5.5 幕間 星月夜と竜の訪れ
▽他国でのお話
ドルティアンは人間だ。
とある国の教会組織に属しており、枢機卿という地位に就いている。
ドルティアンの出自や彼自身の能力を鑑みるとそれは不相応な地位であるかもしれないが、彼は教会トップに君臨する教皇の相談役である枢機卿という役職に、なるべくしてなったのである。
秋の実り多い季節、森には多くの動物が訪れる。
ドルティアンが管理している屋敷の裏手にも大きな森があり、国が保護するその森を維持管理することが彼の仕事のひとつ。
湯浴みを済ませ、日常着である黒い聖職者の服から緩やかな寝間着に着替えたドルティアンは、恋人に誘われるままに夜の森の入り口に立っていた。
今宵は月がまるい。
腰まで伸びた深緑色の髪をさらりと揺らし、滑らかな肌を惜しげもなく晒す痩身のドレスに身を包んだ恋人は、ご機嫌に落ち葉を踏んで歩いている。
月光に照らされた肌はこの世のものとは思えぬほどに美しく、荘厳さに傅きたくなる一方で、その肢体の甘さを思い出しては年甲斐もなく男の側面が欲をもたげる。
エナメル質のヒールの高い靴で危なげなく踊るように歩く恋人は、細い指をドルティアンの腕に絡めながら、誘うように夜闇を進む。
彼女は豊穣の質を持ち、愛の悦びをもたらすマツの木の精霊。
大いなる力を持つ彼女の守護と寵愛を得たドルティアンは、教会内部では誰よりも地位が高い。
守護の大きさだけを見れば本来であれば教皇になることも可能であるが、孤児にも等しい貧民出身の彼が司祭になれただけで既に出世欲は満たされているし、政治的ないざこざに巻き込まれるのも面倒であったため、枢機卿という肩書きだけをもらって早々に裏方へと引っ込んだ。
甘い時間を重んじる恋人は連日連夜ドルティアンを閨に引き込んだし、彼女の豊穣の守護のおかげで、そろそろ五十歳を超えるドルティアンの肉体年齢は三十代のまま、精力も衰える様子はない。
さて今夜はどんな要求をされることかと、艶めく赤い唇と夜闇にも負けない煌めきを持つ松毬色の瞳に欲を募らせた時だ。
森を揺らす一陣の風のあと、誰かの靴裏が枯葉を踏みしめる音が聞こえた。
振り返れば、月光を背にして、暗褐色のスリーピーススーツに同色のシルクハットを被った男性が密やかに立っていた。その風格に、恐怖で背筋が粟立つ。
咄嗟に恋人を背に庇おうとすれば、そちらを振り返った恋人が「あら」と鈴を鳴らすような可憐な声を発した。
「やあ、アイラ」
返された声の穏やかさに、ドルティアンの緊張は一気に解けた。
というよりも、ぴょこんと喜びに弾んだ恋人が、親しげにその男性と話し始めたからだろうか。
「まあヘイゼル!とっても久しぶりね、貴方が森を出てここへ来るなんて珍しいこと!何かあったの?」
「ここへ来たのは、きみときみのパートナーに話を聞きたいと思ったからだね」
「んま!私のディーは渡さないわよ!?」
「奪わないよ。実は、僕も人間の女性と交際することになってね。近々結婚したいと思っている」
「まぁぁ!貴方が!?おめでとう!話を聞きたいわ!おうちに入って入って!
