、紗夜には通じない言葉に聞こえた。

「……ヨミ?」

「ヨミのものを食えばもう戻って来られないと知っているだろうに、何故そんなことをする」

 紗夜は答えられなかった。

(知っているだろうにって)

 ……さも常識であるかのように言われたが、知らない。

 何も言えないでいると、サングラス男はどうでもいいかのように近くの木に背を預けて目を閉じたようだった。まるで説明するのを拒否する態度。

 さわさわと風が木の葉を揺らす。

 そんな音だけに囲まれる世界。鳥たちも今は息をひそめて静かだった。紗夜にはそれらがそばにいることだけを感じ取ることができた。そういえば、先ほど女性といたときには、どんな動物の気配もない空間だったことに今更気づいた。

「―――おい」

 呼ばれて紗夜が視線を向けても、男はこちらを見向きもしていない。ぶっきらぼうに呼んだその声さえ、幻聴だったのではないかと思うほど。

「……何を、視た?」

「えっと」

 あの夢の中のことを尋ねられているのはわかるのだが、とにかく彼の言葉は脈絡がなく短い。

(このひとは、無駄な愛想は使わないんだ)

 親切ではないが、端的で。

 それに気づいてしまうと、むしろ少し好感度が上がった。紗夜もたまにそうだったから。

「覚えてるのは……」

 もう、あの夢が半分以上消えていることに気づきながら、紗夜は口を開く。すべてがなくなってしまう前に形として残さなければならない。

「女のひとがいて。小屋みたいなとこで……なにか食べようとしたら、火事があったっていう感じ」

 男は顔を上げた。サングラスで何も見えなかったが、呆れたような視線が刺さった。我ながらおかしな説明だということは認めるしかない状況だったので、黙った。

「……石のようなものはなかったか?」

「―――あ、うん……あった。食べ物が入ってたらしい、石の箱みたいなもの」

「ちっ」

 突然、男は舌打ちをしながら立ち上がった。

「行くぞ」

「え? な、なんで急に……」

「あんた、あの社に行ったんだろ、夢の中で。少し休んでからと思ったが、そんな猶予はなかったってことだ」

 サングラス男がずんずんと大股で歩き出し、紗夜はあわてて追いかけるしかなかった。真っ暗な山奥でおいて行かれたらもう生きて戻れない気がする。あたりは真っ暗だというのに、サングラス男はまるで道が見えているかのような速度で歩くのだ。紗夜には月明かりだけで彼の背を見ることはできず、草を踏む彼の足音だけを聞いてついていく。

「女はあれを『仏の御石の鉢』とは言わなかったのか」

「ほとけ、の?」

 そんなことは言わなかったが、その名前は知っている。

(それってかぐや姫の、五人の男が探す貢物じゃ……)

 五つの稀なる貢物。彼らは誰ひとりとして、かぐや姫の無理難題を達成させることはできなかった。

「あの女の人は、誰?」

 彼の肩が、わずかに震えた気がした。だが、足は止まらなかった。

(え……? もしかしてあの女の人がかぐや姫? いやいや、そんな若くなかった気がするけど! そりゃかぐや姫だって年取るだろうけど。っていうかそういう問題? 月に帰ったあの話をマジメに考えてどうするのあたし)

 また、かぐや姫だ。

 風城世良(せいら)萌葱(もえぎ)と同じように、サングラスをして洋服を着ているこの男までも、この世界にはかぐや姫がいるのだと言うつもりだろうか。

「どっどういうこと、なんですか? かぐや姫のあの貢物が……ここにはあるっていうこと?」

 物語ではあれほど探しても見つけられなかったというものが。

「ある」

 男の返事は簡潔でわかりやすかった。

「じゃあ、かぐや姫もいるの?」

「……―――いる」

「?」

 わずかな間が気になる、が。

(いるっ?)

 そのたった一言。

「とにかくあんたは『仏の御石の鉢』に触るな」

 あれは夢の中だというのに、彼は至極真面目にそんなことをいうのが奇妙だった。その疑問が通じたのか、彼は足を止めてようやく紗夜を振り返った。

「あれはヨミだと言っただろ。あんた、片足突っ込んだのに気づかなかったのか? イザナミの国、ヨミの国だ」

 イザナミという言葉に、ようやく紗夜もヨミの意味がわかった。

「ヨミってあの、黄泉?」

「かつては夜を見る國と書いた。そこで物を食うことは黄泉の住人になるということと同じ。黄泉戸喫(よもつへぐい)という―――常世の人間はそんなことも知らんのか」

「…………」

 さも常識のように言われたが、そんな話は聞いたことがなかった。

「『仏の御石の鉢』と今は言われているそれも、本来の姿は違う。あれは蠱物(まじもの)。触れてはならんものだ」

「……どう、して」

 彼は相変わらず大股で歩き続けていて、説明をしていても紗夜を振り返ることはなかった。いつのまにか空は白んできたが、木々がその明かりを遮る。

 舗装されているわけでもない道を、ただサングラス男の背中だけを必死で追いかけて進むと、急に拓けた場所に出た。

「……ここ?」

 目的地、だろうか。

 サングラス男は肩越しに振り返ると、軽くうなずいた。

 昇ったばかりの太陽がひどく眩しくて紗夜は目を細める。もう歩かなくていいかと思うと、それだけで歓びを込めてそこにあるものを見つめた。

 蜃気楼かなにかのようにゆらゆらと空気が揺れる中、そこには紗夜が夢で見たあの小屋とはまったく別の建物があったのだ。


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