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15.5 幕間 慰めと展望





「急に気晴らしをしましょうって、一体どうしたの?」



その問いかけに、一歳年上の義姉(あね)であるルチシャは、乾ききった虚ろな笑みを浮かべた。目は完全に光を失っている。

リリアンナはぎょっとしたあと、堪らず眉を顰めた。


「お義姉(ねえ)さま…?竜王さまと何かあったの…?」


「………聞いてくれる?特別な夕餉だよって出された彩り豊かな大盛りサラダが人間には過分な森の力を含んだ薬草盛りで、食べたあと吐きそうなほどに気分が悪くなって一晩中悶え苦しんだっていう話を」


「え!?」


「そして婚姻前の一ヶ月間はそのサラダを毎日のように食べなきゃいけないと急に告げられた私は、どうにかしてこの腹の底に溜まった感情を発散させたいの……!」


「それは……災難だったわね……」



同情を隠さない眼差しで労りの言葉を告げたリリアンナに、ルチシャはしっかりと頷いた。その表情には鬼気迫るものがある。




ルチシャとリリアンナのふたりは今、身軽な外出着に着替えたうえで庭先に立っている。


朝起きるなり「今日はお出かけしましょう」と告げられたリリアンナは目を白黒させたものの、特に用事が入ってるわけでもなかったし、何より誘ってきた義姉の表情には有無を言わせぬ迫力があった。


夏至の頃から六月の終わりまで森で過ごし、つい二日前に屋敷へと戻ってきたルチシャがどこかピリピリした空気を纏っていることに気づいたリリアンナは、避暑のため王都から領地へ戻って来ていたリリム夫人と顔を見合わせたものだが、どうやら嫁入り前の支度でトラブルがあり、竜王さまと喧嘩をしてしまったようだ。



(ルチシャ義姉さまのこういうお顔は初めて見るわ…)


普段から心を隠すのに長けている人だ。喜怒哀楽のなかでも喜楽を目にすることはあっても、憤りを前面に出すことはない。

つまり、それだけの出来事が起きてしまったということに他ならない。



(結婚するまで森で採れた蜂蜜と木の実をいただくっていうのは聞いていたけれど…一晩中悶え苦しむサラダを食べ続けるというのは確かに嫌ね…)



ルチシャが正式に森へ引っ越すまでの間、木の実を届ける必要があるからと竜王さまは毎日リリオデス家を訪ねることになっている。

昨日も来ていたようだが、確かにいつもであれば散歩をしたりお茶を共にしたりと何かと二人の時間を作っていることを考えると、昨日の逢瀬は驚くほど短かったように思う。



(それにしても竜王さまと喧嘩なさるなんて…お義姉さまはお強いわ)



自分だったら萎縮してしまい文句を言う事すら諦めてしまうだろう。



「結婚式までに仲直りは出来るの…?」


「仲直りも何も、私が一方的に怒っているだけだもの。ヘイゼルは…私の我儘を受け入れてくれるし、移住のために必要なことをしているのでしょうけど、圧倒的に事前の説明が足りてないのよ。今はヘイゼルの顔と香草サラダを見るだけで腹の底が煮え立つ心地がするから、この鬱屈としたこの感情を少しでも晴らしたいの…!」



「貴女もああいうことがあったばかりでしょ?だから一緒に気晴らししましょう」と言われ、脳裏に、半年ほど前に婚約直前で破談になったお相手の顔が浮かぶ。



先日、王宮では緋色の巫女竜さまと王女殿下のお茶会が無事に開催されたらしい。

それにより王女殿下の国内での地位は跳ね上がり、未婚の男児を抱える高位貴族がこぞって王女殿下と縁を結ぼうと縁談を持ちかけているという。


リリアンナとの婚約話が持ち上がっていたグロンペール侯爵家の三男ヴィクトルもその筆頭で、歳の差こそあるものの、国内に留まることを想定していなかった王女殿下のお相手としてはむしろ不足なしとして評価されているらしい。

