それは夢、それは希望、それは愛
―登場人物―
牧島和人(まきしまかずと):本作の主人公。気が弱いが諦めが悪い。
坂本夕海(さかもとゆうみ):双生児学園の女生徒であだ名はユーミン。清く、優しく、美しいお嬢様。だが、その実態は……?
柔らかい……。
ましゅまろのようにふにふにしている『それ』は今、僕の後頭部にあたっている。気持ちがいい感触を持ったそれは、今自分が天国にでもいるような錯覚を覚えさせるほどだ。
……ってことは、ここはもしかして天国? あれ、僕まさか天国に来ちゃった?
暗闇の中、無駄にテンパった僕は何かにすがるように無意識に手を伸ばす。何もないと思われた漆黒の空間で、『何か』を掴んだ。
「!」
どこからか声が聞こえたような気がするが今は置いておいて、それが何か確かをめようと、感触を確かめるため慎重に撫でてみる。
「……!」
なんだろうか、とても柔らかい物のようだが。撫でさする度に声も大きくなっていく気がするが、なんだかこれを撫でさすっていると段々自分の心が幸せになっていくようで、調子に乗った僕は更に力を入れて揉んでみることにした。
「……! …………!」
な、なんて柔らかさなんだ。僕の後頭部でふにふにしているものもさることながら、今僕が揉んでいるそれは比較にならないほどの柔軟性を誇っていた。ちなみに、もはや僕の耳には声など気にしている余裕はなかった。
今、僕はどうなっているのか、本当にここは天国なのか、この謎の物体はなんだろうか、なんていう自分の不安を全て包み込んでくれるような優しさを内包した母性を感じさせる、極上の揉み心地だ。
もっと触りたい、もっと揉みたい、もっと味わいたい。もっと、もっと、もっとだ!
この柔らかさを堪能できるのなら、僕は、例えここが地獄だとしても構わない!
何やらよくわからないものを揉み始めて数十秒、すっかり揉み中毒(略してもみ中)の泥沼に嵌った僕は……
――覚醒した。
怪我した雛を介抱するかのように、初めて彼女と手を繋ぐ時のように、慎重に。
井の中の蛙が大海へ出るかのように、初めて彼女をホテルへ誘う時のように、大胆に。
慎重と大胆、両方の相対する感情を絶妙なタイミングで織り交ぜながら、とっても柔らかな『それ』を勇猛果敢に揉みしだく!
「ハァ、ハァハァ、はぁはぁはぁ!」
「!!! …………!! ……っや」
少し力を入れただけで形状が変わり、中指と人差し指の隙間から中身が零れる。僕はこの時を待ってましたとばかりに、もう片方の手で隙間から零れ出た中身を撫でさする。なんとも形容しがたい暖かなパワーが、エナジーが、ソウルが指先にビビビッと伝わってくる。
あぁ、極楽だ。ここは世界のどんなところよりも極楽浄土だ。
……!? 揉み始めてから数分が経過した頃、何かよくわからない壁が僕の指の進行を邪魔していたことに気付く。正直、なんだかよくわからないことだらけで頭は既にパンクしていたため、この障壁に気付くのが遅れていた。
この時、混乱していた僕の頭が考えられることはただの一つだけ、『我の邪魔する者、これ即ち死、あるのみ』だ。
今ならイケる。僕ならイケる。更に極上の快楽を味わうために、自分の力を開放するんだ。
毛穴という毛穴を全て開き、血管を浮き立たせ、瞳に力を入れ、全生命力をこの両手に注ぐんだ。
――今こそ、開眼の刻……!
クワッ!!
目覚める意識、より鋭敏になる感覚。眩しい光を受けながらも、それがどうしたと言わんばかりにがっつりと両目が開かれた、その先には……
「っん、くぅ、はぁ……はぁ……。……カズさんって、意外と、強引、なんですね」
雪のように白い肌をほんのりと赤くさせてもじもじしている、見知らぬ女の子と、
「ハァハァハァハーァッハァ! ……っえ、アレ?」
馬鹿みたいに興奮し、女の子に膝枕されたまま豊満な胸をこれでもかというほど揉みしだいていた、僕の姿が映し出されていた。
「あ……れ……?」
びっくりした、なんてもんじゃない。この衝撃は、家に帰ってきたとたん強盗が全裸でテーブルの上をコサックダンスしているところを目撃してしまうよりも上だ。
「こんにちは、カズさん」
世界が崩壊してゆく様を目撃してしまったかのような顔をした僕を見ても、表情を和ませて挨拶をしてくれる見知らぬ彼女。なんだ、彼女は天使か何かか。一体全体、僕は今生きているのか? 死んでこんな世界に来れるほど、僕は現世でいいことをしたのか?
