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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。

正しい魅了の使い方

作者: 蛸屋 匿
掲載日:2026/05/16

「よって――私は子爵令嬢、マリアと婚約する」


 拍手に包まれた舞踏会の会場。その中で、赤毛の令嬢だけが浮いていた。この日のために用意したであろう、レース編みのドレスに身を包んだ女。編み込まれた髪から、純白のリボンが落ちた。


「わ、わけが分かりません。殿下は、ぽっと出の令嬢に王妃が務まると思っているのですか」

「もちろんだ」


 返事をしたのは、この国の王太子。フィリップ・シュターリア殿下。

 それは「己は馬鹿である」と言いふらしているような暴論。これには、彼女も頭を抱えそうになる。目の前の王太子は、大衆小説に出るような『馬鹿』ではない。少なくとも、エメルが知っている範囲では期待を寄せられていたはずだ。

 

「わたしは王妃教育も済ませております」

「それがどうした」

「……思い至らないのですか」


 エメルは口にするほど、愚かではなかった。王妃教育には、国の機密情報が含まれていることも多い。王妃は国の宝であるため、城の抜け道や王の間に通じる道だって教えられている。そんな人物を生かして『解放』してくれるなんて、普通はありえない。


 絶句していると、彼の側にいた令嬢が甲高い声をあげた。


「フィリップ様ぁ」

「……」

「なんだ、その目線は。まさかマリアのことを馬鹿にしているのか?」


 否定も肯定もできない。エメルは言葉に詰まった。王太子にしがみつくマリア嬢。茶色の髪は振り回したおかげで少し乱れている。百歩、いや千歩譲って真実の愛だったとしよう。しかしその姿。どこを見て惚れるのか? 甚だ疑問である。

 エメルは悪い夢でも見ているのかと思った。頷き、拍手をするだけの周囲。断罪というには粗末な、感情だけでうごく王太子。誰も止めようとしない現状に、自分がおかしくなった可能性を考えたその時。


 ――コツコツ、二つの足音が大講堂に鳴り響いた。


 その場にいた全員が、石になったように動かなくなる。異様な空気に、エメル自身も長手袋の下で肌を震わせる。恐ろしいものが近づいてきているような心地。まったく動けないわけではないが、目線を動かすことで精一杯。


 そのような状態の中、視界の隅でマリア嬢が動いている。その隣の王太子は、人形になってしまったのか指先ひとつ動かさない。周りの貴族も虚ろな目をしている。この状況だが、マリア嬢は王太子の前で手を振っている。慣れているとも捉えられるだろう。


「あれ? 王子様、動かなくなっちゃったわ。また好きになってもらえるようにしないと……」

「――それ、しばらくは動かないですよぉ」

「!!」

「誰っ!」


 マリア嬢の戯言に、第三者が口をはさんだ。マリア嬢が、怯えたように肩を震わせる。彼女の視線を辿ると、そこには女がいた。真っ白の髪には赤色のフリルハット。レース編みのワンピースも赤が入っている。

 不法侵入者ともいえる彼女の登場に、二人は混乱した。ひとりは沈黙し、ひとりは「なんで動ける人がいるの!?」と喚き散らした。キンキンと響いたマリア嬢の声は、どう考えても聞き心地が悪い。

 どうすれば耳を塞げるのか――考えていたところ、だるそうな男の声が聞こえた。


「うるせー」


 声の持ち主はエメルの位置から見えない。しかし、女の握っているリボンが揺れていることを考えると、彼女の近くにいるのだろう。男の声に、マリア嬢の声はピタリと止んだ。彼女は男なら誰でもいいのか、目を輝かせる。


「かっこいい!」


 手を合わせて、握りしめた彼女は乙女のような顔を浮かべていた。かと思えば、不気味にもブツブツと言葉を発した。それから、最後に「私のこと、好きになってくれますか?」と聞いている。


