第2章 シドロック・ストラウド
「ん……」
ゆっくりと瞼を開く。見慣れない天井が目に映る。どうやら寝かされているようだ。
(…?何か妙な感覚だ)違和感を覚えた俺は右手を伸ばした。
視界に入ったその腕はとても小さかった。
まるで幼児のように華奢であった。恐る恐る自分の体を確認してみると案の定五歳児ほどの大きさになっていた。
「えええぇぇぇ!?」
俺は絶叫した。どうしてこうなったのか理解不能である。
「あら、目が覚めたようね」
突然声を掛けられて振り向くとそこには金髪碧眼の美しい女性が居た。年の頃は二十代半ばといったところだろうか。慈愛に満ちた優しげな表情を浮かべており如何にも母親っぽい雰囲気を醸し出していた。しかしどこか儚げな印象も受ける。
「母様……」
気がつけば無意識にそう呼んでいた。
「ふふっ、可愛いわね。私の坊やは」
彼女は微笑みながら俺の頭を撫でてくる。心地よい感触だった。
(待て待て待て!? 落ち着け!)
内心パニックになりつつも冷静に対処しようと努める。しかし混乱しているせいもありなかなか上手くいかない。とりあえず状況を整理してみることにした。まず俺の名前はラルス・ゼイルス。
だが今はシドロック・ストラウド、五歳児として生活をしている。前世の記憶も完璧にあるが現世の記憶も同時に存在する。
ストラウド家は前世に居た王都と同じ街に居を構える男爵家だ。
まさか自分が貴族に生まれ変わるとは思わなかった。もっとも爵位自体は高くないが。ただそれでも平民に比べればずっと恵まれた境遇であることに違いはない。
それにこの女性の名前はシェーラ・ストラウドと言い俺の母親であることも思い出した。
父親は領地で執務を行っていた。だが、今は両親と共に王都の屋敷にいる。その理由は不明だがいずれ判明することだろう。取り敢えず今はこの状況を受け入れるしかないようだ。
「ねぇ、お腹空いたでしょう?食堂に行きましょうか」
「はい!」
俺は素直に従うことにした。拒否権などないからだ。
食卓に着くと既に食器類がセットされていた。メニューはパンとスープそれにサラダといった具合だ。味は可もなく不可もなくといったところか。贅沢は言えないがもう少し工夫が欲しいところだ。そんなことを考えているうちに皿の中身はすべて胃袋の中に消えていった。
「ご馳走様でした」
丁寧に挨拶をする。これも習慣づけられているおかげだ。前世で培った教養のおかげでもあるのだろう。
「相変わらず良い食べっぷりね」
母親が笑顔で褒めてくれる。照れ臭くなった俺は誤魔化すように席を立ち部屋を出た。廊下に出ると侍女が控えていたので呼び止めて尋ねてみる。
「ねぇ、父様はどこにいらっしゃるの?」
すると侍女は申し訳なさそうに頭を下げた。
「申し訳ございません。旦那様は只今留守にしております」
「そうなんだ……」
俺は肩を落とす。父親とはほとんど交流がないため接点が少ないのだ。
「ですが、近日中に戻られると思いますよ」
侍女は慰めるように言う。
「本当!? わかった!待ってるよ!」
俺は元気よく返事をする。それを見た侍女も嬉しそうに微笑んでいた。
自室に戻ると俺はベッドの上で仰向けになった。そして目を閉じる。これからどうするべきなのかを考えるために集中力を高めたのだ。まずすべきことは情報収集である。幸いにして読書好きな性分だったおかげで文字の読み書きができる。調べるのは容易いはずだ。
そこで俺は本棚へと向かった。並んでいる書籍の中から適当に一冊取り出してページを捲る。内容を吟味しながら重要な箇所を見つけ出しては覚えていった。
どうやらラルスとしての俺が死んだのは5年前らしい。この5年間は魔族とは小競り合いはあったようだが、あの時程の戦いは無さそうで安心した。そして現在、父の領地の統治は順調のようだ。特に問題もなく過ごせているらしい。ただ一点だけ気になる点があった。
「おや?これは……」
一枚の羊皮紙に目が留まった。そこにはこう書いてある。
【勇者降臨】
魔王復活に伴い、対する勇者もまた何処かに降臨したとの啓示が創造神よりもたらされた。
詳細は不明だが、いずれ接触があるものと推測される。それまで各自訓練を怠ることなかれ。
(勇者降臨か……)俺は眉間に皺を寄せた。正直なところ勘弁願いたいところだ。何故なら今の俺には戦う力などないからだ。それどころかまともに扱える武器もない状態である。それに何より肝心の聖剣が手元にないのであった。
(どうしたものか……)
悩んでいるうちに眠気が襲ってきた。睡魔に抗うことなく眠りにつくことにする。
まずは…体を鍛えなければ……。
翌日、俺は庭園に出ていた。目的はもちろん鍛錬のためである。今の俺の肉体では到底満足に動けるとは思えないからだ。
「さてと……何から始めようかな……」
俺は腕組みをして考え込んだ。やはり基礎トレーニングから始めるべきだろうか…?