「あの、それで、その。そろそろ、お手を放して頂けると……」
恥じらいながら呟く彼女の視線の先。そこには未だ執念深く彼女の胸に手をあてている、滑稽な自分の姿が。
……一回冷静に考えてみる。僕は死んでいるかもしれないなんてくだらない妄想はやめて、考えるんだ。今僕がいる場所は、木ノ下公園だ。寝そべっている場所はベンチに座っている彼女の膝の上。今までの情報を統合すると、多分、状況はこう。
公園で傷つき倒れた僕→どこかの優しい女の子が発見し介抱してくれた→気絶した僕を膝枕までしてくれた→僕は彼女の善意を踏み躙るように彼女の胸を揉んだ←今ここ
終わった。刹那、膝枕されている状態から瞬時に身を翻し、地べたに額を擦り付ける。これが古くから日本男児の最終手段とされている、土下座だ。
「あ、あぁ! すみません! ほんっとうにすみません! 切ります! もう僕この腕切りますから許してください!」
な、なんてことだ! 僕なんていうチキンでしょぼい男を介抱してくれるほどの優しい女の子の、あろうことか、む、胸を揉みしだくだなんて!?
「ごめんなさいごめんなさいでもすこしきもちよかったです!」
閻魔の採決を待つ気分で全力で額を地べたに擦る、擦る、擦りまくる!
だ、ダメだ! 今までの人生経験からいって、こんな状況に陥ったらもう僕には死ぬルート一択しかないじゃないか。誰だよ、『我の邪魔する者、これ即ち死、あるのみ』とか言いやがった馬鹿野郎は!
あぁあ! 自分で自分を殺してやりたいとはまさにこのこと。腕一本で許してくれるだろうか。最後の手段として、お母さんにお小遣いを前借することも考えなくてはならない。
「ふふっ。男の子ですもの、しょうがありませんよ」
だが、僕の予想に反して彼女は未だ柔和な笑みを浮かべるだけで、怒っている様子がなかった。
な……に……?
「それよりも、カズさんが元気そうでよかったです」
ましてや、僕の元気な様子(テンパりながら額を地べたに擦っているだけだが)を見て嬉しがっているようですらある。なんだこれ、なんなんだこれ。今までの人生の中で、こんな経験はしたことないぞ。この人は僕を誰かと勘違いでもしてるんじゃないだろうか。
「……あれ、でも、僕のことカズさんって」
そういえば、この人は僕のことをカズさんと呼んでいた。不思議に思って、地べたに擦り付けていた頭を上げる。先ほどまで気絶していたので、日の光がとても眩しく感じられて思わず目を細めてしまう。
「あ、はい。実は、カズさんに一つ、お話をしておかないといけないんですけれど……」
言いながら、彼女はベンチの上に置いてあった、見覚えのある品のいい麦わら帽子を取って被る。そして、
「私が、ユーミンなんです」
なんて言って、男の心を根こそぎ持っていくような、極上の笑みを浮かべたのだった。
◆
ユーミンさんは、先ほど噴水で出会ったヤンキー風の男じゃなかった。
「本名は、坂本夕海っていうんです。夕海を少し変えて、クラスの皆からユーミンって言われていたので、ハンドルネームもユーミンにしてみたんですよ」
「は、はぁ。そうだったんですか……坂本さん」
今僕の目の前にいる彼女こそが、紛れもなく本物のユーミンさんだというのだ。事ここに至って、僕としては先ほどの男の人の方がユーミンさんなんだと言われた方が、まだ真実味を帯びていたけれど、本人がそういうのだ。僕は信じるしかない。
「カズさんの本名って、なんていうんですか? できれば教えて頂きたいのですけれど……」
恥ずかしかったからか、坂本さんは優雅になびいていた黒髪をかきあげながら質問してきた。毎日手入れをしているのが一目でわかるような彼女の長い黒髪は、喜びの舞を踊るように指と指の間から零れ、ふんわりとしたコンディショナーの香りが鼻を優しく刺激する。
髪をかきあげるというなんでもない動作のはずが、坂本さんがやるだけでこうも違うものになるなんて。女性に免疫が皆無の僕は、心臓が膨張して張り裂けてしまうのではないか、というほど緊張してしまう。
「カズさん? あ、もしかして、お気に触りましたでしょうか……?」
「あ、ち、違うんです! ぜんっぜん、違うんです! ……ぼ、僕は牧島和人っていいます」
「牧島、和人……様」