ヴィクトルが竜好きであることは公然の事実であるため、緋色の巫女竜さまと縁を紡いだ王女殿下とは善き夫婦になれるだろう…なんて噂も聞こえてくる。


(最後にお会いした時、王女殿下との事は既に打診を受けていたようだし、家として必要な婚姻であるならお役目を果たすまでだと仰っていたもの…)


過度の竜好きではあるものの、だからといって礼や常識を逸脱するような人物ではない。

むしろ模範的な高位貴族の子息であるため、養子であるリリアンナよりも、王族や彼の家柄に近しい高位貴族のご令嬢の方が相手としては相応しいと思っている。



黙したリリアンナの様子に何を思ったのか、苦笑を浮かべたルチシャは「一緒に美味しいものを食べてちょうだい」と手を握ってきた。



「でも、ルチシャ義姉さまは婚姻前なんだから不用意に出歩かないほうが良いんじゃ……」


結婚前は基本的には屋敷に籠って過ごすものだ。

まだ竜王を狙う魔女が残っていると聞いているし、万が一にも出先で怪我でも負ったらと考えると肝が冷える。

義姉が傷つく姿は見たくないし、竜王の怒りに触れれば国が吹き飛びかねない。



躊躇うリリアンナの背後から、庭先の砂利を踏む音と、ハキハキとした涼やかな声が響いた。


「心配せずとも、今日の引率者はわたくしよ。安全な旅を提供するわ」


「緋色の巫女竜さま!?」



振り返った先に居たのは、見事なグラデーションがかった髪を持つ美しい女性。

すらりと伸びる肢体は芸術品のようで、落ち着いた色合いで纏められた細身のサマードレスがよく似合っている。

巫女竜さまの姿を見るのは初めてであったが、誰がどう見ても只人ではないし、威風堂々とした立ち姿は竜を彷彿とさせる。


ヒールの靴で危なげなく歩み寄った女性は、リリアンナを上から下まで眺めると「貴女がそうなのね」と得心気味に頷いた。



「わたくしの言動によって貴女の縁談がひとつ吹っ飛んだという話を聞いたわ。人間達の思惑に一々責任を持つつもりはないけど、ロクデナシ共からの被害を受けた女二人の気晴らしに付き合うくらいは容易いことよ」


「ロクデナシ……」


まさかとは思うが、竜王さまと侯爵家ご子息のことかしら…と困惑するリリアンナの向かいと隣で、既知のふたりが同意し合い盛り上がっている。


「お従兄(にい)さまったらルチシャに怒られて少しだけ反省したみたいなの!ザマーミロだわ!」


「いくらヘイゼルでも、騙し討ちであのサラダは有り得ません……」


「説明もなしに夏至の力の満ちた薬草を食べさせられたんじゃ怒るのも当然だわ。それに、悶え苦しんでるところを普通に様子見に来たんでしょ?デリカシーないったら…!

ああ、やぁっと貴女とお従兄さまの愚痴を言い合えるわぁ……!」



拳を握って心底喜びを噛み締める緋色の巫女竜さまと、森での苦行を思い出してしまったのか眉間に皺を寄せて難しい表情をする義姉の姿に、今日私はこのふたりに同行するのね…とリリアンナの胸に一抹の不安がよぎる。

果たして自分で捌き切れるだろうか。


というか私は、政治的なアレコレの手駒とならぬように緋色の巫女竜さまと縁を紡ぐことをお断りした気がするのだが、気のせいだっただろうか。


そんな懸念を吹き飛ばすかのように、緋色の巫女竜さまはパン!と大きく手を打った。


「さ、行きましょ!景色の良いところで美味しいお菓子を食べて気晴らしよ!さすがに掴んで飛ぶのは可哀想だし、精霊の道を通って行くから手を離さないようにしなさい」


右手でリリアンナ、左手でルチシャの手を握った緋色の巫女竜さまは前触れもなく開いた真っ暗闇の空間へと身を投じる。

ぐいぐい引っ張られて行く感覚と、巫女竜さまを挟んで向こう側に居る義姉が「私たちには暗闇にしか見えないけど、ローアンにはしっかり道が見えてるから安心してついていけばいいわ」とフォローしてくれる。

その言葉を信じて身を任せ、精霊の道という不思議な空間を迷路のように進む。



長い長いトンネルを抜けてやっと外に出たと思えば、そこは美しい海が見える異国の地だった。


(数分しか歩いていないのに、全く知らない土地に居る…!)