ねえ、ディー、いいでしょう?本当は他の精霊を貴方に会わせたくはないんだけど、でも彼に恋人ができたなんて大ニュースよ!?」
腕に指を絡め、甘えるようにこちらを見上げる恋人に否と言える筈もない。
どうやらふたりは既知のようだし、アイラの反応からして悪い仲ではないようだ。
お招きして構わないという意味を込めて頷き返せば、背伸びをした恋人が頬に口付けをくれる。
途端、くらりと視界がまわって、いつのまにか家のリビングに立っていた。
瞬きのあいだに移動するこの方法は精霊の道を応用したものらしいが、詳しい理屈はドルティアンにもわからない。けれどこのような力技ができるのは随分と古い精霊だけだと聞けば、自分に守護をくれる精霊の稀有さがわかるというもので。
軽く苦笑しながら難なくついて来た男性もおそらく、古く、力のある精霊なのだろう。
「お酒を出しましょ〜」とご機嫌でグラスと葡萄酒を持ってきたアイラに腕を引かれて長椅子に腰を下ろせば、男性もゆったりとした仕草で一人掛けの椅子に腰を下ろす。
男性のもつ不思議な色の瞳は、虹彩まわりが甘茶色でその周囲を多彩な緑が優しく包み込んでいる。
背はドルティアンのほうが僅かに高いだろうか。教会内でも頭ひとつ抜き出ているドルティアンに並ぶということは、180センチ近くはあるだろう。逞しい肉体は上質で品の良い衣服に収められ、表情や物言いはとても穏やかだ。
精霊は奔放で自由気儘であるとされるのが一般的だが、理知的な雰囲気を纏うこの男性は一体どのような精霊なのだろうかと強く興味を引いた。
「初めてお目にかかります、ドルティアンと申します」
「丁寧にありがとう。僕は……」
「あーー!だめだめ!秘密にしといて!そうね、彼のことはヘーちゃんと呼ぶといいわ!」
「アイラ……さすがにそのような不敬は……」
「じゃあ九ちゃん!彼は第九の森の守護者なんだからそれでいいでしょ!?」
「アイラ、それもどうかと…」
だが、アイラの言葉で、彼が月の巡りを守護する精霊であることはわかった。
この世界でも十三柱しかいないとされる、貴重で強い精霊だ。
かつてアイラから聞いた話では、彼らはそれぞれに太古から続く森を守る役割を持っており、地上の維持運行に必要不可欠な存在なのだという。
アイラも彼らに並ぶ立ち位置にいるそうだが、彼女は守護する森を持たず、代わりに常緑針葉樹たちを統括する役目にあるという。
「監視とか管理って面倒だから、オイタをした子にお仕置きするくらいのお仕事よ」と軽く言っていたが、教会の管轄下にある精霊たちはみなアイラに畏れを抱き、その言葉に従うのだから、相当な影響力を持っていることは間違いない。
こちらのやり取りを聞いていた男性は、やはり苦笑ひとつでその場を落ち着かせてくれる。
声には深みがあり、ゆったりと紡がれる言葉は不思議と真っ直ぐ心に落ちてくる。
「自分で名乗るのは不思議な心地だけれど、僕は賢者とも呼称される。そちらのほうがきみには呼びやすいかな?」
「では、お言葉に甘えて賢者様と呼ばせていただきます」
賢者という呼称は問題なかったのか、アイラもすっかり落ち着いて、手酌で注いだワインを軽く煽っている。
「ヘイゼルは善き者よ。表面上は穏やかで優しいの。でも怒るととんでもなく厄介な呪いをもらうから気をつけてね。ヘイゼル、私のディーを呪ってはいやよ?」
「きみの大事な人間だからね」
「そうよ。わたしの可愛い可愛い恋人なの!あなたの恋人はどんな子?わたしのディーは気が利くしお茶を淹れるのも夜伽も上手!素敵でしょ?」
「きみたちはとても仲睦まじいと聞いているよ」
「そう!そうよ!ほら言ったでしょ、怒ってないヘイゼルはとっても優しいわ」
アイラが随分と失礼な物言いを繰り返しているように思えてハラハラしたが、賢者様はまったく気にしていないのか、穏やかに言葉を返すばかり。
不敬にならないだろうかと様子を見ながらワインボトルを掲げて差し出せば、頂こうと受けてくれるのだから、彼は人間にも好意的な精霊なのだろうか。
「それで、一体何を聞きに来たのかしら?」
「きみの恋人に話しかけてもいいかな?」
「んー…貴方が今までのヘイゼルなら駄目って言うところだけれど、人間と結婚するのなら少しだけ許可してあげるわ。でもディーは私のものよ?」
