浴場にて
惑星ノーレムは自転の関係で地球より一日が少し長い。一日はおよそ30時間ほどだ。そのため、時刻表示や行動時間帯が少し地球人とは違うのが現状だ。現在、時刻は24:30。地球でいう午後八時半にあたる。兵舎では食事を終えた兵士達が風呂場に向かう頃だった。
入浴という習慣は、近くの山脈からお湯がわき出るルバジオでは当たり前にある。そうでなくとも、一日中汗や埃にまみれ、泥に浸かった体を洗いたい、と思うのは人間なら当然だった。入浴を禁じる風習や宗教の戒律を持った国や地域は、大陸広しといえど存在しない。
連隊や階級ごとに入浴時間が細かく決められ、大きく違う兵科や階級の者が浴場で鉢合わせすることはない。無いはずだった
が、今、まさにノミオルとルシルは浴場に入る所だった。
今は将校はもちろん、女が入浴する時間では無いので、脱衣所でも、浴室でもあからさまにギョッとした男達がそそくさとその場を後にする。二人の女性は胸と下半身に水着の様な、布でできたインナーを着ていた。体を洗う時は外すが、異性の前ではこれを付けたまま入浴するのが軍のルールだ。深い緑色で「陸軍」の文字が入って居るのがそれらしい雰囲気だ。
浴場は、広い金属製の風呂が一つと、個室で体や髪の毛を洗うための部屋がたくさん。ノミオルは暑いのか、または別の理由で(おそらく羞恥心からくるもの)顔が真っ赤になっていた。動作もぎこちなく、どこかよそよそしい。
ルシルは対照的で、涼しい顔でタオルを持ち、すたすたと風呂に向かう。女性的な体格のルシルと、中性的なノミオルだが、性格までそうとは言えないようだ。
「わ、私は、先に、体を洗いますね。」
ノミオルはうわずった声でルシルに告げると足早に個室に向かう。
「おう、そうか。わたしは先に入るぞ。」
女性で、将校のルシルと風呂を共にする者はそうそうおらず、浴槽では男が一人、体を浸けているだけだった。下半身にタオルを巻き、水位の低いお湯にあぐらをかき、腕を組んで座っていた。短く刈り上げた頭には白髪が相当数交じっていて彼が高齢であることを物語る。しかし、険しい表情と立派な体躯は年齢を感じさせない。腕や足は丸太のように太く、日に焼けて茶色くなっている。そして、体のいたるところに傷跡があった。百戦錬磨の兵士を絵に描いたような男だった。
「中佐、少しは人目を気にすべきです。伍長のように。」
地響きの様な低い声で男がルシルに話しかける。どこか親しみを感じさせる声色だ。
「この時間が一番空いてるんでな。これでも気にしたつもりさ、ラオル曹長。」
そう言うとルシルはラオルの隣に腰を下ろして湯に浸かる。髪の毛をとめていた紐をほどき、左手首に巻き付けた。女性的な言い換えれば妖艶なルシルがより女性らしく見える動作だったが、ラオルは黙って腕を組んだまま前を向いていた。
壁の給湯器からお湯が湯船に注ぐ音だけがしばらくの間、浴室に響く。
「なあ、曹長。」
しばらく無言で湯に浸かっていた二人だったが、不意にルシルがラオルに話しかけた。
「どうされました?」
前を向いたままラオルは答える。
「新人のノミオル・ビルセンタ伍長をどこで知ったんだ?曹長では個人資料は閲覧できないハズだが?午後の訓練でも見かけなかったし。」
「アルゴ・キンバレ、貴方のお父様から直接電話がありました。一昨日のことです。」
「へえ、私の父上が?なんて言ってたんだい?」
「期待の新人が、東方からより前線に近いこの基地に転属される、と。」
「それだけで電話する父上ではあるまい。本当はなんて言ってたんだ?」
ラオルはルシルを見た。真っ赤な長い髪を下ろした女性が、青い双眸をまっすぐこちらに向けていた。
「実は、彼女にスパイの嫌疑がかけられているのです。」
小声でラオルはルシルに耳打ちする。個室では、曇りガラスのはまった扉の向こうで頭を流しているノミオルが見える。