驚愕するリリアンナを他所に、緋色の巫女竜さまはふたりの手を握ったまま引き続きぐいぐいと目的地の店まで引っ張っていく。

辿り着いたのは展望の良いテラス席を有するカフェで、メニューの文字が読めないふたりに代わり緋色の巫女竜さまがアレコレとおすすめを注文してくれる。


ややあってサーブされたお皿にはまるで宝石のように甘味が輝いており、ミルク色のアイスを平たいスプーンで掬い取り口に運べば、天にも昇るような至福の味が広がった。



「……!!」


「ん〜!美味しい…!」


「でしょ。ここのスイーツは絶品なのよ。わたくしはあまり多くを食べないから、こうして分けっこしてくれる同伴者が居ると心強いわね」



言葉なく感動するリリアンナの隣で、美味しいと頬を緩めたルチシャ義姉さまがお裾分け用にとパフェの具を取り分けている。

向かいの席で保護者宜しくこちらを眺める緋色の巫女竜さまに、隣の義姉を見習い畏れ多くも自分の前にあるアイスの皿を差し出せば、「あら、ありがとう」と機嫌よく掬い取って食べてくれた。


真鍮色の瞳はただ穏やかに優しいばかりで決して恐ろしさなどは感じないものの、「ローアン、この果物は何ですか!?」と初めて見る黄色い果実を前に感激する義姉ほど自由に振る舞える自信はない。



「私は同席してもよろしかったのでしょうか…」


「ルチシャが、森へ行ってしまう前に屋敷の庭でガーデンパーティを開くからと招いてくれたの。どうせその時に顔を合わせるんだし、ちょっと早まったくらい問題ないでしょ」


「緋色の巫女竜さまも来てくださるのですね


「ローアンよ。でも貴女の立場上、『ローアンさま』でも構わないわ」



細められた真鍮色の瞳は何もかもを見透かしているようで少しばかり座りが悪い。

義姉に視線で問いかけたところ力強く頷いてくれたため、お言葉に甘えて「ローアンさま」と呼びかけると「これで貴女もお茶友だちね」と謎の認定を貰ってしまった。



「さて、貴女を捨てた男はどんな奴だったの?聞かせて頂戴な~」


「ローアン、生き生きしてますね」


「だって、お従兄さまが絡むと辛酸ばかり舐める羽目になるんだもの!わたくしも気晴らしよ!」


「私がヘイゼルの森に行っている間に、ローアンは王女さまとお茶会をしたんですよね?」


「したけれどねぇ……お上品すぎるし、まだ恋愛未経験みたいで全く話が盛り上がらなくて。まあ幼いからそこは仕方がないのだけれど。周りから何と言われているのか、どんな期待を背負っているのかは知らないけれど、王家の建て直しを狙ってる魂胆も見え見えで、なんというか…期待外れだったわ」



アンニュイな表情でため息をついたローアンさまの言葉に、王都で耳にした話と何だか違っているぞと目を瞬く。

ルチシャ義姉さまがこちらの表情をちらりと確認したのがわかったけれど、リリアンナの知る限り、王都では緋色の巫女竜とのお茶会は『大成功』という評価だったのだ。


密かに吃驚するリリアンナとは対照的に、ルチシャ義姉さまは何がお気に召さなかったのかしっかり理解できたようで、王家には困ったものねと肩を竦めていた。



「典礼部が主催となれば、監視も兼ねた進行役も居たでしょうし、腹を割ってお話するのは難しいとは思いましたけど…」


「腹を割ったところで中身がスカスカじゃあね……儀式を進行してた人たちはお茶会が無事に終わって喜んでたみたいだけど。…ま、次をするにしても、もう少し話せるようになってからよね」