「もちろん心得ているよ、ありがとう」
アイラとの交渉のうまさに感心していると、不思議な色合いの瞳がこちらを捉える。
顔の角度が変わり、ランプの光の当たる角度が変わると、内包する色も随分と違って見えた。
優しい色合いの筈なのに、どこか排他的で冷たくも見える。
当然ではあるけれど、自らを賢者と名乗るほどの実力者である以上、油断しては足を掬われ、取り返しのつかない失態となるだろう。
背筋を伸ばしたドルティアンに、賢者は静かな深みのある声で問いかけた。
「人間は、精霊と婚姻を結ぶにあたってどのような事を懸念するのだろうか。
僕の恋人はとても慎重だが優しい子で、一生懸命に精霊と人間の差異を理解して僕を受け入れようとしてくれている。でも、地位ある家の一番上の子どもだからか、どうしても弟妹のことや家のことも気にかかるようでね…」
「家とか血筋で纏めちゃうの、人間の悪い癖ね。自分のしたいようにすればいいのに」
「精霊にはない考え方と価値観だね……だから少しばかり判断が難しい」
「貴方を悩ませる難問をもたらすなんて、その子もやるわねぇ。でも、結婚したらヘイゼルはその子を貰って行くんでしょう?貴方、私みたいに人間の集落に気軽に出入りする性格ではないもの」
アイラの言葉にドルティアンは目を瞬いた。
アイラが精霊と会話をする時、相手の精霊はこちらに目もくれないことも多い。だが目の前の御仁はドルティアンとしっかり目を合わせてくれているし、酌も受けてくれた。恋人も人間だというのだから、てっきり人間社会に近しいところで生きていると思ったのだが、どうやらそうではなかったようだ。
ならば、……無関心なのだろうか。あるいは、人間如きが自分を害することができる筈もないと決めかかっているのか。
だが、そのどちらも違う気がして、ドルティアンは内心で首を傾げる。
賢者様はといえば、アイラの言葉を否定することなく深く頷いた。
「そうだね……彼女には結婚を機に精霊に転じてもらい、僕の森で暮らしてもらうことになる。実はその話をいつ切り出すか悩ましくもあるんだ。彼女はまだ、精霊というものへの理解を少しずつ深めているところだから」
「んま!もしかしてその子、恋人にはなるけど結婚はしたくないとか言っているの?だとしたら我儘ねぇ!貴方に見初められたんだから何よりも光栄に思うべきでしょうに!」
「そうではないよ。でも、いきなり色々な事を告げたら怯えてしまうかもしれないだろう?」
恋人のことを考えたのか、その表情が僅かに柔らかくなる。
だが、言っていることとしては、相手を案じているようでいて、搦め手が失敗しないように時期を見計らっているようでもある。
やはり真意を読むのが難しい御仁だと、ドルティアンは油断せぬよう背筋を伸ばした。
「失礼…………賢者様、精霊に転じるとはどういうことでしょうか?」
「儀式を介して、人間の魂を精霊の魂と結びつけるのよ。人間の寿命を超えて遥かに長生きするし、ヘイゼルの場合、最終的にはひとつになれるわ。ね?」
「そうだね……どれだけ内側を精霊化しても、我々ほどに生きることは叶わない。遥かを生きるものの、やがて彼女は儚く朽ちるだろう。だが、朽ちた果てに私がその身をいただき、やがて我が木の結実となる」
「究極の愛だわ~!」
困惑するドルティアンを差し置いて、アイラは大はしゃぎだ。このような側面でやはり精霊と人間の差異は浮き彫りになるのだが、目の前の賢者様はそういった差異について問いかけに来られたのだから、ドルティアンは己の感覚を大事にしようと思考を整理する。
アイラは「んふふ」と愉しげに笑うとドルティアンにぎゅっと身を寄せた。何か、人間には知りようもない新しい知識を授けてくれるとき、彼女の表情は少しだけ年長者の質を帯びる。
「その結実は愛の実と呼ばれているの。神聖な実をつける木で、尚且つ力ある古竜にしか………あ。やだ!言っちゃったわ!」
咄嗟に口を押さえていたが、得意げな解説の内容はしっかり聞こえてしまった。
賢者様も事情を察したのか、苦笑しながらアイラに問いかける。
「僕の正体を彼に秘密にしたかった理由はそれかな」
「そうよー!!ディーったら、こんな年になってもまだ竜への憧れを持ってるんだからぁ!
