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苦手な方はご注意ください。

壊腕 〜監視役〜

作者: いずもん

〜注意事項〜

壊腕を少し読んで、世界観を知っておくともっと楽しめると思います。

 鬼、悪魔、その他多くの人ならざる力を持つ者、それらは人間が創った空想上の生物……ではなく、古来より実在していた。彼らは特有な力を持ち、個々の種族として人間と共存してきた。

 しかし、彼らはとある出来事をきっかけに、自分達の力がいずれ人間を滅ぼすのではないか…と、恐れ、自ら陰へ隠れるように表舞台から姿を消した……

 現在、彼らを知る人間は一部を除き存在しない。そんな彼らは人間の歴史を裏から支え、戦争や紛争が起こる度に力を持って人を正しい方向へ導いてきた。また、その力を悪用し、人間や同族に被害を与える者が現れるのを防ぐ抑止力として、"監視役"を生み出す計画を立てた。

そして、"監視役"を人間側の代表とし、鬼神家頭首を異種族側の代表とし、和平協定を締結させたのである。

 それから数百年。今や彼らは、人間社会に溶け込み、普通に生活をしていた。






 満月。それは神々しく光り輝き、夜の闇をうっすらと照らしている。

 だが、その光など必要無いと言っているかのように、大都会である東京のビル街はネオンや街頭などによって、煌々と光を放っていた。

 そんな、高くそびえ立つビルとビルの間、裏路地と呼ばれる場所で、一つの悲鳴が響き渡った。


「ひぃぃぃ!! な、何なんだお前!?」


 裏返った声で叫ぶパーカー姿の男は恐怖で足元がもつれ、豪快に転んだ。汚いスモッグに侵された水たまりの上に、だ。それによって飛んだ汚水は、パーカー姿の男を追い詰めていた長身の青年の靴に掛かった。その事に気付いた長身の青年は、怪訝な表情でパーカー姿の男を睨んだ。


「……勘弁してくれよ。これ、お気に入りだったんだぞ?」

「う…うるせぇ! そんな事より、赤の他人であるお前が何の用なんだよ!?」


 パーカー姿の男は問いながら立ち上がろうとするが、脚が震えてなかなか立てないでいた。そんな彼を見て苦笑を漏らした長身の青年は、被っているフードを更に深く被る。

 全身には黒いロングコートを羽織っており、服装や顔は見えないが、辛うじて口元は見える。その口元には、笑み。


「……そうだな。強いて言えば、お前が、いやお前達が企んでいる計画を潰しに来たんだ、よっ!!」


 力の入った一言と、胴体を左に半回転させたのはほぼ同時。そして彼の左腕が伸びきった時、金属音が響いた。

 音源は彼が左手に持つ日本刀と、突然襲いかかって来た少年の持つ短剣だ。


「止めた!?」

「やっぱり伏兵か」


 少年の驚きとは裏腹に、青年はわかっていたかのような、余裕のある表情を見せる。そして、左腕に力を込め、刀を振り切った。すると少年の短剣は鍔迫り合いをしていた部分から真っ二つに割れ、また少年自身の首が胴体から斬り落とされた。

 鮮血が、脈を打つかのように噴き出す。その根元を掴んだ青年は、そのまま顔を近付けて……飲んだ。


「う、うわぁぁぁ!!」


 それを見たパーカー姿の男は、背筋に戦慄が走り、再度悲鳴を上げた。だが、それと同時に彼は立ち上がり、己の姿を変えた。

 それはまさに、人狼だ。身体の毛は逆立ち、手先の爪は限界まで伸びきっており、構えは既に青年を襲う状態だ。


「お前! お前ぇぇ!!」


 低く、醜い声を放つ人狼は、地面を蹴って前へと出た。

 その時だ。人狼の身体は縦から真っ二つに斬れ、勢いを失った二つの身体は、虚しく地面に落ちた。

 それの後ろに立つのは、己の身長の倍はあろう大鎌を構える青年と同じロングコートを羽織った少女だった。すると青年は、彼女の方を向いて微笑した。


「さすがの人狼でも、お前の前では紙切れ同然のようだな」

「失礼ね、こんな奴と紙切れを一緒にしたら、紙切れに申し訳無いじゃない。謝りなさい」

「はいはい、すみませんでした」


 ふざけ半分で謝罪する青年は笑っており、口元に付いた血が不気味さを醸し出している。そして地面には、おびただしい量の血が溜まっていた。











「くぁ〜……ネム……」


 早朝、学生やサラリーマンなどの人々が活発に動き出している時間。それは星臨大学と呼ばれる校舎へと向かって広大な敷地内歩き、欠伸をしている青年にとっても動くべき時間だ。

 そんな彼の服装は私服で、帯のような紐が左右対象に数本垂れたズボンに黒のTシャツ、そしてその上に赤い薄手の上着を羽織っている。また、一八○センチをとうに超えているだろう長身に、負けじと背の辺りまで伸びている綺麗な黒い長髪は、すれ違う人々を振り向かせるほどだ。同じく長い前髪は正面から見て左側に寄せられており、隠されている右目には、黒い眼帯が被せられている。その眼帯の内側が痒むのか、彼は時たま指で掻いていた。

 そんな彼は突然、後ろから勢いよくタックルをかまされた。


「がっ! 誰だ、コラ……!」


 怒りを交えて呟きながら、青年は振り向く。そこにいたのは、流れるように綺麗な赤い長髪の少女が、満面の笑みで敬礼をしていた。

 小柄な身長に比例して、可愛らしいと言える輪郭、そしてバッチリとした瞳は、髪と同じく赤色だ。


「おっはよう、和鬼!! 相変わらずでっかいわねっ」


 やけに機嫌のいい声を煩く感じながら、魅嶋 和鬼(みしま かずき)は薄目で少女を上から下まで見る。彼女は紺色のブレザーとスカートの制服姿だ。


「……風見、お前は今日から高等部に入ったばかりだろう? こっちじゃない、あっちだ」


 気だるそうな雰囲気を隠さずにさらけ出しながら、和鬼は来た道の方向、宮鎌 風見(みやかま かざみ)の後方を指でさす。その方向には、同じく広大な敷地を持つ、星臨高等学校が見えた。

 ちなみにその高校と大学は向かい合って建っており、エスカレーター式で進級出来る珍しい学校だ。そんな高校の方を風見は一度見、すぐに和鬼の方へと視線を戻す。


「そんな事より、聞いて欲しい事があるのよ!」


 ……うっとおしい。内心でそう呟く和鬼は、腕時計に目をやる。時刻はまだ八時を回ってはいない。


「わかった。聞くだけ聞いてやる。……で、なんだ?」

「そうこなくっちゃね! ――実は、この前付き合い始めた彼氏なんだけど」


 上機嫌の風見は、話を始めながら和鬼の腕に絡み付こうとした。そんな彼女を、和鬼は見下ろしながら振り解く。


「あ、ケチー……――でね、その彼氏に出会った理由からなんだけどね。コンビニに入る時、彼が見ず知らずの私の為に入口を開けてくれたのよ! その優しさに惚れたのよぉ〜」