「そうだ!まずは自分の能力値を確認してみるか!」
思い立ったが吉日ということで早速試してみることにした。
「ステータス!」
叫ぶと同時に目の前にウィンドウ画面のようなものが現れる。そこにはこう表示されていた。
―――――
名前:シドロック・ストラウド
性別:男
種族:人間
年齢:5才
職業:なし
称号:転生者 勇者
Lv.1/Exp:0%
HP :100/MP :500
ステータス値:低年齢の為現在測定不可
ストラウド男爵家三男
装備【布の服】【革靴】【木剣】
スキル:鑑定 身体強化 武術の極み 魔術の極み 料理
所持金:なし
特殊能力:≪創造神の加護≫ ※詳細はヘルプ参照
―――――
(ふむふむ……なるほど……)
とりあえず必要な項目だけチェックする。HP MPともに上限一杯まであるようだ。レベルアップしていないので当たり前なのだが。それ以外にも気になる表記がある。
「料理……?」
そう言えばそんなものを希望したような気がする。だが今のところ必要性を感じない。
「まぁいいか……。それよりも大事なことがあるし……」
俺は思考を中断して再びステータス欄を見つめた。
「……」
長い沈黙の後、ぽつりと呟く。
「……スキルってどう使うんだろう……?」
基本中の基本を忘れていた。いくら高性能でも使えなくては意味がないのだ。
幸いヘルプ機能があるようで説明してくれるらしい。便利なシステムだ。早速使ってみることにした。
『使用したいスキルを選択してください』
(とりあえず『身体強化』を使ってみるか)
俺は念じてみた。すると次の瞬間全身に力が漲ってきた。
「おお……」
思わず感嘆の声を上げる。
これがスキルというものなのか。凄まじいパワーだ。これなら十分戦えるかもしれない。次に『武術の極み』を使用してみる。
『習得可能な武器を選択してください』
「じゃあ、剣で」
俺はリクエストを出すと脳内にイメージが流れ込んできた。それはまるで映画のワンシーンのようだった。
『木剣を構え右斜め上段から左方向への袈裟懸け払いを放ちなさい』
「えいっ!」
言われた通りに実践してみる。結果は成功だった。どうやらイメージトレーニングのような形式で学ぶことができるようだ。非常に効率が良い。次は『魔術の極み』を選ぶことにした。
『習得する属性魔法を選んでください』
「火と水と風を取得」
俺は即答する。やはり汎用性が高いのはこの三点だろう。それに前世でもよく使っていた組み合わせでもある。選択肢が増えれば増えるほど有利になるはずだ。
「よし、これで戦闘系スキルは準備完了だ」
俺は満足げに頷いた。これで最低限の戦闘能力を確保したことになるだろう。
次に『鑑定』を使ってみる。
『対象を指定してください』
庭園内にある花壇の一角を注視する。
『対象をロックしました。解析します……完了しました』
《サンシャインフラワー》
特性:光合成を行う植物の中では最大級のサイズを持つ大型種。