いい、ヘイゼル。絶対絶対、竜の姿になっちゃダメよ!!」
「賢者様は竜であらせられましたか……」
「ほらぁ!こんなに目をキラキラさせちゃってぇ!浮気者ぉ!!」
こちらに乗り上げるように体当たりをしながら、ポカスカと小突いてくるアイラの嫉妬を受け止める。ぎゅうぎゅうと豊満な肢体に押し潰されるのは慣れたものだが、薄手のタイトなドレスなのだから、スカートの裾が捲れて脚が露わになっていないかと冷や冷やする。
人間の男たちはやはり、その多くが上位精霊であるアイラを畏れ敬うと同時に、彼女の持つ豊かな肢体に関心を持つ。
だが、目の前の賢者様はあまりそのような欲はないのか、嫉妬しながら威嚇するアイラと潰されているドルティアンを、ワイン片手に客観的に眺めるばかりだ。
「……アイラの機嫌を損ねてしまったようだから、手短に済ませようか」
「はい。………お言葉ですが、人間の身として、僕は、先ほどの精霊化という現象にはあまり心惹かれませんでした。それはきっと、長く生きれば生きるほどに、残される側に立たされるという意識……孤独への恐怖が湧くからだと思います。僕はアイラとの交合により肉体的な若さを維持しており、寿命もあと三十年程はあるとされていますが……それでも友人たちの老いやこの先に来る別れを思うと寂寞の念にかられます。
一方で、やはりアイラを深く愛しているからこそ、やがて残される彼女を思うと、それだけで胸が締め付けられるのです」
「ディー!!」
先ほどとは別の感情を爆発させてムギュッと抱きついてきたアイラは、我慢ならないとばかりに唇まで押し付けてきた。両頬を固定されて遠慮容赦なく舌を絡められながら、客人の前なのだからとどうにか理性を押し留める。
「アイラ、もう少し夜が更けてからにしよう。今夜は星月夜だと聞いている」
「ロマンチックね!お外でしましょ!」
薄い寝間着のため、欲に反応しかけている自身を隠すのがそろそろ難しい。
男とは難儀なものだと思う一方で、この反応がなくなれば恋人からの寵を失うかもしれないと思えば、己の欲深さを嫌忌するわけにもいかない。
賢者様は会話を途切れさせているこちらのやり取りに不快感を表すでもなく、泰然と腰掛けている。
おそらく、アイラの気質を十分に理解し、容認してくれているのだろう。その有り難さを思いながら、どうにか先ほどの話の続きを口にした。
「愛の実という結実についても、個人により受け入れ方が違うかと……貴族の家には婚姻に際して作法や手順も色々とあるでしょうが、先にご本人とゆっくり話をされてみては如何でしょう」
「……もし急に、精霊になって家族と離れろと言われた場合、きみは何を知りたいと思う?」
「肉親との仲が良好であるならば、どれほどの頻度で家族と会えるかということでしょうか。僕は家族と疎遠でしたので、あまりそのような思いを抱いたことはありませんが……。
精霊になるという事に対しては、変化の時に痛みがあるのか、見た目や生活は具体的にどのように変わるのか、人間とは明らかに違うところなど……想像力が豊かなほど、疑問は尽きないでしょう。慎重な性格でいらっしゃるのなら、もう少し具体的で詳細な懸念をお持ちかもしれません」
「なるほどね…………アイラ、きみのパートナーはとても理知的で真摯な性格だね。愛を望むきみとの相性は素晴らしいものだろう」
「ええ!ディーは最高の恋人よ!」
「長く邪魔をして悪かったね、僕はもう出よう」
最後にしっかりアイラの機嫌を良くする言葉を残してから立ち去ろうとしてくれるあたり、やはりとても稀有で優しい精霊に思えてならない。
帽子を被り直した男性は、ふと裏手の森の方向に視線を投げた。
「………アイラ、西の森できみの嫌いなキクイムシが増えているようだ。今日は外へ行かず窓から星を見るのがいいだろう」
「ぅげ!樹木課は一体何やってるのよ!」
「樹木課には明日早くに調査依頼を出しておこう。賢者様、良き情報をありがとうございます」
「きみの思考に対する対価になったかな?」
「ずるぅい!ディーとお話しさせてあげたんだから私だって何か欲しいわ〜」
唇を尖らせるアイラに、ひょいと眉を上げた賢者様が「そういえば」と用件を付け加える。
「アイラ、枝を分けて欲しいんだ」
「あら、枝でいいの?松毬をたっぷり分けてあげてもいいわよ?」
「無事に結婚できたら貰いに来るよ」