 両手を赤らめた頬に当て、恥ずかしそうにしながら首を左右に振った風見はしかし、すぐに冷酷な表情になる。


「でもね、初デートの時彼、デパートなどに行って一度も私に入口を開けてくれなかったのよ!? 一度も! だから、フってやったわよ」


 言い切って、右の手のひらを横に振ったのを見て、和鬼は苦笑した。


「また異常な短期恋愛か。お前、これで何人目だ? 六十三人目だったか?」

「失礼ね、まだ五十四人目よ。……五十七人目だったかしら?」

「曖昧な女だな」


 指を使って人数を確認している風見の額に、和鬼はデコピンを食らわせた。すると彼女は作業を中断し、真っ先に額を押さえる。


「い、痛いわね! ――じゃなくって」

「違うのか」

「それでね……やっぱり、相性ピッタリなのは和鬼しか居ないのよ。だから、そろそろ私と付き合わない?」

「断る」


 即答だった。まるで、次にどのような言葉が来るか、知っていたかのように。

 対する風見は、わかっていたかのように苦笑し、溜息をついた。


「……またふられたわ〜。ま、仕方のない事ね。和鬼には彩狐ちゃんという、素敵な彼女さんがいるんだし」

「それをわかっているくせに、交際を求めるお前の思考が不思議だ」


 言いながら和鬼は、ふと腕時計に目をやった。時計が示す時刻は八時十分。そろそろか、と呟く彼は、風見に軽く手を振る。


「時間だ。また、放課後に会おう」


 言って返事は待たず、星臨大学の方へと歩き出した。そんな彼の後ろ姿を見送る風見は、苦笑する。


「……いいじゃない、私でも」


 呟き、風見も自分の学校、星臨高校の方へと身を翻して、走り出した。











 太陽が真上で光る今は昼。それと同時に、学校では昼休みと呼ばれる時間の真っ只中だ。それぞれの生徒が昼食を持参したり、購買で購入したりし、持ち寄ってさまざまなグループが出来上がる。そして、高等部から別棟に置かれている食堂にも、僅かながらグループが出来上がっていた。

 その中の一組、テーブルで向かい合っている美男美女と呼んでもおかしくない二人の学生は、定食に箸をつけて食事をしている真っ最中だ。その途中、片方の女子生徒はふと思い出したかのように箸を止めた。


「そうだよ、和鬼。何を忘れてたか思い出した! 和鬼がトップで、異種族の抑止力になってるっていう監視役についてなんだけどさ。どんな人が監視役ってやってるの?」


 突然の問いに、向かいに居る和鬼は口に運ぼうとしていた柳葉魚を皿に置く。


「急にどうしたんだ? 異種族の話をするのは、彩狐の方から避けてたってのに」

「そりゃあ、愛する彼氏がトップをやってる集まりなんだもん。知っておきたいに決まってるじゃん」


 言いながら早河 彩狐(はやかわ あやこ)は、箸を回して宙に円を描きながら、目を弓のようにして笑っている。

 そんな彼女を見て和鬼は、行儀が悪いな、と呟きながら、彼女の箸を手で止めた。


「……まぁ、まずは監視役の創設から話すか。――大昔、人間と異種族が対立をしていたのは知ってるよな?」


 問いに彩狐は、うんうん、と言いながら頷く。


「その間、人間達は彼らを妖怪って呼んでいたんだよね?」

「あぁ、そうだ。――そしてある年、人間と共存をし、他の者達にも共存する事を持ちかける、いわゆる和平派が異種族の一部に現れた」


 早河・鹿島・風神・人間側の理解達をひとつにまとめての計四つだ、と言いながら和鬼は、箸を持っていない左手の指を四本立てた。


「だが、そんな提案を許せない者達も存在した。それが、今は亡き妃龍(ひりゅう)家を主とした反発派だ。それにより起きるのは当然、二つの勢力による戦争だ」

「それって確か、人間側にも影響が出たんだよね?」

「あぁ、多くの災害をもたらした。それに、だ。反発派の力は圧倒的だったが為に、和平派は圧されていた」


 その後、更にもう一本指を立てる。


「その時だ。後に共感して、最強の異種族である鬼神家が和平派に合流したが為に、状況は一気に逆転した」

「それで見事に勝利した和平派は、人間との共存を決定したんだね? でも、不満を持つ人は居たんじゃないの?」

「もちろん、居た。だが、鬼神家の強さに抑え込まれ、以降反発は無かった。よってめでたく和平協定成立だ」


 言い終え、和鬼は箸で再度柳葉魚を掴み、口に運ぶ。そして、美味そうに尻尾まで食い終えたのと同時、溜息をついた。


「……だがな、本当の意味で共存の不可能を悟ったのは意外にも早かった。――戦争によって人間側に影響した力は災害となって襲い掛かった。これは、自分達の力がいつか人間を滅ぼすのかもしれないという不安を異種族が悟ったんだ。だから異種族はその姿を人間にし、人間社会に溶け込む事を決意した。共存とはほど遠い道を選んだんだよ……」


 そんな中でだ、と前置きし、もう一匹柳葉魚を口に運び、今度はすぐに飲み込む。


「反発派の影響がまだ残っている者も多からず少なからずいるかもしれないからな。そいつらが事を起こす前、もしくは起こした時、本当の姿人間に見られた時に対処する為に、鬼神家と理解者の人間による監修の下、監視役が組織されたってわけだ。力ある存在の抑止力、とでも言ったところか」


 言いながら和鬼は、彩狐の定食の皿から柳葉魚を取り、口に運んだ。


「壮絶な歴史だねぇ〜……――って、それ私の柳葉魚じゃん!! 返せー!!!」


 叫ぶ彩狐の声は、食堂内に大きく響き渡った。











 ……昼休みは一人の方がいい。そう、内心で呟く和鬼は、屋上へと向かっている最中だ。片手にサンドイッチとカップ型のカフェオレが入ったコンビニエンスストアの袋を持ち、足を進める。

 そんな彼は無言の為、他に誰も利用していない階段には袋のすれる音と足音だけだ響いていた。そして最上階に到着した彼は、重い扉を開けた。


「あ、来たわね」

「……何でまた居るんだ、風見」


 怪訝な表情で和鬼が睨んだ先、中庭を見渡せる空間を囲うフェンスには、風見がもたれ掛かっていた。彼女は和鬼が来た事に喜びの表情を見せ、片手に持っている中身の入ったペットボトルを大きく振った。貼られているラベルからして、中身はサイダーだ。


