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4.5-b 幕間 竜の食事と甘いご褒美





ある日の午後、庭先のベンチで本でも読もうかしらと一階へ降りたルチシャは、執事のリーグッツから申し訳なさそうに声をかけられた。



先代伯爵の頃から執事として勤めていたアンサムは、先代が亡くなり父が伯爵となったのを機に、家全体を取りまとめる家令へと昇進し、父の従者であったリーグッツが執事に繰り上がった。

高齢のアンサムを補佐しつつ、使用人たちを取りまとめるのが執事であるリーグッツの仕事だ。

場合によっては父の従者として仕事先へ同行することもあるため、大層な働き者だと思う。


グレーががった髪をしっかり撫で付けたリーグッツは、このようなことをお嬢様にお願いするのは恐縮ですがと前置きをして、使用人から受けた相談事についてルチシャに打ち明けた。

どうやら、料理長のモーリスが最近悩みを抱えているのだという。



「モーリスが気落ちしている…?」


「ええ…竜王さまは製菓担当であるピアンシェのお菓子は御召しになられますが、モーリスの作る料理を召し上がっていただく機会はありませんので…」


「確かにそうね……軽食をお誘いしても、お菓子で十分だと仰るものね」



いつかのお茶の席で、ピアンシェの作ったチョコレート・プラリネを褒めていた姿を思い出す。

竜王からのお褒めの言葉が評価され、僅かばかりだがピアンシェに特別報酬が支給されたと聞いている。

それを知ったのか、モーリスはぜひ竜王さまに自分の作った料理を召し上がってもらいたいと意気込んでいるようだが、残念ながらその機会がなかなか巡ってこないのだ。


お茶席では主にピアンシェの作った菓子が振る舞われるし、軽食をとルチシャを通して提案してみても悉く断られている。

それが悔しくてすっかり気落ちしてしまっているらしい。



ピアンシェが専任で雇われる前は料理長であるモーリスがお菓子作りもしていたため、普通にお菓子も作れるのだが、舌の肥えているであろう竜王さまにお出しして、果たして満足して頂けるだろうか……と使用人たちも悩ましく思っているらしい。

モーリスとしても、出来るなら腕に自信のある料理で挑みたいところだろう。



「そもそも竜って何を好んで食べるのかしら?」


「モーリスも、それが判明すればもう少し腕の奮いようもあるのにと悩んでおりました」


「今度お会いしたときに聞いてみるわ。ひとまずモーリスには、明日の夕飯に牛肉のタリアータが食べたいと伝えてくれる?」


「畏まりました。お手を煩わせ申し訳ありません」



タリアータは仕込みに手間と時間のかかる料理だ。それで気を紛らわせておいてというルチシャの意図を汲み取ったリーグッツは丁寧なお辞儀をして奥の厨房へと向かう。



(うちの使用人たちは何だかんだ言ってヘイゼルのことが好きよね…)


竜といえば怖いイメージも付き纏いそうだが、穏やかそうな風貌と人柄のおかげで、庭師をはじめ、使用人の多くはヘイゼルに好意的だ。


侍女やハウスメイドといった女性使用人たちは、ヘイゼルの美しい顔立ちとルチシャに向けて紡がれる甘い言葉たちを自分事に置き換えては胸をときめかせてはしゃいでいるし、

警備で雇ってる衛兵たちも、ヘイゼルが片手で石を粉砕できる…あるいは魔法のような特別な力を使えるという点で、憧れに近い眼差しを向けている気がする。



竜は何を好んで食べるのか。

尋ねてみるのは構わないけれど、次にお会いするのはいつになるかしらと庭先に出たところで、ちょうど大鷲のエグルが手紙を咥えて舞い降りた。

美しい鳥型の精霊に礼を告げると、ピュイと高く鳴いて大鷲は空高く消えていく。


ちょうどいいタイミングね…と、庭での読書をとりやめにして返事を記すべく自室へと戻る。


(ひとまず何を好んで食べるのか聞いてみて、モーリスでも作れそうなお料理があれば食事に誘ってみるべきよね)


万が一にも好物は新鮮な生肉などと言われてしまったら、料理人として腕を奮うどころではない。


文机の引き出しから蔓草で縁取りされた上質な紙を取り出す。ヘイゼルと手紙を交わすようになったおかげで、机の中にはこれまででは考えられないほどに多彩な便箋と封筒が揃えてある。