「真面目ねぇ。私の枝がなくたって、貴方の護符で万全でしょうに」
マツの枝には魔除けの効果がある。恋人の為に持ち帰るのだろうと、干渉にならない距離感でふたりのやり取りを見守っていると、背筋の寒くなるような冷笑を浮かべた賢者様に、アイラが美しい柳眉をひそめた。
「……何か厄介事があるの?」
「そうだね…こちらに波及することはないだろうけど、成り変わりの魔女には用心した方がいいかもしれない」
「ふぅん。だから私の枝で守りを固めるってわけね……いいわ、数年で切れるものだけど、軽く守護もかけておいてあげる。貴方の恋人に万が一のことがあれば世界が大変なことになるもの」
「ありがとう、アイラ。少ないけれど、きみの美しさと健やかさの足しとなるように」
枝を受け取ると、代わりにとポケットから艶やかな木の実が取り出された。
大きめのどんぐりのようにも見えるが、あれは何の実だったか…と記憶を探る。
受け取ったアイラは大喜びだ。
「まあ!さすが気が利くわ!無事に結婚できたら特別にお嫁さんも連れて遊びにきていいわよ?でもディーと仲良くするのは絶対にダメ!」
「そうだね…僕の奥さんときみのパートナーが仲良くなってしまいそうだから、遠慮しておこうかな」
穏やかに立ち去った賢者様に、アイラは「あらまぁ。しっかり惚れてるのねぇ」と感心したように呟いている。
最初にアイラが「彼に恋人が出来るなんて大ニュースよ」と言っていたのを思い出し、あの御仁はこれまで、色恋やそれに付随する営みには無関心なほうだったのだろうと思う。
竜は執着が強いと聞くし、国によっては貴族の婚姻には様々な政治的な懸念も付き纏うものだが、あのように大らかでいて様々な事に配慮してくれそうな男性ならば、相手も安心できることだろう。
どのような女性がかの御仁の心を射止めたのか気にならないわけではないが、賢者様が会わせたくないと断じている以上、今後自分と関わり合いになることはないに等しい。
アイラは貰った木の実の外殻を割って、さっそくパクリと口に入れている。
「はい、ディーもあ~ん。昔だったらダメだけど、今のヘイゼルの木の実なら食べてもいいわよ。素敵なひらめきが得られるかも!」
「アイラ、あの方は……」
「美味しい木の実がたくさんなるほうのハシバミの木よ。古い竜で、知識を武器として携える賢者。今居る竜種の王といわれてるわ」
「竜王……!まさかお会いできるとは……ッ!!」
「もぉ~!浮気者ぉ~!!」
ポカスカと胸を叩かれ、差し出されていた木の実は「やっぱりダメ」と遠ざけられてしまった。
ご機嫌ナナメになってしまった恋人と仲直りするには、今すぐ寝台へ行くのがいいだろう。
許しを乞う口付けを落とし、華奢な腰を抱いてその身を抱え上げる。
首筋に回された細い腕と、頬に寄せられる艶やかな唇。
これからの愛の時間に期待を寄せる彼女の身から立つのは、青々しさと神聖さを感じる爽やかな香気。
「……あの方の懸念が、アイラを傷つけることはないだろうか」
「もし本当に危ないのなら、彼はハッキリそう言うわ。きっとヘイゼルに喧嘩を売った命知らずが居て、そいつが思いがけず厄介なことをしでかしてるだけなんでしょう」
そして僅かな嘲りと敵意を宿し、仄暗く微笑む恋人の表情に、目が釘付けになる。
「ばかよね。古くから決まっているの。『ハシバミに罪を加えた者は、息をするに値しない者』って……とんでもない大罪を犯しておいて無事で済むはずがないわ。あとは彼が、大事な恋人を守れるかどうかね」
「……もし、守れなければ?」
「竜王が大暴れして地上の半分が台無しになるんじゃない?でも、ディーには私がいるから大丈夫。
さ、邪魔者も居なくなったことだし、お星さまを見ながらたっぷり愛を伝え合いましょ」
衝撃的かつ重大な問題をあっさり放り投げてしまう恋人に、苦笑を返すしかない。
広いベッドに押し倒されながら、天窓から見える満天の星と、欲の滴る獰猛な瞳でこちらを見下ろす恋人とを記憶に焼き付ける。
人間である自分は、あとどれほど生きられるかわからないし、いつか寵を失うかもしれない。
だからたとえ連日連夜の営みであっても、決して疎かにしてはならないのだ。
その数ヶ月後、とある精霊の髪を掴み引き摺って訪れた竜王の苛烈さに、
ドルティアンはアイラが幾度も「怒っていない彼は大丈夫」と言っていた理由を思い知ることになる。