「炭酸を振るな、炭酸を。……で、何でまた居るんだ?」


 問いながら、和鬼は風見の隣まで行き、フェンスを背もたれにして座った。対する風見は、座っても高さが自分より下にならない彼を羨ましそうに見ながらも、手を差し出す。


「もちろん、昼食を食べに来たのよ? さ、そのサンドイッチ、二つある内の一つを私に頂戴?」

「………は?」

「は? じゃないわよ。一袋に二つ入ってるんだから、一つぐらいでケチらないで――よっ!」


 風見が最後の言葉に力を込めて、差し出していた手を上に引き上げた瞬間、軽い風と共にコンビニの袋の中にあったサンドイッチが空中に持ち上がった。それを和鬼は、素早く掴んで手元に戻す。


「む……ケチ……」

「なんとでも言え」

「ケチバカマヌケ貧乏性甲斐性無しっ!」


 大声で叫ぶ風見にしかし、和鬼は完全に無視しながらサンドイッチの封を開ける。そして、一つ手にとって食べ始めた。中身は卵だ。

 っと、そうしている間にも、風見は叫び続けている。


「ノッポウドの大木右目眼帯!」


 機関銃の如く連射される悪態の言葉をうるさそうにしている和鬼は、袋に残ったもう一つのサンドイッチを手に取り、風見に渡した。それを受け取った風見は、キョトンと立ち尽くす。だがすぐに手を動かしてサンドイッチを口に運んだ。


「ングッ………さすが和鬼ね。最後には必ず、頼みを聞いてくれるもの」

「言ってろ。あまりしつこいとうるさいからな、口止め料みたいなもんだ」

「それでも、待てば貰える事には変わりないわよ〜――あむっ」


 陽気に笑いながらサンドイッチを頬張る風見を見て、和鬼は、フンッ、と言って外方(そっぽ)を向く。

 同時に、袋からカップ型のカフェオレを取り出し、外側にくっついているストローを外して、上部の穴に差し込む。そして、そのストローをくわえて吸う。すると白かったストローは、すぐに茶色く染まった。

 一方風見は、急に何かを思い出したかのように、和鬼の頭を平手で連打した。


「……何だ? くだらない事だったら、その平手の回数分お前を飛ばすぞ?」

「大丈夫、重要よ? (あんず)から、仕事の依頼」

「あぁ、情報屋の……内容は?」


 話に興味を持った和鬼に、嬉しそうな笑みを作った風見は、さぁね、と言いながらサンドイッチを齧る。


「わからないわ。でも、今回は情報料が高くつくよ?って言ってたわね」

「……情報料が高くつくって事は、それなりに危険だって事だったよな……」


 呟いて虚空を見る。するとカフェオレのカップは、ズズズッという音を立てて、ストローの色が白に戻った。中身が空になったという合図だ。それを確認した和鬼はコンビニの袋にカフェオレを捨て、立ち上がった。


「放課後、早速向かうぞ」


 面倒臭そうに出口へと向かう和鬼は不意に、手を右側に振るう。その手から放たれたコンビニの袋は、風見が右手を振ったのと同時に起きた突風によって、彼方へと飛んで行った。










 夕刻になり、只でさえ多い人通りがより増す。東京の、どこの区でも、それは同等だ。その中で、一際有名な区の一つである新宿区のビル街。土に生える茸のように高く聳え、敷き詰められているビルの一つに、その場所はあった。

 情報屋、須闇 杏(すやみ あんず)。裏の世界では名の知れたその情報屋の下に、和鬼と風見は向かっている真っ最中だった。

 そして二人は、ある扉の前に立つ。ノックを二度し、三秒待って中に入った。その向こうに広がる光景は、やけに殺風景だった。部屋自体、少し暗く、唯一の明かりはスタンドライトが数個置かれているだけだ。家具も冷蔵庫など、必要最低限の物しか無く、一般の女性と比べれば生活感がまるで見えない事務所だ。

 その奥、漆黒のカーテンが掛かっている大窓の前にある椅子に腰掛けている女性の下へと、二人は土足で歩み寄った。するとその女性は、片手を揚げて二人に手を振る。


「久々に顔見たさね、和鬼に風見」

「一昨日会ったろうが、杏」


 杏と、そう呼ばれたクリーム色の滑らかな長髪を無造作に垂らした女性は、そうかね?、と小首を傾げながら言った。


「まぁ、それはあたしのボケが始まったと思って見逃せな」


 微笑交じりで言う杏は、机の上に置いてある紙の束を、和鬼に差し出した。その紙には、報告書と書かれている。


「昨夜の仕事の報告書さね。ま、ちょいと見ながら話聞きいな」

「昨夜のって言ったら、異種族の人狼系・狼進(ろうしん)とか言う人の暗殺だったわよね?」


 風見の確認の問いに、その通りさね、と答えた杏は、机の引き出しから煙草のパックを取り出す。その中から一本抜き、口に銜えて火を点ける。そして数回、煙草を吹かして話を始めた。


「……その男、狼進の企みなんだがね。なんでも、近々この東京に大物が来るらしいんさ。それも、今日から明日にかけての日付が変わる頃に、だ」


 充分に灰となった煙草の先端を灰皿に落とし、また銜えて深く吸う。そうして吐いた息は、大量の煙だ。それを和鬼は、煙たそうに手で払う。


「その、大物ってのは?」

「鬼の一族だよ。しかも、最上位の鬼神」

「な!?」


 鬼の一族、その名を聞いた和鬼は、素で驚いていた。その鬼神、鬼の一族だけでなく、異種族の中でも最上位に居座っている家系の者が、東京に来る。いや、自分の手の届く場所に来る、という事に、和鬼は素直に喜んでいた。そんな彼の脇を、風見は軽く肘で小突く。


「口元、つり上がってるわよっ」

「あ? ……そうか。笑ってるのか、俺は……」


 更に口元の笑みを濃くしながら、和鬼は呟いた。そんな彼を見た杏は、深く溜息をつく。


「喜ぶ気持ちもわからんでもないけど、あんまり無茶しなさんな? あんたは一応、あたしの血を分けた息子みたいなもんだからさ」

「そんな事は、もうどうでもいい。それより、その情報の信憑性は?」

「冷たいさね……。ってか、あたしの情報収集能力を、なめてもらっちゃ困るさー」


 不気味な笑みを浮かべる杏が揚げている右手の先、人差し指付近には、黒く小さな蝙蝠(コウモリ)が数匹飛んでいた。彼女はその蝙蝠を使って会議の盗聴や資料の盗撮、尋問などを秘密裏に行って情報を集めている。これが、吸血鬼である彼女だからこそなせる技だ。そして彼女は、そのしもべである蝙蝠を見せ、騙し無しの情報だという証拠を見せつけているようだ。


「……わかった、信じてやる。それで、場所は?」

「奥多摩にある廃墟さ。昔、とある資産家が建てて途中放棄された……ってのが表向きで、鬼神家の手回しで取引所目的の場所となり、廃墟さながらに建てさせたらしいんさね」


 廃墟か、と復唱する和鬼の右手は、自然と右目の眼帯に添えられ、掻いていた。それを怪訝そうに見る杏は、しかし敢えてその事に触れず、話を進める。


「事の開始はさっきも言ったように、今日の日付変更時刻、午前零時さ。鬼神家の若人である戦鬼と、鬼神家の分家に当たる金鬼 孝子(かなき こうし)が組織する、富士グループの極秘会合が、そこで行われる。ちなみに人数は不明。だけど、相手は鬼神家の者だから、油断は禁物さよ?」

