第22話 勇者が基準点にされて世界が回るωω
異世界二十二日目。
俺は広場に立っていた。
昨日から、広場は「準備」という名の地獄になっている。
「桶をどかせ!」
「砂を撒くな!」
「看板を引っ張るな!」
「いや引っ張れ!」
「引っ張るなら落ちる方向を読め!」
読めるか。
剣の鞘で石畳を叩く乾いた音。
「……勇者。今日は動くな」
勇者の護衛役を務める女騎士、リーナだった。
言われなくても動かない。
「昨日からずっと言ってるな」
「それだけ危険だということだ」
「危険なのは坊主だろ」
「分かっている」
分かっていて止めない。
それもこの世界の仕様だ。
そこへ。
「よし」
石畳をカツンと蹴る音がして、坊主のクソガキが現れた。
頭に、昨日の看板の角を食らった痕がある。
本人は誇らしげだ。
「何がだ」
「結論が出た」
「出すな」
「出たって!」
坊主は胸を張って言った。
「準備はさ、やるほど壊れる」
「学習したな」
「したけど!」
坊主は俺を指差す。
「壊れるのがダメなんじゃねえ」
リーナが眉をひそめる。
「何を言っている」
「壊れるのはもう確定」
坊主は真顔で言った。
「問題は」
一拍置いて。
「壊れ方が毎回バラバラなことだ」
広場が少し静かになった。
静かになると、余計怖い。
「昨日は桶で濡れた」
「今日は砂で咳き込んだ」
「明日は何だ?」
「明後日は誰が死ぬ?」
誰かが小声で言って、すぐ口を塞いだ。
坊主が指を鳴らす。
「だから固定すんだよ」
「何を」
「壊れ方」
リーナが低く言った。
「……お前、口だけは賢いな」
「口だけじゃねえ」
「足も賢いなら昨日コケるな」
「うるせえ!」
坊主は傷跡を押さえた。
「この傷は“データ”だ!」
「言い方が気持ち悪い」
「科学だよ!」
「科学を名乗るな!」
いつの間にか、広場に人が集まっている。
みんな、今日の事故がどんな味か見に来ている顔だ。
坊主は俺の目の前に立った。
近い。
「離れろ」
「分かった」
坊主はすぐに三歩下がった。
今日は数えない。成長してる。
「よし。ここから言う」
リーナが鞘で坊主の足元を叩く。
「短く言え」
「分かってる」
坊主は両手を広げた。
「勇者は動かない」
「動くと壊れるからな」
「そう!」
「でも街は動く」
「勝手に壊れながらな」
「そう!」
坊主は満足そうに頷いた。
「だから」
地面に指で円を描く。
「勇者を中心にする」
リーナが即座に言った。
「却下」
「まだ終わってねえ!」
「終わっている」
「終わってねえ!」
坊主が怒鳴る。
「中心にして“回す”んだよ!」
「何を」
「世界を!」
「世界を回すな!」
「回ってんだよ元々!」
言い返せない。
坊主は円の周りに小さな点をいくつも打つ。
「人はここを歩く」
「一定の距離」
「一定の速度」
「一定の方向」
点を矢印でつなぐ。
「こうするとどうなると思う?」
「目が回る」
リーナが即答した。
「違う!」
坊主が叫ぶ。
「事故が予測できる!」
「どういう理屈だ」
「人の動きが決まれば!」
「ぶつかる場所も!」
「転ぶ場所も!」
「落ちる桶も!」
「全部“決まる”!」
坊主は勝ち誇った顔をした。
「つまり」
指を立てる。
「壊れるなら、壊れる場所を決める」
「壊れるなら、壊れる順番を決める」
「壊れるなら、壊れる量を決める」
広場の人間がざわついた。
「……合理的?」
「いや、狂ってる」
「でも分かる」
「分かりたくない」
リーナが俺を見た。
「勇者」
「何だ」
「こいつの言うことは」
唇を歪める。
「腹立つが、一理ある」
「珍しいな」
「だから腹立つ」
坊主が即座に乗る。
「ほら!俺天才!」
リーナの鞘が坊主の頭を叩く。
「痛っ!」
「天才は黙れ」
「天才だから喋る!」
「逆だ!」
笑いが起きる。
笑いが起きると、事故が起きそうで胃がキュッとなる。
坊主が両手を広げた。
「じゃあ、実験だ!」
「やめろ」
「やる!」
坊主は広場の人間を指差した。
「そこのおっさん!」
「はいっ!」
「お前は“北の点”担当!」
「はいっ!」
「そこの姉ちゃん!」
「わ、私ですか?」
「“東の点”担当!」
「え、ええと……」
「そこの犬!」
「ワン!」
「お前は自由」
「犬は自由でいい!」
リーナが怒鳴る。
「坊主」
「何だよ」
「勝手に配置するな」
「配置しないと回らないだろ!」
「回すなと言っている!」
「回す!」
坊主は俺を見る。
「勇者、動くなよ」
「動かない」
「考えるなよ」
「考えない」
「息はしていい」
「許可いらない」
