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冬空に願いを~2016年蒼旗悠クリスマス短編集~  作者: 蒼原悠
【第二章──Into the Twilight】
6/9

#6 日暮れの迷い道(『ロボコンガールズ』より)





「──あー、疲れたなぁ」


 大きな紙袋を振り回しながら、玉川(たまがわ)悠香(はるか)は空を見上げて呟いていた。赤と緑のリボンで結んだツーサイドアップの髪が、呼応するようにぴょんと跳ねた。

 誰のせいで疲れたと思ってるのよ、と隣で口を尖らせたのは隅田(すみだ)陽子(ようこ)である。ショートカットの髪は首があらわになって、この季節にもなると少し、寒そうだ。

「たかがプレゼント選びのために一時間半もうろついて、あたしもうクタクタ……」

「ヨーコ、年取ったんじゃない?」

 すぐさま二つ結びの少女──渡良瀬(わたらせ)菜摘(なつみ)が茶化した。陽子は凄まじい眼力で菜摘を睨む。「同、い、年!」

 広い遊歩道を並んで歩く五人の少女たちの手には、それぞれに一抱えもありそうな紙袋が握られている。サイズも、色も、デザインもまちまちだ。中でもひときわ大きな紙袋を提げている悠香は、なんだか照れ臭くなって笑ってしまった。

「えへへ。私、買い物の時ってどうしても優柔不断になっちゃって。だいたいヨーコは選ぶの早すぎだよー」

「優柔不断なら事前に決めて来るべきだったんじゃないの? 私なんて昨日には何買うか決めてたよ」

 割り込んできた鶴見(つるみ)亜衣(あい)が苦言を呈したが、背後から間髪を入れずに相模(さがみ)(れい)の突っ込みが入った。「その割に、最後までショーウィンドウに見入ってたのはアイだった」

「だ、だって! 買い物も終わってたから暇だったし、どうせ手も届かないような高い物だったし……」

 亜衣は慌てて言い訳に走る。ロングの髪が首筋に触れて、変にこそばゆい。

 らしいなぁ、と陽子が笑った。四人──否、五人分の笑い声が、頭上に広がる大きな空へと風に乗って舞い上がっていった。


 悠香、陽子、菜摘、亜衣、そして麗。同じ中学に通う三年生の五人は、今年の春に自力で部活を立ち上げてロボットコンテストのイベントに挑戦したメンバーだった。

 中高一貫校なので高校受験の必要がなく、中学三年生のこの時期も忙しくない。そこで、かつてのリーダーだった悠香がこんな提案をしたのである。

 ──『することがないなら、みんなでどこかに行かない? 遊んだり、自分用のプレゼント選んだりとか、とにかく何でもできるようなところ!』

 ──『そんな都合のいいところ、あるかなぁ』

 訝しげに尋ね返した陽子に、悠香が自信満々に突き付けたのは、臨海副都心(レインボータウン)の地図だった。

 東京湾上に位置してレインボーブリッジで陸と結ばれ、お台場や有明の属する臨海副都心には、確かに買い物や観光や遊びのスポットが山とあふれている。かつて挑んだロボットコンテストの会場も、有明地区にある東京ビッグサテライトだった。以来、一度改めて遊びに来てみたいと、悠香はずっと目をつけていたのである。

 ──『移動はゆりかもめに乗れば楽々だし、クリスマスの時期には花火大会もやってるんだってよ! ねっ、みんなでここ行こうよ』

 悠香の熱心な畳み掛けに、ついに全員が頷いた。かくして今日、朝一番に新橋に集まって新交通システム『ゆりかもめ』で海を渡った悠香たちは、もう長いこと臨海副都心での時間を楽しんできたのである。




 太陽が西の空から姿を消して、もう三十分近くが経過している。有明地区と青海地区を繋ぐ『夢の大橋』には、目映い電灯に照らされた五人の影が仲良く並んで映っていた。

 花火まで何分だろう、と菜摘が言った。すぐに腕時計を見た陽子が、答えた。

「五時だね。花火、確か七時からだっけ?」

「うん。七時から、お台場海水浴場で」

 応じたのは悠香だ。冬の時期の打ち上げだからか、十分ほどで終了してしまうらしい。それでもいいから見てみたかったのだ。

「もう五時かぁ。なんかすっごく色々と回ってきたよね、今日」

 頭の後ろで手を組んだ亜衣が、のんびりと言った。

 全員の行きたい場所を尊重した結果、悠香たちはあちらこちらを行ったり来たりするはめになった。とにかく遊びたかった悠香の希望は、国内最大級の屋内遊園地・東京アクアポリウス。ショッピングモール巡りの好きな亜衣の希望は、自動車展示場や観覧車を備えた複合商業施設・パレットプラザ。理系一筋の麗の希望は、最先端の研究や技術の展示を行っている科学館・宇宙科学未来館だ。

