第二十七話 伯爵のお仕事
結論から言うと、保険事業は大成功でした。それはもう笑っちゃうくらいに。
最初の実験として、短い交易路でのみ保険商品を販売したところ、実に好評だった。
数ヵ月もすると、たちまち、様々な交易路での保険商品が求められたので、こちらとしても、それらの交易路に適切な保険金を設定し販売したら、気持ちが良いくらいに売れた。
「……では、こちらにサインを」
「はいはい」
私はニコニコと書類にサインをする。
保険事業一式の譲渡契約書だ。
この数ヵ月の事業で、結構な頭金を手に入れて、さあてと事業拡大を、と思ったところで、ギルドと教会、それにその裏にいるどこぞの有力な貴族たちからの介入があった。
借金の片に、保険のノウハウを売れ、と迫られたのだ。
私は所詮、雇われ領主であって、商売人ではない。
この機会にギルドと教会からの借金の帳消しをしたいと思い、あっさりと介入に応じて事業を売り払った。
先ほど、保険商品販売のためのノウハウを書き記した帳簿、顧客簿を、交渉担当である、ラディカ司教区のザンブル司教に手渡した。
「ルシフ殿に神のご加護がありますように」
私は恭しく頭を垂れながら、舌べらを。べーっとだす。
実はこの保険事業。私たちが少数で回すにはちょっとだけ重荷になってきていたので、ちょうどよい頃合いだった。
やはり、私は商売人じゃない。
じゃあ、経営者かと言われると、そうでもないよなー、とも思う。
うん。そうだ。
きっと、私の目標は趣味人、風流な遊び人、好事家といった感じなのだ。
あくせく働くのは私の趣味ではない。
まかりまちがっても、働きずくめの、社畜になってはいけない。
……というわけで、気分一転、事業からさっぱりと手を切りました。
季節も、やっと暖かい春になってきて気分爽快。
今日は春の感謝祭なので、近くの森に狩りのために来ています。
やっぱり自然と戯れるのは心の生育にも良いし、貴族たるもの道楽で狩りをしないといけないのです。
え? 動物を狩るなんて残酷?
いやいや、郷に入れば郷に従え。
こういった活動をするだけで、なぜか、周囲の部下たち、貴族たちだのの私を見る目が変わってくるのです。
そういうわけで、私は遠目に猪が動き回っているのを発見し、矢をつがえると、勢いよく矢を射た。
まっすぐに飛んで、見事に遠くに見える猪に命中した。
うおーっと、歓声があがる。
ちなみに、魔法を使って補助をしていたのは内緒です。
私に、弓術の心得なんてありませんよ。
仕留めた獲物の側に行き、一人、黙祷を捧げる。
その後、従者たちに猪の解体を命じる。
部下の貴族たちに猪肉を振る舞い、饗宴を開くのが、今日の私の仕事だ。
宴では、麦酒や、葡萄酒を振る舞い、香辛料をいっぱいきかせた猪肉のソテー、白身魚のワイン蒸し、種々の果物などを供した。
まぁ、この饗宴が、春の神々への感謝祭を兼ねているので、ある程度の出費は仕方がない。
「おお、ルシフ様は、こちらにおいででしたか」
「あ、リングテール来てくれたの」
「ご招待に預かりました」
教会のリングテールは、保険事業を立ち上げる間は、貴族たちとの交渉なんかで色々とお手伝いしてくれたのだが、保険事業売却のあとは、教会の各種交渉のために、各地に派遣されることが多くなり、最近は私の手伝いをしてくれる回数が極めて少なくなってしまった。
それでも、ラディカに戻ってくるタイミングでは、こうやって必ず屋敷に顔を出してくれる。
「そちらはまだ忙しいの?」
「はい。これから、というところでございますから。しかし、よかったのですか? 事業を手放してしまって。私の目から見ても魅力的な事業であると思っていたのですが」
「いいのよ。私は所詮貴族。商売人じゃないもの。餅は餅屋っていうけど、どこかのタイミングで、真似をするライバルがきっと出て来たわ。 そうしたらそこからずっと負け続けるもの。それよりは、もらえるものをもらって、さっさと事業を譲った方が、結局は私にとって得なのよ」