いつ見てもため息をつきたくなる程に優美な字を目で追いながら、『三日後のお茶の時間にお会いしましょう』と丁寧に返事をしたためた。








「肉は殆ど食べないかな」



投げかけた質問に予想外の言葉が返ってきて、ルチシャは口をぽかんと開けてしまった。


竜といえばお肉の印象が強い。

ここ三日間、生肉のまま食べるから人前で食事をしないのかもしれないわ…なんて失礼な妄想を繰り広げていただけに、肉を食べないという回答にうまく反応ができない。

かろうじて、「お肉を食べる竜もいますよね?」と聞き返したくらいだ。



「うーん…火の精霊が竜のカタチを模しているから勘違いされがちなのかな………樹木派生の精霊は、基本的には水分と日光、僅かな栄養だけで生き永らえる。栄養も、蜂蜜や香草類、木の実、軽い嗜好品などで十分に補える程度だ。

竜は一般的な精霊種に比べて熱効率が悪いからこまめに摂らなきゃいけないし、なかには昆虫を食べる者も居るけど…」


昆虫!?と声には出さなかったが、背筋がピッとなったルチシャに、ヘイゼルは苦笑しながら「僕は食べないよ」と否定してくれた。


どうやら竜の姿をしているという火の精霊は無類の肉好きで、動物を丸焼きにして豪快に食べることがあるそうだ。

水辺で派生する海竜や水竜は魚を食べるけれど、彼らは厳密には竜種とは異なるものだという。

(ヘイゼルの目の奥が少し険しい雰囲気になったから詳しくは聞けなかったけれど、もしかしたら竜にも色々とあるのかもしれない。)


陸にいる竜は多くが樹木から派生するため、ヘイゼルと同じように水を飲んで日光浴をしたり少量の栄養を摂ったりする程度で問題ないらしい。

以前ヘイゼルが「ルチシャと散歩をすると元気になるよ」と言っていたのは、気持ちの問題ではなく、日光浴から得られるエネルギー的な意味合いもあったようだ。



「……だからいつも、お菓子をお出ししても多くは召し上がらないのですね。人間の創作した物語のせいか、竜と聞くとお肉という先入観がありました」


「考えてごらん?僕らが体躯に見合う量の肉をガブガブ食べていたら、地上の獣は激減してしまうよ」


「確かに…」


この世界にどれだけの竜が生きているのかは知らないけれど、もしも竜がお肉愛好家だったら、家畜が荒らされたなどという被害報告が少なからずあるに違いない。


ヘイゼルが食べるのは木の実と香草…となれば、モーリスが作れるのは前菜くらいだろうか。


「木の実を砕いて乗せたサラダとかは御召しになりますか?」


「少量であればね。でも、薬草や香草には口煩いかもしれない」


「食べる種類が決まっているのですか?」


「種類もあるけれど、強いて言えば鮮度に関してかな。ギリアムに聞けばわかると思うけれど、森の薬草や香草にはしかるべき採取時期がある。人間が好むものと精霊が求めるものは違っていて、僕らは彩りよりも質の良さや内包する栄養の大小に注目しがちなんだ」


薬草ごとに、この時期のこの時間帯に採取されたものが良質…という、人間にはわからない基準があるらしい。

魔女であるならまだしも、一介の料理人に見分けろといっても到底無理な話だろう。



「僕の森に居る魔女もお菓子作りは得意だよ。彼も日々の生活は菜食が中心だけれど…卵は食べるし、冬は肉を備蓄するし、何某かの煮込み料理は作っていた気がするな」


「彼…なのですか?魔女なのに?」


お菓子作りや煮込み料理の具材の話など気になるところは所々あったけれど、真っ先に確認したのは魔女の性別についてだ。

てっきりヘイゼルの森に居るという魔女は女性だと思っていたし、どのくらいの年齢でどのような見た目なのかしら…万が一とんでもない美女だったらどうしようと悶々と考えてしまった夜もある。


「魔女は性別がどちらでも、魔女と呼称する。所謂…職業名のようなものだからね」


「なるほど…『魔女』というお仕事をされていると考えればいいのですね」


生業(なりわい)だね…魔女にも、純粋に人間のままで居る者と、内側が人間でなくなっている者とが居る。後者の方が長生きだし知識深いけれど、繁殖は出来ないから知識の継承のために助手や弟子を取ることが多い。大抵は森に捨てられた子どもを拾って、適当に育てて仕込む…という感じかな」


「内側が人間でなくなっても、生きていけるのですか?」


「一部の精霊や妖精といった種族にしか使えない秘術だし、正当な手順を踏まないまま好き勝手していると、死の精霊からの報復を受けるけれどね……」


目を伏せたヘイゼルは一瞬だけ悩ましげな表情を浮かべたものの、目線を上げたときにはもういつも通りに戻っていた。

ルチシャは何かを尋ねようとして、喉まで出かかった言葉をごくりと飲んだ。

きっと、その真実を知る機会は改めて訪れるのだろうという予感と共に。



「食事についての質問は他にあるかな?」


「いいえ。実は、料理長のモーリスがヘイゼルにお出しできる料理がないかと悩んでいたので、何か好きな料理はあるだろうかと思ったのです。それに、私もヘイゼルの好きなものを知りたかったので……」


