第一話 ラーメンと巫女は突然に
新たな発見を探求するように、好奇心を持って行動をすること。それは、人間の心底に内在する、極めて知的な性質である。だが反面、原始的で断続的に、同一物を欲する願望がある。よく即応する言葉は「癖になる」とか「いきつけ」といったところか。
日常性になりうる「物」というのは、もちろん個人で相違である。が、私の場合に限ってはおじさん臭い。なんせ、この寂れた駅前のラーメン屋で、味噌バターコーンラーメンに舌鼓することだから。
大きめの丸丼に湧きたつ湯気が、薄汚れた朱の暖簾の外へと吸い込まれ、相性の悪そうな春の陽気と交じる。あいにく気候とはマッチしないが、味噌独特のピリッとした香りが臭覚、そして食欲を刺激し、食べろ食べろと囃したてる。
いただきます、と掛け声。幾許もなく、豪快なずずずっと油ぎった麺を啜る音。やはり、この味だ。箸が進む。私は普段と変わらない、ほんのりと甘いバターと辛みのある味噌との絡み合いに、心底酔いしれる。
「こんな土曜日の昼間からラーメンを食べるアラサーかいな。元気なこったねぇ。たまには女のひとりやふたり連れてきなさいよ」
カウンター端のテレビ置き場方面から、毒舌が放たれた。暴言の主は、老い耄れの女店長だ。丸椅子に座って、お昼の情報番組を観ているらしい。
「おばちゃん、まだ二十五だからギリギリアラサーじゃないってば。それに女ひとりはともかく、ふたりって。女垂らしじゃん」
「ひとりの女も連れてこないお前が言うんじゃないよ」
全くの正論。苦笑して話を濁すしかない。しかし追い打ちをかけるように、続けざまにこんな言葉が飛んできた。
「だいたいね、二十五の男が独りで毎週毎週飽きもせずにラーメン食いに来るなんて、よほどあたしの顔が気に入ったのかい。それか、これっぽっちもモテないのか」
ぐさり、ととどめの杭を打つ音がした。皮肉と冗談交じりの言葉にもおばちゃんなりの気遣いがあるのだろうが、あまり的確な指摘と自らの情けなさに、器のなかへと目を伏せてしまった。そんな私の気持ちや顔色を察したのか、おばちゃんは「大丈夫だ、人生まだ先は長い」という小さな慰めを、頬笑みと一緒にくれたようだった。
そんな悲しい現実にも負けないラーメンの味を噛みしめながら、くたびれたぼろのぶら下がった入口に目をやる。丁度ここからのアングルで目視できるのは、駅のホームの端に閑静な住宅街のバックグラウンド。晏如たり、平和な景色。ここはまさに、メトロポリスと遠く離れた「郊外」で間違いない。そして私は、いい歳なのに独り淋しくラーメンを貪るのである。
あるはずもない。こんなところに。出会いなんて。
壁掛けの時計は正午を指すころ。電車が通る。がたんごとんと、黄色い車体の影を残して。
ふと意識が戻った。どうやらぼうっとしながらラーメンを食べていたようだ。器の中は脂の浮いたスープと少量の具だけになるほど、無心だったらしい。
すると視界の端に、空いていたはず隣の座席が埋められていたのを知った。私以外の客がいなかったのに、わざわざ隣の席を選んだ客。どんな物好きだと思い、横やりに確認しようとした、次の瞬間。
「うぉ、本物だ!」
と思いもよらぬ出来ごとに、驚きのこもった大声が口から洩れてしまった。
潔白な白衣と清楚な緋袴。
なびかせるように艶やかな黒髪。
整ったぱっつん前髪に、くりくりの可愛い目。
そう、巫女装束を纏った、正真正銘の巫女だったのだ。
彼女はモルモットみたいに体をびくつかせ、ちぢこまりながらこちらに顔を向けた。浄玻璃のように澄み切った瞳が、怯えと涙を含みながら、私の視線と搗ち合った。
束の間の、奇妙な空間が生まれる。唖然としたリーマンと、泣き出しそうな巫女と、大爆笑の女店長。
そうこうしているうちに、きょう二度目の我を取り戻すと、後悔の念に押しつぶされそうになった。失礼を口走ってしまった。しかも巫女さんとはいえ、一人の少女だ。なにか、なにか詫びをしないと。錯綜する思考を巡らせた結果、わなわなと口を震わせてこう言った。
「ご、ごめん! ラーメン奢るから!」
パチンと手を合わせ、頭を下げた。巫女さんは、表情を緩めきょとんとし、私のつむじを眺めた。典型的かつアホ丸出しの謝罪と
、なんと情けないおっさんであろうか。