第12話 ハイドロキサの夜
寝台から抜け出す。隣でカルラは寝息をたてている、起こしてはいないだろう。……というか、寝るときですら龍骨を被っているのは何なんだ。寝返りを打てないんじゃないか、とエリィは思うが……何か事情があるのだろう。そうでなければただの変人だ。まぁその可能性も否定できないが、カルラは変だが理論は通すタイプの人間だ。それは、短い付き合いで分かりきっていることだ。
「変なやつ」
ボソッと呟いて、そっと扉を通り抜ける。武器も防具も必要ないだろう、少し夜風に当たりたいだけだ。
エリィたちが泊まっているのは組合員専用寮……ではなく、組合所にほど近い宿屋だ。なぜ使わないのかといえばひとえに満室だったからで、他意はない。決して、あのおっさんクセー寮に泊まりたくないとか、そういう気持ちがある訳では……ちょっとあるかも。
「そんなことはどうでもいいのよ」
独り言ちる。夜も更けていて、周りに人影は皆無だ。これくらいの独り言は、聞かれる心配はないだろう。実際、軽く耳を澄ませても他人の寝息がかすかに聞こえるくらいだ。
宿屋の玄関を抜け、夜のハイドロキサへと繰り出す。この時間帯特有の、肌を刺すような冷たさと空気が、なぜだか無性に心地よかった。到着した昼間はかなりの活気で溢れていた通りが、今は人っ子一人いない。まるで世界にいるのが自分だけみたいに思え、足取りは少しだけ、少しだけ軽くなった。
「とりあえず、壁にでも登りましょうか」
農耕層と都市層を隔てる壁は、都市の中の人を守るための第二の壁であり、そして……結界を区切るための壁である。この付泡都市ハイドロキサは、というか本国のフェノリア共々、夜間に龍から都市を守るための策として、都市の道を用いた魔術陣で結界を構築している。
遥か昔の龍が発生した当時、ここらは龍によって壊滅的な被害を受けた。それを再三繰り返さないため、その当時の人々は、街を用いて街を守る方法を考えたのだ。その一つがこれである。家や店を規則正しく並べ、道を魔術陣の形へと落とし込む。そして街で生活する人の魔力を少しずつ徴収して、結界という形で還元しているのだ。
「この仕組みを考えた人、相当な天才よね……っと」
そうこう考えながら歩いている内に、都市層の外縁部、都市壁の前へとたどり着いていた。階段は外設されているので、市民であれば登ることができる。
カツン、カツンと靴音を小さく鳴らしながら、階段を上る。辺りは灯りが少なく、あったとしても小さなロウソクの輝きくらいだ。なので、エリィは【光れ】の魔術で足元を照らしながら歩いていた。
「なんでこんなことを、って思うかしら。でも、無性にこういうことをしたくなるのは誰にでもあると思うんだけど……もう上か」
風もなく、音もほとんどない夜の帳。その中を魔術の淡い光で切り裂いた先に、壁の上へとたどり着いた。
エリィは上を見上げる。薄く輝くのは結界の光だろう。そしてその更に向こう、黒々とした天球には、忌々しいほど巨大で、悍ましいほど眩く、気持ち悪いほどの龍気を放つ『龍星』が浮かんでいる。
「あれを、倒しに行こうってんだから……本当に壮大な話ね」
時折空が光るのは、〈龍星雨〉である。『龍星』が外殻として覆っている龍気が弾けて、アネクメニア大陸に降り注ぐ現象である。あれが地上に脅威をもたらすものでなければ、美しいと、願いを託せるようなものに見えただろう。だが、現実はただの破壊でしかない。その距離が故に減衰が起こるが、大きい龍気の塊が降ってくればそれだけで一大事だ。
「だからこそ、『龍星』落としは人類の悲願、ねぇ……」
ここで思い出すのは、冒険者になる際に徹底的に叩き込まれる訓示であり、そして誰しもが諦めている形骸化した目標だった。今ここでエリィが手を伸ばしたとて、掴んだように見えるだけ。絶対に埋まらない、距離がそこに横たわっていた。
─────────足りない。力が、足りない。その懸念は、今日カルラと戦ったことで確信へと昇華した。
なぜそう気づけたかと言えば、無意識に、そして意識的に、策に頼っていたからだ。策というのは、自分の力を超えるものをどうにかするために力が劣るものが使う手段であって、決して力が勝るものが使う術ではない。
巧者というものは弱者が足掻きを極めた末の末、地力の欠如を埋めようと頭を回した人なのだ。
もっと分かりやすく言おうか。獅子が蟻を踏み潰すのに、何かを考えるだろうか。いや、しないだろう。そういうことだ。あるいは、初めて出会ったカルラを思い出してくれれば良いかもしれない。彼は出会い頭に龍を速度で圧倒し、屠った。策も何もなく、単純な暴力で。
