俺は神を信じている
俺は神を信じている。全知で、全能で、人類を生み出した神を。
間違ってはいけないのは俺は宗教を信じているわけではないということだ。俺の信じる神に名前はなく、逸話もない。ただ存在していることだけを信じているのだ。
だから一般的な日本人と同じように協会に行くことはしないし、クリスマスもお盆も気にしない。
俺の信じる神は俺の中にだけ存在している。
そしてその思いは世界に認められた。
◇◇
一月ほど前、ジョブが発見された。――発見というと語弊があるかもしれないが、そう言う他ない。
きっかけはSNS上での高校生の発言。
――拳闘士にクラスチェンジできました
その発言自体はどうということのない発言。ゲームかなにかの話題という所だ。問題は発言した高校生がボクシングの世界チャンピオンであったこと。それも世界チャンピオンになって数分後の発言であったのだ。
間を置かず、次の発言が投稿された。
――無職共なんて相手になりませんね
当然、炎上した。
彼の勝利が如何に圧倒的であったとしても、それが侮辱をしていい理由にはならない。
彼も裏垢にでも投稿したつもりであったのか、投稿を消し、謝罪をする。
そうなると次に気になるのは彼の不可解な発言の意味だ。
拳闘士、無職、これらの言葉に彼の強さの秘密があるのでは、そう考えるのは自然な流れであろう。
彼が台頭してきたのは高校1年生の時。それまでまったくの無名であった高校生がインターハイを突然に優勝したのだ。その後も他の選手を寄せ付けず、圧倒的な強さを示し続けた。2年生の頃にはインターハイに出ることもなく、プロになった。そして今では世界王者。
そんな彼の秘密だ。誰もが知りたいと望み、期待した。
民意に煽られた過剰ともいえる追及の果てに彼が自白したのは【ギフト】というwebサイト。
――ギフト
シンプルなサイトだ。存在するのは白い背景の中心に据えられた申し込みフォームだけ。
そこにアクセスして、申し込めば世界からジョブが与えられる。そんな夢物語。
世迷言だ。彼の発言を聞いた誰もがそう思った。一部の例外を除いて。世の中には様々な人間がいる。中には彼の発言を本気で信じた者もいたのだ。
驚くことに彼の発言を信じた夢見がちな人は彼の後に続いた。時が経つにつれ、ジョブを得たという報告は加速度的に上り続け、一ヶ月が経つ頃には噂話の域を超えていた。
その頃になると俺もジョブが欲しくなり、【ギフト】で申し込んでいた。
申し込みには個人情報の入力が必要であった。
名前、住所、生年月日、そして望み。
名前や住所は別に良い。少々俗っぽいなとは思うが、それだけだ。
肝心なのは望み。直感的にこれが最も大切、ジョブに影響を与えるとわかった。
家族にも友達にも言ったことはない、俺の望みとは、俺の神を証明したい。それだけだ。
ファームに記入し終え、申し込むとすぐさま結果が表示された。
――神官
それが俺のジョブであった。
ひとまずホッと息をつく。その後にじわじわと喜びが込み上げてきた。
このジョブが本当に世界によって与えられているのなら、神官というジョブは俺の信仰が世界に認められたということを示している。自分自身では神を信仰していると思っても、それが独りよがりの物では意味がないのだ。自分がそうではないと言い切ることは簡単ではない。
そういう意味で外からの保証はこのままでいいのだというお墨付きだと言えた。
事前に調べた情報によるとジョブは誰でも得ることができるというわけではなかった。SNS上でジョブに関して考察を行っている人の意見を参考にすると、ジョブはその人に最も適したものが選ばれるようだが、適したジョブがない大多数の人はジョブが与えられることはない――無職になる。
だからこそ件の高校生チャンピオンは他の選手を指して、無職といったのだ。
彼が高校生チャンピオンになれたのはこのジョブのおかげだ。ジョブを得るとそれだけで能力が向上する。それは力であったり、知能であったり、極稀に特殊な能力であったり。
そしてそれらはレベルを上げることで上昇する。高校生の大会など勝って当たり前だろう。さぞ優越感があったはずだ。
そんなもはや人間とはいえない人類を国が放っておくはずもなく、ジョブを得た人は登録が義務付けられている。
とはいえ得ているかどうかなど、調べようもなく、登録逃れは横行している。
俺も、もちろん登録などしているはずもなく、所詮もぐりと言われるような部類だ。
◇◇
ジョブを得たところで、日常はなにも変わらない。
日常を変えるためには、まず自らが変わる必要がある。
