語られない伝説・No.19
視界が黒に染まる。
夜の闇とは違う、黒煙の黒に。
だが、
「……ギリギリセーフ、か?」
呆然と見上げながら、ジャックはそう呟いた。
ジャックの目の前、結界の向こう側では黒煙の巨人が結界に向けて体を傾けていた。体重の全てを結界に押し付け、その重さで結界を壊そうとしているらしい。
ギシギシと不安な音が鳴るが、結界が壊れることはなさそうだ。ジャックはホッと一息つき、ナスタの方を振り向く。
「このままの状態を保っとけ。後はそこの魔女がどうにかすんだろ」
「は、はむぐぐ」
ナスタは歯を食いしばりながら結界に押しかかる体重に必死に耐えていた。どうもけっこうギリギリらしい。
「……まあいいや。ラーシャ、さっさと解毒をやってくれ」
「はいはいもうちょっとよもうちょっと」
ジャックが周りを見れば、解毒された人たちは結界の真ん中で縮こまっていた。まあ上を見上げれば黒煙の巨人がいるので、恐怖を覚えるのは仕方ないだろう。
ジャックは黒煙の巨人を見上げながら剣をクルクルと片手で器用に回しながら呟く。
「……しかし、どうすっかなこれ。元が煙ということは物理攻撃は効かなそうだし、あの煙は毒だから俺突っ込んだら死ぬし」
「放っておいてもいいんじゃないのかしら。この手の防衛機能は本体から魔力を供給されるものだし、その本体は壊された。そのうち魔力が切れて消えるでしょ」
「……だったらいいか。ナスタが大変そうなだけで」
「少しは手伝うとかないんですか!?」
「いや、俺魔法使えないし」
なんだかんだと言いつつも、ナスタも両手をプルプルとさせながら喋る余裕ができてきているみたいだ。ラーシャの言う通り、後は時間の問題なのだろう。
「……しかし、結局何だったんだあの暗殺者共。この国にあんなのいるのか?」
「それはこの国の人たちに聞けばいいでしょ。それで、何か知ってるのかしら?」
ラーシャが解毒魔法をかけながら街人に聞くと、街人は若干悩みながらも教えてくれた。
「た、多分『冥府の眷属』だと思います。この国を拠点にして活動している暗殺者集団で、狙われた人は絶対に逃れられないとかいう噂の」
「たった今撃退したけどな。しかもどいつもこいつも暗殺者としての技量は低い。本当にそいつらなのか?」
「う、噂でしか聞いたことないですし、そんなこと聞かれても……でも他に暗殺者なんていませんし……」
「まあ、噂は噂か。今まで大したことない奴ばっかり殺してきただけかもしれないし。誰かこれを狙いそうな奴に心当たりは?」
ジャックの問いに、街人は首を横に振る。他の人に目をやっても、皆首を横に振っていた。
「……どっか別の国の奴かな。なんでわざわざ現地の暗殺者雇ったのかが分からんが」
「あ、あのー、ジャックさん?」
ジャックが考え事をしていると、ナスタが結界を指差しながら言ってくる。
「そろそろ結界解除してもいいですか? 私じゃあんまり分からなくて……」
「んー?」
ジャックが結界の外側に視線を向けると、既に黒煙の巨人は消え去っていた。少し黒煙が残ってはいるが、それらも殆ど消えかかっている。
「もう大丈夫だな、結界解除しちまえ」
「やった! それじゃあ解除しますね」
結界張り続けるのはジャックが思っていたよりも疲れるのか、ナスタが凄く良い笑顔でそんなことを言う。
結界が消えていくのを見ながらジャックはそういえば、と思い出す。
(槍を弾き飛ばした後に魔力が切れたとか言ってたっけ。あの後普通に動いてたら忘れてたけど、実は結構無理してたのか?)
ジャックはナスタの顔をジーっと見るのだが、ナスタの顔に滲み出ている疲れは今日一日中のものなのか黒煙の巨人に耐えていたからなのかが判断できない。
そうやって見ていた時だった。
フッと、闇の中から突然誰かが現れた。
本当に唐突だった。ジャックはナスタを見ていて偶々気づけただけで、ナスタも、ラーシャでさえ気づいていなかった。
黒装束の誰かは驚異的な速度で動き、音もなくナスタに近づき、その腕を少しだけ引いた。
まるで、何かを突き刺す前動作のように。
「ナスタ!」
殆ど反射だった。
ジャックはナスタの元へ走り寄り、その体を抱き寄せるようにしながらナスタの立っている場所と入れ替わる。
「……え?」
ナスタの驚いている顔が、何故か分からないがすごく笑えた。
とはいえ、笑っているだけで終わるつもりもない。
ジャックは片手でナスタの体を軽く押して距離を取らせ、残った片手で振り向きながら剣を振るう。
全力で振るったのだが、相手はギリギリの所で剣を避けた。剣先が布を掠め、顔が露わになる。
「ちっ!」
中性的な顔立ちをした男か女か分からない襲撃者は、これまた男か女か分かりにくい声で舌打ちをする。
襲撃者は後ろに大きく下がって明かりの届かない暗闇に紛れ込み、そして一瞬でその気配が消え去る。
その一連の流れを見てジャックは笑う。
「なーるほど、『冥府の眷属』とやらはただの囮で、本命はさっきの奴か」
「余裕ぶってる場合ですか! 早く背中の傷の治療を……!」
「……多分無駄じゃねーかな」
ジャックはそう呟き、直後にその体が力なく倒れる。
「ジャックさん!?」
「あー、やっぱりか」
どこか達観したように、ジャックは言う。
「どうせ毒塗ってんだろーなーとは思ってたが、いやはや、痛みもないとは優しい暗殺者なこって」
「ジャックさん! しっかりしてくださいよ、ジャックさん!!」
「そう騒ぐなよナスタ。死ぬ時は死ぬもんだ」
「そう……問題じゃ……」
段々と意識が遠くなっていき、ナスタの声も聞こえなくなっていく。
視界も薄れていき、ナスタがラーシャに何かを叫んでいるのがかろうじて分かった。
とはいえ間に合うとは思っていない。恐らくジャックが死ぬ方が先だろう。
「……しかし、あれだな」
自身の声も聞こえず、視界もぼやけきっていて何も見えない中、ジャックは呟く。
「毒があるのは分かりきってるのに、なんでわざわざナスタを庇ったんだろうな、俺」
その言葉を最後に、ジャックの意識は深い闇に落ちた。