 台場の浜に面したペガススタウンでは、自由の女神像を前に陽子が写真撮影に夢中になって、十五分以上も離れようとしなかった。船舶博物館の屋外展示物に飛び付いた菜摘は、研究者のような熱心さで見て回った挙げ句、館内のスタッフを捕まえて話を聞こうとして全員の苦笑いを買った。

 一日や二日ではとても回りきれないほどの魅力的な施設や風景が、臨海副都心にはあちらこちらに立っている。そして、思い付いた順番に適当に回った結果が、この足の疲労というわけで。

「レイちゃん、なんかすごく元気そうだよね」

 一人だけしゃんと足を伸ばして歩く麗に、悠香は話し掛けた。もちろん、とばかりに麗は頷く。ブロンドの髪がさらりと風に流れた。

「楽しいと、疲れを忘れられる気がする」

「あー。それ、ふっと我に返った瞬間に痛みが来るやつだ」

 陽子に指摘され、麗の顔がぎくりと固まった。図星らしい。

 悠香はくすりと笑った。めったに笑いもしないクールビューティータイプの麗が、珍しく目をキラキラさせて夢中になっている姿を、ついさっき悠香はばっちりその目で見ていたのである。

「科学未来館の中でのレイちゃん、いつもの姿からしたら考えられないくらい楽しそうだったもんねー」

 恥ずかしくなったのか、麗は俯いて顔を赤くした。

 菜摘がその肩を叩いた。「いいんだよレイ、自然になりなさい。楽しい時は楽しむのが一番なのだから」

 菜摘らしからぬ厳かな口調に、全員が思わず吹き出した。笑いながら陽子が、意趣返しとばかりに突っ込みを入れた。

「船舶博物館でのナツミも大概だったけどね。自重しなさいよ自重」

「えー。それスマホカメラから目を離さなかったヨーコが言う?」

「ナツミには言われたくない」

「ヨーコには言われたくない」

 目を見開いた陽子と口元を歪めた菜摘の間で、青い火花が散る。なまじ笑顔なので、はたから見ればなかなかに恐ろしい光景だ。

 まぁまぁ、と悠香は収めに入った。こう見えたって私、元リーダーのまとめ役だもん──。

「いいじゃない! とりあえず全員行きたいところには行けたんだし! ね、ねっ!」

「ハルカはもっとすぐにプレゼントを決めなさい」

「そうだよー。天体望遠鏡と地球儀の間で、ハルカ軽く四十往復はしてたじゃん」

「やっぱり私を見習って、買うものを先に決めておくべきだったんじゃないの?」

「優柔不断は、彼氏ができにくそう」

 四面楚歌だ。散々な言われようの元リーダーである。

 しょんぼりとした悠香は肩を小さくして、はーい、と謝った。その様子が可笑しかったのか、四人にまた、笑われた。


 でも、自分の失敗を笑われて、それでみんながひとつになるこの感覚が、悠香はちょっぴり好きにもなりつつあった。




 余った時間のすべてを費やし、活かせる限りのお金や知識を注ぎ込み、頼れる人に助力や助言を求め続けて、がむしゃらに挑んだ五月のロボットコンテストから、半年以上もの月日が経った。

 あんなに何かに全身全霊を捧げる経験など、悠香にとっては初めてのことだった。悠香たちのチームの優勝という形でロボコンが閉幕して以来、たまりにたまっていた疲れがどっと堰を切ったのか、帰ってからもぐったりとベッドに沈み込む日が増えた気がする。夏風邪も引いたし、インフルエンザも予防接種を打つ前にかかってしまった。

