96話 白狼の咆哮
ものの一分もしない内に、小高い丘がある開けた場所まで来た。さっき巨大な気を感じたのは、恐らくこの辺りからだろう。俺は慎重に周囲を見回した。
「おーい、ファティマー!!」
俺は大声で叫んだ。彼女が近くにいるなら、俺の声は届いているはずだ。
「ファティマー、聞こえるかー!? 聞こえたら返事してくれー!!」
再び腹の底から大声を出した。それでも彼女からの返事はない。
俺は最悪の事態を考えた。もしかしたら、魔物と遭遇して怖くて声を出せずにいるのか。それとも。
いや、そんな不吉なことは考えたくない。
「間違いなくこの辺にいるはずだが。くそ、もう一回大声で……」
するとその時だった。
「うぉおおおおおおおおん!!」
なんということか、すぐ近くで獣の鳴き声が聞こえた。
距離的にかなり近い。いや、近いどころじゃない。まるですぐ隣にいるかのような響き具合だ。
「うぉおおおおおおおおん!!」
もう一度響いて来た。やはり近すぎる。
すると俺が放った【竜光弾】でできた丘の影のてっぺんで、なにか妙な物が動いているのが見て取れた。
「……まさか!?」
俺は後ろにあった丘の上を見上げた。するとそこには、狼らしき獣が凛々しく立ち、俺を見下ろしていた。
美しい白い毛並み、縦方向にピンと立った両耳、鋭く伸びた鼻、どこからどう見ても狼だが、俺はその体の大きさに驚いた。
明かに普通の狼より大きい。間違いなく俺よりも大きいと直感した。恐らくさっき冒険者が話していたジェヴォーダンの正体はこいつだろう。
さらに特徴的だったのが、額にある奇妙な模様だ。円形の中になにやら奇妙な模様が描かれている。全身白色の毛並みなのに、明らかにその部分だけ毛の色が違っているが、変異的に出現したのか、それとも人の手によって描かれているかもしれない。
普通の冒険者なら凍り付いて動けなくなってしまうだろうが、生憎と相手が悪かったな。俺はほかの冒険者と違う。
「お前がジェヴォーダンか? 別に名前はどうでもいいが、巫女様がこの近くにいるんだ。俺の捜索を邪魔するなら、容赦しないぞ」
俺の本来の目的はファティマを捜索することだ。ここで奴と無駄な戦いはしたくない。できるならさっさとどこかへ行ってほしいが、俺の希望通りにいきそうになかった。
「ぐるるるるるる……」
「腹が減っているのか、残念だが俺は美味しくないぞ」
ジェヴォーダンはがっちりと噛みしめた歯を見せつけて唸り、俺への敵意を剥き出しにした。そして次の瞬間、丘の上から跳躍し俺のすぐ左側へ着地した。
近くまで降り立ち、改めてその体の大きさを実感した。やはり俺よりでかい、いやそれ以上に今の跳躍も見事なものだ。
普通あの高さから着地したらいかに獣とはいえ、態勢を崩さざるを得ないはずだが、そんな様子などは微塵にも見せない。戦闘能力、身体能力、ともにほかの魔物よりずば抜けていそうだ。
しかし奴の強さはさっきの冒険者の話からすれば、ランクAだ。ランクSならいざ知らずランクAごときに、俺が苦戦などするはずもない。
「ふしゅるるるるるる」
再び妙な声で唸る。次の瞬間、俺の目の前まで奴が踏み込んできた。突進攻撃だ。
その大きな体からは想像もできないほどの瞬足で突進してきたが、俺は難なく躱した。だがジェヴォーダンも突進後、すぐに態勢を立て直し俺の方に向き直った。やはり立て直しが早い。それでいて動きに無駄がない。
完全に俺を敵対視し攻撃してきたことで、俺も奴を無視するわけにはいかなくなった。
「お前に恨みはないが、先に攻撃してきたのはそっちだ。悪く思うなよ」
俺はちょうど右手に持っていた弓を構え、矢じりを奴の脚の部分に向け、弦を張った。距離的にはそこまで離れていないから、当てられる自信はある。
倒す必要はない、奴の動きさえ封じればそれで十分だ。
俺は深呼吸し矢を放った。だがその矢は、奴の左脚に届かなかった。
「弾かれた?」
左脚に向かって放たれた矢は直前に何かにぶつかって、そのまま宙へ舞った。ジェヴォーダンは何事もなかったかのように、俺の方を見つめ続けている。
完全に予想外な出来事だ。まさか奴の目の前に、見えない結界が張られているとは。たかがランクAの魔物と侮って手加減していた自分が情けない。
「小賢しい真似しやがる」
伝説の【竜騎士】が出し抜かれるとは情けない、ゼノンには見せられない姿だ。俺はそれならばと、矢じりにありったけの竜気を溜め込んだ。今度という今度は確実に結界を破壊してみせる。
すると俺がやや本気を出していると敏感に感じ取ったのか、ジェヴォーダンも前足を僅かに広げた。そして額に描かれていた円形の模様が美しく輝き出す。その色は美しいほどの青色を呈した。
直後、奴の頭上にこれまた巨大な円形の魔法陣が描かれた。なるほど、奴の額に描かれていたのは魔法陣の模様だったのか。
だがその魔法陣を俺はどこかで見た記憶がした。それもかなり最近だ。それだけでなく、異様なほどの優しさまで感じ取れた。目の前にいるのは魔物に間違いないのに、一体どういうことだ。
俺への敵対心は確かにある。しかし放たれた気から、何とも形容のつけ難い暖かさと優しさを感じ取ってしまった。
「……もしかして、お前は……?」
俺は奴の気の正体がわかった。それを悟った瞬間、俺の攻撃する意思は消え、弓から矢を離し攻撃しない意思を見せた。
しかし一歩遅かったようだ。なんと魔法陣を展開していたジェヴォーダンは、雄叫びを上げつつ口を真上にあげた。
その直後、頭上に展開されていた魔法陣から、攻撃魔法を仕掛けていた。ジェヴォーダンの雄叫びが消えたのを見計らったかのように、その魔法陣から強烈な突風が吹き始めた。やがて突風は俺の周囲を幾度となく回転し、上空へ上りながら渦を巻いた。
さらに今度は魔法陣から、濁流が出現した。俺は咄嗟に身を躱す。その濁流は渦を巻いていた風に導かれるように、一体化を始めた。
水と竜巻の混合魔法、不勉強な俺にはその魔法の名称は思い浮かばなかったが、恐らくそれまで見てきた中でもかなり強力な攻撃魔法と言うことは察しが出来た。仕方ないから【水竜巻】と呼ぶことにするか。
さすがの俺でもまともに喰らうわけにはいかない。【水竜巻】が案の定俺へ襲ってきた。細長い蛇のようなその姿は、まるで魔竜ディオルベーダのようだ。
「そっちがその気なら、こっちも手加減はしてられないな」
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