第七話 白銀の世界での逃走
「まだ見つからないのか! もうすぐ夜だぞ」
夕闇迫る時刻。
軍による雪山の捜索が大体的に行われていた。
「はっ! も、申し訳ありません!」
「くそっ、まもなく夜になってしまう」
「だ、大隊長! こちらに!」
「どうした!」
彼らは木の裏側の、奥まったところで、一人の兵士が首から血を流して死んでいるのを発見した。
明らかに刃物で切られた痕だ。
「こ、こいつは彼らの護衛についていた軍曹です」
「くそっ! やはり狙われたか! 第一中隊は引き続きこの辺りの捜索を、第二、第三中隊は、範囲を広げて、各種山道も調査せよ! なお、本隊にも、街道の警備を強化して怪しいものの移動がないか調査するように連絡せよ」
「はっ!」
忙しそうに兵士たちが動き回っている横で、ベルモンテ王立魔法大学校の生徒たちが心配そうな眼差しを向けていた。
◆◇◆◇◆◇
「ルシフ! 大丈夫ですか!」
「……くっ。う、うん。命には別状はないけど……」
足からの鈍痛がひどい。
私たちは雪崩に巻き込まれ、だいぶ下流の方に流されてしまったみたいだ。
それでも、雪崩の端の方の、雪量が少ないところだったみたいで、なんとか、雪の中から這い出すことができた。
ケイメルの見立てだと、私たちがもと居た場所であったならば、きっとそのまま生き埋めになっていたであろう、と。
不幸中の幸いだ。
「すみません、ルシフ……」
なぜか沈うつな表情のケイメル。
なんで、私に謝るんだろう。
「自然のことなんだから、ケイメルが、謝る必要なんてないじゃない。そんなことより、早く戻れるように考えよう?」
私は努めて、精一杯明るい声を出した。
さすがにこの寒さと、足の痛み、それに、夕暮れになりつつある回りの状況から、最悪な状況になりつつあるのは理解していた。
「うん。そうですね。まずは生き残ることを考えないとね。だけど一つだけ訂正させてほしい。さっきの雪崩は自然のものじゃない。人為的なものだよ」
「え?」
「だから、これからは慎重に行動しないといけないと思う。闇雲に助けを求めても、来てくれる人間が皆、善人であるとは限らないんだよ」
「じゃ、じゃあどうすれば……」
「まぁ、心配しても仕方ない。まずは、腹ごしらえでもしよう」
そういって、ケイメルは、懐の小袋から、干し芋と、干し葡萄を取り出して、私に渡した。
「まずはなにかを食べて元気をつけないとね。いざというときに動けないと困るから。……それと、一夜を過ごせるような場所も見つけないと。この辺りだと、動物の攻撃から、身を守るのが難しい」
「うん。わかった」
「……あとは」
そういって、ケイメルは私を座らせ、カンジキを脱がせた。
足首がすごく腫れている。
「足は折れていないようだけど、だいぶ捻ってしまっているね。これだと歩くのは難しいかな」
私としては、ただでさえ生き残るのが難しい状況で、足手まといにはなりたくなかった。
「えっとね、ケイメル……」
「ルシフ。僕の背中に掴まって」
「ちょっ、そんなの無茶だよ!」
「君を一人、こんなところには、置いておけないよ。もし、僕が君を置いていくとすれば、僕が囮になって君を逃がすときくらいだよ。さあ、掴まって」
そういって、ケイメルは私を背中におぶった。
「……ありがとう、ケイメル」
「感謝の言葉は二人で無事に戻れてから聞かせてほしいな」
「……うん」
そうしてしばらく雪道を歩いた。
もう周囲は真っ暗になりそうだ。
「……じゃあ、灯りをつけるよ」
「あ、ルシフ。ちょっと待って!」
「え?」
私が魔法で光の玉を召喚すると同時。
周囲の空気が変わった。
これは、殺気だろうか。
「まずい。囲まれている」
ケイメルが、焦った声で呟いた。
周囲の木々の間から、赤く光った瞳が、十、二十と、爛々と輝いていた。
◆◇◆◇◆◇
「ケイメル、まだ!?」
私が背後の赤い瞳ーー狼たちーーに向かって光の矢を使って応戦をしている間、ケイメルが、一生懸命に走った。
こう立て続けに魔法を乱発するとさすがにきつい。
それに、爆裂系のような広範囲を一度に攻撃できるような強力な魔法だと、雪崩を誘発するので危険らしく使えない。
「たぶん、こっちの方には……」
ケイメルが、なにかを求めて走り続ける。
私は狼たちの群れに、一匹、違和感のある個体が紛れ込んでいるのを認識していた。
明らかに気配が異なる。
「あ! あそこだ!」
ケイメルが嬉しそうな声をあげると同時、背後の木々の間から飛んでくる熱光線の光が、目に入った。
「くっ! 『盾』よ!」
とっさに編み込んだ魔法の壁で、熱光線を防ぐことに成功したものの、勢いを完全には防ぎきることができずに、ケイメルと二人で、吹き飛ばされる。
二人で雪の上に倒れ混んでいると、ケイメルが、私の手を握ってきた。
「ルシフ、大丈夫かい?」
「うん。大丈夫。でも、後ろに……」
「あぁ。あれは……」
私たちが一緒に後ろを振り替えると、そこには、背の低い大勢の灰色の狼たちに混じって、一匹の巨大な白銀の狼が、唸り声をあげながら、こちらを見据えていた。
その身体は、優に人間の大人に倍する大きさだ。
「……銀狼」
「山の中で出会う魔物としては、ちょっと辛い相手だね」
私の呟きに、ケイメルが軽口で応じた。
ただ、その口調はやや固かった。
銀狼といえば、最上位個体だと人間に化け、魔法も使えるという。
たぶん、この個体も、先程の魔法攻撃から察するに、上位に位置する個体だろう。
『人間の子供たちよ。よくぞここまで逃げ切れたものだな。雪崩からここまで、夜の帳の下、無事に生き残ることができたのは誉めてやる。……そなたらに怨みはないが、盟約に従いここで始末をさせてもらう。最後に言い残すことはないか?』
じりじりと銀狼が歩を詰め、周囲の狼たちも左右に開いて、私たちを包囲していく。
極限まで集中していると、かすかに、耳に、ざー、という音が聞こえてきた。
「……ルシフ。合図をしたら、周囲に、爆発系の魔法をかけてくれ」
ケイメルが、小声で私に話しかけてきた。
「え? そんなことをしたら雪崩が」
「いいから、僕を信じて」
「うん。……狼よ! 聞いてほしい」
『ふふ。君たちの末期の言葉は何かな?』
狼たちがじわじわと輪を狭め、周囲を抑えていく。
後ろには雪の壁があり、逃げられる方向には狼がたちが立ちふさがっている。
もはや、強行突破しか道は無さそうだ。
ジリジリと近づいてくる狼たちが私の魔法の射程内に入ったと同時、私は準備をしていた、爆散の魔法を展開した。
『血迷ったか子供たちよ!』
銀狼の少しだけ驚いたような声が聞こえてきた。
「ルシフしっかり掴まって!」
私は無我夢中で、ケイメルにだきつく。
「おおぉぉぉ!」
ケイメルは猛然と背後の雪壁に突っ込んでいくと、そこに体当たりをした。
すると、雪壁を通り抜け、何もない空間に出た。
……しかも、足元にも何もない。
「ってー!」
「ルシフ! 息を大きく吸って!」
「……!」
私たちは凍てつく寒さの水の中に飛び込んでいた。