98話 『林檎園』の悲劇
俺の名前をファティマが代わりに喋ってくれた。恐らくニキータが代わりに話してくれていたのだろうが、やはりというかファティマも俺の本名を知っていなかった。もちろん今の顔では俺の本名に気づきようがない。
俺はどう返答すればいいか迷った。だがここで彼女に本名を明かしてしまうと、もう一つの悲しい事実まで打ち明けなくてはならない。
「あぁ、ニキータから聞いたんだな」
「はい、かの伝説の【竜騎士】の力を受け継いだ偉大な戦士だと耳に伺っております。体の具合はもう大丈夫なんですか?」
「それは大丈夫だ。それよりも君とはいろいろと話したいことが多い。まずは小屋に戻ろう。ニキータも君のことを探して、町の方に向かったし」
「……」
俺が戻ろうかと催促したが、彼女は浮かない顔をしている。一体どうしたというんだ。
「どうした、具合でも悪いのか?」
「いえ、そうではなく……ここに来た目的がまだ果たせていなくて……」
「そういえば聞いていなかったが、どうしてこんな危険な場所まで来たんだ?」
「はい。ここ『小ロマーヌ山』においては、この島の名産品である『林檎酒』の林檎が多く実る場所がありまして……」
そう言いながら彼女は山の頂に顔を上げた。
そこから右斜め下に何やらこんもりと木々が密集している箇所があり、彼女はそこへ指を向けた。
「あそこです。あの木の密集している辺り、『林檎園』と言われている場所で、一年中美味しい林檎が実っております」
「まさか、あんな場所までいくつもりだったのか?」
「はい。知っているかもしれませんが、この島のギルドでは林檎が高値で取引されますので、少しでもあなた方に恩返しをしたいと思い、私一人でこの山に向かいました。出過ぎた真似をしてしまいすみません」
「なるほど、それでお目当ての物はどれだけ収穫できたんだ?」
俺の質問に彼女の表情は曇り、首を横に振った。
「……ありませんでした」
「あ、ありませんでした、って?」
「そのままの意味です。林檎は……一個もなかったのです」
彼女の衝撃的な言葉に、俺も何と言い返せばいいのかわからず沈黙してしまう。
「……不作だったってこと?」
「それはありえません。今年は例年にないほど気候は安定でして、私が先日訪れた際には見渡す限りの林檎の宝庫でしたよ」
「先日も訪れたって? 君はよくここに来るのか?」
「はい、何を隠そうこの山奥にはもっと大事な……」
「大事な……なに?」
彼女はそこまで言いかけて、口を急いで右手で閉じる。
「失礼しました。と、とにかく一週間前までは確かに林檎で埋め尽くされていたのに、さっき訪れた時にはもう……」
「そうか。恐らく誰かが乱獲したんだろうな、ひどいことをしやがる。環境破壊もいいとこだ」
「いいえ。それもあり得ないかと思います」
「どうしてそんなことが言える?」
「先程も言った通り林檎はギルドで高値で取引される貴重な果実です。それ目当てで乱獲しようとする冒険者や戦士達は後を絶ちません。そこでこの山には、そういった不届きな者達を制裁するために凶悪な魔物どもが棲みついています」
「まさか、その魔物達はそいつと同じく君が操っているのか?」
ファティマはその言葉に強く首を振った。
「それは誤解です。私がこの山で魔法の力を与えているのはこの子だけで、ほかの魔物達は元からこの山に棲んでいた野生種です」
「なるほど。だが全ての冒険者が二流とは限らないぞ、中には凄腕の奴もいるだろうし……」
俺の言葉にファティマは訝し気な顔をする。
「確かにその可能性もあるでしょう。だけどどんなに腕の立つ冒険者でも、せいぜい籠一つを満たす程度です。それ以上乱獲しようものなら……」
「それ以上乱獲……したら?」
ファティマはそれまでにないほどの真剣な表情に変わった。
「この山の主、ジェヴォーダンが許しません」
俺はその言葉を聞いて衝撃を受けた。
ジェヴォーダンとは一体どういうことだ。そいつなら今目の前にいるじゃないか。俺の目線はファティマの横にいる白狼に向けたが、ファティマは首を横に振った。
「まさか、この子がジェヴォーダンだと思っていたんですか?」
「う、実はそうなんだ……」
なんとも恥ずかしい。思えば彼女はこの狼のことをジェヴォーダンとは一言も言っていなかった。全ては俺の思い込みだ。
「でもそれは、半分当たっていますよ」
「ど、どういうことだ?」
ファティマはまたも意味深なことを言った。
「実は、本物のジェヴォーダンは存在しています。文字通り巨大な狼の魔物のことで、ハッキリ言えばこの子よりずっと体格は巨大で、強さ、能力ともに比較になりません」
「な、なんだって?」
「ジェヴォーダンは元々白狼だったと言います。それが大昔、まだ人がこの土地に足を踏み入れていない時代からこの山に棲みつき何百年と生き続けている、この山の主なのです」
「なんで魔物なんかに?」
「それは……私にもわかりません」
「君のその白狼とは何の関係もないのか?」
「はい。恐らくこの山を訪れた冒険者が、この山に元々棲んでいた山の主のことを、この子だと思い込み、それで誤った情報を流布させたと思います」
「なるほど、人違いならぬ狼違いってわけか」
「でも、それはそれである意味よかったんです」
「というと?」
「この子は私の命令に従います。無駄な殺生はしません。文字通り乱獲を企む不届きものがいたら襲わせますが、それでも命までは奪いません」
ファティマの目がどことなく悲しくなった。
「……でもジェヴォーダンはそうはいきません。あの魔物は完全に心も精神も悪魔のように深淵で邪悪です。他の生命を奪うことに一切の躊躇がないのです」
「そいつは……確かに恐ろしいな」
思えばここにいる白狼も魔物には違いないが、それでもファティマによって力が与えらえている以上、制御が可能ってわけだ。
「私はちょうどこの一週間『ロマーヌフェルジュ』に行っていました。この子にも休息を与えて、あなたが寝ていた小屋の近くに居座らせていたわけです」
「ってことは、この一週間山の警備は……」
「はい。でも、この子以外にも強力な魔物はいますから、無理して乱獲しようとする冒険者なんかほぼいませんし、仮にいてもジェヴォーダンの棲み処はあの『林檎園』の近辺ですから」
「だけど、林檎はなくなっていた」
「そうなんです。こうなると考えられるのは……」
俺達は再び『林檎園』の木々を眺めた。そこで待ち受けているのは、ジェヴォーダンでないかもしれない。
「……どちらを相手にするせよ、間違いなく強敵だな」
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