特徴:球根を植え付け育てると茎の先端に花が咲く。開花時期になると夜間においても燦然と輝く金色の蕾となり昼間に開放される。その後再び閉じて夜を迎えればまた花開くというサイクルを繰り返すようになる。
用途:観賞用。また肥料として利用することも可能。但し栽培環境によって品質が左右される為、品質管理には細心の注意が必要である。
生育条件:温暖な地域の野草。湿潤かつ肥沃な土地を好むが乾燥地帯にも適応する。ただし日照時間により成長速度が変化する為定期的な剪定が必要不可欠である。尚、病害虫に対する抵抗力が比較的強い。しかし稀に昆虫類の寄生が発生することがあるので早期発見早期駆除を行うべし。
弱点:低温と高温及び過剰な湿度に対して脆弱であり枯死し易い。
「……」
俺は言葉を失った。まさかここまで詳細に表示されるとは思ってもいなかったからだ。
後は戦闘中に相手に使えるかどうかだが…?それは実戦で試すしかない。が、5歳児である今の自分には不可能だった。なので、この能力は今後役立つ時が来るまで保留することにした。
(まぁ、その内使うタイミングもあるだろう)
そう思うことにする。今は他にすることがあるのだから。
後は『料理』だが……。幼児の自分に厨房が使えるはずも無い。
今出来る事は体の軽い鍛錬ぐらいだろう。だが、それでもやらないよりはマシだ。
俺は庭園の中を走り回る事にした。
5歳児が遊びで走り回っている様にすれば違和感も無いだろう。その内屋敷内の地理も分かるかも知れない。
(ふぅ……疲れたな……)
俺は額の汗を拭った。少し休憩したら次は何をしようか考えよう。
「おや?シドロック様。庭でお遊びですか?」
突然声をかけられた。振り返るとそこには中年の男性が立っていた。燕尾服を着たその人物は、ストラウド家の執事だ。物腰柔らかな雰囲気を纏っており、見るからに有能そうな人物であった。
「あ、ゴライ!」
俺は満面の笑みを浮かべながら名前を呼んだ。
(そう言えば執事の名前ってこういう名前だったよな?)
俺は記憶の中から引っ張り出した情報と照らし合わせながら判断した。
「はい、シドロック様のご様子を見に参りました。それにしても随分と熱心に走っておられましたが……」
心の中で呟いた。
「ところで……父様はいつ頃お帰りになるのですか?」
ふと気になったので訊ねてみた。するとシェーラ母様は首を傾げながら答える。
「それがまだ連絡が来ていないのよ。何かトラブルでもあったのかしら…?」
「そっかぁ……」
「心配しなくても父上なら大丈夫ですよ」
長兄ラドニックが宥める。
兄は今年で15歳になる。栗色の髪に蒼穹のような瞳を持つ美男子である。
性格も温和で優しく信頼も厚い。
「そうね……」
シェーラ母様は納得したように頷いた。
その様子を眺めつつ俺は考えた。
(しかし……一体どうしたというのだろうか?)
父が領地に赴いてから既に2週間近く経過している。普段ならばとっくに戻ってきている筈だ。何か重大な事件でもあったのだろうか?