 ──『燃え尽き症候群じゃない? 正直、あたしも最近、兼部してるテニス部の方にちっとも力が入んないよ』

 夏休み前、心配になって相談すると、陽子も失笑しながらそう答えていた。

 もとをただせば、そもそも悠香がロボコンに挑戦しようと思ったのは、目的の見当たらない日々を怠惰に過ごす自分に嫌気が差していたから。

 このままじゃ私、また前みたいな日々に逆戻りだ──。怖くなった悠香の心に、その時、ひとつの考えが浮かんだ。

 頑張る目標を見つけるには、頑張った痕跡をもう一度、みんなで見に行くのが一番かもしれないと。




 かつて洋上に浮かぶゴミ処理場だった臨海副都心には、昔からあった街並みは何もない。開発が始まって真っ先に作られたのは、縦横に走る巨大なプロムナードだった。

 いくつもの地区を結ぶ象徴として、それから安全で快適な歩行者空間として、プロムナードは設計されている。賑やかな施設の大半はプロムナードに面して設置されていて、人の往来も圧倒的に多い。

 ──にも関わらず、有明側に向かう悠香たち五人の周りには今、あまり人影を見かけることができない。


「ロボコンの時はちゃんと歩き回らなかったけど、有明ってこんな風になってるんだね」

 高いビル群を見上げながら、首が痛そうに菜摘は顔をしかめた。「お台場とか青海と違って、こっちはなんかオフィスビルばっかり」

「大学もあるみたいだよ。今日は土曜日だから、人が少ないんじゃない?」

 もったいないなぁ、と悠香は思う。ついさっき渡り切った夢の大橋も、歩いているこのプロムナードも、どれも豪勢なイルミネーションで彩られているのに。

 視界の先にはりんかい線の国際展示場駅がある。あのあたりは人がいるね、と陽子が目を細めながら言った。

「ねぇハルカ、確かに花火までは時間あるけどさ、なんでわざわざこんな方まで歩いてきたの?」

「うん、ちょっとね」

 亜衣の問いかけにも、悠香は振り返って微笑むにとどめた。亜衣と陽子が視線を交わして、またか、とでも言いたげな顔をする。

 チームを発足させた時から今に至るまで、この五人の日々には常に悠香の思い付きが絡んでいると言っても過言ではなかった。何かをやろうと言い出すのは、大抵の場合は悠香の役目だったからだ。




 大きすぎる成功体験を手に入れてしまった悠香には、この先、どんな目標を据えて、何に頑張ればいいのか、かえって分からなくなってしまっている。

 それだけ私、あのロボコンに夢中になれたんだ。それってすごく幸せなことなんだろうな──。半年前を思い浮かべる時、悠香の心に浮かぶのはそんな安堵でもあり、同時にその安堵が原因の不安でもある。

 そしてそれはきっと、悠香だけではないはずなのだ。期末試験の点数ががくんと落ちた菜摘も、授業中にどこか遠くを見る姿が目立つようになった麗も、以前ほど服装や髪へのこだわりを見せなくなっている亜衣も、それから部活への意欲が低下気味だという陽子も。

 だったらみんなで考えたい。たとえ答えを見つけることができなくても、そうやって目の前の課題や疑問に向き合い、少しずつ乗り越えてきたのが、頼りない悠香(リーダー)の率いるこの五人だったはずだから。

 そして、その営みは半年前に一度、ロボコンでライバルチームを僅差で制し優勝するという大きな大きな実を結んだ経験を、今も確かに有しているはずだから。




 歩く五人の右手に、逆三角形のシルエットが浮かび上がった。

「あ、ビッグサテライトじゃん」

 菜摘が呟いた。象徴的な外見で有名な、東京ビッグサテライトの会議棟だ。

「そういえばロボコンの時も、この場所からあれを見かけたよね」

「見かけたっていうか、あれが会場だし?」

「懐かしいなぁ。もう半年も前のことになっちゃったのか、ロボコン」

 立ち尽くしたままビッグサテライトを眺める四人の一歩前に、悠香は進み出た。それから、ビッグサテライトを指差した。

「ね。ちょっと、近くまで行ってみようよ」

「電気点いてないし、今日は何のイベントもやってないと思うよ?」

 陽子が聞き返した。いいから、と悠香は重ねる。

「半年前のあの日、ここで見たあの景色を、今なら少しくらい思い出せるかもしれないじゃない?」

 仕方なさそうに陽子たちがついて歩き出した。悠香はその先頭を、紙袋を後ろ手に提げて歩いた。

 緊張も不安も、ましてや高揚感もない今は、ビッグサテライトの建物は何だかひどく巨大なだけの、岩山のような存在に見える。当たり前だ、と思う。この建物に魂を吹き込むのは、ここで開かれるイベントであって、そのイベントを盛り上げる参加者なのだから。