「大丈夫。私達は監視役の中でトップなのよ? そう簡単に死なないわ」


 ウィンクしながら笑顔で言う風見に、死ぬのと失敗は違うぞ、と溜息交じりに杏は言い、煙草を灰皿にすり潰す。その後、(おもむろ)に立ち上がり、部屋の隅に置かれた冷蔵庫に向かった。そして、よっこいせ、と歳を感じさせる言葉を呟いてしゃがみ込み、開いた冷蔵庫から三本の瓶を取り出した。

 赤い液体がギリギリまで入っている瓶。その瓶を二本、和鬼と風見に投げ渡し、もう一本の瓶のキャップを開けて飲んだ。

 一方、瓶を受け取った和鬼と風見は、同じくキャップを開けて飲む。


「……助かった。昨夜から飲んでなかったんだ」

「それはよかったさ。なら、今回の仕事の支給品はそれさね。経費削減はいい事いい事」


 両手を揚げて喜ぶ杏は、椅子へと戻って座った。

 そして頬杖をつき、

「それじゃ、上手く行く事を祈っておくさ」

「任せなさい! すぐに終わらせてくるわよ!」


 拳を高らかに揚げる風見は、和鬼と共に部屋を出て行った。そうして残った杏は一人、不適な笑みを作る。そんな彼女の口元には、先ほど飲んだ赤い液体が僅かに染み付いていた。まるで、血のように。











 時刻は午後八時を回り、街頭やネオン、建物や自動車の灯りでのみ照らされているこの街からは、未だに人は減らないでいた。むしろ、一日の間で一人も居なくなる時間がある方が有り得ないだろうこの街の歩道を、二人は歩いていた。

 その内の一人、彩狐は、隣を歩いている和鬼に笑顔を向けて話し掛けている。


「――それにしてもボウリング、楽しかったね!」


 元気な彩狐とは対照的に、和鬼は苦笑を漏らした。


「俺は苦手だ……スコアも最悪だったしな……」

「四連続ガーターに突然のすっぽ抜け! 本当、和鬼といると楽しい事ばっかりだよ〜」

「うぅ………」


 その言葉に、和鬼は遂に俯いてうなだれ始めた。そんな彼を見た彩狐の笑みは、更に増した。


「うりゃあー!」


 放たれた言葉と共に繰り出されたのは、人差し指による連続脇腹つつき。その度に、和鬼は身体を反らせて避けようとする。

 だが、彩狐は止めない。すると遂に、

「あぁぁ! 止めぇい!!」


 和鬼の怒り、爆発。だが、すぐにその怒りは収まり、溜息へと変わった。


「……こういう幸せって奴は、半端者の俺には似合わない気がしてきた……」

「な〜に言ってるんだよ、和鬼らしくないなぁ」


 いい?、と彩狐は前置きし、二本の指を和鬼の両目に勢いよく突き刺そうとし、ギリギリで止めた。


「和鬼のこの両目は、何のためについているの? 今までその両目で色んな人達を見てきたんでしょ? その内、味方の中に和鬼を半端者のように見てた人は居た? 居なかったでしょ? そういう事だよ!」


 言って二本の指をピースに変え、満面の笑みを見せる。


「和鬼は、監視役という存在のトップだって事を、誰もが認めてくれているんだよ! その役目は責任重大。だからこそ、半端者だなんて言って自虐しちゃダーメ!」

「あ、あぁ……そう、だな……」


 和鬼は思わず一歩下がりそうになり、それを止めた。そして、不器用な笑みを彩狐に向ける。

 対する彩狐はそれを見て、よしよし、と言いながら深く頷いた。だが、その表情は僅かに曇る。


「……でも、本当に責任重大だね。いくら悪くても、同族を手に掛けるのは辛い事だから……」






「……だからこそ、俺達監視役は、その汚れ役となって穢れを背負って生きる、か……」

「ん? 何か言った?」


 目的地である廃墟を目の前にして、突然呟いた和鬼に、風見は小首を傾げて問うた。

 だが、和鬼は片手で宙を払って、何でもない、と不機嫌そうに言う。


「そう、それなら別にいいわ。――にしても、怪しいところねぇ……。出そうな雰囲気」

「馬鹿言ってないで、始めるぞ」


 呆れ口調の和鬼は、いつの間にか持っている鞘から、短く刀を引く。それによって姿を現した刃は満月の僅かな光を反射させ、恐怖を引き立てる姿をしていた。

 その後、チンッ、という音を立てて鞘に収める。

「俺は中の、風見は周りの奴らを排除する。――これが作戦だ。質問はあるか?」


 問いに、風見はすぐに手を挙げた。

 僅かに苦笑しつつ、

「何で和鬼一人で中に突っ込むの?」

「簡単だ。俺は屋内戦が、お前は屋外戦がそれぞれ得意だからだ。何事も、優位であるのが一番だろ? 今回は」


 言いながら、和鬼は走る構えをとる。


「他に質問は?」

「無いわよ、馬鹿」

「なら……始めるぞ」


 同時、目にも留まらぬ早さで、和鬼は走り出した。

 疾走。その言葉が似合う彼を見送った風見は、溜息をつく。

「どうせまた、いいとこ取りは私なのに、頑張るわねぇ……」


 そう言い残し、風見は歩き出した。廃墟の周りを一周するために、だ。






 廃墟の中には突然、ガラスの割れる音が響き渡った。

 その音に驚いた、廃墟の中心に当たる、おそらくロビーであろう場所にいた男達は、一斉に音のした方向を見る。だが、その行動は遅かった。彼らの背後には既に、鞘から刀を引き抜こうとしている和鬼の姿があった。

 その気配に気付いた男達は、それぞれの姿を解放しつつ、戦闘体勢に移ろうとした……が、一瞬の間に、全てが終わっていた。男達は、胸元から鮮血を噴きだしながら、無造作に倒れた。

 和鬼が引き抜いたのは日本刀。その刀身には、べっとりと赤い血がついている。

 すると彼は、その血を払う事無く、舌で舐めて飲んだ。


「……仕事よりも、自分を鍛えろ。馬鹿共が……」


 呟いて舌打ちをしたのと、大きな破砕音がしたのはほぼ同時。その音源に向け、和鬼は刀で即座に防御体勢を取った。

 刹那、強烈な一撃が激突する。


「――ぐっ!?」


 その一撃に顔をしかめつつも、耐えきった。そうして見た方向には、閉鎖されていた入口のシャッターを突き破った一人の青年が歩み寄って来ていた。

 青く染められた髪を丸く刈った頭に黒く整ったスーツ。そしてそのスーツに似合わぬ下駄は、カランコロン、という独特な音を出している。そんな彼は、苦笑していた。


「……ハゲと下駄……鬼神 戦鬼(おにがみ せんき)か……!」


 呟きながら、微笑を漏らした和鬼は、動いた。行くのは真っ正面から、刀を居合いの構えにし疾走する。そして間合いに入った瞬間に、刀を横に振るった。

 だが、戦鬼は容易にその斬撃を、身を低くして避ける。すると和鬼は、まるでその動きがある事がわかっていたかのように、戦鬼の頭上を宙返りで飛び越えた。そして着地と同時、和鬼は身を翻して刀を振り下ろす。しかし、戦鬼は既に、そこにはいなかった。