義姉と同じように肩を竦めたローアンさまは手元のアイスティーをひとくち飲んで、何かを思い出したように義姉を見た。

巫女竜さまがあまりお召しにならないことに遠慮する様子もなく、モグモグと目の前のデザートプレートを堪能する義姉は、さすが竜との茶席に慣れているとしか言いようがない。


「そういえばルチシャ、ハーブティのレシピが欲しいって言ってなかった?」


「そうなんです。良ければリリアンナに横流ししたいなと思っていたんですけど」


「堂々と横流し宣言したわね」


片眉をあげて呆れたような表情をつくったローアンさまに、ルチシャ義姉さまは悪びれもなく微笑んだ。

まさか義姉が自分のために巫女竜さまから何かを得ようとしていたとは知らず、リリアンナは一体何のことだろうかと内心で首を捻る。

そして続けられた言葉に、義姉が、ヴィクトルさまの元へ嫁ぐ際に有用となる手札を更に用意してくれようとしていたのだと理解する。



「ハーブティは昔、王都で流行ったみたいですし、新しいレシピを持っていれば子爵夫人として箔がつくかなと思って」


「あらぁ。それって縁談が流れる前の話よね?」


「そういうことです。私は、ホーステールさんの淹れるヘイゼルの好きなお茶を習得したいのですが、ローアンはご存知ないですよね?」


「あれは彼独自のブレンドだから再現は難しいわね。その時々の蜂蜜の糖度や風味に合わせて薬草の配合も変えてるみたいだし」


「独自ブレンド……」



無念そうに俯いた義姉の姿に大丈夫かしらと心配な視線を向けると、ローアンさまから「竜王の森に居る魔女が有能すぎてダメージを負っているだけだから気にしなくていいわよ」と説明される。


義姉が自らお茶を淹れる練習をしているのは、竜王さまの森のお屋敷には使用人らしい使用人がおらず、いくつかのことは人に頼らずとも自分で出来るようになりたいからだと教えてもらっているし、時々とても複雑な香りのする紅茶を真剣な眼差しで淹れている姿も見る。


今後の生活に必要なことだとは理解しているものの、本来のルチシャの立場であれば学ばずとも良かった事だ。むしろルチシャの侍女を目指していたリリアンナが身につけるべき事だったはず。