 悠香たちだって、一度はその参加者の一部になって、この建物をたくさんの関心の集まる場に仕立てあげた。

「ライトアップもイベントもないなんて、なんか寂しくない? せっかくのクリスマスなんだから、綺麗に飾り付けたりイベント開けばいいのにね」

 亜衣が呟くと、麗が控え目な声で反応した。「……たぶん、イベントをやったら、ただでさえ混んでる交通手段がもっと悲惨なことになるからだと思う」

 亜衣は言いたいことをすぐに口に出してしまいがちなタイプ。麗はその逆で、言いたいことがあってもなかなか口にできないタイプだ。

「それにイベント開くのって、ビッグサテライトじゃなくて企画会社だろうしね。ここはあくまで入れ物だもの」

「そうそう。クリスマスにイベントやったって、来てくれる人は多くないって思ったんじゃない?」

 陽子と菜摘が続けた。陽子は現実的な思考をしすぎてしまうタイプ、菜摘は他人の意見についつい迎合してしまうタイプ──自分自身が、そう言っていた。

 みんな、違う。違う人たちだからこそ手を取り合って成し遂げられることもあるし、追い求める夢の姿だってきっと別々に違いない。

「ビッグサテライトもクリスマスイブくらいはゆっくり休みたいだろうし、いいんじゃないかなぁ」

 最後に悠香は笑った。メルヘンチックだとバカにするでもなく、しんとして黙り込むでもなく、陽子も、亜衣も、菜摘も、麗も、マフラーに埋めた口元で微笑んだ。

 やっぱり私、この五人で過ごす時間が、いちばん好き──。

 悠香の心の奥で、そんなあたたかな思いが、滲むようにじんわりと広がった。

 大切にしたい仲間だからこそ、自分の思いを知ってほしい。そんな風に考えてしまうのは、悠香(リーダー)のわがままなのだろうか?


 階段を登りきってしまうと、途方もない大きさの建物が視界の隅々まで広がった。悠香は踵を返して、四人を振り向いた。

「私、ね」

 首と一緒に振り向いた髪が、楽しそうに風にふわりと舞った。

「ここを目指してみんなで頑張った時間、すっごく幸せだった」

「突然どうしたの?」菜摘が不安げな顔付きになっている。「引っ越しでもするの?」

「ううん。私はこれからも、山手女子の生徒だよ」

 本気で心配になったのだろう。麗が大きく大きく、ため息を()く。

 少し膨らんだ嬉しさに押されて、悠香は言いたかったことを一気に話し始めた。

「でも、なんだかな。ロボコンが終わっちゃってからずっと、次に頑張る目標がなかなか見つけられなくって。そうでなくても私、優柔不断だから『これ』って決めるのが苦手だし、それにロボコンの思い出がきれいすぎて……。このままじゃ私、また昔みたいに怠け者な自分に戻っちゃいそうで、すごく、すごく怖いんだ」

「それで、ここにあたしたちを連れて来たの?」

「うん。みんなでここに立てば、何かを頑張るっていう感覚を少しは思い出して、また何かに取り組めるようになるかなって思ったから」

 情けないなぁ、私──。話しながら悠香は、ふと寂しい気持ちになった。ロボコンが終わったあと、次の目標を見つけて頑張ることを自分に誓ったのに、半年が経過した今になって、こうして仲間に頼ることになるなんて。

 すると、なんだぁ、と菜摘が相好を崩した。

「ハルカもだったの? 実は私もずーっとそれ悩んでてさー。相変わらず好きなことならいくらでも勉強できるけど、やっぱ嫌いな教科は嫌いなまんまだよね。努力すればなんとかなるって知ってても、努力する気が起こらないっていうか」

