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冬空に願いを~2016年蒼旗悠クリスマス短編集~  作者: 蒼原悠
【第一章──Under the Daylight】
3/9

#3 師走の品定め(『EXTRA』より)





 『聖夜』という言葉がある。字面通りの意味ではなく、クリスマスイブのことだけを示す意味の狭い言葉だ。

 夜という一文字が示すように、クリスマスイブの本番は夕方から夜にかけての時間帯だ。日の高い昼間の方が気温も高いので歩きやすいが、美しい光の灯される夜と比べれば、どうしても風情を欠いてしまう。だから、会社員の多くが一日中の休みを手にすることのできる今年のクリスマスイブも、昼下がりの今はまだ街にそれほど人が多くない。

 この時間帯に活況を見せるのは、むしろ夜景とは無縁の世界だ。──そう、クリスマスケーキやチキンといった食べ物を売るお店である。夕方に調達するために昼から買いに来る客は多いので、必然、店の混雑は昼と夕方に分散することになる。

 もっともその食料品店にしても、クリスマスにあまり見向きをしてもらえない種類のものを扱う店では閑古鳥が鳴いているわけで。




 普段は調布市の深大寺門前で出店を開いている中年の夫婦、菊野(きくの)(あきら)房子(のぶこ)も、この日は初めから店を開くこともなく調布の街に繰り出していた。

 キリスト教の行事であるクリスマスに、寺院の参拝客が増える道理は残念ながらないのである。どうせ冷やかされて寒い思いをするだけだろ、という公の一言で、二人はもうかれこれ五年以上もクリスマスには営業をしていない。

「ま、年末になればまた掻き入れ時が来ますものね」

 大混雑の様相を見せる正月が一週間後に迫っていることを思って、いつもは心配性の房子も今回は賛成の側に回っていた。


貴子(たかこ)たちが遊びに来るの、明日だったよな。クリスマスプレゼントを考えにゃならんなぁ」

 人通りの多い調布の商店街を眺めながら、公が呟いた。駅前に鎮座するファッションビルの一階に、こんなの如何ですかとばかりにおもちゃが並べ立てられている。

「とは言っても、孫はまだ一歳よ? 何をあげたら喜ぶかしら」

「そこなんだよな。おもちゃって一言に言っても、遊ぶことができなきゃ仕方ねえからな」

 遠くの街に住む娘夫婦のことを思い出し、想像に耽る二人。赤い縞模様のバスがすぐ横を掠めて、そうだわ、と房子が顔を上げた。

「コロコロ押して遊べる車のおもちゃがあったじゃない。ほら、積み木みたいな材質でできているの」

「ああ。あったなぁ。確かにあれなら投げたりしても安全だ」

「それに重さも大したことないわ。ちょっとそういうの、探してみましょうよ」

 名案である。しかし問題は、そういう買い物からあまりに長く遠ざかっていて、売り場がまるで分からないこと。

 二人は少しだけ足を戻して、ショーウィンドウに並ぶおもちゃの値段を確かめた。値段が五桁まで設定されている。顔を見合わせ、先に公が口を開いた。

「……もっと安いの、ねえかな」

「餅は餅屋、おもちゃはおもちゃ屋さんかしらね」

 示し合わせたわけでもないのに、二人はぴったり同時に頷いていた。


 公と房子は、共にこの街で育った間柄だった。高校で同じクラスに配されて出会い、結婚し、今日までこの街で共に暮らしを営んできている。

 がたいが良く強面の公は、端から見ればかなり恐ろしげな風貌に感じられる。しかし房子は知っている。これでも公は情に脆く、優しく、不器用で恥ずかしがり屋な男なのだと。

 娘が独立した途端、それまで長く勤めていたパンの製造工場に辞表を提出し、深大寺の門前で出店を開こうと言い出したのも、公の方からだった。

 『俺は工場でお前は家事、もう長いあいだ一緒に何かをするってことがなかったしさ。……どうだ、隣に立って店でもやってみないか』

 強面のあちらこちらを崩しながら、公がそんな提案をしてきたのは六年前のこと。照れ笑いを必死に噛み殺している様子が読み取れて、むしろ房子の方が恥ずかしくなるくらいだった。

 この六年間、雨の日も風の日も、あの優しい夫と二人三脚で出店を切り盛りしてきたものだ。──大口を開けながら眠っている公を眺めながら、房子は何度そんな感慨で胸を温めたか知れない。


「──懐かしいわね」

 のっしのっしと歩く公の背中を見つめながら、房子はくすっと笑った。すれ違う通行人たちが、公の姿を見るなり横へ避けていく。見てくれが恐ろしい自分が嫌いだと、孫に会うたびに泣かれる公はぼやいていた。

 公が厳つい顔で振り返った。

「何だって?」

「貴子を育てていた頃も、こうやってクリスマスイブの日にはプレゼントを買いに街へ出てきたものよ」

 ああ、と公は変な声で返事をした。娘の貴子の子育てに、工場勤務の忙しかった公はあまり関わって来なかったのだ。少なからず引け目も感じているのだろう。

 かつて京王電鉄の地上駅に南北で分断されていた調布の市街地は、地下化が行われた今は利便性が段違いに向上している。家のある北口からでも、南口の市役所やスーパーに簡単に行けるようになったのは、これから足腰が弱くなっていくであろう二人には嬉しい。

