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冬空に願いを~2016年蒼旗悠クリスマス短編集~  作者: 蒼原悠
【第二章──Into the Twilight】
5/9

#5 サプライズのスイッチ(『ルームメイド』より)






 どこまでも透明に晴れ渡った空も、ようやく西の空からオレンジ色に染まり始めた。

 午後四時。山並を乗り越えて、夕刻がやって来たのだ。

 街にはぽつりぽつりと灯火が輝き始める。街路灯が点き、家々やオフィスの照明は周囲に明るさを振り撒き、そしてこの日のために用意されたイルミネーションがともる。

 安価なLEDの普及でこれまでより手軽にイルミネーションが行えるようになった昨今、どの街でもクリスマスの季節を前に大小様々なイルミネーションイベントが実施されるようになってきた。もちろん、行政や企業主導のイルミネーションばかりではない。個人が電飾を行うケースも、最近になってさらに増えてきている。電気代が少なくて済み、設置も容易なLEDは、イルミネーションの敷居をそれまでよりもぐっと引き下げたのである。




「──こんな感じで、どうですか?」

 コード状の電飾装置を太い木にぐるぐると巻き付けた少女──宮本(みやもと)(あや)は、数歩下がったところから観察しながら後ろへ向かって問い掛けた。

 ぱっと光が灯り、いいんじゃないかな、と返答が飛んでくる。

「その巻き付いてる感じ、頂上の星がくるくる回りながら上に上に昇っていくみたいに見えるよ。狙い通りなんじゃない?」

「以下、同感よ」

 やった、と彩はガッツポーズをした。慣れないイラストまで描いて計画を立てたのだ、成功したと言ってもらえると嬉しくなる。

 ぶかぶかと大きなジャンパーに身を包んだ彩の目の前には、百平方メートルほどの面積の畑が広がっている。今、そこには色とりどりのライトやカラーモールが絡むようにして取り付けられ、夕焼け色の中にきらきらと煌めいていた。中央にはクリスマスツリーがどんと置かれていて、その頂上ではサンタやトナカイに囲まれた星が金色の輝きを放っている。

 これだけのものを作り上げて、総工費は僅かに二千円だった。

「坂本さん、本当にありがとうございました」

 駆け寄ってきた男性──坂本(さかもと)友雄(ともお)に、彩はぺこりと頭を下げた。坂本は笑って受け流した。

「いいよいいよ、どうせ余っていたものなんだから。むしろ彩ちゃんに使ってもらえて喜んでるんじゃないかな?」

「そうだといいんですけど」

 後ろをちらりちらりと窺いつつ、誉め言葉に照れた彩も微笑んだ。そうして、だんだんと冷え込んできた空気をすうと吸い込んでみた。

 あとは、街に下りているあの人を、出迎えるだけ。




 彩は、この畑を管理している老齢の男──長井(ながい)(すすむ)の家で、居候として暮らしている少女だ。

 東京都心から片道一時間以上、電車とバスに延々と乗り続けてやっと辿り着くことのできる日の出町の山奥に、征の家はある。その征は今、軽トラックに乗って山を下りているところだ。麓の平井地区にある肉屋に注文していたチキンを、夕食の購入ついでに取りに行くのだという。

 その隙を彩は狙っていた。ご近所に住む中年男・坂本から使用していないという電飾装置を借り受けておいて、自分用の畑を一気に飾り付けたのである。

 今年の春先に花を一杯に植えたその区画は、見違えるように美しくなった。ちなみにこの電飾のことを集落内で知らないのは征だけだ。他の住人たちは全員、知っている。

 それもこれも全て、戻ってきた征を迎えるため。


 光が弱いな、と坂本が呟いた。言われた場所を彩が見ると、ずらりと並ぶ豆電球の一つが不規則に点滅しかかっている。

「やっぱり長いこと放置してたからなぁ、壊れてきたかな……」

「私が何とかしましょうか」

 それまで寡黙だった別の少女が、坂本の後ろから進み出てきた。彼女は、岩井(いわい)(はる)。坂本家の雇っている多目的人型ロボット『ルームメイド』だ。

「何とかなるの?」

 尋ね返した彩に、晴はこくんと頷いて見せる。

「自動調光機能の不具合だと思う。回路を調節してみるわ、ちょっと離れていて」

 言うなり、中指の先が開いて(こて)のような機械が顔を出した。坂本と彩を離れさせた晴は、装置に触れて二度、三度と火花を散らす。飛んだヒューズが青白く輝いた。

「これでどうかしら」

 立ち上がった晴に代わって、二人はおずおずと問題の部分を覗き込む。驚いた。本当に直っているではないか。

「相変わらずやるねぇ、晴」

「仕事ですから」

坂本の言葉に、晴はにっこりと笑ってみせた。黄色の日光を浴びたその顔に、彩も素直な感動を覚えた。

本物は(・・・)すごいな、と思った。

 晴が言うには、この豆電球には自動で光の強さを調整する機能が装備されていて、それが調光機能のついたスイッチと同じ回路に繋がってしまうと誤作動の原因になるのだという。電球側の機能をわざと破壊して、ただ点灯するだけにしておきました──晴はさらっとそう口にしたが、そのテクニックについては教えてはくれなかった。もっとも、教わったからといって彩に実践できるわけではないのだが。