学校は辞めた。こんな状況で学校に通う意味は見出せなかったからだ。
俺の目的は俺の神の存在を知らしめる事。そのためには神官なんてジョブで立ち止まっては居られなかった。
そのためにはまずレベルを上げる事だ。
レベルが上がれば能力が上がり、俺の神の信憑性も高まる。そうに違いない。
しかしレベルを上げる事はジョブを得た人が共通して願っている事だ。【ギフト】でジョブを得られるチャンスは一度切り。結果が何であろうと、例え無職であろうとも、もう二度と申請はできない。
ジョブを得た場合はサイトの画面に今のレベルとジョブが表示される。
最初はレベル1だ。
みんな、それをどうにかして上げたがっている。
レベルをどうやって上げるのか。
恒例となっているアカウントの考察を流しみる。
アカウント名は【トランペット】。
彼か彼女か、日夜ジョブに関する考察を垂れ流していた。
暇なのだろうか。いずれにせよ、役に立つのは間違いなかった。
どうやってレベルを上げるのか。
トランペットは最初にジョブの存在を明らかにした高校生の発言に着目していた。
投稿は消されているが、彼は確かにクラスチェンジと言っていた。
普通に考えればクラスチェンジをするにはレベルを上げる必要がある。これは大体のゲームで共通している事だ。中には実績の解除が必要な場合もあるが、それにしたってレベル1ではなかなかできる事じゃ無い。
そこから考えるのなら彼は少なくともレベル1よりは高いレベルなのだろう。
それなら彼の行動を真似すればいい。同じ道を辿ればレベルが上がるに違いないと。
特に可能性が高いのが戦闘の経験を積むことだ。喧嘩でもいいし、ボクシングでの対戦経験でもいい。それが経験値となり、レベルが上がる。そんな可能性。
俺はそれを読んでもっと効率の良い可能性に思い至った。
この事を思いついたのは俺だけじゃないだろう。それこそトランペットだって思い浮かんでいるはずだ。
レベルを上げる簡単な方法。
それは生き物を殺すことであると。
もちろん突拍子もない考えだ。だが大抵のRPGでは敵を倒してレベルを上げる。特にレベルの高い敵を。
この敵というのが厄介だ。
ゲームではモンスターが敵になる。ダンジョンに潜ってもいい。
でもそんなものは存在しない。ジョブが現れたからと言ってモンスターやダンジョンが現れるわけではない。
暗い推測が頭にへばりつく。
しかしこれは安易に実行できる案ではない。
現代において一人でも人を殺せば、死刑か無期懲役。
三人も殺せば、稀代の大量殺人鬼だ。
それに俺の推測が正しかったら今の文明は半壊しかねなかった。
◇◇
これからやることは俺自身の立場の確立と徒党を組むことだ。
そのために実家に帰る。
わざわざ学校を辞めたのもこのためだ。
学校は同年代の人間が多く、人間関係を構築しやすいという意味では悪くない。
だが時間を拘束されるということは頂けない。
俺の実家は京の山奥。買い物にでも行こうものなら最低でも車で1時間は覚悟しなければいけない。そんな山道を俺は息も乱さず、走って上った。ジョブを得る前にはありえないことだった。山育ちである分、一般的な人よりは体力があるつもりではあったが、それにしても、だ。神官でこれなのだから、いかにジョブの力が大きいかがわかる。
山の頂上より少し下。隠れ里の様に草木に覆われた古屋敷。それが俺の家だ。古臭く閉鎖的。
そこから逃げ出すように都会に下り、学校に行った。
それがまさか戻ってくることになるとは、俺自身意外なことであった。
「おかえりなさい、貴方は戻ってくると思っていましたよ」
和服に無地の面部を着けた淑やかな女。俺の姉さんだ。といっても幼い頃は実質的な母のように思っていた。その程度には年は離れている。俺が16歳で姉が31歳。15歳差。
これが俺の家族だ。この家には40人以上の人間が住んでいるが、その全員が何らかの形で血が繋がっている。
狼のような家族だ。頂点にα個体の父と母がおり、その下にβ個体、γ個体の俺たち子がいる。
そこから逃げ出した俺はさながら一匹狼だろうか。
そんなはぐれが群れに戻ったところで群れの最下層、ω個体にしかならない。普通なら。
しかし今は事情が違った。ジョブの存在だ。今後あらゆる組織でジョブ持ちの人間の人数こそが重要となるであろうことは明白であった。群れの方向を決める父も俺がジョブ持ちだと知れば無下にはできないはずだ。一族の悲願を達成するためにも。
そしてそれらの野心は俺の目的とも合致している。
◇◇
「ただいま、姉さん」