坊主は真剣に頷いた。
「よし」
そして声を張る。
「全員、勇者から一定距離!」
「一定速度!」
「時計回り!」
広場にいた人間が、恐る恐る動き出す。
まるで、見えない糸で引かれているみたいに。
俺は中心で立っている。
視界の端で、リーナが眉間に皺を寄せている。
剣の柄に触れて、いつでも坊主を止められる顔だ。
坊主は中央を見ない。
俺から三歩以上離れたところで、指を振り回している。
「歩幅そろえろ!」
「そっち早い!」
「おっさん遅い!」
「犬早い!犬は自由だけど早い!」
犬が嬉しそうに走る。
人が避ける。
円がゆがむ。
「犬を自由にするな!」
リーナが叫ぶ。
「自由にしたのは俺だ!」
「反省しろ!」
「反省は後で!」
坊主は言い切った。
「今は実験!」
その瞬間。
誰かがつまずいた。
小さなつまずきだ。
転んだのは一人。
だが、円は連鎖する。
「うわっ」
「ちょっ」
「待っ」
倒れる。倒れる。倒れる。
転倒は、きれいに波みたいに広がって――
そして止まる。
俺は立っている。
動いてない。
考えてない。
それなのに、広場の床に人が並んだ。
並び方が、妙に整っていた。
円に沿って。
「……」
坊主が口を開けたまま固まった。
リーナも固まっている。
誰かが笑いそうになって、喉を鳴らし、すぐ飲み込む。
坊主が小声で言った。
「……見た?」
「見た」
リーナが短く言った。
「事故が」
「……綺麗だ」
「褒めるな」
「褒めてない」
坊主は地面にしゃがみ込み、転倒した人数を数え始めた。
「いち、に、さん……」
「数えるな」
リーナが言った。
「数えないと分からないだろ!」
「分からなくていい!」
「分からないから怖いんだよ!」
坊主が叫ぶ。
叫んだ瞬間、遠くで桶がカタンと揺れた。
倒れない。
坊主の顔が引きつる。
「……ほら」
坊主は唇を噛む。
「今、声出したら揺れた」
「気のせいだ」
俺が言うと、坊主は俺を睨んだ。
「気のせいで済むなら」
一拍置いて。
「俺は今まで、こんなに腹立ってねえ」
珍しく本気の顔だった。
その顔が、坊主の頭の傷と合ってない。
リーナが低い声で言った。
「坊主」
「何だよ」
「お前の案は」
一拍置いて。
「……成功したかもしれん」
坊主がぱっと顔を上げる。
「マジ?」
「ただし」
リーナはすぐ続ける。
「成功すると、別の怖さが出る」
「何だよそれ」
「分からん」
「分からんの最強カードやめろ!」
坊主は立ち上がって、俺の方へ一歩踏み出した。
近い。
「離れろ」
「……あ、悪い」
坊主は反射で二歩下がった。
どんくさいのに、こういうところだけ速い。腹立つ。
坊主は言った。
「勇者さ」
「何だ」
「これ、続けたらさ」
指で円をなぞる。
「壊れ方、固定できるかもしんねえ」
「固定してどうする」
「準備ができる」
「被害が読める」
「避難できる」
坊主は歯を見せて笑った。
「つまり」
「何だ」
「勇者が動いても、死なねえ!」
広場の人間がざわついた。
「勇者様が動ける……?」
「魔王へ……?」
「ついに……?」
その期待の目が、俺に刺さる。
嫌だ。
期待が刺さると、事故が起きる。
考えない。
リーナが俺の横に立った。
「勇者」
「何だ」
「顔が嫌そうだな」
「嫌だ」
「そうだろうな」
リーナは坊主を見る。
「坊主」
「何だよ」
「やるなら、私が指揮する」
「うわ最悪!」
「最悪でも生きろ」
「生きたい!」
坊主は即答した。
即答が一番信用できない。
坊主は地面の円を指差し、急に真面目な声になる。
「じゃあ、明日もやる」
「明日?」
「今日のデータ、取れた」
「データ言うな」
「じゃあ」
坊主は言い換えた。
「傷、取れた」
「余計ひどい」
リーナが鞘で坊主の頭を叩く。
「痛っ!」
「その傷はもう増やすな」
「増やさねえよ!」
坊主は叫んで、すぐ口を塞いだ。
「……やべ、叫ぶと桶が揺れる」
「学習したな」
「したくねえ!」
俺は立っていた。
中心で。
周りは、もう一度円になろうとしている。
勝手に。
俺は思った――と言いたいが、思わない。
思うと壊れる。
ただ一つだけ、体が分かっている。
この円は、
安全の形じゃない。
次の事故の形だ。
異世界二十二日目。
勇者を中心に世界が回った。
回った結果、
壊れ方が少しだけ“整って”しまった。
整うと、準備ができる。
準備ができると、行けてしまう。
行けてしまうのが、怖い。
広場の端で、
誰かが紙を折る音がした気がした。
気のせいだ。
気のせいであってくれ。