 (私は単なる人間だもの)

 晴の離れ業を見せつけられるたび、いつも彩は自分にそう言い聞かせている。


 『ルームメイド』は元々、東京都が大手機械メーカーの協力を得て実施した、無償の介護福祉ロボット派遣サービスだった。紆余曲折を経た現在は廃止されてしまったものの、当時配布されたルームメイドたちは今もなお、各家庭で育児や介護といった福祉労働に勤しんでいる。坂本家に配属されている岩井晴も、そんなルームメイドの一人なのだ。

 そして彩は、ルームメイドの起こした火災事故で家族を亡くした少女だった。

 訳あって長井家に『偽装ルームメイド』として配属された彩だったが、ロボットらしからぬ言動を無意識に繰り返した挙げ句、征に正体を知られてしまった。それでも征は、今も彩を自分の家に受け入れてくれている。互いに天涯孤独な征と彩は、血も繋がっていない間柄でありながら家族のような暮らしを送っているのである。

 晴が当然のようにできてしまうことが、彩にはできない。人間なのだから仕方ないのかもしれないが、それでも時々思ってしまうのだ。悔しい、と。


 (征さん、喜んでくれるかな。驚いてくれるかな)

 夕陽を浴びてオレンジに映える畑を眺めながら、彩は胸の奥で不安を玩んでいた。

 長井家の属する大久野地区の松尾集落があるのは、日の出町の中でもとりわけ山奥だ。都心の日没時刻を待たずして、もうじき山の端に日が沈んでいくだろう。そうすればイルミネーションも本領を発揮してくれる、はずである。

 春先にここへ花畑を整備してみせた彩を、あの時、征は称賛してくれた。俺の畑がこんな綺麗になるとはなと笑っていた征の表情を、今でも彩はありありと思い出すことができる。

「買いに行ってからずいぶん経つけど、まだ戻ってこないのかな」

 坂本が疑問を口にした。ああ、と晴が何でもないことのように返事する。

「軽トラックは今、イオンモール日の出店に駐車されていますね」

「なんで分かるの……」

「カーナビゲーションシステムの放つ電波を位置情報として記録しています」

 ルームメイドの前では個人情報も筒抜け寸前だ。苦笑いする坂本の横で、彩は今年の秋に征から聞いた言葉を思い出していた。

 『十一月になれば、この地区でのイルミネーションも始まる』

 その言葉通り、十一月に入ってから大久野全域でイルミネーションが始まった。並木や小学校、特別養護老人ホームなどが舞台になって、都会にも負けないほど豪華な電飾が夜道を彩るようになった。

 その光景を見て、彩は閃いたのだった。せっかくだから自分も征のために畑を飾り付けてみよう──と。大久野エリアの中でも端にある松尾地区までは、さしものイルミネーションも行き届いていないのである。

 けれど。

「……ここまで来る途中で、嫌でもあのイルミネーションを見ちゃうことになりますよね」

 独り言のつもりで彩は言った。うん、と坂本が応じてくれた。

「私たちの作ったイルミネーションも、比較されちゃうのかな……」

「そんなことはないんじゃないか? 長井さんは彩ちゃんの努力、ちゃんと評価してくれるよ」

 その言葉が坂本の優しさから来ているのだと知っていても、それでもやはり彩は不安なのだ。

 征がこういう形のサプライズを喜んでくれる保証はない。未だに一度も仕掛けたことがないからだ。おまけに生真面目で堅物なところもある。

 あ、と晴が声をあげた。

「軽トラックが都道百八十四号線に入りました」

 都道百八十四号線は、麓から松尾集落に至る幹線道路だ。距離は五キロほど、残り十数分以内にここまで辿り着くということになる。

「それじゃ、そろそろ僕たちも配置につこうか」

「そうですね」

 顔を見交わした坂本と晴は、彩に目配せをすると鍵の開いた長井家の中へと入っていった。それを見送った彩は、ふう、とため息をつく。

 それから、右手に握ったスイッチに目を落とす。

 電飾に接続されているスイッチだ。このボタンひとつで力作のイルミネーションが点灯する。何度もチェックを済ませているから大丈夫のはずだが、本番では誤作動も失敗も許されない。

