ツクツクボウシ
自転車にまたがり、夏の日差しよりも強くハンドルを握り、ペダルを踏み込んだ。
地方の市街地のはずれの住宅地から、私は一人旅立った。蒸した空気に蝉の声、私はとても不快だった。市街地の通りに、どこにでもいるような人達が、いつも通り買い物をしていたり、黒い艶のあるカバンを持って歩いたりしていた。当たり前のその光景に、私は少々腹が立った。私の体はすでに酷く侵されていた。少し前に血を吐いていよいよ体が重くなってきていた。それを夏の暑さのせいにして黙々と自転車を走らせた。
しばらくして、先程まで周りにあった建物達はいなくなり、殺風景な田んぼ道になった。刈られていない雑草が足に当たる痒さに耐えながら、ゴツゴツとした道を進み続けた。途中に井戸があった。私は顔を洗って、少しの間涼んでいると、田んぼに数匹オタマジャクシを見つけ、じっと見ていた。小さくて見逃してしまいそうなほどだったが、必死に目で追った。オタマジャクシは同じようなところをぐるぐる泳ぎ回っていた。実に先ほどまでいた市街地で見たもののようだった。
少し秋を感じるわずかなそよ風で、汗をかいた私の体が冷える。休憩を終えた私はまた自転車に乗って走り出した。しばらくして、私の視界から田んぼが消え、畑が見えるようになってきた。乾いた畑の土が、私をいっそう暑く感じさせる。道中小さな川をいくつか渡った。何もない無音の空間に、わずかな水の流れる音を聞いて、気づけばまた、私は観察していた。大小様々な魚が泳いでいる。私は彼らに何をしているのかを心のなかで尋ねてみたが、答えは返ってこなかった。ただ自分だけがそわそわした気持ちでいた。
さらにいくつか川を渡ったころ、気づけば目の前に丘陵地帯が広がっていた。私は少し気を引き締めたて、ハンドルを握った。
低山に囲まれた小さな町の外れ、子どもたちが遊んでいた。一人、または何人かで、さまざまな遊びをしている。彼らの笑顔は光に満ちていた。何かを成し遂げたわけでも、何かから解放されたわけでもないのに、言葉では表せない、私がしない顔をしていた。なんの不安も感じさせないその顔が、私はとても羨ましい。ただ今を楽しんでいる彼らを見ていると私も時間の流れを早く感じた。このまま幼かった頃の自分になって、彼らとずっと遊んでいたかった。しかしそんな時間は今の私にはなかった。早朝家を出た時よりも今の私はずっと劣化している。切られて腐った木のように、すぐに崩れてしまいそうであった。
惜しむ気持ちもなくなり、また私は山の奥へと走った。山道を風を切って走るととても気持ちがいい、私にあった雑念が次々と落とされていく。それは私にとって実に快感であった。ただ何も考えずに、木漏れ日を浴びながら先ほどよりも涼しい山道を走っている、いや、何かが私を何処かへ導いているようであった。疲労も感じずに自然と体が動いている。
しばらくして、小川のそばに山岳鉄道の廃線路を見つけた。そこで小川の水を水筒に入れ、服に忍ばせてきたおにぎりを、静かでおとなしくも、何かしらのエネルギーをも感じられる山の空気をおかずに食べながら、1人浸っていた。目の前の小川の流れのように私の人生は早いものであった。そして果たしてその間で何を得られたというのだろうか。高等学校に在籍している今日までに、何か成し遂げたことはあっただろうか。明確な目標もなくだらだらと生きていたと思う。心の中で自分よりも劣っていると思っていた人間が自分よりも報われているように見える、そんなことばかりだった。自分が好意を抱いていた相手が、ただ後先考えずしゃべり続けているような人間に惹かれる、堅実な過程でやっていこうとした物事をそんな人達にすぐ邪魔される。努力したことも多かったが、憎いぐらい先述したような人間に一歩先をいかれていた気がする。そんな人達、自分運命をひたすら憎み、何も得られず起こせない自分のことが何よりも憎かった。後先考えずに何をしているのかと思っていた人間が、自分よりも上手い生き方をしていると認めたくはない、自分は何事も堅実にやっていくことが、今日この瞬間まで成功への道だと信じている。