 居るのは、和鬼の背後。目を細め、和鬼を見据える彼は、僅かに舌打ちした。

 それに対して苛立ちを覚えた和鬼は、振り下ろしていた刀の勢いを殺さずに、振り向く動作と共に速度を上げた。狙うは、下段からの斬り上げ。だがまたしても、戦鬼は僅かに身体を反らして回避した。その時、和鬼の口元に笑みが生まれる。

 同時、斬り上げた際の勢いを使った右足の回し蹴りが戦鬼を狙った。圧倒的な速度は、すぐに彼の身体へと到達する……はずだった。

 刹那、和鬼は回し蹴りを行った方向へと、勢いよく吹き飛び、回りながら床を滑った。


「――がっ!?」


 何が起きたかわからなかったわからないでいる和鬼は、急いで立ち上がるが、頭を強打したのかフラついた。それを見て、戦鬼は余裕が出来たのか、構えを解いてやっと口を開いた。


「……人間にしては動きが良すぎる。だが、異種族だった場合、解放もせずにこれほどまで動ける奴は、知らないな……誰だ? お前」


 小首を傾げて問う戦鬼に、やっと体勢を立て直した和鬼はほくそ笑んだ。


「皇鬼の孫ごときが、確かに知ってるわけないよなぁ……。俺はお前ら異種族の抑止力であり人間側代表、別名監視役って奴だ」

「監視役? 待て、噂で聞いた事があるな。まさか、実在してたとは……だが、人間側代表なら尚更気になる。何故、それほどまでの力がある?」

「簡単な事だ。……監視役は、人間と異種族のハーフだからだっ」


 言ったのと同時に、和鬼は走った。その為、戦鬼は構える。だが次の瞬間、和鬼は思い切り床を殴った。戦鬼の正面の床を、だ。すると、床は粉々に粉砕され、視界を奪うほどの量の粉が巻き上がった。


「乱れ咲くぞ?」


 そう聞こえた瞬間、四方から四人の和鬼が襲いかかった。それぞれが、異なる攻撃を仕掛けてきているのに対し、戦鬼は僅かに身体を反らしながら、両手を動かした。

 刹那、前から掌低を放とうとしていた和鬼は軌道を逸れて左側の和鬼に激突し、右側から回し蹴りを放とうとしていた和鬼は回りながら戦鬼の後ろへと行き、後ろから刀で横なぎの斬撃を放った和鬼に斬られた。

 赤き血が、後ろの和鬼に返り血となってかかる。それにより目を瞑ると、腹部と頭を数瞬の間に連打され、勢いが死んだ。

 だがしかし、その和鬼はまるで水風船のように弾け、後に残ったのは少量の血だった。それは、他の和鬼も同様であった。


「――っ!? 吸血鬼か!!」

「お前と同じ鬼の血もあるぞ?」


 正体に気付いた時、戦鬼は殺気を感じ、振り向く。その方向には、かかとを振り下ろす和鬼がいた。そうして、ゴウッ、という大気を叩く音が鳴る。起きるのは、周囲に伝わる衝撃波。

その原因は、戦鬼が両腕をクロスさせて防いだからだ。


「……意外と重い……な……」


 だが、その状態も長くは続かない。和鬼の足は、次の瞬間には戦鬼を逸れて、床に落ちる。

それによって、床は轟音を立てて粉砕された。


「――あぁ、そうか……この動きは、あいつそっくりだな……」


 戦鬼に聞こえない声で呟く和鬼は、飛び退いて距離を取る。それがいい機会だと読んだのか、戦鬼は問い掛けた。


「お前は、異種族の血をも持つ監視役って奴なんだな? そんなお前が、何故和平協定を破るような真似をする!?」

「……協定…だと……?」


 問われた内容に、和鬼は怒りを覚えていた。そして同時に、一つの記憶が蘇る。



 ――それは、惨劇。

 とある家の居間の隅、自分の腕の中で今にも命が尽きそうな大切な人を、彼は残った左目で見つめる。

 ――それは、悪夢。

 辺りを見渡せば、嘗ての同朋が、血だらけになって倒れている。

 ――それは、悲劇。

 そして大切な人は、最後に告げた。ごめんね、と。

――それは、憤怒。



「……元より……協定を破ったのは……お前ら鬼の一族だろうが!!」


 目を見開き、怒りを露わにした和鬼は、一歩、前へ出た。

 と、その時だ。彼の周囲に、視認出来るガラスの障壁のような物が突然現れた。

 それは、戦鬼の周囲も同じだ。

 結界。それは人間が妖怪、つまりは異種族に対抗する為の力。だが、そのような力など、和鬼や戦鬼にとっては無意味である……ハズだった。


「……チッ、かなりの結界だな……」


二人は、微動だにする事が出来ないでいたのだ。そんな二人の周りに、突然新手が現れる。

 黒一色のスーツを着た男達は、数にしておよそ五十。そして、彼らの間に道が開き、一人の男が二人に歩み寄った。その男を見て、戦鬼は苦笑を漏らす。


「あぁ……貴方が孝子殿ですか。やっと会えましたね」

「こんばんは、戦鬼君。神鬼さんの代わり、とは聞いていましたが、どうやら好都合だったようですね……何も知らない戦鬼君のおかげで、私は貴重なサンプルが手に入るのですから」

「何を……言っているのですか?」


 苦笑のまま問う戦鬼の口元は、僅かにヒクついている。まるで怒りを堪えるように。だが、そんな彼に全く動じていない金鬼 孝子は、肩を竦めた。


「そう怒らないでください。――まぁ、そういう訳ですので、戦鬼君との、鬼神家との約束は勝手ながら延期させていただきますよ」


 軽々とそう言いながら、孝子はパチンッと指を鳴らした。すると和鬼の周囲を囲っていた結界は紐となって、彼の腕と身体に巻き付いた。


「監視役の細胞は何度も見ましたけど、最初にして最高の、監視役・総帥のはまだなんですよね……――ささ、皆さん和鬼君を連れて行きますよ? 残りは戦鬼君を見張っていてください」


 孝子がそう命令すると、十人ほどが短機関銃(サブマシンガン)を懐から取り出して和鬼に向けた。すると彼は、無言のまま、一歩踏み出す。

 それを見て笑顔で頷いた孝子は、ついてこいと言っているかのように歩き、戦鬼がぶち破った出入り口へと向かった。そして外に出たのとほぼ同時、地面を叩きつけるような風の圧力が草木に向けて上からかかり、大きな鉄の塊であるヘリコプターが降下してきた。そのヘリは、着地と同時にハッチを開き、中から黒スーツの男が二人降りてきた。和鬼の周囲に居る黒スーツの男達と何ら変わりのない男が、だ。