「貴子の好きなお人形を扱っていたのが、南口の学習塾の向かいに建ってるおもちゃ屋さんでね。それでほら、駅前広場のところに遊具のある公園があるでしょう?」

「スカイホールの前のやつか」

 公が頷いた。スカイホールは駅前南口の一等地にある、ホールを備えた調布市の市民福祉会館だ。

「そうそう、あの公園。あの子ったらいつもいつも、プレゼント選びの帰りにあの公園で遊びたがったものよ。服が泥だらけになるからってあたしは止めたんだけど、お転婆だから聞かなくて」

「そいつは知らなかった」

「クリスマスの季節が来ると、あたし、あの公園を思い出すのよ」

 そうか、と公が呟いた。そうですよと房子も返した。

 別に意味のある会話がしたかったわけではない。ただ何となく、話したくなっただけなのだ。二人とも年齢が五十代後半に達し、日々の暮らしも落ち着いてきたら、何だか昔のことをよく思い出すようになった──それだけなのである。


「クリスマスの思い出、か」

 おもちゃ屋を探して目を細めながら、公の声が何だか遠くなった。

「俺んところの工場はパンを作ってたからな。クリスマスが来るとやたらに注文が入るんだよ、サンタとかトナカイの形をしたパンの」

 強面の公が一生懸命にサンタの形のパンを捏ねる姿を思い浮かべて、房子は思わず吹き出しそうになった。何が可笑しい、と公が不満げな顔をした。

「そんで一度、売り子の人手不足だっていうんで、俺たちがパンの売り出しに駆り出されたことがあってな。寒風吹きさらす国領駅前のココシティの一階でな」

 ココシティは二つ隣の街にある複合商業施設である。道理で見かけたことがなかったわけね、と房子は目を丸くしながら納得した。

「顔が恐いってのは損だなって、そこで初めて思い知らされたもんだ……」

「売れなかったの?」

「売れはしたが、子供からは遠巻きにされたよ」

 その光景は想像するに余りある。現に今、房子の眼前でそうなっている。

 ということは、と房子は考えた。

「あたしに出店をやろうと誘ったのは……」

「まぁ、あれだ。有り体に言えば楽しかったからな」

 スマホの地図を覗き込みながら、公が小さな声になる。

「クリスマスだったからだろうが、買いに来る客がどいつもこいつもすごく楽しそうでな。それで気付いたんだよ。特別な日にお出掛けをして、その過程で何かしらの買い物をするってのは、きっとその日の楽しみの一角を占める大事な要素なんだろうってな。俺たちがしているのは単にパンを売ることじゃなく、『パンを買う』っていう楽しみを客に与えることなんだろうさ」

「公さん……」

「そうやって考えれば、売り手も買い手も楽しいだろ? そのことに気付かされたのが、俺のクリスマスの一番の思い出だな。もちろんクリスマスに限った話じゃねえだろうが」

 それで合点がいった。神社や寺院に日常的に赴く人など、そう多くはない。何かしらの特別な理由を見つけて訪れる人がほとんどだろう。その特別な時間に余興を添えてやりたいと思ったから、公は出店を開く場所に、由緒正しく人出も見込める市内の深大寺を選んだのだ。

「あたしもその話、知らなかったですよ」

 房子は笑いかけた。公の顔が、ほんのり赤くなっている。

「当たり前だろ。こんな恥ずかしい話、そうそう聞かせられるか」

「でもちょっと、嬉しかったわ。あたしたちの第二の人生はクリスマスがきっかけで始まったんですね」

「うるせえ。いいからおもちゃ屋を探すぞ。なんか俺、道に迷っちまったみたいだ」

 右に左に引っくり返しながら、スマホの地図を睨み付ける公。そうだ、房子は知っている。かっこいいことを口にすると決まって照れてしまう公も、照れると言動がぶっきら棒になる公も、房子はずっと前から知っていた。

 何度この季節が巡って来ても、公は変わらず公のままなのだ。

 思い切って手を握ってみる。心配性な房子にとって、公の手は昔からどれだけ頼りになる存在だっただろう。

「うわ、脅かすな。何すんだよ」

「いいじゃないの。若い子だってみんなこうしてるわよ」

「全く、俺たちがいくつだと思ってやがる……」

 不機嫌な声を上げながらもきちんと握り返してくれる公の優しさに、房子の胸はまた少し、懐かしい愛しさで温かくなる。

 目指すおもちゃ屋が見えてきた。暖色の光と子供たちのはしゃぐ声が、半開きのドアからはみ出して房子と公を出迎えてくれた。




 クリスマスの過ごし方が人それぞれなら、クリスマスの意味も人それぞれ。

 そしてそれが積み重なれば、いつか別の意味が生まれることもあるだろう。

 日付の決まっているイベントを振り返れば、そこにはその日までの自分の歴史が顔を覗かせているのだ。


 思い出の一ページに鮮やかな記憶を刻む、聖夜の光景の訪れに向かって。

 時間は刻一刻と、進んでゆく。







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