そう思うとやはり少しばかり歯痒くもあり、無念に思うこともある。



「あの…王女殿下とのお茶会でも、ローアンさまのブレンドしたハーブティをお出しになったのですか?」


「まさか。わたくしの森でのお茶会でもないのに、出しはしないわ。王家らしくそれなりに良い茶葉を使っていたけれど、なんと言うか渋いのよねぇ…」


「わかります…風味が全然違って…最近はこちらで作られている紅茶を飲むよりも清涼水のほうが落ち着くような気がします」


「あら、それは貴女の身体の準備が整ってきているという事だわ。今度お従兄さまに、ホーステールの作ったお茶を届けてもらいなさいな。他の人間には飲ませてはダメよ?」



ローアンさまからの忠告に素直に頷いた義姉は、ちらりとこちらを見て微笑んだ。

さっきは遠慮して口に出せなかったものの、ローアンさまのハーブティがどんな味なのか気になっていることを見抜かれているのだろう。

飲んだところで誰かに味を伝えられるわけではないけれど……それでも、王女殿下も知らない巫女竜さまのお茶を、叶うなら味わってみたいと思ったのだ。



「ローアン、インボルグの日に貰ったハーブティをリリアンナに飲ませてあげても良いですか?」


「いいわよ。あれはさほど強いものではないし、うちの奥さんも気に入ってるからよく作るのよ」


「え?ローアンさまは妻帯者なのですか!?」


「そうよ。精霊な奥さんがいるわ。ご存知の通り、精霊は繁殖の必要がないから恋愛対象も自由なの」


「あ、リリアンナは精霊とか竜の概念を殆ど知りませんよ」


「ええ!?またイチから説明する気はないわよ?というか、そろそろどっかの学者に発表させなさいよ……他国じゃ、ある程度は常識よ?」


「えーっと…どこから話せばいいかしら……リリアンナ、ローアンは……」


歯切れ悪く説明しようとした義姉を手のひらで制して、今はいいわと断りを入れる。

異なる種族について等々、小難しい話をされたところで、そうすんなり理解できるわけでもないし、受け入れられる気質ではないもの。


「…………ひとまずこの場では、緋色の巫女竜さまは精霊な奥さんがいる既婚者ってことで納得しておくわ。また今度ゆっくり教えて頂戴」


「あら。潔いわね。そういう大雑把な受け止め方も悪くないと思うわ」


益々気に入っちゃうわねという言葉に、自分は気に入られていたのかと目を瞠れば、義姉は追加でテーブルに届けられたパフェを掬い取りながら訳知り顔で頷いている。

もう一皿くらいいけるでしょ、とテーブルに運ばれてきたジェラートの盛り合わせを分けっこしながら食べ終える頃、不意にローアンさまが義姉さまに話を振った。



「お従兄さまの用意する寝間着に、艶のある上質な糸が何色か使われていると思うけれど、その糸はわたくしからよ」


「ありがとうございます。ヘイゼルが強奪した糸ですよね」


「あの山賊に無理やり奪われるのも癪だから、結婚の前祝いとして送ったのよ。ルチシャ、山賊退治の草はちゃんと常備してる?」



「………誰が山賊だって?」



不意に聞こえた低音に、咄嗟に背筋が伸びる。

見れば向かいのローアンさまも背中がピッとなっており、ルチシャ義姉さまだけが不思議そうにローアンさまの背後に現れた人物を見上げている。



「んげ!お従兄さま…!?」


「ヘイゼル……どうしてここに?」


「…………ルチシャ、まだ怒ってるのかな?」



首を傾げた竜王さまに、ルチシャ義姉さまは少しだけ眉を顰めた。

その表情に物珍しさを感じてしまう。

これまで大抵の理不尽事を受け入れてきたルチシャ義姉さまが、不満を表に出したのだ。

森での事件は相当な出来事だったのね…と、息を詰めてふたりの喧嘩の行方を見守る。



「怒っているというよりも、あの苦行を乗り越えるために今のうちに美味しいものを頂いて気分転換をしていました」


「口直しが必要なら、いくらでも用意してあげるよ」


「いえ……あのサラダのあとに何かを食べようという気にはなりませんので」


「………ホーステールが、どうしても苦痛なら、気分が高揚する薬草も少量加えようかと言っている。ただ、食べ過ぎると癖になるから時々しか使えないけど」


「絶対にやめてください」


気分が昂揚するうえに常用すると癖になる薬草だなんて、絶対危ない代物に違いない。

そんなものを食事に混ぜられそうになった義姉さまは物凄く嫌そうな顔をしているし、提案した竜王さまは普段と変わらない様子だが、ローアンさまは心底呆れ顔だ。



「お従兄さまはどうしてここにいらっしゃるの?」


「ああ……少し、調達したいものがあってね」


「ご自分で買いに出るなんて珍しいわね……」


「何を買ったんです?見ても構いませんか?」


「いいよ。これを使えばお腹の苦しみを緩和できるから買い足しておこうと思って」



竜王さまが手に持っていた紙袋の中を覗き込んだ義姉さまは、たっぷり三秒ほど言葉を失ってから盛大なため息を吐いた。小さな声で「これは無い」と呟いていることから、袋の中には想像を絶する物が入っていたのだろう。



「………ローアン、申し訳ありませんが中座させてもらっても構いませんか?このままだと結婚前に、幻覚剤かヤバい乾燥物を使った薬に晒される羽目になりそうです」


「そうなさいな……この子はわたくしが家に送り届けてあげるから」


「ありがとうございます。リリアンナ、途中だけどごめんね」


「……頑張ってね」



ヤバい乾燥物とは。

何の変哲もないように見える紙袋にどんな危険な物体が入っているというのか。


竜王さまは「ちゃんと食べられる代物だよ」と言っているものの、ルチシャ義姉さまは「そんなものを食べるくらいなら三日三晩苦しんだほうがマシです」と鋭い声でお断わりしている。

