表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
第一帖 月冴ゆる宵の鼓動  作者: 水城杏楠
二章  散りのまがひに 家路忘れて
13/38

 紗夜は萌葱(もえぎ)の言うように、野菜を保管している倉庫で土の匂いに囲まれて一夜を過ごした。

 夜中は突然の雷雨で心細い思いをしたが、そのおかげというべきかきっと村中を焼いた火はすっかり消えただろう。

 泥の色になってしまった川の冷たい水で顔を洗い、改めて水面に映る自分の姿を見てみると、ぼろぼろになった服がいやおうなく紗夜の気分を沈めてしまう。小さな火傷はいくつもあるもののたいした怪我がなく、それだけは幸いだったが、着替えどころか自分の荷物もどこにもない。身ひとつでここに立っているだけだった。

「紗夜はこれからどうするん?」

 萌葱(もえぎ)に尋ねられるまでもなく、それは紗夜が早急に考えなければならない命題だ。

「昨日言ってた、えっと……にほ……とかいうところに行くんか?」

「そうしたいけど、行き方もわかんないし……」

 衣食住のすべてをなくした経験などない紗夜は、とりあえず萌葱(もえぎ)がそばにいてくれるだけで少し安心した。

「だったら(みやこ)に行くしかないな。たっくさん人がおるって話やし、紗夜が行きたい場所のこと知っとる人もいるかもしれん」

(みやこ)、かぁ」

 目的が何もないよりいいかもしれない。

(そんな簡単にいかなそうだけど……乗り物もないんじゃ歩くしかないし……。でも地図もないのに辿り着けるとは思えないよ)

 電車やバスがありそうな雰囲気ではない。そうなると、古風な乗り物といえば馬しか紗夜には思いつかなかった。もちろん乗馬などできないが……。

 所持金がゼロというのもなんとも辛く心もとない。一日だけ働かせてくれるようなお店を探してみるしかない。日本で何の不自由もなく安穏と暮らしていた紗夜に、そんなサバイバルができるだろうか。初めてのバイトすら失敗したのに。

 だが。

「ひとりで行くんはやめたほうがええよ。山を超えていかなならん。昼は物取り夜は(あやかし)ってな。なんの備えもせんと行くんは無理や」

「え? そんなに治安悪いの? ずいぶん日本とは違うんだ……」

 前途多難すぎる。

 紗夜がアヤカシって何と尋ねる前に、萌葱(もえぎ)が口を開いた。

押領使(おうりょうし)に頼めへんこともないけんど……あたいが言ってもだめやろなあ。(みやこ)に行くなんてだぁれも考えとらん」

 冷たくないのか、萌葱(もえぎ)は水の中にざぶざぶと入り、手足をこすって泥を取った。紗夜も埃っぽい身体を洗いたかったけれど、まだそんなサバイバル生活には慣れていない。

(みやこ)なぁ、なんとかならんもんかな」

「せめて地図とか泊まるとことかあればいいんだけど」

 こんな子供に頼りきっている自分が少しおかしかった。だが、いま彼女の『地図』になってくれそうなのは萌葱(もえぎ)しかいなかった。

「けんど、あたいも(むら)を出たことなんて―――」

萌葱(もえぎ)っ! あんたいったいそこでなにやっとん!」

 突然、甲高い声が聞こえて紗夜と萌葱(もえぎ)が顔を上げると、対岸で数人の村人たちがこちらを見据えていた。萌葱(もえぎ)はぱっと顔を輝かせた。

「よかった、無事やったん!」

「昨日戻ってこおへんから、焼かれてしまったんやないかってみんな朝からあんたのこと探しとったんよ!」

「なしてすぐに帰ってこおへんのっ」

 そのうち一人の女が土手を降りようとして、別の男がそれを止めた。

「……一緒におるんは、あの(あやかし)か?」

 はっと村人たちに緊張が走るのが、紗夜にもはっきりとわかった。……アヤカシ?

「―――ち、違うっ!」

 萌葱(もえぎ)はとっさに叫んでいたが、村人たちは顔色を変えて今にもその場から逃げ出しそうだ。

「その女は(あやかし)なんやって!」

「そうやわ! (むら)全部が燃えてしもうたんはこいつのせいやってみんな言っとる!」

 牢屋の中でも、(あやかし)だとか殺すだとか、理不尽なことを言われていたことを思い出す。

(あたしは……アヤカシなんていうものじゃない。火もつけてない。勝手に誤解しといて理不尽なことばっかりだ)

 けれど、どう言ったらわかってもらえるのだろう。

 村人たちのあの態度には怒りを覚えたけれど、何かの誤解や、彼らなりの主張があるに違いない。彼らの恐怖や偏見を、鞘に納めることができるだろうか。

「違うんよ! このお人は火なんてつけておらん。あたいが行ったとき、まだ塗籠(ぬりごめ)におって逃げれんようになっとった!」

 萌葱(もえぎ)は、声を聞きつけて続々と集まってきた大人たちにすら気おされることはなく、毅然と見上げて叫んだ。―――だが、誰一人それに頷くものはなかった。

「焼かれて死ぬいうても、人間やのうて生き返ることもあるかもしれんよ」

「違う! そんなんありえん! あたいがあげた握り飯も食っとったで。(あやかし)がそんなもの食うんか」

 紗夜ははっと顔をあげる。

 窓枠に置かれていたおにぎり。紗夜は警戒しつつもそれらを勝手に食べてしまっていたが、彼女がわざわざ持ってきてくれていたのだ―――おそらくこの大人たちの目を盗んで。

「だったらなんやの? もう一人の男やってなんやええもん着とったけんど、(あやかし)やなかったら(みやこ)のおひととしか思われへんよ。こぉんな小っこい(むら)に来るわけないんや」

「この(あやかし)のせいで畑は全部なくなってしもうた!」

「今年は稲だけで生活しなあかんのやで」

 萌葱(もえぎ)一人がどんなに否定しても、大人たちは数で圧倒しているぶん強気だった。

「紗夜! ここまで言われとっていいん? なんか言いたってや!」

 ついに怒りが浸透したのか、少女は涙目になりながら、紗夜を精一杯見上げた。

 (あやかし)かもしれないという躊躇いも、相手は年上だからという遠慮も、そこには何もなかった。ただ少女の主張が理不尽に虐げられていることへの純粋な哀しみと怒りがその双眸に宿り、燃えるような力を紗夜も感じた。

 凄烈で痛い、村人たちの視線。

 (むら)を焼かれて、その憤りの矛先がどこにもなくて。けれど、紗夜もそれらを受け止められるほど器が大きくない。

 彼らにただ自分は違うのだと言ったところで、意味がないような気がした。

「……あ、あたし、は」

 関わりたくない―――そう言ってしまいたかった。逃げるしか、今の紗夜に思いつく方法はなかった。

(鞘なんてここにはない。冴やかなひかりも、見つけられない)

 村人たちを正視できなくて足元に落とした視界はどこか暗く、それが紗夜の行く末を予言しているかのようだった。

(出ていけばいいんでしょ出ていけば)

 それがお互いにとって最善で簡単。

(別にあたしはこの村出身でもないし、見ず知らずのひとに優しくしてもらういわれもない)

 一歩あとずさる。そうすると、もう前に出る勇気はなかった。数歩、下がった。背を向けるのは、なんて簡単なんだろう。

「すっすみません……っ」

「紗夜っ」

 踵を返して走り去る紗夜を、萌葱(もえぎ)だけがとっさに追いかけようとした。大人たちに阻まれて悔しそうにしている少女を紗夜が見ることは、なかった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