しかし実際に振り返ってみればそうではないと言えてしまうようなことばかりである。楽して好きなことばかりしてる人ほど幸せに見えるし、自分に果たせない分野において成功しているように思える。私はこの世の中の真実を知った気がして絶望した。今までの自分は間違っていたというのか。世間一般的に正しいと言われるような方をどってきたというのに、ただ今となってはそれすらも間違っている気がしてきた。これ以上考えても、どこまでも落ちていくだけだと悟り、私はまた自転車を走らせはじめた。ただ足が重たい気付いてしまった事実が私の重りとなってのしかかってくる。ついに自転車を降り、何もしなくても崩れ粉々になりそうな心身で歩いた。
一体どれだけ歩いただろうか。気づけば日はとっくに傾いていた、山の中はとても涼しく、不気味ともいえる雰囲気になっていた。虫の鳴き声の音色も少し代わりずつあり、ふと耳を傾けると、ツクツクボウシの声が聞こえてきた。彼らの声は昼間聞こえてきた別の蝉たちよりもはるかに大きく聞こえた。道端には既に人生を歌い終えた彼らの勇姿が転がっていた。それは意外なことに他の蝉よりも小さかった、だからこそ彼らの声の大きさにはとても驚いた。蝉は土の中から出てきて約1週間の命しかない。その間に彼らは命をつなぐ、そのために鳴き続けている、当たり前の知識であるが、今の私にはそれが1種の人生の模範解答に感じられた。わずかな期間で命をつながなくてはいけない彼らに、周りの目とか、堅実さとか、そんなものはどうでもいい。とにかく自分のためだけに、ひたすら叫び続ける。まさに魂の叫びである。それは短い人生を生きる彼らが導き出した最適解に間違いないだろう。では私はどうだろうか、自分の人生が長いのか短いかなんて最初分かるはずがない。結果的に私は短い、なのに長い人生を歩むような人とも全く同じように生きてきた。その結果が今の私である。蝉たちが自分の人生を察しているのかは分からないが、彼らは全員正しい。私がこの状態にまでなってやっとの思いで辿り着いた答えを、最初からわかっていたかのようである。今になって思い返せば、私の言っていた「堅実」とはただ周りの目や失敗を恐れ、わずかなリスクでさえも、全て避けながら行うことを言っていたのかもしれない。いかに自分が下手な生き方をしてきたかがよく分かる。私はもう一度蝉たちの声に耳を傾けた、恋の叫びや自らの死を察したような叫びが聞こえる気がした。
歩き続けた私はある盆地の街に辿り着いた、廃れた街の雰囲気は私の体と調和した。こじんまりとした宿を見つけ私はそこへ泊まった。夜中、遺書を書き終えた私はそれを胸元に忍ばせそっと宿を出た。山に入り少し経つと急に木々が開けた平原のような場所に出た足元を見れば一面に芝桜が広がっていた。そして私の体の力が抜けた、まだ頑張れたかもしれない。しかしどうせ長くない今さら何も変えられないのだ。何も得られなかった人生で唯一得られたものは、この文明社会になっても人間はあくまで1種の生き物であって、自然界に生息する生き物と同じであり、彼らの生き方こそが、私たちのするべき生き方なのだ。自分の人生は自分のものであり、人のものではない、だから人のことをいちいち気にしている時間は無駄である。時に他人の幸福を自分のものにする時がある。人を不幸にさせることは別として、どちらが幸福を得られて、どちらかはそれを得られないという状況において、人のことなど考えている余裕はないのだ、だから蝉たちは鳴き続ける。自分の子孫を残すために、プライドなど持たない、ただひたすら叫び続ける。それが生物の正しい姿なのだから、人間だってきっとそうだ、複雑化した社会の中で、生物としての正しい生き方を忘れている。何か成し遂げたいことがあるなら馬鹿正直に真っ向から取り組むべきである。
私は最難解の問題を解いたような爽快感を感じた。そして少しして山の間から日が出てきた、光が私を照らしそうになった時、私の視界には何も見えなくなった。
日の出の頃、一面の芝桜の上に立秋の風に吹かれる一つの抜け殻があった。