 そんな二人に目もくれない和鬼は、ヘリ全体を見渡した。


「……重輸送ヘリ、CH-53Eか。よく米軍のヘリを日本国内で飛ばせるな?」


 問いに、孝子はヘリに乗り込みながら答える。


「それが、富士グループの権力ですよ……さ、乗ってください」


 笑みのまま手を差し出すと、手は使えねぇよ、阿呆、と和鬼は言い、ヘリに乗り込んだ。そうしてヘリは、闇に覆われた空を飛び、都内へと向かった。











 小さき(ねずみ)が、汚い地面を走る。そしてその鼠を追い払うかのように、配管から音を立てて煙が吹き出した。

 ここは裏路地。東京の、汚い裏路地だ。

 その、滅多に人が入り込まないような場所に、二人の男女が居た。長身の男に抱き寄せられるようにして身体を寄せている女。そして男の方は、彼女の首筋を舐めて、いや噛んでいた。そうして彼の喉を潤す液体は、血だ。

 しばらくそうした後、男――和鬼は、申し訳なさそうな表情で彼女――彩狐から離れる。すると、噛みあとは、見る見る内に塞がって無くなった。その位置を、彩狐はハンカチで軽く拭く。そうしている間も、和鬼はずっと申し訳なさそうな表情のままでいる。


「……悪い、本当に悪い」

「なーに謝ってるの? 仕方ない事だよ、それは」

「だが、俺は――」


 言いかけた和鬼の口に、彩狐は人差し指を添える。


「いいの。だって、本当に辛いのは和鬼だって事、知ってるもん。それに、私は和鬼が好きだから、血を飲まれたって平気だよ?」


 ね?、っと明るく言う彩狐に、和鬼は僅かに頷く。すると彼女はうんうんと頷いて、和鬼の胸元に抱きつく。


「……本当に辛いのは、和鬼だよ……自分と同じ、異種族の血を定期的に摂取しなきゃ、体内の異種族の血を抑制出来なくなって、最悪死んじゃうんだもん……本当、何で監視役を生み出したんだろう。昔の人は……」

「力の、力のある人間を作り出す為だろう。それがそのまま、人間が異種族に対抗出来るという証になる」

「証!? 結局それは、力でねじ伏せるだけじゃん!」


 涙ぐむ目で必死に訴える彩狐は、俯いてうなだれ始めた。そんな彼女の頭に和鬼は、無言で手を載せて撫でる。


「余り深く考えるな。……監視役って存在が生まれなきゃ、俺はお前に会えなかったしな。それに、俺はお前に感謝してるんだ。生まれてから百年近く、ただ無駄に生きていた俺を、学校ってところに誘ってくれたんだしな。人間の血もあるんなら、人間の学校で学びを得ないとって言って」

「よ、よく覚えてるね……」


 和鬼の胸元から顔を離した彩狐は、驚いた表情をしながら頬を赤らめた。


「……私、そんな事言ったの?」

「あぁ、言った。驚いた」

「本当かなぁ……余り記憶にないんだよ……」


 頬は赤らめたまま、小首を傾げる彩狐は、ひょいっと和鬼から離れ、軽くステップした。

そしてそのまま、裏路地から表通りに通じる道を指でさす。


「それじゃ、そろそろ帰ろう! 風見ちゃんが心配してるかもよ?」


 その、愛おしいくらいに無邪気な笑顔を見せる彩狐に、和鬼は苦笑しながらついて行った。






 ゴッ、という、鈍い音が機内に響いた。機外の上部にあるローターのブレードが回転する音よりも大きく、だ。それは、黒スーツの男が、眠っていた和鬼を起こす為に短機関銃で頭を殴った音だ。


「やれやれ、私が問い掛けているのに起きないから悪いんですよ?」


 呆れながら肩を竦める孝子は、機内の中央で多数の結界に縛られた和鬼に笑みを向ける。


「……そういえば、貴方のその右目。失った時の事を覚えていますか?」

「……な…に…?」

「だから、その右目を失った時の事ですよ。全国でほぼ同時に起きた、和平派と監視役の大量殺人事件を、ね」


 心臓が、ドクンッ、と大きな音を立てたかのような表情になった和鬼は前に、孝子の方へと踏み出そうとする。だがその動きは、結界によって遮られ、結果一歩も動けない。


「おやおや? その反応を見ると、覚えているようですね。――君達監視役は、今後の計画にとって非常に邪魔なんですよ。ですから、偽物の依頼を監視役達に出して、それぞれの場所に集結させたわけです。そして、奇襲をかけた」


 途中、何かを思い出したかのように笑い始めた孝子は、手で顔を覆った。


「くくくくっ、やっぱり、いくら強い監視役とは言っても、大群による奇襲にはどうする事も出来なかったようですね。ちなみに貴方の下へは、他より三倍の量を連れて行きました……のですが、やはり貴方は強かったですねぇ。早河の娘さんを護りながら戦うのは、さぞかし辛かったでしょう?」

「……貴様……貴様があの時、彩狐を……!」

「おぉ、怖い怖い。――っと、いいえ、早河の娘さんを殺したのは私ではありませんよ? 貴方にとどめを刺そうとしたのは私ですがね。ですが途中、邪魔が入りましたよ……わしの長年の友はやらせんぞ?、とかなんとか言ってたあのジジイのせいで……私はサンプルを……!」


 憎しみのこもった言葉を放つ孝子は、顔を覆っていた手に力を込め始めた。それによって指が頬に食い込むが、彼は全く気にしていない。

 一方和鬼は内心で、皇鬼、か、と呟き苦笑したが、怒りはすぐにそれを消した。と、その時だ。機体が少し揺れたかと思うと、不意にハッチが開いた。

 それに気付いた孝子は、冷静さを取り戻し、ハッチの方へと向かう。


「やっと到着ですか……さ、皆さん。和鬼君を降ろす準備を――」


 言って振り向こうとした刹那、孝子の真横を、何かが飛んで行った。その何かはそのままハッチから外に出、ヘリポートからの出入口であろう自動ドアを破砕音と同時に突き破った。

 それは、黒スーツの男だった。











「あんたらも暇だなぁ? 俺を見張るなんて」


 戦鬼はそう、周囲にいる黒スーツの男達に問うが、誰一人として答えない。

 それに対して彼は、深い溜息をついた。


「相手してくれないんだな。お前、まるでエージェント・ス○スみたいだ」

「………」

「なぁ、何で全員そっくりさんなんだ?」

「………」


 戦鬼が何度問おうと、微動だにしない。その状況に、彼は再度深い溜息。だが、すぐに笑みを作った。


「……そろそろかな。さて、お前らに一つクイズだ。強力な結界ってのは、素人が作ると不安定な物になる。それが、元々どれだけ凄い物であってもな。さしずめ、これはド素人が作ったんだろうな。……で、だ。そんな不安定な結界は、時間が立つとどうなるか知ってるか? ――こうなるんだ!」