「ぶっ」

「………………あれ?」


 笑い声を吹き出した男。それを見て、マリア嬢が小首をかしげた。その仕草に可愛さ、愛おしさが詰まっているかと言われたら、そういうわけでもない。本当に何故、国の人々は彼女を信用したのか。エメルにとって最大の謎は、しかし直後に暴かれる。


「効くわけねえだろ」

「もぅ。魅了の使い方がなっていないじゃないですかぁ」


 魅了の魔法。それは、古代に言い伝えられた魔女の力である。危険性は千年前の歴史と共に伝えられるが、実際に起こるとは誰も思っていない。魔女なんて『幻の存在』と思われているぐらいだった。エメルも信じていなかった。王妃教育を受けるまでは。


 ――西の火山には魔女が暮らしているわ。心の魔女は、自愛に満ちた魔女なの。出会ったとしても目を合わせては駄目よ? 魅了されて、火山から出られなくなるから。


 現王妃の言葉を思い出したエメルは、視線を落とすことにした。目を合わせたくないというのもあるが、次期王妃として教育されてきた脳が、女のことを高貴な方と捉えたことが大きい。破棄されたとはいえ、次の王妃としての教育が消えたわけではない。


 一方でマリア嬢。魅了という言葉に、ひどく焦っている。エメルからすれば、夢のほうがマシと思うような展開。そこにマリア嬢の馬鹿さ加減が出た。


「最低っ! 男のこと紐で繋いで、わ、わわたしのこと魔女呼ばわりするなんて!」

「そんなぁ。魔女だなんて思ってませんよ? あたしは、正しい魅了の使い方を知らない子がいるからぁ――」

「貴女こそ! 魅了の魔法のことを知っているなんて! 魔女なんじゃっ」

「話を遮らないでくださいよぉ。ええ、魔女です。あたしは心の魔女と言って、みんなのハートに機敏なんですぅ」

「げっ」

「ぎゃあっ!!」


 畳み掛けるような会話に、エメルは首を突っ込まないようにしていたのだが「男を紐で繋いでいる」という言葉や、マリア嬢の悲鳴には肩が揺れてしまった。その拍子に見えた男。薄黄色をした短髪、パープルカラーの鋭い目、薄い唇、単体で見れば顔つきはイケメン。

 けれども……その格好はファンシーそのものだった。リボンの持ち主と対になるような、白いフリルハット。首のところでキュッとしめられているレース。純白の服と短パン。膝から覗いた足はツルツル。

 さすがのエメルもドン引きだった。それも、男の諦めたような顔を見る限り、常習的なことらしい。体力を奪われた気になった。


「最悪だ、最悪最悪最悪」

「可哀想なルインさん。女の子に好かれてしまったお陰で、女装ですねぇ」


 けらけらと笑った魔女は、くいっとリボンを引いた。彼の耳元で「お似合いですけどぉ、ルインさんは、見世物じゃないですからねぇ」と眉をさげる姿は可憐。魔女は、マリア嬢よりも短い言葉をとなえた。それが途切れた瞬間、男の姿が消える。


「それではぁ、正しい魅了の使い方を教えて差し上げましょう」


 その言葉と共に……魔女による断罪が、始まった。


    ✶


 私はフィリップ・シュターリアという。

 この国の王太子であり、そして――ひとりの人間だ。


 全ては平民上がりの子爵令嬢が、デビュタントをしたところから始まる。あれは婚約者のエメルと踊っていたときのこと。彼女と目が合った。その当時は何とも思っていなかった。それどころか、様々な令嬢のパートナーに視線を送る姿を下品と思っていた。

 次に出会ったとき、彼女は複数の子息と紅茶を嗜んでいるようだった。それが、どうにも腹立たしい。令嬢を踏みにじる男に怒りを覚えたのだろう、と感情を落ち着かせた。

 さらに次は視察の場。その次は王宮。街角で出会ったときは、運命を感じてしまった。そこで疑問に思う。


 ――過去の私は、運命や真実の愛といったものを信じていただろうか?