そう答え屋敷に入ると、その足で屋敷の奥まで案内された。当主がお待ちだそうだ。
武家造りの屋敷は踏み出すたびにギシリと軋む。
古臭い家だ。屋敷は何も変わっていない。閉鎖的で過去の人間に囚われたままだ。
「帰ったか」
重々しく濁った声が響く。父だ。
「ご迷惑をお掛けしました。ただいま帰参しました」
上座からこちらを見下ろす視線もこれまでと変わらない。俺が出戻りしたことにはいささかの興味もないのだろう。この関心の薄さは数少ない父の好ましい点であった。
「ジョブは取っているな。なんのジョブであった」
俺がジョブを得ていることを微塵も疑っていない物言い。一応は父なのであろう。俺の性格を良く熟知している。
「神官でした」
そう俺のジョブを告げると、父は初めて驚いた様子を見せた。とはいっても眉が上がる程度であるが。
それでも、ここまで感情を明らかにする父を俺は初めて見た。普段の父は無理をしているわけでもなく、感情を殺している。俺自身感情を表に出す方ではないが、それにもまして無感情だ。そんな父が驚くとは。よほど神官という職業が衝撃であったのだろう。
「神官か、いいだろう。一族に戻ることを許す」
父はそれだけを告げて、勝手に部屋から出て行った。もう少し何かあるのかと思ったが、それを今、伝える気はないらしい。
父との謁見の後、後ろに控えていた姉さんに案内されて、懐かしい訓練場に向かう。幼い頃はよくここで訓練したものだ。この家に生まれた子供は訓練が施され、明確に序列がつけられる。序列の強さは単純明快。強さだ。知恵や性格に関しては考慮はされるが、基本は変わらない。
そして15歳の成人後、序列に従って役割が宣告される。
俺が逃げたのは成人以前だ。それまでの序列は上の下。同世代の間では5人中2番目に高い序列だった。これが低い序列――弱ければ、そもそも逃げることは叶わなかっただろう。
「一族の中でジョブが得られた26人。その内、戦士が19人、剣士が6人、祈祷師が1人なの。それにしても貴方が神官というのは意外だったわ。貴方は優秀な戦士だったから、きっとジョブも戦士だと思っていたのだけれど」
訓練場に向かう最中、姉さんと雑談も兼ねて現状を教えてもらう。
それにしてもジョブを得たのが26人。生まれたばかりの赤子や隠居した老人を含めても五割近くがジョブを得ていることになる。これはかなり高い値だ。一般的にジョブを得ることが出来た人は一割ほど。それを考えれば、さすがというべきなのか、順当なのか。
「貴方は第一部隊に配属されるわ。来週には任務らしいから頑張ってね」
この辺りの山々は一族の物であり、土地だけは有り余るほどにある。その分訓練場まで行くだけで大変なのだが、第一部隊は幾つかある訓練場の内、最も近く、設備の整った訓練場を使うことができる。
これは第一部隊が精鋭の集まった実働部隊だからだ。父や母、隠居した老人を除いて、序列の上から順番に第一部隊へ配属される。
そんな第一部隊に俺が配属されるということは今の俺の序列はそれだけ高くということだ。本来、序列は定期的に確認するのだが、それすらなく高い序列となると序列が下げられた奴の反発を招くことは間違いない。
出戻りである以上、ωからというのも覚悟していたのだが、この采配。
これには父の焦りを感じた。父の思考は直接会うより、行動から推測する方がまだ分かりやすい。
◇◇
訓練場には四人の人間がいる。老人が一人、壮年の男性が二人、そして男たちに囲まれるように紅一点の少女。
部隊は基本五人で構成されている。にも関わらず四人。これは俺を加えて五人ということなのだろう。それは誰かが俺のために繰り下がったということだ。
それに罪悪感を感じるような精神構造はしていないが、逆恨みされるのは勘弁だ。俺のジョブはあくまで神官、つまり後衛なのだ。タイマンで戦士や剣士のジョブを得た者に勝てるかというと怪しいところだ。
神官というジョブに後悔は微塵もないが、護身の手段を用意しておくことは必要であると感じた。
「久しぶりだな。鈍ってないか」
こちらに気が付いた壮年の男が気さくに話しかけてくる。
「お久しぶりです、叔父上。仕事はしていたので鈍ってはいないと思いますよ」
話しかけてきた男は父の弟。すなわち当主の弟であった。
「そうかそうか、それはいいな。それで、ジョブは何なんだ。戦士か、剣士か?」
ワクワクとした表情でこちらのジョブを尋ねる男。ジョブというのが嬉しくて仕方がないのだろう。
一族の中で最もジョブを歓迎しているのは壮年の彼らなのかもしれない。
