譲りたい。
エドワードたちがとある町の宿に泊まった時のことです。彼らは二人部屋を三人で使うことになりました。他に空いている部屋がなかったのです。
「さてどうしようか」
夕食の後、部屋に入ってすぐにエドワードがそう言いました。
何のことかというと寝る場所のことです。三人で一人用のベッド二つをどう使おうかという話し合いが始まったのでした。
三人とも仲間の二人にベッドを使わせる気しかないことがわかると、エドワードは即怜の口を塞ぎました。
「ベッド、ほ、むむんむー!」
「危なかった……」
エドワードは今日一番に速く動いたに違いありません。怜も彼女にしてはなかなかの速さで後退しましたが今のエドワードには適いませんでした。
怜の「むむんむー!」は「やられたー!」です。
怜は魔法でエドワードとジークにベッドを使わせようとしました。自分の声にエドワードとジークが即座に反応するところまで考えて、後退しながら魔法を使おうとしましたが、彼女が口を開く前に全力で阻止に動き始めていたエドワードに敗北しました。まず右手で口を塞がれ、そのほんの少し後に逃げられないように左手で後頭部を押さえられてしまったのでした。
「武力行使に出るなんて疲れてるね。ちゃんとした所で寝ようね」
エドワードがやけに優しい顔と声で怜に言いました。それで怜は、勝てるはずなんかなかった、と抵抗する気をなくし、これからエドワードがすることがあまり痛いことではないことを願いました。
でもエドワードは怜をどうにかすることはできませんでした。ジークがエドワードをどうにかしようとしていることに気付いたからです。
「ジークもか」
「エドもだ」
全員疲れているのでした。
様子を見るだけで誰も動かない状況が二十秒程続きました。
一番に動いたのは怜でした。彼女は杖をベッドに放りました。魔法を使いません、の意思表示でした。それがわかったエドワードは怜を放してやりました。
「じゃんけんしませんか」
怜は自由になるなり提案しました。
「何だい、それ」
「ちょっとした遊びっていうか勝負です。先攻後攻決める時とかにもやります」
「どうしてそれをすぐに言わなかったのかな」
「私、負けることが多いと思って……」
事実ですが嘘でもありました。エドワードとジークの動体視力と運動能力が駆使されるじゃんけんは自分が圧倒的に不利だろうと考えたのが正しい理由です。
「どういうことをするんだい?」
「かけ声と一緒に手を出すんです」
怜は右手を拳にして出しました。
「これが“ぐー”です。石です」
次に人差し指と中指を立てました。
「“ちょき”です。はさみです」
最後に手を開ききりました。
「“ぱー”です。紙です。この三種類の中から一つ出します」
左の手も出しました。こちらはグーにします。
「紙は石を包めるということで、“ぱー”は“ぐー”に勝ちます」
こんな感じで、怜は両手を使ってルールを説明しました。
全部聞いたエドワードが疑問をぶつけました。
「紙は石包めるけど、石なら紙破れるよね?」
「そういうのは園児から小学校低学年の頃に大体の人が考えてると思います。でも最終的にそういうものだと思ってみんな従います」
「そっか。じゃあ僕も従うよ」
「じゃんけんするってことで、いいですか」
エドワードとジークは頷きました。
「じゃあ練習しましょう」
三人は何度か怜の声に合わせて手を出しました。エドワードとジークは初めのうちは手を出すのが遅れたり、自分が勝ったか負けたか判断するのに時間がかかりました。慣れると動きが滑らかになり、二人が勝ち一人が負けた後にすぐに二人で勝負することもできるようになりました。
「今度はエドワードさんが言ってみてください」
「うん。えーと。さいしょはぐー、じゃんけんぽん?」
エドワードは日本語で言えましたが、最初のグーを出したきり手が止まってしまいました。もう一回。
「さいしょはぐー、じゃんけんぽん。……あいこでしょ」
今度は失敗しませんでしたし、相子にも対応してみせました。
「次はジークさんお願いします」
「ん……。最初はぐう。じゃんけんぽん」
ジークはゆっくりでしたが発音が上手でした。