その事実を考えれば……今のエリィは、弱い。
(カルラなんかに苦戦して、挙句の果てに試合は片付けられない……本当に弱いわね、私)
無論、策を練ることが悪いわけではない。いや、悪いと断じる事があってはならない。エリィは決して、努力と策を否定できる立場ではないのだから。
それでも、自分は策に頼らざるを得ない弱者だという事実が、心に来る。このまま『龍星』を掴む力があれば──────なんてないものねだりだ。
「──────やっぱり、ここに来た」
「!…………ルル、どうして」
エリィが手を伸ばしている横に、足音が響いていた。どうやら、思考に耽っていたことで接近に気づけなかったみたいだ。もう組合の制服から着替えたようで、寝巻きのような簡易的な服で、こちらに向かってはにかんでいた。
「昼間戦闘用広間を借りたいって言ってた時の顔が気になったんですよ。それに、友達だからです」
「でも、よくここにいるってわかったわね。ここに来るって思いつきのはずなんだけど……」
「あら、気づいてなかったんです?学生の頃から、悩んでる時があると近くの高いところに登ってましたよ」
エリィは驚く。まさか自分にそんな癖があったとは。確かに思い返してみれば、木の上に登ったり、塔の上に行ったり……そういう行動をしている。その癖を思えば、ハイドロキサにある建物の中で一番高く、そして誰でも利用できるここはエリィが最も行きそうな場所というわけか。
「それで、何に悩んでいるんですか」
「…………別に、大した悩みじゃないし」
「はぁ………あのですね、悩みに大小なんて関係ないんですよ。小さな小さな、小石のような悩みで一月悩む人もいれば、大きな、それこそ岩のような悩みを一日でさっぱり流す人もいるんです。悩みの大小なんかより、それについて貴方がどう思っているかなんですよ」
……はぁ、こういう所が、彼女のズルいところだ。こんなことを言われてしまえば、弱いに決まってる。彼女は、変に真面目で、変にふざけるのだ。エリィは、この龍星の明かりで照らされるルルの顔を見た。淡い光のもと、それは小さい笑みながら眩しかった。
「………………………それも、そうね。聞いてくれるかしら、ルル」
「そのために私が来たんですから」
ルルは誇らしげな顔をして、胸を張る。あまりにも眩しくて、そして自分にはない輝きだと目を細めた。エリィは彼女の顔から目を背けて、言葉を考える。
「私はさ、何者かになりたいの」
「はい」
「それで彼……カルラといっしょに旅をすれば、何者かになれるんだろうって、思った」
「いいことじゃないですか」
「でも、彼と旅をして、彼と戦って、痛感してるの。自分が、何の変哲もない凡人でしかないってことをね」
「……エリィ」
「足りないなぁって。力が。才能が。努力する意思が」
エリィは、ゆるゆると手を振る。深刻さなんて、まるで一切ないものだと言うように。
「……なるほど、だいたい分かりました」
「なんの面白みもない話でしょ?」
「確かに面白みは、ありませんね…………私から一つだけ、いいですか?」
ルルの表情は、再び闇に紛れて見えなかった。『龍星』の明かりも、空気を読んでいるかのように、少し落ちていた。
「何かしら?」
「エリィ、この世界は確かに主観でしか見ることができません。でも、主観だけで、貴方の価値観だけで自分を図らないでください。だって、自分を完全に主観することなんてできないんですから」
「────」
「貴方に力が足りない?意思が足りない?それは貴方自身の思い込みでしょう。私からすれば、貴方には燃え盛る情熱が、前に進もうとする力がある」
「ルル……」
「私から言いたいことはこれです。じゃあ、おやすみなさい」
「えちょっとルル!!おーい!!」
ルルは、それだけ言って本当に帰ってしまった。ぽつんと取り残されたエリィは、どうしようかと考えて、空を再び見上げる。憎らしい『龍星』の光が、瞳の奥を塗りつぶした。
ルルの言葉は、凄く、凄く染みた。エリーナ・アイアタル個人の視点でエリーナ・アイアタルを評価などできないということを、教えてくれた。そうだ。私が私を認めるから何者かになれるんじゃなくて、誰かが私を認めるから何者かになれるんだ。
「ありがと、ルル」
そろそろ身体が冷えすぎる。また眠りについて、明日からの旅も楽しもう。そう微笑んで、エリーナは都市壁を後にしたのだった。