 彼女と出会う回数が増えるにつれて、疑問は埋もれていった。その結果、私の意思は暗がりの中で膝を抱えるようになった。


「……な、んだ」


 ふと、光が差し込むように目の前が明るくなる。色づいていく視界の中で、何よりも愛おしい赤い髪が目に入った。エメル、私の大切な婚約者。そう考えたところで、自分の愚行がフラッシュバックした。

 隣に立っている令嬢は、期待に満ちた表情でこちらを見上げてくる。


「……なぜ」


 私は、どうして彼女に入れ上がっていたのか。頭の中がぐるぐると回った。マリア嬢との接触を思い出した。途端に吐き気が込み上げる。そのとき、声が聞こえた。


「魅了の使い方をぉ、ちゃーんと教えてあげますからねぇ」


 ゾッとするような冷たい声。それを聞いた私は(なんだ、これから断罪されるのか)と安堵のような落胆のような、自分でも分からないような声をもらした。しかし、声の持ち主は私を捌くのではなく。ましてやマリア嬢を捌くわけでもなく。ただ、淡々と事実を述べた。


     ✶


 魅了とは何か。その定義は曖昧だが、一説によると『人の感情を増幅させるもの』らしい。勘違いもいい加減にしてほしい、と心の魔女ハティは思う。

 魅了の定義は定まっていない。しかし人の感情を増幅させるものではないことぐらい、使い手なら分かっていて当然。そう鼻を鳴らした。


「マリアちゃんはぁ、周囲を魅了することで愛されたつもりになったんですよねぇ」

「そんな! つもりだなんて、みんなの心を踏みにじるようなこと言わないでっ」

「ですからぁ」


 こんこんと問い詰めようとしていたハティは、細くて小さな指を顎に添えた。彼女の口から語られたのは、魅了の魔法に関する知識。それも基礎中の基礎。


「魅了の魔法はぁ、人体の中で最も大きな感情。それに取って代わる形で、愛を植えつける魔法なんですぅ。その愛は最初からあるものじゃないですし、育めるものでもありませんよぉ」

「なっ」

「…………そうなのか」


 顔を真っ赤にさせたマリアは、助けを求めるようにフィリップを見た。その行為だけで、周囲はハッと息を呑む。

 眉を寄せ、扇を開き、ヒソヒソと話す姿は、本来の貴族に戻ったかのようだ。

 フィリップが声を出せる理由なんて考えていないのだろう。その点、現状に警戒できるエメルは優秀な王妃になりそうだ。そんなことを考えながら、取り出した爪ヤスリを動かす。


「ふぅ。助けてほしいかもですがぁ、今まで魅了されていた人に求めてもねぇ」

「なんでっ! わたしの魅了が効かないの!?」

「そりゃあ、あたしが重ねがけしているからですよぉ」


 けらけら笑ったハティを見て、従者のルインが「相変わらず趣味が悪いことで」と絶望したような顔で言う。その姿は愛らしいまま。他の者には見えていないことだけが残念……とハティは本気で思っていた。

 魅了の魔法を重ねがけしているなんて、嘘っぱちである。ハティは魅了する相手を選んでいるのだ。それもそうだろう。魅了は、万能な魔法ではない。


「ひどいわ!」

「そこは喜ぶところではないですか? さっき言いましたよねぇ、魅了は大きな感情に向かって愛を植えつける魔法。つまり、効果が切れた瞬間、元の感情がいっせいに向くのですよぉ」


 憎しみを愛情に変えたら、魅了を掛けられていた人は、我に返ると使用者のことが憎くて仕方がなくなる。それがなくても魅了にいい思いをすることはないだろうが。


「そ、それが愛情なら、深い愛情を向けるんじゃないの?」

「マリアちゃんは執念深いですねぇ」


 長年、魔女の間でも言われている『人の感情を増幅させる』理論のことでも勉強すれば、少しはマシになるのではないだろうか? そう考えつつ、ハティは指をくるりと回した。


「愛情だった場合ですが、元々は別の人を愛していたわけじゃないですかぁ。その愛を捻じ曲げたんですからぁ、当たり前のように憎しみが飛んできますねぇ」


 代わりに、もともと愛情を向けていた相手に対する愛も深くなる、と言ったらマリアは猿のようにキーッと叫んだ。ハンカチを差し上げたいぐらいだ。


「愛情が……深くなる」


 独り言のように声をもらしたのはフィリップだった。縋るようにエメルを見ている彼は、自分の感情がホンモノなのか分からなくなっているのだろう。ハティは、彼のハートが軋む音を聞いた。