その後、三連続怜の一人負けが起きました。エドワードとジークが怜の出す手を見切り、勝つ手を出せるようになったと怜は考えました。そこで怜は練習を終わらせました。
「勝った人が他の二人を自由にできます。いいですか」
エドワードとジークは重々しく頷きました。まるでこれから大変な戦いに赴くかのようです。
「行きます。最初はぐー、じゃんけんぽん!」
怜はグーを、エドワードとジークはパーを出しました。怜の手が下がり、エドワードとジークがお互いを見ました。
「レイちゃんに言ってもらおう」
「そうだな」
「レイちゃんお願い」
「はい」
エドワードとジークがあまりにも真剣な顔をしているものですから、怜も少し堅くなりました。そして声に力が入ります。
「最初はぐー! じゃんけんぽん!」
ジークが勝ちました。
「やられた……っ」
エドワードの手がだらんと下がりました。
三人はずっと右手でじゃんけんをしていましたが、ここでジークは左手を出したのです。最初のグーを右で出し、本番も同じと見せかけ、左手のチョキを出してパーのエドワードに勝利したのでした。
勝者のジークは、いつもの無表情でエドワードと怜に言います。
「エド、レイ。一緒に寝よう」
「え?」
「え?」
「くっつけて、三分の二ずつ使う。俺が真ん中」
怜にはそれがとても良い案に思えました。どうして今まで思いつかなかったのでしょう。
「それなら一人と二人の二人より広く使えますし、誰かが床で寝て申し訳なく思うこともないですね」
「この年で一緒に寝るのって問題あると思うんだけど」
エドワードから予想どおりの意見が飛んできたので、
「俺たちは十歳と八歳と六歳だ」
と、ジークは返しました。
「……強引だ……」
寝る支度が整いました。
まずジークがベッドに上がりました。彼は、幼い頃に家族三人で一緒に寝た時のことをふと思い出しました。今の自分にとっても大きく感じるベッドで両親に挟まれて寝る時、真っ先に自分がベッドに乗っかったものです。
次に怜がジークの右に寝転んで目を閉じました。ジークは怜が落ちてしまうのではないかと思いましたが、自分と距離を詰めさせるのはやめておきました。
エドワードはさっさとベッドに入ってしまった二人に対して、
(まったく、この子たちは……)
とか思いながらジークの左に寝てみました。
「やっぱり、これは……」
「何かする気か」
「しないけどさあ。レイちゃんが渋らないって何なのさ。いつもの恥ずかしがりはどこいったんだい」
「えいごわかりません」
「え?」
エドワードとジークは、怜の言ったことが魔法にならない日本語だと気が付くまで少し時間がかかりました。
「日本ごしかわかりません」
「にほん」が聞き取れたエドワードはそこで理解しました。
「そっかあ。レイちゃん六歳だもんね。イリム語わかんないね」
エドワードがそう言ったのでジークも怜の考えがわかりました。
「レイはにほん語しかわからないから何か言いたかったらにほん語使うしかないわけか」
怜の二回の日本語は、エドワードへの返事であり脅しでもありました。「男女が一緒に寝ることについて深く考えません。あんまり言うと魔法を使うぞ」です。英語と言ったのは、六歳の自分には外国語イコール英語だったと思っての怜のこだわりです。
「いっそ言いたいこと言ってくれた方がいいかもしれないな」
エドワードがそう言うと、怜の手が壁に立てかけられた杖に伸びました。
【寝ろ】
エドワードとジークはまぶたと口を閉じるしかなくなりました。二人とも、怜がじゃんけんの前に言ったのが今のだったら危なかったと思いました。
怜がじゃんけんを教えてからずっと後のある日のこと。
エドワードたちはとある人の家で、背もたれのある椅子二つを譲り合う事態になりました。
そこで怜が、
「じゃんけんで……負けた人が背もたれ無しでどうですか」
と言って、じゃんけんを提案したところ、仲間二人はそれに頷きました。
怜はそれまでじゃんけんで勝った人が何かの権利を得るようにしてきたことを利用し、エドワードとジークにうっかりじゃんけんで勝たせ、彼らに背もたれありの椅子に座らせることに成功したのでした。