「あの父上なら魔物に遅れをとるわけないよ。心配するだけ無駄さ」
皮肉屋の次兄レドリックが笑う。
レドリックは長兄と違い赤毛の癖っ毛で琥珀色の眼をした生意気盛りの12歳の少年である。性格は傲慢で狡猾、更に喧嘩早いと三拍子揃っている。正直苦手なタイプの人間だ。兄はこの弟の扱いにいつも手を焼いている。
「レド、そういう言い方はやめなよ。」
ラドニックが嗜める。
「はいはい」
レドリックは不服そうに口を尖らせた。どうやら兄の言葉は聞くつもりらしい。
「それより明後日はいよいよ儀式当日だね、シド」
話題を変えるように話し掛けてくる。
「うん、そうだね」
俺は曖昧に返事をした。本当は今すぐにでも飛び出していきたい気分なのだが我慢しなくてはならない。
「どんな祝福が貰えるのかな?」
「多分武術系のスキルじゃないかな…?我が家のスキルは大体そうだったし」
剣術スキルを持つラドニックがそう言う。
「そうとは限らんぜ?俺が魔術系だし」
魔術スキルを持つレドリックが反論する。
「まぁ……どっちにしろ期待は大きいけどね」
二人は笑い合う。そんな兄弟のやりとりを見ながら俺は内心冷や汗を流していた。
(まずいな……両方とも極みだったよな…)内心焦ってしまう。
だが今更何を言っても遅い。腹を括るしかないだろう。それに例えどんな結果になろうとも受け入れる覚悟はできている。
何より創造神からの贈り物なのだ。必ず価値のあるものであるに違いない。
俺は己に言い聞かせた。
「皆様、デザートをお持ち致しました」
メイドのアナがケーキを持ってきた。
「ありがとうアナ」
ラドニックは爽やかに礼を述べる。アナは頬を染めながら頭を下げた。
「どうぞ召し上がり下さいませ」
アナは恭しく告げると退出していく。ちなみにアナは今年17歳になる少女で、俺が赤ん坊の頃から世話してくれているメイドだ。
「頂きます」
一同が唱和すると同時に食器に手を伸ばす。甘いクリームとフルーツの酸味が口いっぱいに広がる。
(あぁ~幸せだぁ~♪)
恍惚とした表情を浮かべながら堪能する。やっぱり食事は大切だよな。この幸せは決して失いたくないものだ。
「ふふっ……本当に好きねぇ……」
シェーラ母様が楽しげに笑った。俺は照れ隠しに苦笑いを浮かべた。
「さて、そろそろ私も部屋に戻るとするよ。おやすみなさい。」
ラドニックは席を立ち、俺たちに挨拶をして去って行った。レドリックも後に続いて出て行く。残されたのは俺とシェーラ母様の二人だけとなった。
「じゃあ私たちも行きましょうか」
「はい!」
俺たちは連れ立って寝室へと向かった。
就寝前に風呂に入ることになった。
湯船に浸かりながらぼんやりと考える。
これから先どうなるのだろうか?
不安もあるが、それ以上に期待感が強い。未知なる体験への好奇心が湧いてくる。
(ま、なんとかなるか)
楽観的に捉えることにした。人生万事塞翁が馬という言葉もあることだしな。
風呂から上がって寝巻きに着替えたあとベッドに入り込む。疲れのせいかすぐに眠気が襲ってきた。
(あー……やっぱ最高だわ……)
幸福感に包まれながら深い眠りについた。
翌朝、目が覚めると既に陽射しが窓から差し込んでいた。普段起きる時間より早い起床だった。
大きく伸びをしてベットから這い出る。
メイドのアナが既に部屋に入っており、朝の身支度を手伝ってくれる。
「おはようございます、シドロック様」
アナはにっこり微笑む。
「あ、うん。おはよう」
慌てて挨拶を返す。
「昨晩はぐっすり眠れましたか?」
「うん。バッチリだよ」
「それは良かったです」
アナはくすりと笑う。彼女の屈託のない笑顔は癒されるなぁ。俺は内心そう思った。
「朝食ができております。ダイニングまでお越しください」
「うん」
俺は頷いて身支度を始める。といっても洗顔と歯磨きくらいだけどね。それらを済ませて階段を降りる。