「もぅ。シュターリアの王子は、相変わらず心に忠実なんですねぇ」

「……」

「違和感をなくすため、記憶を操作していることが悔やまれるぐらいですよぉ」

「記憶操作って! あなたの方が酷いことをしているじゃない!」


 また騒ぎ出したマリアに、ハティは「魔女ですからねぇ、当たり前じゃないですかぁ」と溜め息をもらした。


「まぁ、最後に『心の魔女』らしく正しい魅了の使い方を実践して見せてあげますよぉ」


 ハティが顔の横で手を叩いた瞬間、後ろに控えていたルインの体が沈んだ。同時に、大講堂がざわめきに包まれる。成人男性の無理な女装を見たのだから、そうなるのも当たり前だろう。それはさておき、ルインは彼女の足首に顔を近づけた。


「僕のお姫様に、愛を」


 ルインは、ちゅっと靴の先に口づけをする。なんて滑稽。なんて哀れ。その姿を見たことでハティの欲は満たされた。

 一同は、顔を赤くしたり青くしたり、様々な反応を見せている。しかし、それもハティが退場するのと同時に忘れてしまうだろう。勿体ないことだが、安寧のためなら仕方のない。


「これが、魅了の力ですよぉ。解かなければ二年ぐらいこの調子じゃあないですかねぇ」

「お姫様は、僕のこと見捨てるのか?」

「解いた瞬間、ルインさんはあたしの足を切り落とすか、自分の舌を噛みちぎるでしょう」

「ねえ、お姫様?」


 擦り寄るルインの言葉を、全て無視したハティはマリアを見つめた。


「そう、魅了は解けるのですよぉ」

「な、何よっ」

「あたしが消えたあと、あたしが周囲に張った魅了も解けますのでぇ……その後、マリアちゃんがどうなるか、少しだけ楽しみにしていますねぇ」

「何を言っているの!? わ、わたしは王妃になるのよっ!」


 ルインの手で横抱きにされたハティは、そのまま窓から大講堂を後にする。

 最後まで王妃、王妃と叫んでいたマリアだが、さて、ハティの居なくなったあと、どうなるのだろうか。


「魅了なんて、無意味なものに縋るから悪いんですよぉ」


 あくびをもらした彼女は、火山にある住処に着いたところで魅了を解いた。心の魔女は、魅了の魔法をすごく得意とする魔女。死ぬことができない彼女を、我に返ったルインが憎らしい目で見るのはいつものこと。

 血みどろはハティの趣味ではないため、彼の動きを拘束する。ハティにとって精神操作などの魔法は、魅了の次に朝飯前なのだ。


「死んだほうがマシだ」

「不甲斐ない従者ですねぇ。あたしに『どうか僕を拾ってくださいお願いします、この苦痛から解放されるためなら魅了でもなんでもしてもらいたいです』って言ったのをお忘れになったのですか?」

「あー過去の自分が憎らしい」


 にっこり、満足げに笑ったハティは男の頭を抱き寄せた。


     ✶


 ――半年後。王太子殿下と婚約者の結婚式が行われ、王国中が祝いの言葉を述べた。レースで編まれた純白のヴェール。真っ白のドレスには薄青色の飾りがついている。王太子の色をまとった彼女は、久しぶりの笑顔を見せてくれたらしい。


 その裏で処刑された子爵令嬢が「魔女」と口にしていたそうだが、本人が死んでいる以上、真相は闇の中。

 シュターリアは、加虐心の混じった愛情のお陰で、今日も平和に続いている。

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