 しんとした沈黙が、山を流れ下ってきてこの集落に流れ込む。沈黙の海にそっと立ち尽くす彩は、孤独だった。




 数年前。

 彩は自分の眼前で、ルームメイドが燃え上がるのを見た。

 ルームメイドはあの瞬間、確かに笑っていたと思う。彩の記憶には今もなお、炎に包まれたその儚い笑みが焼き付いている。

 出火原因はエンジントラブルだったのだそうだ。炎はルームメイドから自宅に延焼し、彩は家族とルームメイドと帰るべき家を一度に失った。

 理由が知りたかった。自分ではどうしようもない事態に直面して、ルームメイドは何を思ったのだろう。なぜ笑っていたのだろう──と。その願いが彩を駆り立て、偽物のルームメイドとして征のもとで働くきっかけになった。

 そんな経緯からして明らかなように、彩は初め、雇用主である征になど興味を持っていなかった。ただ、本物のルームメイドのように仕事に没頭し、本物の感じていたことに少しでも近付きたい。その一心で働くつもりだったのだ。

 そんな歪んだ動機を抱えていた彩のことを、征は年老いたその腕で受け止めてくれた。

 今の彩には居場所がある。帰るべき家がある。安心して頼ることのできる人が、そばにいる。そんなものは望んでいなかったはずだったのに、いつの間にか彩は失ったものを新しく手に入れ直してしまったのだ。


 (征さん、こっちに来てからクリスマスをお祝いしたこと、一度もなかったって言ってたもの)

 暗闇の中で軽トラックを待ちながら、彩は思う。

 (私のおかげで心境の変化が起きた──征さんはそう言ってくれた。でも、それは私の方だって同じだもの。私だって征さんのもとで働けたから、また普通の人間みたいに生きてみたいって思えたんだもの)

 六十代の征は、かつて仕事に忙殺されて家族を失い、社会生活を捨て去ってこの集落にやって来た人だった。ただ淡々と日々を生きるだけだった征が、周りを取り巻く人の関係に触れられるようになっていったのは、彩という“共同生活者(ルームメイト)”を迎えたからだという。

 だが、それは彩だって同じなのである。征というルームメイトを得たことで、彩も変わった。身近に誰かと接する楽しさや幸せを、彩は再び思い出すことができたのだ。

 そうだとすれば、感謝すべきなのは受け入れてもらった彩の側だ。彩は、そう思う。

 彩の正体が発覚し、二人の関係がリセットされたのが、今年の九月。それ以来、征に感謝の気持ちを伝えられるチャンスを、彩はずっと探してきたのだった。

 だが、ハロウィンは感謝には限りなく不向きなイベントだった。集落の子供たちと一緒に楽しむことはできたものの、穏やかに口角を上げる征を目にするたび、こうじゃないのにと彩の心は痛んだものだ。

 (だけど、クリスマスなら……)

 伝えられるかもしれないと思った。家族でもない私を迎えてくれてありがとう、と。

 征は真面目な男だ。面と向かって改まって言おうとすれば、彩を押し止めて『感謝することはない』などと言ってしまうかもしれなう。だからこそ彩はサプライズという形を選んだのだ。かつて征の心を動かした畑を使って、何かできないか──そう悩んでいた時、イルミネーションという選択肢に突き当たった。

 欧米でもアジアでも、クリスマスは一般に家族で祝う行事なのだという。カップルで祝う人が多いのは、その延長線上に『いつかこの人と家族の契りを結びたい』という願望が見え隠れしているからだろう。

 (だったら私たちにだって、クリスマスをお祝いする権利はある。私たちの家は、ここなんだから)

 そんな思いを胸に詰め込んで、今日まで準備を進めてきた。

 山の夜は早い。煌々と灯るイルミネーションは、夕闇の中でも帰るべき場所を示す燈台になってくれるはずだ──。




 彼方に眩しい光が見えた。軽トラックの前照灯が、家の前に立つ彩を爪先から頭のてっぺんまで照らし出した。

「どうした彩、こんなところに立って。寒いだろう」

 窓から顔を出した征が、怪訝そうな表情をしている。

 自分はどんな表情を浮かべればいいのだろう。泣きたいような気持ちと笑いたい気持ちが一度に押し寄せて、彩は変な顔になった。

 教えたくないけれど、教えてあげたい。彩の背後の畑が、イルミネーションの点灯準備を終えてスイッチが押されるのを待っていること。長井家の中に隠れた松尾集落の人々が、クラッカーの引き金を引く用意を整えて征の帰宅を待っていることを。

「お帰りなさい」

 彩は言った。声が震えていた。

 そしてもう一度、勇気を出した。

「見せたいものがあるんです。──私のこと、見ててくださいね」

 意味が分かっていないのは明白だったが、征は同意してくれた。ああ、と狼狽えながら凝視する征を前に、深呼吸をひとつ。

 そして、伝えたかったことを思い出す。


 “ありがとう”。


 もう、大丈夫だ。

 彩は今度こそ迷うことなく、スイッチを押した。







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