「いやいやいや、様付なんてやめてください! なんか、もう、恐れ多すぎて」
「ふふっ。和人様、そんなに照れてしまうなんて、少し可愛いです」
口に手を添えてクスリと笑う坂本さんの動作は、どこかのお嬢様といっても差し支えないほど様になっている。
緊張と恥ずかしさで、しどろもどろになって壮絶にキモいことになっている僕なんかとはえらい差だ。
「あ、いや、その、本当に、様付だけは……」
僕が他人に様付するならともかく、他人から様付で呼ばれることなど、病院の待合席ぐらいでしか経験したことがない僕にとっては恐れ多すぎるんだ。
「許しません」
「そ、そんな……」
だが、彼女の中で僕を様付で呼ぶことは決定してしてしまったみたいで、頬を膨らませて小振りな顔を少し大きくしながら、
「駄目です。さっき私の胸を揉んだ罰だと思って、諦めてください」
なんて言う。そんなことを言われたら、例え裸になって三回ワン鳴けという命令でも僕は従うだろう。
女の子の胸を揉んだ挙句様付で呼ばせる僕って一体……。
壮絶な自己嫌悪に陥りつつも、渋々様付を了承すると、坂本さんは今日何度目かわからないとびっきりの笑顔で、
「ありがとうございます。私のことは是非夕海とお呼びくださいね」
とんでもないことを言い出した。
「え、えぇ!? 僕が、坂本さんを名前で!?」
自慢じゃないが、今まで生きてきて僕は女性の名前を呼んだことはない。いつも名字にさん付けで呼んでいたのだ。大体僕が女性を呼ぶこと自体が珍しい現象だ。
そんな僕が、名前で呼ぶだって?
「はい。……駄目ですか?」
「いや、駄目も何も、僕と坂本さんには主従関係なんてないんですから、僕を様付で呼ぶこともないし、ましてや僕が坂本さんを呼び捨てするなんて……」
「そうですか……それでは、しょうがないですね」
よかった、諦めてくれた……そう思ったのも束の間。
がしっ、と掴まれる僕の右腕。
「っえ?」
反射的に振りほどこうとしたが意外と力が強く、僕なんかの力では毛ほどもびくともしなかった。というか物凄い力だ。僕が非力なだけなのか、彼女が見た目に反して物凄い筋力があるのか(後者であることを男の僕としては願う)。なんにせよ、抵抗しても無駄だということがわかって見つめていると、坂本さんはそのまま僕の手を自分の胸にあてがい……
――むにぃ
と、先ほどまで感じていた極上の感触を、再び右手に感じさせた。
「ひゃあ!(注:僕の声です)」
「あっ、ん」
白いワンピースの上から触れる彼女の胸は、僕の手に反応して縦横無尽に変形する。母性の象徴、全世界の男児の夢、希望が僕の手によって、今まさに目の前で踊っているのだ。
あぁ、柔らかいや……おっぱいって、いいな。
「……じゃない!? ……はぁ、はぁ。危うくまたもみ中になって覚醒してしまうところだった」
無意識に揉み始める手を無理やり引き放し、最高潮まで高まる心臓を深呼吸で鎮める。当の本人である坂本さんは、後ろを向いてワンピースの乱れを直してからこちらに向き直った。
「ん、ふぅ……。はい、これで、また私の胸を揉んでしまいました。貸し一つです」
「え、貸し一つって」
「先ほどの胸は私がカズさんを和人様って呼ぶことでチャラになってしまったので、これで新しく借りを作ってしまいましたってことです」
残念でしたね。なんて舌をだして可愛く微笑む坂本さん。
先ほどの壮絶なおっぱい事件は、彼女の中で僕を様付で呼ぶことを条件に、貸しが無くなったとでも思っているのだろうか。もしそうなのであればとんでもないことだ。こんな体験、僕の全財産を払ったとしても、まだ足りないことは明らかなのに。
「この借りは私のことを『夕海』って呼んでくれるまで返せませんよ」
意地悪い笑みを浮かべる坂本さん(でも優雅だ……)。意外に僕をからかうのが楽しいらしい。だけど、一度ならず二度までも彼女の胸を揉んでしまった身としては、もう覚悟を決めるしか道はないようだった。
「わかりました。……夕海、さん」
「はぅう!」
だが、ヘタレな僕は結局名前の後にさんを付けてしまう。女性の名前を呼ぶのにこんなに体力を消費してしまうなんて……。
「あ、あの、和人様」
「はぁはぁ……、はい、なんでしょうか」
「もう一度、もう一度お願いいたします」
「夕海……さん」
「はうはうぅ!」