「あっという間に成績落ちたもんね」

 亜衣がぼそっと呟いた。そうなんだよー、と菜摘が情けない声を上げて、ビルの谷間に五人分の笑い声が反響した。

「でも、あたしもそれ、他人事には思えないよ」

 陽子も半笑いの表情になりながら、悠香の隣に歩いてきた。そして、そびえ立つビッグサテライトのビルディングを見上げた。

「やればできるっていうのと、やる気が起きるっていうのは、ぜんぜん別物だよね。あたし、ぶっちゃけテニス部、辞めてもいいかもって思ってる」

「ええっ、だってヨーコ、テニス部では相当上手な方だって聞いたよ?」

「前はね。でも何か、今はあんまり取り組みたいって思えないからさ。そんな態度で臨まれたら、他の部員だってメーワクかなって」

 深刻そうな話をしている割には、陽子の表情は晴れやかだ。そっか、と悠香は俯いた。

 沈黙に沈みかけた場を底上げしたのは、亜衣だった。

「なになに、なんでみんなしてそんなに無気力になってるの?」

 亜衣は笑った。バカにしている笑いではなくて、照れているような笑い方だった。「それじゃ私だけ変みたいじゃん! 私、せっかくこの前、新しくピアノに取り組み始めたばっかりだったのに」

「そうなの!?」

 初耳だ。

「うん、実はね。手先が器用なのをロボコンで活かせたから、何か有利になる趣味はないかなって考えて、そしたら思い当たったのがピアノだったんだよね。ピアノ弾けたらカッコいいなーって思って、始めてみた」

 すげぇ、と陽子までもが驚いている。けれど確かに、美形で身だしなみにも気を使う亜衣がピアノの演奏技術まで身に付けたら、色んな意味で将来は有望に思えた。

「まだまだ下手くそだし、人様に聞かせられるようなレベルじゃないけどね?」

 断った亜衣は、でも、と言葉を繋いだ。

「私、無理して“頑張る目標”を据えたわけじゃないよ。たまたまピアノが思い付いて、たまたまやってみたらできそうだったから、それで意欲が湧いただけだもん。そういう意味では、ハルカに誘ってもらって加わって、やってみたら役に立てて、それで頑張れたロボコンの時と何も変わらない」

「ロボコンの時と、変わらない……」

「うん。だからね、今みたいに懸命に目標を探そうとしてるハルカの姿勢は、私はなんか違うよなーって感じるかな。ハルカだってロボコンに参加するって決めた時、別に目標を探し求めてたわけじゃないでしょ?」

 言われてみたら、そうだった。もう一年近く前になってしまった、ロボコンに挑戦すると決めた時のことを、悠香は思い返した。

「見つけるものじゃなくて、見つかるもの……ってこと?」

 こくんと亜衣は頷いた。「そうそう。無理したって仕方ないんじゃない?」

 それまで沈黙を貫いていた麗も、いつも通りの控え目な声で言った。

「私も、そう思う。私だって科学の勉強は好きだけど、好きになりたい学問を見つけようとして科学にたどり着いたわけでは、ないから」

「レイのところは科学一家だもんなー」

 麗の肩にもたれかかりながら、陽子が笑う。当の麗もなんだか嬉しそうだった。

 最近の麗はそわそわして見える。授業を受けながらも意識が上の空というか、何か物足りなそうな顔をしている。それで当たり前のように高得点を取っていくものだから、悠香からすれば羨ましい以外の何者でもないわけだが。

「レイちゃんはロボコン終わってから、変わった?」

 悠香が尋ねると、途端に麗の頬に赤みが差した。さっきよりもさらに数段小さな声で、麗は答えた。

「……やりたいことも、興味のあることもたくさん見つかったけど、このメンバーで取り組めないと、寂しくて」

 なんだ、そういうことだったのか。拍子抜けしたような気分になった悠香の目の前で、レイったら可愛いこと言わないでよー、と菜摘が飛び付いた。

「やりたいことがあるなら誘ってよ! プログラミング以外は役に立てないけど!」

「役立つ範囲がめちゃくちゃ狭いな、そのスキル」

「私やアイと違って一芸もないヨーコには言われたくないもんね」

「言ったな!?」

 陽子も飛び付いた。二人に両側から押し潰されて、麗はこの上なく嬉しそうに顔を染めている。

 以前のようにこうやってはしゃげる時間を、ずっと麗は欲していたのかもしれない。

 ぼうっと立ち尽くしながら、その光景を見つめていた悠香の隣に、亜衣がそっと立った。

「私ね。楽しいっていう気持ちってさ、考えもしなかった場所で見つかるからこそ“楽しい”って感じるものなんだと思うんだ」

「……うん」

「だからさ、無理に頑張ろうとして悩まなくたっていいんだと思うよ。ナツミだってヨーコだって、努力の目標が見つからなくてもつらそうな顔なんかしてないじゃん。『頑張りたい!』って思えるような何かが転がり込んでくるのを、みんなでゆっくり待とうよ。無理するなんて、ハルカらしくないよ?」


