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冬空に願いを~2016年蒼旗悠クリスマス短編集~  作者: 蒼原悠
【第一章──Under the Daylight】
1/9

#1 冬空の下へ(『EveningSunlight』より)





 しんと静かに染み渡る空気の冷たさが、ようやく日々の中で当たり前に感じられるようになってきた、師走の季節。

 日本中のみならず世界中をも巻き込んだ大きな大きなイベントが、今年もまた、やって来る。


 そう──クリスマスである。

 イエス・キリストの降誕を祝う祭に、街は沸く。至るところにモミの木が設置され、華やかな飾りやモールで盛り付けられる。赤や緑の色が街角に溢れ、夜になれば美しい電飾が道を往く人々を包み込むのだ。

 それは、神の誕生を祝う聖なる日。

 そして、愛する人の幸せを願い合う日。

 サンタクロースからのプレゼントへの期待に、胸を膨らませる子供あり。ケーキやチキンに舌鼓を打つ算段を立てる家族あり。夜景の良好な場所を探しながら、この日を一緒に迎えられる喜びを分かち合う恋人あり。カレンダーの年末を彩るその日を、人々は何週間も心待ちにしてきたのである。


 暖冬の進む首都・東京は、二十四日のクリスマスイブを迎えたその日も綺麗に晴れ渡っていた。

 降雪や降雨は、どうしても人々が市中に出るのを阻害してしまう。夜景も煙ってしまうだろう。今年は恵まれましたね、天気のことは気に留めずにぜひお出掛けください──天気予報を発表する気象予報士の顔付きも、心なしか晴れやかで。

 準備を整えてイブの日を迎えた街は、景色も、行き交う人々も、どこか熱っぽい興奮を覚えているように見えた。

 今年のイブは日曜日。仕事や学業の煩わしさから、今日この日だけは解放してもらえるのだ。期待感がいや増しになるのも仕方ないのかもしれない。

 ともあれ、今はまだ午前中。十二月二十四日はまだ始まったばかりである。




 さあ。

 ひと冬の奇蹟の物語へ、ようこそ。




     ◆




 十二月二十四日、午前九時半。

 グレーのPコートに、ギンガムチェックの長いマフラーを纏って、手には小さめの鞄をそっと持って。

 凄まじい人波に埋もれそうになりながら、藤井(ふじい)芙美(ふみ)は立川駅の改札前に佇んでいた。


「時間と場所、合ってる……よね?」

 不安な気持ちを唾に変えつつ飲み込んで、腕時計を覗き込む。それから目を上げて、看板を見る。JR立川駅中央改札口。間違っていないはずだ。

 それもそのはず、スマートフォンに三日前に届いたメールの文面には、こう書かれていたから。

 【イブは九時に立川のでかい方の改札口で待ち合わせようぜ!】

 色々とツッコミは思い浮かんだが、あくまで芙美はオトナの対応を心掛けることにした。常識的に考えて、集合が午後九時というのはいくらなんでも遅すぎるであろう。立川駅周辺の改札口を調べてみても、中央改札口が一番に目立つし幅も広い。

 (ここで合ってなかったら、それはもう蒲田(かまた)くんの責任だからね?)

 心の中で釘を刺しながらも、やっぱり不安な気持ちが消えることはなくて。芙美は鞄を握り締める手に、力を込めた。

 立川駅は、東京西郊の立川市に位置する巨大なターミナル駅だ。周辺は関東一円でも有数の規模を誇る商業集積地であり、見上げるようなサイズのデパートや商業ビルが所狭しと建ち並んでいる。クリスマス商戦真っ盛りの今日など、改札の目の前には駅ビル地下の洋菓子店のエプロンを着た人々がずらりと棚を並べて、自由通路を歩いてくる通行人たちに懸命にアピール合戦を繰り広げられている。

 みんな、どこかに目標や行き先を持って動いているのだろう。そんな喧騒の中にいると、目的地すら伝えられていない芙美は余計に寂しくなる。

 (でも、どうして立川なんだろうな……)