心配になってローアンさまをチラリと伺えば、お従兄さまと結婚する以上ルチシャが自分で乗り越えなければならない試練なのよと肩を竦められてしまった。



義姉からのお説教を適当に聞き流しつつ、腰に手を回してエスコートしようとした竜王さまは、ふとリリアンナを見て立ち止まった。

すかさずローアンさまが隠すように庇ってくれる。



「邪魔だよ、ローアン。ルチシャの前で危害を加えるわけがないだろう」


「ルチシャが居ないところでも危害を加えるのはやめてくださる?」


「また随分と気に入ったようだね…きみが王女を甘やかしたせいでその子の縁談は潰れたそうじゃないか」


「ええ、ですからこうしてお詫びの茶会をしていますの。お従兄さまはさっさと立ち去ってくださいな」


「そのつもりだよ。だが、ルチシャがそこに居る義妹(いもうと)を大事に思い、気にかけている以上、問題解決のために手を貸すことも吝かではないと伝えておこうと思ってね。縁談について助力が必要であれば言うといい」


「……ありがとうございます」



まさか助力を申し出て下さるとは思わなかった。

これもルチシャ義姉さまからの気配りなのかなと思い竜王さまの横にいる義姉に視線をやれば、義姉は訝しげな様子で竜王さまの瞳の奥をじっと見つめている。



「……ん?」


「ヘイゼルが純粋な優しさからあのような声掛けをするはずがないと思って、真意を探っています」


「ひどい評価だね」



義姉さまの懸念は尤もだろう。

相手が侯爵家だろうが伯爵家当主である父だろうが、竜王さまがひとこと物申せば全てが罷り通ってしまうくらいに、彼の力は強く絶対的だ。

国を庇護する緋色の巫女竜でさえ一捻りにしてしまうというのだから、この国で竜王に逆らえる者など義姉を除いて他に存在しない。


いくらルチシャが気にかけている事とはいえ、竜王がリリアンナのために無条件で動くとは考え難い…というのが恋人である義姉の主張だった。



「ヘイゼル。頼まれてもいないのに強制介入するのはいけませんからね?侯爵家のご子息とのお話は既に一度白紙に戻っているのですから」


「ルチシャが僕との婚儀以外のことを考えているのが許し難くてね……義妹の嫁ぎ先が早々に決まれば、きみも安心出来るし僕との事に集中できるだろう?

別に侯爵家じゃなくても、最適解があるならどこでもいいよ。言ってご覧?」


「最適解があるのだとしても、それを導き出すのは私ではありませんし、リリアンナの嫁ぎ先が未定だからとヘイゼルとの儀式を蔑ろにするつもりもありません。

先ほども言ったように今は結婚のことを考えると苦いサラダを思い出すので少しだけ現実逃避しているだけです。

その買い物袋の中身のことも交えて、これからふたりでゆっくり話をしましょう」


「いいよ。ついでに何か美味しいものを食べに行こうか」


「甘いものは今食べたばかりなので……」


「……肉か、魚かな?」


「嫌でなければお魚でお願いします」


「勿論。たくさん食べるといい」



川魚でなく海のお魚がいい、ロケーションの良いところで上品に食べたい…と義姉さまが注文を重ねるたびに竜王さまがご機嫌になっている気がするのは見間違いではないだろう。