「……ははぁ。しかし、ルシフ様のその生粋の思いきりのよさといますか、判断力の高さはどこで学ばれたのですか? 一朝一夕で、身に付くようなものではないと思うのですが」
「まぁ、私にも色々あるのよ」
リングテールの探るような視線に苦笑で返す。
他に世間話を二言三言会話して、リングテールとの会話を終えた。
これから、また、直ぐに別の交渉に向かうらしい。大変だなー、と思う。
その後も続々と現れる色々な貴族たちと挨拶回りをしていると、今度はギルドのヘッカーソンが挨拶にきた。
「よっ! ルシフの嬢ちゃん。儲かっているかい?」
「最近は出費ばかりよ。この前も辺境伯領の端で、魔物を見た、なんていう物騒な報告があったし。まぁ、今はその確認のために、騎士たちと傭兵隊を派遣しているから、さっさとその問題も片付くわ」
「なるほど。ところで、こんなおいしい話があるんだけど……」
いまだにヘッカーソンには、ちょくちょくと私の屋敷にも来てもらって、相談に乗ってもらっている。
今はラディカのギルドの副ギルド長に昇進して、色々と忙しいはずなのだが、こいつは時間が許す限り屋敷に足しげく通ってきている。
この前、気になって、なぜかと聞いてみたのだか、「ま、長期的な投資だよ」なんて言って、お茶を濁していた。
なんのことだか、さっぱりだ。
色々と投資話をヘッカーソンから聞いてみたが、割とリスクが高そうな話ばかりだったので、保留にしておいた。
株式を発行して、資金を集めるとかできれば私の負担も減るんだけどな。
今、私の手元には、保険事業売却時に得た資金により、割とフリーハンドな資金(まぁ、借金返済でほとんどが消えてしまったが)が残っている。
前と違い、今はこの資金で、色々と改革を進めることができる。
まず始めたのが、優秀な人材の確保。
これは、ギルドと教会、それに貴族のツテなんかを総動員して、人材確保を行った。
基本的に、若くて、優秀だが、あまり、日の目を見ていないような人材の発掘に勤めた。
能力主義を徹底するために、試験を義務付けたら、割とマトモな人材を見つけることができた。それだけ、この世界の組織の非効率さが、際立っている、ということなのだろう。
次に、私のやりたかった学問の奨励と、農業改革を進めた。
かねてから領地の農民や都市の住民たちの識字率が悪すぎるのが気になっていたので、少しでも足しになればと思い、教会の方々とギルドの方々を中心に、読み書きと算盤の無償の講座を各地で開いてもらっている。
付け焼き刃ではあるが、やらないよりはやった方がましだろう。
そして、農業改革だが、なんてことはない、他の地域の情報を仕入れたり、農機具の新型を取り入れたりしただけだ。
さすがに大規模な灌漑工事なんかをするには金も時間もない。
それでもやらないよりはマシという感じだ。
こうして着々と、私は、領地改革を進めているのだが、やはり、性急な改革には反対意見が付き物で、それは、私についても言えた。
ある日、いきなり、部下の貴族から直談判を喰らってしまった。
「辺境伯! 今年の我々への贈り物が少ないのではないでしょうか! 伯は今回、大金を手に入れたというのに、我々への一時金の分配が少な過ぎるように思えるのですが? 前の領主の方々であれば、このような場合には我々にも相応の贈り物を頂けましたぞ!」
「……まぁ、今は浪費して使ってしまうよりも、将来のために領民の生活の質を上げるべき事業に使うべきだと思っただけよ。あなたたちも、もう少し我慢をして、将来のために何か投資なんかをしなさい」
私は優しく諭したつもりだったのだが、この貴族はそう思ってくれなかったらしい。
『ルシフ辺境伯殿が、最近、部下の貴族たちをいじめている、という報告があったので、その査問のため、出頭されたし』
なんだか、査問委員会とかいう教会と騎士団とで構成される組織から、お声がかかってしまった。
次回は12/13(水)更新の予定です。




