感覚欠落
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「感覚欠落う?そんな自傷スキル保有者がこのぼくたちと同じ貴族なんて笑えるよ」
「父親がいないと何にもできやしないのね」
「あははははははははは!あの偉大な、マツリ家の終焉がこんな結末とはなんて無様なのかしら」
『あの』儀式から逃げるように出て行く俺の背に、そうやって言葉を刺す彼らの声を聞く。
なにひとつ、返す言葉が無かった。
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重ねられたバナナと織られたクリーム。
クレープ生地に指揮された三重奏はより際立つ。
「うまい……うますぎる」
「そんな凄いカオでクレープ頬張る子、おばさんはじめて見たわあ……それに何個目だっけ?」
「8コ目ですっ!ーーほんと美味しいんですって。これを料理したあなたは一体何ものなんです!?」
「うふふ、わたしゃしがないクレープ店員よ。そんな貴女はだれなのかな?」
「私ですか?マツリ家……って言えば分かります?」
「マツリ家!?」
大袈裟にクレープ店主は驚く。
「それは大変失礼しました……先ほどまでのご無礼をお許しください……」
口調までも変わってしまった。正直俺の方が驚いている。
話のネタになるかな、と思っただけなのだけれど。
「私が言うのも寂しくなりますけど、あのマツリ家ですよ?……そんな改まる必要なんてないのに……」
俺は貴族、マツリ家の人間である。この地方で何百年もの格を持つ由緒正しき貴族……だったのだが。
どうやら私の祖父に当たる代で、その勢いを保つばかりか地に落ちてしまったようらしい。
地に落ちる時の勢いたるや、まさに激突だったとお父様は語る。
没落の原因は詳しくは知らない。子供の頃からいつもはぐらかされていた。
周辺貴族とのあまりに夢のなく、壮絶で、どろどろの戦いがまあ繰り広げられていたのだろうと、そういう想像をするに難くは無いのだが。
「いえーーそういうわけには行きません。ーー何故なら」
そう言うと、店主の女性は粛々と語り出した。
***
帰り道はいつもひとり。
ひとりで、寂れたこの家に帰る。
「ただいまー」
「おかえりなさいませ、ご主人様」
出迎えてくれたのはメイドのメアリー・スアレス。彼女だけが、このマツリ家に残ってくれている。ーーもうこの家でメイドに払える賃金なんて残っていないというのに、俺がメアリーにそう言うものなら
「こんなご主人様おもいのメイドにそんな言葉を投げかけるのは野暮というものですよ、ご主人?」
なんて冗談めかす。
主人思いというのは言葉の通り本当でーーこうして俺の好むレモンティーを、猫舌の私が快適に楽しむことができる温度に、完璧に調整している。
無論熱すぎず冷た過ぎない温度。帰る時刻を特に告げていないのにこうした気遣いをしてくれているのには、最早恐怖を覚えるが。
「メア、そういえばさ。マツリ家にーー俺のお父様に親を助けられたって人に出会ったんだ」
「あのお方ですか。ーー優しい方でしたねぇ」
「メアってさ、いつもお父様を優しいって言うけどさーーもしかして、優しいってことくらいしか覚えてないの?」
「いえーーただあの方はちょっと……優しいの次元が我々と少々違っているお方で……うーん」
「ああそういえば。儀式の結果を聞かないのかい?メア」
「?ああーーそんなもの、ありましたねえ」
「ーー私、保有可能数は1よ」
「左様ですか。今日の夕飯は何にいたしましょう?」
「じゃあグラタン……」
この通りの平常運転。メアの家系はマツリ家に代々使えているらしいのだがーー使えるにあたって、頭のネジを何本かマツリ家に抜かれてしまったのかもしれない。
自分の主人がこんな有様でこの態度は正気じゃない。
「私は正気ですよ。ご主人がいかなるスキルを持っていようが、私の大好きなご主人様であることにはなーんら変わりはないのですから♡」
「俺は何も言ってないんだが………」
メア、いつもナチュラルに主人の心を読むのはやめてほしい。メアもユニークスキルを保有しているけれど、その一覧に心を読むスキルなんてのは無かっただろう……
「愛の究極点です」
ウインクで答えるメア。
眼鏡が良く似合ってる。
ーー世間に問いたい。メイドとは皆こんなものなのだろうか?そしていち貴族のはしくれとして問いたい、この人本当に人間なのか?