駄目だ、夕海、なんて呼んだらこっちの心臓が持ちそうにない。さんはせめて付けさせてもらわないと死んでしまう。
「夕海さん。あの、お願いなんですけど」
「はうぅ……なんですか、和人様。私、今なら何でもあなたの願いを叶えて差し上げてしまいそうです」
「お願いですから、せめて夕海『さん』は勘弁してください。僕が耐え切れません」
チキンハートには荷が重すぎるんだ。レベルが足りないんだ。ひのきのぼうでゾー○倒すようなものなんだ。
「ふふっ、しょうがないですね……和人様の頼みですもの、夕海さんで勘弁してあげます」
夕海さんの条件を呑むことができなかったのに、なぜか上機嫌になってくれた夕海さん。どこか興奮した面持ちで、僕の両腕を握る。彼女から仄かに香る女の子の匂いに一々反応してしまい、顔はゆでダコのように赤くなる。
「私たち、いい友達になれそうですね」
「え、友達……」
友達。そうか、僕と夕海さんは友達になれるのか。あまりに現実離れしている話をしているようで、一瞬何を言われたかわからなかったけど、
「もしかして、私のことが嫌いになってしまいましたか……和人様」
僕と彼女は……友達になれるのか。一緒に笑い合って、一緒に泣いて、一緒に喜んでくれるような人が、僕にも作れるのか。
涙目になってこちらの様子を伺っている夕海さん。せっかく介抱してくれたのに、おっぱいを揉む人類の中でも最低な部類に入るのではないかという僕の表情を、こんなに気にしてくれるなんて、なんて、なんて、
「やざじい人なんだ……」
「か、和人様!?」
「な、なりまず……なりまじょう、ぼぐだぢ、友達に……」
「えぇ、なりましょう、なりましょうね、友達に! ……ふふっ、和人様。まるで、さっきの私みたいですよ。本当に、あなたは、変わらない……ぐすっ」
泣きじゃくる僕につられて、彼女もほろりと涙を流す。見てくれは無様だったが、関係無い。僕たちはこの時、確かに友達になったのだ。
その後は喫茶店へ一緒に向かい、今までの学校生活や、オンゲーの話等で盛り上がり、夢のような時間を過ごすことができた。
……その時に聞いた話だと、どうやら僕が噴水広場で出会ったあの男は夕海さんの弟の友達らしく、姉が知らない男性と会うことを心配した弟が仕掛けたことだったらしい。言われてみれば、こんなに美しい姉を持っていたら弟としては不安になるのも納得だ。
『お説教はしておきましたので、どうかお許しください』なんて言われたけど、笑って許してあげた。体は痛かったが、それだけだ。幸い致命的な傷は負っていないし、何より夕海さんと友達になれたので僕は全然気にしない。
それよりもあのおっぱい事件のことを本当だったら僕の方が彼女の何十倍も謝罪しなきゃいけないはずなのに、『和人様が笑って許してくれているのに、私が怒るなんてありえません』という言い分の元、彼女が僕に謝罪をさせてくれることはなかった。
ユーミンさんこと夕海さんは、本当に優しい、僕の想像以上の女の子なのだった。
―次回予告―
【凛】「ねぇ、愛唯」
【愛唯】「……何?」
【凛】「私達って、いつになったら和と会えるの?」
【愛唯】「解析してみる」
【明日菜】「正規ヒロインがここまで出てこない小説も珍しいにゃ~。もしかしたら、このまま一生出てこないんじゃにゃ……グニャペシィ!」
【凛】「なんか言ったか、明日菜?」
【明日菜】「にゃ、にゃんでも、無いにゃ……」
【愛唯】「……解析完了。どうやら、次の回でこの中の誰かが活躍する模様」
【凛】「も、もしかしてようやく和と会えるの!?」
【愛唯】「この三人の中だから、確率は良くも悪くも約30%」
【明日菜】「僕っちは正直どうでもいいにゃ~。姉御に譲ってあげるにゃ」
【凛】「そんなこと言って、もし明日菜が出た日には……わかってるな?」
【明日菜】「だ、大丈夫ですにゃ! 全身全霊をもって、姉御に出番が回るよう努力するにゃ!」
【凛】「和君! あんな性悪女なんかに騙されてないで、早く私の元に来てぇ!」
【明日菜】「全然聞いてないにゃ……にゃんだか、このコーナーは僕っちの待遇が悪い気がしてならないにゃ。大体姉御は……」
【愛唯】「次回、『悲劇的な別れ、浚われた君』……明後日も、お楽しみに」
【明日菜】「誰か僕っちの話を聞くにゃ~!」