既にシェーラ母様とラド兄様が食卓についていた。
「おはようございます。」
俺が挨拶をすると、シェーラ母様が朗報を伝えてくれた。
「シド、父様が今日お戻りになりますよ」
「え?本当!?」
俺は驚いて尋ねた。昨日まで帰宅する時間は未定と聞いていたからだ。
「ええ、使者が先触れを入れてくれたみたい。午後には到着するでしょう」
「やったぁ!久しぶりに父上の顔が見れるぞ!」
喜び勇んで抱きつく。するとシェーラ母様も笑顔で応えてくれた。
「ふふっ、良かったわね。シド」
「うん!」
俺は大きく首肯した。
それからしばらく歓談した後、四人で朝食をとった。
今日のメインディッシュはオムレツだった。トロリと溶けた黄身が絶品だ。
(ああ……幸せ……)
朝食を食べ終えると、それぞれが日常へと戻っていく。俺も自分の部屋に戻って机に向かった。
勉強机の上に置かれた本を開き、文字列を目で追い始めた。
この国の公用語である共通語の読み書きを学ぶためだ。といっても基本的な文法は前世の知識で問題はない。あとは貴族向けの言葉づかい習得を目指すだけだ。
「さて……頑張るとしますか」
俺は意欲を燃やしてペンを走らせる。
一時間ほど経ったころだろうか?コンコンッ! ドアをノックする音が響いた。
「どうぞ」
俺が促すと、ゆっくりと扉が開かれた。
入ってきたのはアナだった。
「坊ちゃま。お茶をお持ち致しました」
アナは銀盆に乗せた紅茶入りのカップをテーブルの上に載せる。
「ありがとう」
俺は礼を述べて口をつけた。芳醇な香りが口腔内に広がる。
「いかがでしょうか?」
アナが心配そうな面持ちで問いかけてきた。俺は微笑みながら返答する。
「うん。美味しいよ」
すると彼女は安堵した様子で胸を撫で下ろす仕草を見せた。
「ありがとうございます」
彼女はぺこりと頭を下げて退出していった。
(やっぱりいい娘だなぁ……)
しみじみ感じる。この屋敷で働く人々の中でも特に好感を持っている人物だ。
アナが淹れてくれるお茶は格別の味わいがあると思う。
休憩を終え、俺は参考書に向き直った。
更に二時間ほど経過した頃だろうか?
再び部屋の外からノック音が聞こえてきた。
「どうぞ」
俺が許可を出すと、今度はラド兄様が現れた。
「シド、ちょっといいかい?」
「どうしたの?」
「父上がお呼びだ。一緒に来てもらえるかな?」
「父様が!?」
俺は立ち上がってラド兄様の後に続いた。廊下を通って階段を降りる。
玄関ホールに差し掛かったところで、正面の扉が勢いよく開いた。
そこに立っていたのは壮年の男性だった。短く刈り込まれた黒髪に鋭い眼光。鍛え上げられた肉体は服の上からでも見て取れる。まさに百戦錬磨の勇士といった風格だ。
「父上、お帰りなさいませ」
ラド兄様が駆け寄る。父は豪快に笑いながらラド兄様の頭を撫でた。
「ああ、ただいま」
そしてこちらに向き直ると、威厳に満ちた声音で告げる。
「久しいな、シドロック。息災であったか?」
「はい、父様。父様こそお怪我はありませんでしたか?」
俺は心配そうに尋ねる。父は一瞬キョトンとした表情を見せたあと、呵々大笑した。
「ガハハッ! 何を言うかと思えばそんなことか。心配いらんぞ!」
バンバンと自分の胸板を叩きながら断言する。
(ああ……この人は昔から変わらないな……)
俺は苦笑いしながら思った。
「さあ、立て立て。積もる話もあるだろう」
父はそう言うと踵を返した。
「では参りましょうか」
ラド兄様が促す。俺たちは歩き出した。
応接室に通されると、ソファーに腰掛けていたシェーラ母様が出迎えてくれた。
「あなた、お疲れ様でした」
「ああ、すまなかったな。色々と迷惑をかけたようだ」
父が謝罪すると、シェーラ母様は首を横に振る。
「いいえ、構いませんよ。それよりもお怪我はありませんか?」
「問題ない。多少擦りむいたくらいだ」
「そうですか……良かったです」