「きみがキッチンメイドと共に作ってくれたチョコレートは最高の味わいだったよ」


「嬉しいです。今日のパウンドケーキも少しだけ手伝わせてもらったんですよ。といっても、ナッツやドライフルーツを入れる程度ですけれど」


「僕を想いながら入れてくれたのなら、きっと素晴らしい仕上がりになっていることだろう」


「そうやってすぐ喜ばせようとするんですから……ヘイゼルは甘いものがお好きですか?」


「そうだね…蜂蜜やチョコレートは好んで口にするかな。木の実を使ったお菓子は食べる方だと思う」


「果物はあまり好きではないのでしょうか」


「そのままよりもジャムに加工されたものを口にすることのほうが多いだろうか…ルチシャが好きなものは何だろう?」



好きな料理は何だろうかと、改めて聞かれると困ってしまう。ヘイゼルならきっと肉料理や魚料理を挙げても気にしないだろうけど、一応聞いておいた方がいいかもしれない。



「お肉やお魚が好きでも嫌になりませんか?」


「勿論。人間はそういう生き物だ。たまに人間のなかにも菜食主義者が居るようだけれど、僕らとはそもそも食べる量も質も違う。

僕ときみは確かに異なる種族だけれど、その違いを厭うことはないし、恥じる必要も隠す必要もないよ」



きみも、気軽に呪ってしまう僕に困りはしても厭いはしていないだろう?と言われて、そういえばそうだわと素直に頷く。

うっかり呪ったり殺しにかかったりするヘイゼルのことを、他種族だからと受け入れているのは他でもないルチシャだ。同じようにヘイゼルにとって、ルチシャが肉や魚を好んで食べたとしても、人間だからと受け入れられる程度の事なのだ。



「リリオデス領は海に面していないからお肉料理が多いんです。新鮮な魚は川魚がメインで、海の魚は瓶詰めだったり加工されているものばかり…だからお魚よりもお肉が好きです。

お肉を柔らかくなるまでじっくり煮込んだ料理とか、お肉とお野菜をグリルで焼いてオイルソースで食べる料理とか、あとは…隣の領地が酪農で有名なので、焼いたチーズのかかった料理も好きですね」


甘いものはいうまでもなく、全般好き。

酪農やチーズの話をするなかで、そういえばモーリスの得意料理がひとつあるじゃないと思い出す。

お茶席でクッキーを出したときも食べてくれていたから、バター類は大丈夫に違いない。



「モーリスの作る朝食のスコーンがとても美味しいことを思い出しました。小さめに作ってもらうので、ぜひヘイゼルにも食べてもらいたいです。私は…スコーンに添えるジャム作りを手伝わせてもらおうかしら」


「ああ、いいね。ジャムは好きだよ。スコーンも少量であれば喜んで」


ヘイゼルからの同意がもらえたため、ルチシャは勢いよく壁際を振り返った。

そこには、竜王はほとんど食事をしないと聞いてからずっと死にそうな顔で立ち尽くしていたモーリスが、息を吹き返し、目を輝かせている。

ルチシャが頷きかけてやると、半泣きになりながらコクコクと小刻みに頷いた。



(そんなにもヘイゼルに食事を提供したかったのかしら…)



後日聞いた話では、モーリスは竜や魔法の出てくる物語本の愛読者で、どうしても竜に自分の作ったご飯を食べてもらいたかったのだという。

衛兵のなかにもその本の愛読者が居るらしく、彼は一度でいいから竜と手合わせしたいと願っているそうだが……片手で粉砕される(あるいは剣を構えた瞬間に呪い殺される)未来しか見えないので、是非とも無謀な挑戦は控えてもらいたいばかりだ。



(ヘイゼルに無礼を働く使用人が出ないよう、お父さまにもお伝えしておかなきゃ…)



竜王の好きなジャムの味も聞けて大収穫ホクホクになっていたルチシャに、ヘイゼルはとても柔らかな笑顔を向けた。

急に慈しむような顔を向けられ、少しだけ困惑してしまう。


「何かありましたか…?」


「いや…喜んでいる姿が可愛いなと思って見ていただけだよ」


「私ももう少し、ヘイゼルを喜ばせることができればいいのですけど…」


「きみの喜びが僕の喜びだ。ルチシャが居てくれるだけで僕の胸は満たされるよ」


これもひとつの栄養補給だねと言われてルチシャは困ったように微笑んだ。

じんわりと頬が熱いのは、恋人からの熱烈な口説き文句にまだ慣れていないからだ。






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