幕間3
今日はやけに静かな夜だ。いつも聞こえてくる喧騒や下卑たニンゲンの笑い声も今日に限って全く聞こえてきやしない。
こんな静寂が漂う夜にする話ではなかったかな?とオレは思った。
「あなたには・・・」
だって
「ん?」
聞こえちまうじゃないか。
「あるんですか?」
あいつの小さな問いかけが。
「あなただけの風景が。」
掬い上げるようにオレを見つめるヤツの瞳はどこまでも透明で、とても嘘をつく気になれるようなものではない。
「そうだなぁ…あった…かな?」
だからオレはそう言って笑おうとした。上手く笑えた自信はなかった。
「オレはバカだから無くしちまったのさ。遠い昔に、な?」
いつの間にか自分の腕から零れ落ちてしまうものもある。あいつはオレからふいっと視線をはずすと下を向いた。
「僕にも…あると思います?その風景というものが。」
ポツリと呟かれた台詞にオレはふっと笑った。
「さあな。自分以外のヤツのことなんざぁ、オレにはわかんねぇーよ。」
「やっぱり。」
「?」
「どうせそう言うと思っていました。」
ははは、言ってくれるじゃねぇーか。チラリとヤツの顔を伺うと口元をほころばせている姿が見て取れた。
「僕には帰る家があるんです。温かな寝床もきっと僕を待っていてくれる人もいる。」
そっと目を閉じるあいつ。
「僕は幸せです。それは疑いようがないことだと思います。でも、何かがたりない気がしてしまう―」
「足りないだって?贅沢な話だな。」
「気分を害されましたか?」
「いや。」
オレは軽く首を横に振って意思を示した。あいつは静かに笑っていた。
「あんたはさ、ネズミと一緒なんだ。」
「と、いいますと?」
「究極の贅沢者。でもって空っぽなヤツ。」
「空っぽ、ですか?」
横顔にあいつの視線を感じる。けれどその意味を教えてやろうとは思わない。いずれ分かることだ。
オレはあいつの頭に手をのせるとわしゃわしゃと毛をかき乱すように撫でた。
「ちょっ!?何するんですか!!」
あいつは慌てて腕から逃れると、心底迷惑そうにオレをにらみつける。これ見よがしに乱れた毛先を整える姿が小憎らしい。
ちぇ。せっかく親愛の情を見せてやったっていうのに。
ふてくされるオレの隣で静かに空気が動いた。
「一つお尋ねしてもよろしいですか?」
しっかり目線を合わせるようにしてヤツは言う。
「な、なんだってんだよ?そんな真面目くさった顔して。」
先ほどまでのあいつからは想像できないほど迫力ある表情に、柄にもなくどもってしまう。
「これは本当に作り話なんですか?本当にあった話ではなく?」
「…」
オレは至極当たり前のことを聞いてみる。
「どうしてそう思うんだ?」
「そうですねぇ。なんとなくそんな気がした。では理由になりませんか?」
「はっ。なんとなくってだけでたいしたことを考えるお坊ちゃんだ。だいたいオレたちならまだしも、あいつらとオレじゃ種族が違うじゃねーか。」
「まあ、それはそうですけど。」
ヤツはそう言って口をつぐんだ。けれどムッと口元を引き結んでいる姿が納得できないと訴えかけてくる。
ふっ、面白いヤツ。
オレはもう一度わしゃわしゃとあいつの頭を撫でた。
「なっ!?やめてください!!まったくもぉ、子どもなんだから。」
パシンッと小気味のいい音を響かせながらオレの手が払われた。
「おあいにく、まだまだ子どもなんでね。それに変に大人になる必要なんてねぇーだろ?」
あいつらももっと聞き分けのない子どものように駄々をこねてよかったんだ。もっと口汚く罵ればよかったのに。
「オレにはできねぇーな…」
ふと口から漏れ落ちた思い。
「え?」
あいつはオレの呟きを目ざとく拾ったらしい。じっと向けられた瞳は空に浮かぶ黄金色のそれとよく似たものだった。