 そうかもしれない──。

 悠香は、ほっと安心したような気分になった。

 焦れば焦るほど、目の前にあるものは見えなくなる。その教訓こそ、悠香がロボット製作の過程で繰り返し学んで来たことだ。差し伸べられた手のひらも、歩調を合わせてくれる足も、見ることがなければ存在には気づけない。

 それは、努力目標だって同じことなのだろう。

 焦って遠い将来ばかりを見ることなく、けれど求める気持ちだけは捨てないまま、その時が来るのを待てばいい。『やればできる』と言い切れるだけの自信と裏打ちを、悠香はもう、手にしているのだから。


 一気に気持ちが楽になった。暖められた空気が上昇するみたいに、悠香の気分もぽかぽかと上がっていく。

「てか、あの日は気付かなかったけど、私たちってこんなでっかい会場でロボコンやってたんだね!」

悠香の隣で会議棟を見上げた亜衣が、今さらのように感心したような声を上げた。「来年もここでやんのかなぁ、あのロボコン」

「お、来年も出ちゃいます?」

 菜摘が言った。目を離している間に何があったのか、なぜか菜摘も陽子も麗の頭を撫でている。ブロンドのロングヘアが柔らかに揺れて、麗は今にも自爆しそうなほど真っ赤になっている。

「あたしは出てもいいよー? なんせ、ノウハウはしっかり覚えてるし!」

「……でも、来年は物理部の人たちも本気出してくるだろうし、厳しい戦いになるかも」

「いいじゃん! 山手女子から出場した二チームが頂上決戦とか、テレビ受けも絶対いいよ!」

「今からテレビ受けのこと考えてどうすんのよ、ナツミ……」

「もちろん、やるとしたらリーダーはハルカだよね」

 不意に自分の名前が出てきて、悠香は慌てて顔を上げた。

 陽子が、菜摘が、麗が、亜衣が、自分のことを見つめながら、微笑んでいた。

「ねっ?」

 菜摘が畳み掛けた。

 悠香はたまらなく嬉しくなった。思わず存在を忘れてしまいそうになった紙袋を、落とさないようにしっかりと両手で抱きかかえて、悠香は大きく首を振った。

「うん!」

「まだ参加するなんて決まってないのに、早すぎー」

 亜衣の言葉に釣られて、笑った。笑いは日常茶飯事なのに、久しぶりに心から笑えたような気がした。


 直後。腕時計を見た陽子が叫んだ。「やばい!花火、あと二十分で始まる!」

「えっ!?」

 悠香たちはあたふたし始めた。今いる国際展示場前から花火会場のお台場までは、徒歩で数十分はかかる道のりだというのに!

「ゆりかもめに乗るべきだと思う」

「そうは言っても駅なんて近くに──あ、みんな! あそこに国際展示場正門駅があるよ!」

「急げ! 会場が埋まっちゃうぞ!」

「怖いこと言わないでよヨーコ! そういうこと言ってて本当になったらどうすんの⁉」

「っていうか、冬花火ってそんなに混むのかな⁉」

「どうかなぁ。混むにしろ混まないにしろ、カップルを視界に入れないようにしたかったら前の方に陣取るしかないしー」

「ナツミはしゃべってないで早くICカードを出せーっ!」




 駅を目指して走りながら、ふと、悠香は背後の東京ビッグサテライトを一瞥した。

 ビッグサテライトは黙っている。そうだよね、クリスマスくらいゆっくり休みたいよね──。数日後に巨大な同人誌販売イベントが企画されていることを思い出して、悠香はなんだか可笑しくなった。

 それからそっと、言った。

「私、諦めないよ」

 たとえ、頑張りたいことが見つからなくたって、見つけた目標が遠くったって。

 それきり、悠香はまた前を向いて、みんなの背中を追いかけた。

 臨海副都心を彩る冬の花火が、大きな大きなクリスマスプレゼントを受け取った悠香を、待っている。




 日没を過ぎたクリスマスイブの街並みは、すっかり夜の色をしたカーテンの中へと包まれた。

 時刻は午後七時。

 楽しい時間から美しい時間へ──いよいよ、聖夜が始まる。







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