シェーラ母様がほっとしたように息を吐く。それを見た父も満足気に微笑んだ。
「それで、父様は何処へ行かれていたんですか?」
俺が訊ねると、父は重々しい口調で語り始めた。
「西の山岳地帯に行って来た。どうやらあちら方面に巨大な迷宮が出現したらしい」
「迷宮が……?」
前世の知識でもよく知っていたが、王都付近には無かったと記憶している。最近になって新たに形成されたということなのだろうか?だとすれば厄介極まりない話だ。なぜなら……
「しかもかなり規模が大きいとのことだ。下手をすればスタンピードが起きるかもしれん」
父が深刻な面持ちで告げる。やはり危惧していた通りの展開になったようだ。
「それって本当なのですか?」
俺は思わず聞き返した。父は大きくうなずく。
「ああ、間違いない。既に斥候を送り込んで偵察させている。詳しい報告はまだだが、早急に対策を講じなければならない状況だ」
「……」
室内に重苦しい沈黙が流れる。
スタンピードとはダンジョン内部に潜むモンスターが飽和状態に陥った際に発生する現象のことである。
一定周期で大量の魔物が地上に溢れ出し暴虐の限りを尽くすのだ。
過去に何度も都市や村々が蹂躙されてきた。被害者の数は計り知れないほどだ。今回の場合はさらに深刻だ。何せ原因となっているのは迷宮だ。もし内部に生息する魔物が外に出てきたら最悪の場合文明社会の崩壊すらあり得る。
「父上……どうするつもりなのですか?」ラド兄様が問う。
「もちろん放置するわけにはいかない。俺自ら討伐隊を組織して殲滅に向かうつもりだ」
「え!?」
予想外の回答に驚愕する。
「そ、そんな危険な任務を引き受けるつもりですか?」
「当然だ。他に誰がやるというのだ」
父は憮然として言い放つ。確かにこの人にしかできないことなのかもしれない。
俺の知るガルドース・ストラウド男爵は、戦闘に於いて爵位を上げた屈強な人物だと記憶している。
「幸いまだ時間はありそうなんでな。明日のシドロックの祝福の儀式には行けそうだよ」
「ほ、本当ですか!?」
俺は目を輝かせた。父と一緒に参加できるのは嬉しい。
「もちろんだ。俺の息子なんだからな。盛大に祝ってやるぞ」
父はガハハと笑いながら言った。その言葉に偽りはないのだろう。
「よかったです。あなたもご一緒できるなんて…」
シェーラ母様も安堵した様子で言う。
「ああ、久しぶりに家族サービスもしたいしな」
父は照れ臭そうに鼻の下をこする。こういう仕草は昔から変わらない。
「はい、楽しみにしておりますわ」
母はにっこりと微笑んだ。
「じゃあ、今日はこれまでとするか」
父の一言で話は打ち切られた。
俺たちはそれぞれ自室に戻った。
翌日の朝、俺はいつもより早く目が覚めた。
今日は待ちに待った祝福の儀式の日だ。
逸る気持ちを抑えきれず早々に身支度を整える。
鏡の前に立ち自分の容姿を確認する。
金色の髪と青い瞳をした可愛らしい男の子の姿がそこにあった。
年齢相応の幼さがありながらも凛々しさを感じさせる容貌である。
(よしっ!)
気合いを入れ直し、階下のリビングルームへと向かう。
既に家族全員集合していた。
「おはようございます!」
元気良く挨拶をする。
「おはよう、シドロック」
父が笑顔で返してきた。
「おはよう」
ラド兄様が穏やかに微笑む。
「……ああ」
レド兄様が無愛想に答える。
「おはようございます、シドロック様」
ゴライが恭しく一礼する。
「おはよう、シドロック」
シェーラ母様が朗らかな表情で言う。俺は席について朝食を取り始めた。
「今日の予定だが……そのまま大神殿へ向かう」
父が今日の予定を説明してくれる。それを黙って聞いていた。
やがて食事が終わり、父が立ち上がる。
「では行くとするか」
父は俺の頭をポンポンと叩くと玄関へと向かう。
「はい!」
俺も元気よく返事をして後を追った。