竜王さまに腰を抱かれた義姉が姿を消すのを見届けてからゆっくり視線を移せば、同じく二人が消えるまで見守っていたローアンさまが大袈裟に肩を竦めてみせた。


「お従兄さまとは数千年来の顔見知りだけれど、あんな表情見たことないわ。恋ってすごいわよねぇ」


「私もルチシャ義姉さまのあのような表情は見せてもらったことがありませんでしたので、とても……妬ましいです」


「貴女も拗らせてるわねぇ。それにしても……お従兄さまが自ら買い付ける素材なんて本当にとんでもないものだから、ルチシャは説得を頑張るしかないわね」


「…大丈夫でしょうか」


「大丈夫よ、竜って基本的に伴侶や恋人に甘いから。ただでさえ今は信頼を損なっているのだから、ルチシャが頬を膨らませて叱るだけで簡単に引き下がるに違いないわ。

さて、お土産買って帰りましょうか。何か欲しいものあるかしら」


「ローアンさまは奥さまへお土産を買われるのですか?」


「そうねぇ…うちの奥さん、季節的にしか帰省しないからナマモノは駄目なのよね。織物を見ましょうか。布製の髪飾りもあるし小物が可愛いから貴女も気にいるわ」


「あの、ここの通貨は…」


「気にしない気にしない。たっぷり買って請求書をお従兄さまに回してこそ、本当の気晴らしというものよ。女子会からルチシャを連れて行った代価として請求するわ」



そういえば今更になって、ローアンさまが竜王さまを『おにいさま』と呼んでいることが気にかかった。

実際に血縁関係にあるのか、それとも竜ならではの特別なルールがあるのか……今日の事も交えて、後日ルチシャ義姉さまに聞いておかなければ。



露店に並んだ特産品やレース編みなどを物色し、お言葉に甘えて心痛まない程度の買い物をさせてもらう。お土産を見れなかったお義姉さまには、少し値が張ったものの、竜王さまとお揃いで使える涼しげなブランケットを購入した。


容赦なく買い物を楽しんだ緋色の巫女竜さまは満足げな様子で、再び精霊の道を使ってリリオデス伯爵家まで送り届けてくれた。


玄関まで送り届けると騒ぎになってしまうからと裏口に近いところで手を離してくれる。

真鍮色の瞳に見下ろされ、リリアンナは向かいに立つ美しい顔貌を見上げた。



「潰れてしまった縁談というのは、貴女にとって最良のものだったのかしら」


「どうなのでしょう…義父が用意してくださった話ですので、伯爵家の益にはなったと思います。個人的にも嫌忌するような方ではありませんでしたが、義姉が竜王さまに抱く感情とは異なっていたと思います」


リリアンナの回答を聞いた緋色の巫女竜さまは呆れたように肩を竦める。


「真面目ねぇ…程々に良い男だったけれど今回は縁がなかったわ、くらいの気持ちで居ないと、この先苦労するわよ?

ルチシャが自分のことを棚上げして、義妹は男の趣味が悪いみたいな事を言ってたけれど…貴女にとってそのお相手は試金石みたいなものだったのでしょうね」


「……男の趣味についてルチシャお義姉さまに言われたくないです」


「それはそう。選んだ相手があのお従兄さまってだけで信じられないもの」


あんまりな言い様だが、竜王さまと緋色の巫女竜さまとの間には長い年月の間に培ってきた関係性があるのだろう。

ルチシャ義姉さまの色恋については深掘りしたことはないけれど、去年リリアンナが淑女教育の仕上げとして宿舎型のフィニシングスクールに入る前に話した限りでは、お父さまのような人は嫌だけれど清廉すぎるのも嫌いだとボヤいていたのを覚えている。

そういう点でも、人生経験豊富なうえに知略に長けていて、表面上の穏やかさとは裏腹に容赦なく呪いを行使する竜王さまは、ルチシャ義姉さまの心を鷲掴んだに違いない。



「竜王さまからの助力の件は、お義姉さまにお任せして良いのでしょうか」


「それが安全でしょうね。本人も言っていた通り善意じゃないから勘違いしないように。あと、もしも頼むときは気をつけなさいね。雑だし、あまり思いやりのない人だから」


「どうしてもの時は、お義姉さまから頼んでもらうことにします」


「そうなさい。ルチシャからのお願いなら手抜きはしないでしょう」


それはそれで厄介でしょうけど…と付け加えられ、やはり竜という特殊な権力を使うからにはリスクも覚悟しておかなければならないのだと理解する。


本当はこうして緋色の巫女竜さまと個人的な面識を持てたというだけでもエアファルト王国内での価値はうなぎ登りで、巫女竜さまとの繋がりを証明することが出来れば、再びヴィクトルの婚約者候補として名乗りを挙げることも可能だろう。