「へえ、年を取ると疑り深くなるもんだねぇ。」
世間話のような軽い調子でルシルは言った。あっけからんとした声が浴場に響く。
「で、理由は?」
小声でルシルが尋ねる。強い意志を込めた声色だ。
「彼女の父親は旧バルジオ陸軍強行偵察部隊の小隊長です。今、こちらに攻めてきている連合軍とも接触をしたそうです。」
「彼女は独身だ。身寄り無し、と資料にはあったが?」
「ええ、その通りです。母親は今から7年前、彼女が15才の時に病死。父親も後を追うように交通事故で亡くなった、と貴方のお父様、アルゴ・キンバレ陸軍元帥はおっしゃってました。」
「父上が言った、ということは裏を取ってあるんだな。まさかラオル、おまえが?」
ルシルが横目でラオル曹長を見ると、ラオルは重々しくうなずいた。そして、組んでいた腕をほどき、笑った。
「いやあ、キンバレ親子にはかないませんな。勘が鋭くて困ります。」
そして再び腕を組むと、小声でルシルに告げる。
「そうです。旧バルジオのとある街にも出向きました。確かに、伍長のご両親を埋葬した墓がありました。」
「なるほど・・・。強行偵察隊の、それも隊長か。それなら何らかの機密を独り娘の伍長に話していても不思議はない。格闘術も彼女の父親が仕込んだのだろう。父親からの遺言、あるいはなんらかの密命を帯びて陸軍に入り、何かを探ろうとした。それを恐れたわたしの父上が彼女を左遷した、ということか。もうすぐ敵軍と戦闘になるこの基地ならば、何か掴まれる前に戦死するはず、そうだな?曹長。」
アゴに手を当てながら小声でルシルは言った。ラオルは咳払いをすると、前に向き直った。見ると個室から少しだけ扉を開けて左右を伺うノミオルの姿があった。浴場にはルシルとラオルしか居ないことを悟ると、あからさまにホッとした表情で浴槽に向かう。その様子には何か強い信念の様な物は微塵も感じることはできない。
「お知り合いですか?ルシル中隊長。」
湯船に腰を下ろしながらノミオルは尋ねた。
「ああ、そうだ。この男はラオル・ドミルオ上級曹長だ。」
「こ、これはご無礼をいたしました!」
伍長のノミオルがあわてて立ち上がり、直立不動の体勢になる。それを見てルシルは笑いながら言う。
「まあ、そう固くなることは無いぞ。彼は前大戦の生き残りでな、私の父親、陸軍元帥のアルゴ・キンバレ直属の部下だった男でもあるんだ。勲章と傷の数ならわたしより多いぞ。」
「初めまして、伍長。」
ラオルは会釈する。ノミオルはおそるおそる湯船に再び浸かる。
「もちろん、軍務以外でも親交がある。わたしの父上とはよく酒を飲むし、彼の奥さんとは顔見知りだ。想像できないかもしれないが、小さな娘さんが一人居てな、彼女のためにわざわざ・・・。」
「ルシル中佐!それは言わない約束ですよ・・・?」
「そうだったな。しかし、笑える話だぞ?」
親密なやりとりにノミオルは緊張を解いた。
「そうですか。私は両親とは既に死別して居ますが、それでも両親の友人からは今もお世話になっています。」
「ああ、その話を曹長としていてな。君の父上は生前はなんて言っていたんだ?軍人だったらしいが。」
ルシルがそれとなく探る。ノミオルは全く緊張せずに話し始めた。
「仕事の、軍務の話は特に何も・・・。人を殺すのが職業なんて、決して自慢できる物では無い、と常に言っていました。ですが、私に教えられることは全て教えた、と死ぬ間際に言っていました。今の私が、その証です。」
悲しげな表情をして語ったノミオルだったが、最後は凜とした表情でルシルに言った。
「確かに、格闘はたいした物だ。それ以外でも有能だと聞いている。さて、明日も早い。わたしたちは体を洗ったらすぐ部屋に戻る。ではな、伍長。」
「はい。」
三人は立ち上がって敬礼をすると、そのうち二人は個室に向かい、一人は湯船に残った。ノミオル・ビルセンタは遠くを見る目で水面に映る自分の顔を見つめていた。