 叫んだ瞬間、それは起きた。戦鬼の周囲をにあった結界は、ガラスの割れる音と共に粉々になった。その光景に、黒スーツの男達は、全員驚く。予期せぬ事態が起きたのだ、無理もない。

 一方、結界から解き放たれた戦鬼は、首を回して骨を鳴らしながら、全員を見渡す。


「さ、終わりを始めるか」


 告げたのとほぼ同時、黒スーツの男達は一斉に戦鬼に襲いかかった。






「――ま、所詮はこんなところだろうな」


 疲れたような表情で、無傷の戦鬼は死体の上を歩く。その途中、不意に何かを思い出したかのように、スーツのポケットから携帯電話を取り出した。そうしてアドレス帳を開き、指が止まる。


「……監視役の事は、まだ知らせない方がいいかもな……」


 呟き、携帯をポケットに仕舞った戦鬼は、そのまま廃墟を出た。

 夜風が、彼を吹き付ける。それによって目を細めた戦鬼は、空を見上げた。


「……明日は、闘鬼に会いに行ってみるか……」


 懐かしそうに呟く戦鬼は、再び歩き出した。その度に、下駄が地面に当たり、カランコロン、という音が、夜の闇に響き渡った。











 多数のビルがある中で、一際目立っているビルがあった。そのビルは、多くのライトによって照らされており、また他のビルよりずば抜けて長い。そして、遠くから見えるほどでかでかと、富士グループというプレートが入口側に設置されていた。

 それを見上げる小柄な少女は、ヘルメットを付けずにピザ屋のバイクで入口の門へと向かっていた。すると、入口の門前に居た二人の黒スーツの黒が、彼女を引き止める。


「待て。富士グループに何のようだ?」


 警戒しつつ問うと、ピザ屋の少女――風見は、小首を傾げながらバイクを降りた。


「何のようって言われても、ピザを届けに来たのよ?」


 言いながら風見は、バイクの後部についているピ○ーラというロゴが付いたボックスから、フリスビーのように平たく、そこそこ大きな箱を取り出した。それを見た黒スーツの男は、怪訝な表情で彼女を見る。


「ピザを注文したという報告は受けてないが? 誰宛てだ?」

「それはもちろん、ここの社長・富士 孝子――もとい、金鬼 孝子よ」

「なっ!? 貴様、社長の名――」


 驚き、スーツの懐に手を入れようとした、その時だ。彼の手は、スッパリと切断され、落ちた。同時、均等にスライスしたかのように、黒スーツの男の身体はバラバラに崩れ落ちた。

そうして、大量の肉片と血がその場にたまる。

 それを見たもう一人の黒スーツの男は、いつの間にか切れている自分の両手を見て驚きつつ、痛みを堪えて風見を見る。


「こ…この風……貴様……鎌鼬(かまいたち)の……!」

「ご名答〜。貴方、意外と察しがいいわね」

「だが……鎌鼬は鎌のような…爪で……斬るはず……風は…有り得ない……」


 大量の鮮血を切れた腕から流している為か、今にも死にそうな青い顔をしながら話す黒スーツの男に、風見は笑った。


「ふふふっ、私は監視役なのよ? 突然変異か才能か……それによって、私は大気を司る事が出来るの。――数年前、数多くの和平派と監視役が奇襲を受けた中で、唯一奇襲側が全滅した場所があるのを知ってる?」


 その言葉を聞いた瞬間、黒スーツの男の目が見開かれた。額に冷や汗を浮かべて、

「そうか……! 貴様があのと――」


 刹那、黒スーツの男はバラバラに崩れ落ちる。そして溜まる肉片と血を、既に興味の無くした目で見る風見は、バイクに乗り直した。

 同時に左手を、入口を閉ざす門に向けると、門は風に刻まれて轟音を立てながら崩れ落ちた。

「……ま、確かに風じゃ、金属を切るのは無理ね。風だったら……」


 呟いて微笑を漏らした風見は、ハンドルのアクセルを絞って走り出す。その途中、上を見上げると、遙か上空を丁度ヘリが通った。


「たぶん、和鬼が乗っているわね……先回りしてよかったわぁ〜! さて、主電力と予備電力を潰しに行こうかしら」


 不適な笑みで言い、更に速度を上げた。そしてそのまま、正面から突っ込んだ。

 ガラスの割れる音が、ロビーに響き渡る。










「あぁ……私の部下は、別に吹き飛びながら降りる趣味を持たせてませんよ?」


 言いながら、孝子は後ろへと振り向く。その方向には、血を流しながら倒れている黒スーツの男達と、上げた足を戻した和鬼の姿があった。


「この結界、作ったのはお前か?」

「いえいえ、そんなまさか」

「ならよかった……楽しめそうだ!」


 刹那、和鬼はいつの間にか孝子の前に移動していた。それに対し、孝子は表情一つ変える事無くバックステップで距離を取る。そうして身を翻し、先ほど吹き飛んだ黒スーツの男が壊した自動ドアから屋内に入った。


「逃がすかよ」


 言って和鬼は、後を追って走った。だが、屋内に入った瞬間、彼は止まる。

 その視線の先には、銀色の甲殻を剥き出しにした孝子の姿があった。彼は既に服を着ておらず、衣服など必要の無いかのように異刑の甲殻が身体を覆っており、額には長い角が一本生えている。

 それは、鬼。


「やはり、異種族というのはこうであるべきですね! 本気の姿で殺り合う! これほど素晴らしき事は無い!!」


 言い放つのと同時に、孝子は動いた。構えるのは右腕。その右腕、右手の拳を和鬼の上から落とした。だが和鬼はそれを、軽々と避ける。それによって床を叩きつけた拳は、下の階に貫通する穴を空けた。

 だが、孝子の猛攻は止まらない。何度も、何度も、和鬼に拳を振るう。しかしその全てが、軽々と避けられる。


「……弱い……あの時、俺の右目を奪ったのは、別の奴か……」

「何をブツブツ言ってるんですかぁ!?」


 一向に拳が当たらない事に、苛立ちを覚え始めた孝子は声を荒げた。

 と、その時。何の前触れも無く、全ての照明が消えて暗闇が訪れた。それを好機と見た和鬼は、自分を見失っている孝子の背後へと回った。

 刹那、孝子の頭上から強烈な踵落としが決まり、彼は床を崩しながら、下の階へと落ちていった。そんな彼を追って、和鬼も下の階へと向かう。

 その階も、暗闇だ。


「がっ! ――な、何故ですか!? 何故貴方は暗闇でも私を――ぐぶっ!」

「俺は暗闇の強者、吸血鬼の血をも持っているんだぞ? まぁ、銀色のようなお前の身体は、普通でもわかりやすいがな」


 言いながら、和鬼は孝子を蹴り上げる。そうして浮いた彼の身体に、蹴りを連続して放った。その勢いで吹き飛ぶ孝子を、和鬼は更に追撃する。数回のステップの後に放つのは、中段回し蹴り。それは孝子に直撃し、甲殻が割れた。