……けれど、そのような方法はリリアンナの好むものではなかった。



(私たちの関係は、あの日に確かに終わったのだから…)



最後にふたりきりで会ったのは、巫女竜さまと王女殿下のお茶会が開かれるふた月前のこと。

ヴィクトルは自身の立ち位置を明らかにしたうえで、リリアンナに謝罪と別れの言葉をくれた。


そしてリリアンナは国内の混乱を隠れ蓑にするかのように社交界へデビューし、伯爵の推挙する幾人かの男性とダンスを踊り軽食を共にした。

勿論、大規模なパーティーでヴィクトルの姿を見かけることもあったが、ダンスカードにその名を刻む事はなかった。


竜好きが高じすぎて少しばかり変な人だったけれど、悪い人ではなかったし、嫌いと言い切れない自分がいる。

ヴィクトルとの関係解消を惜しむ気持ちが無いわけではないが、義姉からの提案を断り、義父である伯爵への嘆願もしないと決めたのは自分自身だ。


こうして緋色の巫女竜さまと顔見知りになれたことは胸のうちに留め、いつかまた義父から提示された相手と真摯に向かい合っていくことがリリアンナに出来る最善なのだろう。



「今日はとても楽しかったです」


「わたくしもよ。気が向いたらまたお茶しましょ。国のお偉方とはナイショでね」



ウィンク混じりの言葉に胸が熱くなる。

深々と頭を下げて礼を述べれば、仕方ないわねぇというように「本当に真面目なんだから」と額を指先で弾かれてしまった。

軽くピンッとされただけで、爪が刺さったわけでもないのにとても痛い。

さすがは竜……人智の及ばぬ怪力といったところだろうか。



「貴女も、出自や家庭の事情を引き摺ってないで、そろそろ自分の幸せを追いなさいな。ルチシャもそうだったけれど、貴女たちは多少強引にでも誰かに外殻を割ってもらったほうが自由に羽ばたけるのでしょうね」


「強引に……」


「いつか出会えるわ。それまでは自分を大切になさい」



何かあってはルチシャに申し訳ないしお従兄さまから半殺しにされるからと、リリアンナが裏口の通用門の向こうへ行くまで見守ってくださるようだ。

恐縮しながらも歩を進めると、門まであとちょっとという所で思い出したように後ろから声を掛けられた。



「私のお茶のレシピが必要になったら相談なさい。人間の庭でも採れる薬草で配合を考えてあげるわ」



通用門の内側に入って振り向いた時には、その姿はもうどこにも見えなかった。

ルチシャ義姉さまが竜は飛翔するときに人間からは見えないようになっていると言っていたし、もしかしたら人間には知覚出来ない精霊の道に入ってしまったのかもしれない。


正直、どうしてこんなにも気にかけてくださるのだろうと疑問に思わないでもなかったが、義姉とも母とも違う、ひとりの独立した女性と対面して話ができた事で、リリアンナの背筋はスッと伸びるような心地がした。



(ルチシャ義姉さまが帰ってきたら、気晴らしに同行させてもらえた事への御礼を言って、お土産を渡して……竜のことをもう少し聞いてみよう)



誰か(ヴィクトル)の為ではなく、自分のために。



結局義姉が帰ってきたのは夜になってからで。

ローアンさまの予想は大いに外れ、竜王さまの説得には数時間を要したらしく、せっかくの気晴らし女子会の成果も虚しく疲労困憊の様子だった。


翌日お土産を渡す際にリリアンナが聞かされたのは、竜の生態についてが二割と竜王さまへの愚痴が七割、そして惚気が一割だった。




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