武術や筋力は最初はどんどん強くなるが、何十年も訓練していれば、その上がり幅は緩やかになり、訓練は現状の維持が目的になる。
そこにジョブだ。
ジョブを得られればそれだけで強くなり、レベルを上げれば、さらに強くなりうるのだ。
「神官です」
集まってきた男たちは俺のジョブを聞いて、意外な様子であった。
「神官?戦士じゃなくてか」
「はい、神官です」
彼らに怪しむように確認されるが、俺が念押しして肯定すると、彼らは少し落胆した様子であったが、それも一瞬のことであった。
「そうか、神官ってのはなにができるんだ?配属したのが当主様ってことは有用なジョブなんだろう」
そこで少し、離れたところで不貞腐れている少女が悪態をついた。
「ふんっ、臆病者のジョブなんて、きっと大したものじゃないわ」
そう言って、こちらに背を向け、訓練を再開している。
彼女は俺の同期というより異母兄弟だ。
そして俺が同期の中で唯一勝てなかった相手でもある。
そんな彼女の様子に叔父上は申し訳なさそうに眉を下げる。
「悪いな。あいつはまだガキなんだ。許してやってくれよ」
彼は許せというが、そもそも悪いのは逃げ出した俺だ。平時なら出戻りなど、そう許されることじゃない。もっとも平時なら俺が戻ってくることもなかったが。
だから彼女の態度は間違っているわけじゃない。その気持ちは男たちも同じなのだろう。ただ彼らが大人なだけだ。
それでも、同じ部隊なのだ。仲が悪いままではいられない。任務の前には話しておかなければいけないだろう。
しかし今は目の前の男たちに向き合わなければならない。
彼らは一族の最精鋭なのだ。
「俺の役割は主に後衛になります。近接戦闘もジョブを得る以前と同程度、もしかしたらそれ以上にできると思いますが、戦士や剣士には勝てないと思います。その代わり多少の傷を癒すことが出来ます」
ジョブを得た後、神官というジョブがどういったものかを把握することは急務であった。
戦士というジョブはわかりやすい。身体能力が上がる。
対して神官は直接戦闘というよりかは魔法的なイメージである。
だがいくら調べても魔法的なジョブの情報は存在しなかった。それらしい物があるという噂程度だ。
だから実際に試してみた。
結果としては傷を癒すことは可能。しかし癒すといっても傷を治りを早める程度。時間を掛ければ完全に治すこともできるだろうが、致命傷であればお手上げであった。いうなれば歩く救急箱。
だが俺にとっては些細な事。
大事なのはもう一つの力だった。
それは神のお告げを聞くことができるというもの。お告げというだけあり、聞きたいときに聞けるわけではないが、俺が危機に陥ったとき、聞こえた。
ジョブを得てから大した時間は立っていない。そのためお告げを聞いたのは一度だけだ。
ジョブがなければ、幻覚かと思う所だが、現状ではたった一つの神を感じることができる手段だ。
しかしそれを叔父さん達に理解してもらえるとは思えない。
だから黙っておく。
それでは価値を見出して貰えるのかと危惧していたが――。
「傷を癒せるのか。そうか、祈祷師とは違うのだな」
叔父上は幾つもの感情が入り混じった複雑な表情をしていた。特に見て取れる強い感情は安心と驚き。
それに祈祷師とは違うとは。
叔父上はこちらの疑惑に気づいたのか、続けて説明してくれる。
「俺の娘が得たジョブが祈祷師だったのだが……。祈祷師は何も変化がなかったのだ。そのせいで娘が落ち込んでいてな。戦士ジョブを得れれば、身体能力が上がるとはいえ、上がり幅は大した物じゃないからな。レベルが上がれば変わるという予想だったが、いかんせん魔法のような力が本当に存在するのか確信が得られなかったのだ」
「問題はレベルを上げる手段ですよね。心当たりはありますか?」
そう問うと、叔父上も心得た物でニヤリと悪い笑みを浮かべる。
「まずは訓練だろう。模擬戦でも一応はレベルが上がる」
一応、と意味深に言葉を重ねる叔父上。
「それだけじゃないですよね。もう試しましたか?」
「ああ、試したぞ。数人だけだがな。効率が訓練とはまるで違うぞ」
そう言う叔父上には先ほどまでの娘を心配する父親の面影は欠片も見えず、獲物を前にした猛獣の相貌であった。
「まだ大規模には行っていない。国に感づかれるとまずいからな。だがまごついていてもしゃあないしな。来週だ。全部隊で町を襲う。皆殺しだ」
簡単にレベルを上げる方法。それはジョブ持ちを殺すことだ。
同時刻、【トランペット】のアカウントである考察が投稿される。
終末を告げるラッパの音が鳴り響いた。