「―――ッ!!!」


 断末魔が、響く。その姿を哀れそうに見る和鬼は、ゆっくりと孝子に歩み寄った。

すると孝子は顔を上げ、睨み付けながら問う。


「……何故、貴方はそれほどまでの力を持ちながら……何もしないのですか…?」

「それは何に対する問いだ? もし、決起とか反抗なでに対するものなら――俺が、監視役だからだ」


 答えを聞いた孝子の表情は一変した。憤怒の表情へと。


「そう、その監視役という者がいるから、誰も事を起こそうとしないのです! ですが! 貴方達が護っている人間共に、護る価値などあるのですか!? 奴らは弱者のくせに土地を殺し、大気を汚し、自然を壊している愚か者! そんな奴らに対する怒りを持っている者はいる筈です!! ですが貴方達は反抗の意志を邪魔する!!」

「だからこそ、抑止力なんだろ? それに、だ。確かに人間は愚か者だが、その分、命の尊さを知っている。ただ戦いを求めているお前ら反抗派には、わからないだろうがな。……だから俺は百年前、親友と誓ったんだよ。この、面白い人の世を護ろうとな」


 微笑しながら、孝子を見下ろす。


「だが、お前は人の世を脅かす邪魔者だ。だから、ここで殺す……」


そう告げ、右手を上げる。その右手からはいつの間にか血が垂れており、次の瞬間には血が固まり、刃になっていた。それを見ながら、孝子は笑う。


「くくく……そんな綺麗事が嫌いだからこそ……反抗派は動こうとするのですよ……」

「そうか。なら、邪魔な芽は全て取り除かないとな」


 言って、和鬼は血の刃で孝子の心臓を貫いた。そして刃を中程で折り、手に残った血を液体に戻して振り払う。


「……監視役は邪魔者、か……」


 苦笑しながら呟いた和鬼は、身を翻して孝子に背を向ける。そうして歩き出そうとした、刹那。


「――ぐっ! ……チッ……」


 舌打ちをしながら見下ろす胸元からは、銀色の角が貫通していた。






 自分の角を折り、和鬼に投げて突き刺した孝子は、振り絞った声を出す。


「……貴方は…ここで死んで……おくべきですよ……――…あぁ、貴方の血が…私の血を……分解していく……」


 そう言った後、孝子の全身から力が抜け、事切れた。

 一方和鬼は、身体を支えきれずにその場に倒れ込む。銀が、彼の身体から生気を奪う。それに耐えながら、彼は壁まで這いずり、背を壁に付けて座った。


「…はぁ…はぁ……チッ……鬼の血が……僅かに俺を生かしている、か……」


 苦笑交じりに言う和鬼は、しかし吸血鬼の弱点である銀で、尚且つ心臓を貫かれている事によって顔が青ざめていた。呼吸は荒くなり、身体に力が入らなくなっていく。

 それに耐えながら、彼は上、虚空を見上げる。そんな時に、彼の脳裏で再生される声は、懐かしい声。

 ――お疲れ様、和鬼。

 その声に、実際には聞こえない声に彼は答える。


「ヘマしちまったけど、何とか終わったよ。……何もかもが……」


 ――もう、無理しなくていいんだね。

 その言葉に苦笑する和鬼は、ゆっくりと頷いた。


「あぁ、そうだな……やっとお前に会えるんだな……」


 言った後、昔彩狐が言っていた言葉を思い出す。


『いつか、監視役が居なくても仲良く出来る世の中になっているといいね!』


 それは綺麗事だというのは、わかっている。だがそれでも、和鬼はそれを望んでいた。


「……そうなると…いいな……本当に………」


 呟く和鬼の目はゆっくりと閉じられ、呼吸も間隔を開けて数が減った。そんな彼の表情には、僅かに笑みが浮かんでいた。











 先ほどまでライトアップされていたとは思えないくらいに暗い、富士グループを後にする風見は、門の前にいる人影に気付き、笑みを漏らした。


「珍しいわね、杏。貴女が外に出て来るなんて」

「たまには煙草と一緒に夜風を吸いたくなるんさね」


 言いながら、風見の下へと歩み寄る、黒いロングコートを羽織った杏は、煙草の灰を地面に落とした。

 そして数回煙草を吹かした後、小首を傾げる。


「……どうして、和鬼を殺したんさ?」

「何の、事かしら?」

「惚けるんじゃないさ。あんな角くらい、和鬼なら感づいて避けられた。だけどアンタは、角の周囲と軌道上を真空にし、その上角をも操ったろ?」

「……見ていたのね」


 覗きは本業さね、と言う杏の周囲には、数匹の蝙蝠が飛んでいた。

 対し、風見は、観念したかのように肩を竦めて、悲しそうに俯いた。


「……和鬼は、彼は今死んでおいた方が良かったのよ……真実を知った彼の人生は、更に堕ちていくでしょうからね。今まで以上に復讐に燃え、今まで以上に…心を傷つけていく。だからこそ、今の内に、私の手で……」

「そして、二代目監視役・総帥を受け継ぐお前が、前に進む為の糧にするんさね? 自分は愛する者を手にかけた。だからもう、これ以上失う物はないから、死ぬ気で総帥を真っ当する、と」


 杏の問いに、風見は顔を上げずに頷く。すると杏は、馬鹿者、と言って風見を抱き寄せた。


「今の内に泣いておくんさ。涙が涸れるまで泣いておくんさ。――この先、アンタは泣く事は愚か、人にこうして抱き付く事さえも出来無くなるんだかんね、監視役・総帥」


 言ったのと同時、風見は泣いた。その、後悔と悲しみに満ちた声は、もう後戻りは出来ないとわかっていても出る。

 それは、静寂の闇に虚しく響き渡った。

どもー、Izumoです。

今作品をご覧になっていただき、ありがとうございます!


さて、今回執筆に当たった経緯ですが

友達であるOigamiさんの作品の壊腕を読み、すぐに思いついたが為に、交渉の末、執筆しました。


「なぁ、お前の書いてる壊腕の外伝、書いていいか?」

「いいよ」


まぁ、こんな感じで (^^

で、いざ書き始めて……異種族が思いつかねぇ!!

そこからかよ……と、Oigamiさんから呆れた感じの返事が……

で、試行錯誤の末、やっと完成しました……


とりあえず、楽しんでいただければ幸いです。

それでは、これからもIzumoとOigamiをよろしくお願いします!

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― 新着の感想 ―
[一言] 点数入れるの忘れてた(^^; ちょっと辛口につけましたが、限りなく★5★5に近い★4★4なので。
[一言] いいじゃないッスか。さすがはIzumoさん。 今と過去、更に視点が目まぐるしく変わる、スピード感溢れる内容でした。映画を見てる感覚と似てる。 戦闘の描写が上手いですね。俺は苦手なもので・…
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