第三十話 そして南へ
私は戦慄をもって目の前の男性、初代皇帝を自称するキョウタロウという老人を凝視した。
『あなた。もしかして日本人? しかも、転生とかでなく、そのままこの世界に転移してきたの?』
『……いかにも。およそ五十年ほど前、突然この世界に私は呼び出された。さすがに右も左もわからぬこの異世界での生活は、最初苦労したがな。その後、帝国の礎となったとある王国の一人娘と結婚し、今の私の国を築きあげた、というわけだ』
まだ、この世界にきてから十年くらいの私とは年期が違う。
『私は気がついたらこの世界にいたんです。しかも別人になって』
『そうか。そこは私とは違うな。……さて、今日わざわざこうしてここにやって来たのは元の世界のことについて君と思い出話をしよう、というわけではない』
そこで、一旦言葉を区切り、日本語から、こちらの言葉に切り替えて話し始めた。
「私は君をスカウトに来た。君のその知識や洞察力。是非とも我が国の発展に役立てて欲しい。どうか我々と一緒に来てくれないだろうか」
そういって、手を伸ばしてきた。
……なるほど。
たしかに、私としては願ってもない申し出のようにも思える。
今の私の八方塞がりのような状況は改善できるし、目の前の問題は一応解決できる。
しかし、ここで、彼の言い分に乗ってしまったら、それこそ本当にリットリナ王国を裏切ることになる。
まぁ、現状の私の立場を追認しただけかもしれないけども。
でも、さすがに私としては、友人のケイメルやヒューリたちを裏切ること、政治闘争だとしても、私を匿ってくれているアンチボルト侯爵をあっさりと裏切り、「はい、帝国に向かわせていただきます!」とは首肯しにくい。
……だからといって、このまま、アンチボルト侯爵の下でぬくぬくと過ごしたところで、今後の展望があるわけではない。
内心では様々に葛藤をするものの、言葉として外に出した答えはしごくシンプルなものだった。
「申し訳ありませんが、お断りさせていただきます。私を匿ってくれている方や、友人たちに迷惑がかかってしまいますので」
私は、あはは、と軽く笑う。
この提案には、私はこう答えるしか無いと思う。
せっかく同郷人と逢えた、という幸運をこうもあっさりと手放すことになるとは。
内心忸怩たる思いに駆られるが、私にも矜持がある。
「ふむ。だが、今の君の状況を調べさせてもらったところ、政治工作で、なかなか厳しい状況に追い込まれているみたいではないか。私だったら、君の苦境をどうとでもしてあげることができるのだが?」
「いえ。それでも、私にも矜持がございます」
それさえもなくしてしまったら、私は私ではなくなる。
私には、この国に恩義も感じているし、不名誉なことはしたくない。
「なかなか強情な娘だな。君は。まぁ、私としては、私は君の敵ではないと言いたいだけだよ。ただ、リットリナ王国に対しては、我が国は敵ではないが、味方でもないがね。そういった意味で、リットリナ王国に対して友好的で、かつ、君を支援してくれそうな国の人間を一人紹介してあげよう」
「……紹介?」
私は首を捻る。
そこで、キョウタロウは首肯した。
「左様。リットリナ王国国王の娘が嫁いだ先、リットリナ王国としては宗家筋にあたる古大国ヘイゲナー王国の国王に相談するがよかろう」
「……ヘイゲナー王国」
「あとは君をこの国から安全に出す算段をせんとな。……リーゼ。その辺りの工作はそちに頼みたいが」
「……はっ。御心のままに」
隣の金髪ショートの女性が老人に恭しく頭を垂れた。
「ま、ルシフ君は、少し待っていてくれたまへ」
「……しかしなんでまた、私にそこまでしていただけるのですか?」
私としては、キョウタロウが私を手助けすることのメリットがどこにあるのかがまったくわからない。
「……なーに、単に老人の暇潰しみたいなものさ。それに、罪滅ぼし、というのもあるやもしれん。元々、先の戦では君の人となりを知りたかっただけで、迷惑をかけるつもりはなかったしな。それでは失敬。また会おう!」
そういって、キョウタロウはからからと笑いながら、部屋を出ていった。
隣に立っていた片目の男は黙礼をして立ち去り、リーゼと声をかけられていた女性は渋面を私に向けてきた。
「あたしは別にあなたに負けた訳じゃないんだからね!」
はて、なんのことですか?
よくわからない捨て台詞を残し言ってしまった。
本当によくわからない。
◆◇◆◇◆◇
「陛下。よろしかったのですか?」
リーゼが皇帝に疑問を述べた。常ならば、皇帝に質問をするような非礼な真似はしないリーゼではあったが、今回はどうしても問いたださないといけないと感じたのだ。
「ふむ。何がだ?」
「ルシフは陛下にとって危険な存在。こちらになびかないのであれば、切り捨てる選択肢が最上かと」
この場合の切り捨てる、とはルシフの暗殺を意味するのはこの二人の会話では当然の前提であった。
「まぁ、そなたの懸念はもっともではあるがな」
そういって、皇帝キョウタロウは黙した。
キョウタロウにとって、ルシフが、同郷人だとわかった以上、その存在はこの異世界では飛び抜けて価値あるものとなった。
場合によっては、自分よりも未来の日本人であるやもしれず、ルシフの頭の中の知識は価千金、簡単に死んでもらっては困るのだ。
なので、口に出しては別の発言をした。
「あやつの周囲に草を配置し、護衛と動静を探るようにせよ」
「……はっ」
「まぁ、どこまで、やれるかはわからんが、私をできるだけ楽しませてくれよ」
ふふふ、と笑みを浮かべ、皇帝は転位ゲートの向こうへと消えていった。
◆◇◆◇◆◇
「どんな魔法を使ったのかわからないけど、君へと手紙が届いているよ」
一ヶ月後、アンチボルト侯爵のもとに、隣国ヘイゲナー王国へとルシフを派遣せよ、という国王の署名が入った手紙が届いた。
ヘイゲナー王国は南方にあり、リットリナよりも全般的に暖かい気候で、過ごしやすいと聞いている。
「うーん、なんでしょうね。でもまぁ、お呼びとあればどこにでも行きますよ」
「僕としては、君と少しお別れしないといけないことが残念だなぁ」
そういって、お尻をさわってきた。
ぐぬぬ。こいつは、いつもいつも……。
でも、深呼吸をして、作り笑いを一生懸命につくり、アンチボルトに笑いかける。
「オトーサン。私、ヘイゲナー王国に行きたいナー」
ふりふりのメイド服を着ながら、クネクネと身体をくねらせつつ、おねだりのポーズをする。
なぜか、アンチボルトに強要されているしゃべり方だ。
「うーん、仕方ないなー。でも、ちゃんと戻ってくるんだよ。いいね」
「はーい!」
まぁ、このまま、この国に帰ってこない、という選択肢もありかもしれない。
そう思えるくらいには、アンチボルトとの付き合いは長くなった。
次回は、12/19(火)更新の予定です。