***
メアの作ってくれた夕飯を頂いたあと、俺は父の部屋に向かった。
「まだお父様の匂いが残ってる……な」
一ヶ月程前ーー丁度俺の誕生日の日に、病気で亡くなったお父様の部屋。
主人を失い、残ったものは匂いと机のみ。
他に本棚や絵画もあったらしいが、家の維持のためにお父様自身で売り払ったと言っていた。
ここでーー貴族としての役目を果たしていたのだ。どれだけ馬鹿に、こけに、笑い物にされようとも、お父様は最期の時まで貴族でそこに在ろうとした。
「立派な方でした。決して誇りを忘れないーー決して不満を漏らさず、口にするのは希望ばかりで。常に前を向いておられて……」
「メアがお父様のことを語るなんて、珍しいな」
何の用事だろうか?
「実は……あのお方に、私は遺言を仰せつかっているのです」
メアは、俺に一通の手紙を渡した。
メアが預かっていたという、遺言の手紙を要約すれば。
先ず第一にマツリ家を守れなかったことを筆舌に尽くし難い恥を思うほどに後悔している、けれども運命としてそれは受け入れるべきことなのだろう。この家の栄光、繁栄をお前に伝えられなかった、見せることがついに叶わなかったのは残念でならないがーー滅びゆく運命にあるこの家とお前が、命運を共にするべきではない。だからーー十五の儀でいかなる結果が出ようと、この家の存続に貢献するために、その力を行使することは許さない。
好きに、生きなさい。
ということだった。
俺は父の残した黒く大きな机を目を向けた。メアの言う通りに引き出しを開けてフタを外せば、そこにあったのはお父様の隠し財産。煌びやかな宝石にもろもろ。
デキるメイドのメアがいつもピカピカに手入れするので、机の光沢は未だ失われていない。
ーー月光がこの場所を照らしていることに今気がついた。机はきらきらと輝いている。
俺はこれを、月の葬送だと感じずにはいられなかった。
***
「とりあえず、資金は稼げたな……」
手放すのには惜しい程の美しい宝石達だった。財産というのはそれのことである。二足三文で買い取られない様、お父様は用意周到、店を指定していて実際上手く行った。本当に有り難い。
「これから如何致しましょう?」
「そうね………」
父が亡くなって、俺が貴族としてマツリ家を残していた理由。……それは。
無くなることなんて決まっている、けれど、父が目指したもの、父にとっての大切なものを、一日でも長く守っておきたかった、からなのかもしれない。
ーーそれももう実質的に、不可能となってしまったのだが。
「………………………」
「よし。引っ越そうか、メアリー」
俺は貴族の称号をようやく、手放すことを決心したのだった。
***
ジョゼフ・マツリは覚えていた。
「運命が決まっていて、変えられないとしてさ?」
「勇者でも魔王でも、魔法使いでも変えられないのかい」
「うん。そして、その運命が見えるとしたら……父さんはどうするの?」
「それはどんなものかな」
「例えば世界が滅ぶとか、自分が死んでしまう運命とか」
「うーん……」
父は確かにこう答えたというのを覚えている。月の光が飽和するような夜に、一緒に散歩した時、私が父にそう問うた。数刻考えて父は返した。
「……なら、自分じゃない別の誰かに変えてもらうかな」
「何その答え……へりくつだ。おれ、変えられないって言ったのに……」
「ひひひ。上手い答えでしょう?」
「はあ。あきれる」
「おっ、反抗期かな?」
「……じゃあ、誰にも変えられない運命ってあると思う?」
「あるかもね。ただその時……」
「ただ?」
「変えられる運命もまた存在するだろう」