 スマホを見、腕時計を見、検札の電子音を響かせ続ける改札を眺め、そのサイクルをどれほど繰り返しただろうか。壁にもたれかかってため息をついた芙美は、ふと、そんな疑問を抱いた。

 呼び立てた主──蒲田(かまた)秀昭(ひであき)の姿は、まだ見えない。




 芙美と秀昭は、元は同じ小学校で育った幼馴染みだ。

 だが、芙美が中学受験をしたために進路は別々になってしまった。今は芙美が大崎の女子高に、秀昭が八王子の男子高に通っている。二人とも高校一年生だ。


 そして、そんな二人の関係は、言うなれば友達以上恋人未満。

 中学二年の時に再会してから、秀昭はずっと芙美に好意を抱いてきたらしい。だが、その好意にどう答えていいのか分からなかった芙美は、去年のクリスマスに『高校受験が終わるまで返事は待ってほしい』と伝えたのだった。

 そして高校受験が終わり──芙美はついに答えを用意できなかった。すると秀昭は、こんな提案をしてきたのである。

 ──『今度一緒に遊びに行こうよ! そん時の振る舞いで、お前に惚れさせる!』

 自分が芙美の彼氏として相応しいかどうか、その目で判断してほしい。……秀昭の提案には、迷うばかりの芙美に対するそんな配慮があったのだろう。了承した芙美だったが、結局十二月に至るまでお互い新生活が忙しく、時間がいっこうに取れなかったのだ。

 そして、今日。クリスマスイブという最良の環境下で、芙美は秀昭への気持ちの行く先を選ぶことになっている。




 正面の大きなショーウィンドウに、自分の姿が映っている。

「…………」

 芙美は無言で、ちょっとだけ身体を傾けてポーズを取ってみた。モデルは自分の姿の隣に見えるマネキンだ。

 運動が得意で元気な秀昭のことだ。どんな場所をデート会場に指定されるかも分からないことを考えて、防寒性能や運動性能を最大限に追求しながら可愛く見える服装を選んでみたのだが、そうしたら普段の服装とさして変わらなくなってしまった。芙美の通う私立大崎女学苑高校には制服がないので、今日のコートは通学の時にも着ているものを転用したものだ。

 (デートって初めてだし、男の子と二人っきりで出掛けるのだって初めてだし……。どんなの着たら喜んでくれるのか、事前に聞いておけばよかったな)

 ウィンドウに並ぶマネキンを真似て色々なポーズを試しながら、やっぱり見劣りがするなと芙美は情けなくなった。

 どんなデート内容であっても構わないが、せめて自分のせいで見た目が悪くならないようにしたい。隣に立っていて恥ずかしくない存在でありたい。これだけ芙美が気を払っておいて秀昭がジャージで来ようものなら、その辺のクリスマスツリーに頭から突き刺してやる所存だ。

 なんてね、と微笑んでみる。吐息が冷たい空気に舞って、すぐに眼前に現れた通行人に弾き飛ばされる。


「遅くなってごめん、藤井!」

 弾かれたように芙美は顔を上げた。通行人の正体は、息を荒くしながら自分の前に立った秀昭だったのだ。

「あ……、蒲田くん」

 その名を呼ぶと、秀昭は照れたようにはにかんだ。もう長い付き合いになるのに、芙美はまだ秀昭のことを下の名前で呼べない。

「いやー、実は家を出る時間をミスっちゃってさ。そんで電車乗り損なってタイムロスができちゃって。ほんと、ごめん!」

「どうやって来たの?」

「あー。自転車で武蔵小杉まで行って、そっから南武線」

 かつて芙美と同じ世田谷区の等々力に住んでいた秀昭は、今は多摩川を隔てた対岸の街に家がある。

「一本で来れちゃうの楽だし、どうせ高校のある八王子までは立川(ここ)で中央線に乗り換えなきゃだからさ。立川はよく来るんだ」

 へぇ、と芙美は吐息をこぼした。高校進学後の秀昭の生活を、そういえば芙美はあまり詳しくは知らなかった。

 (じゃあ、ここが蒲田くんの生活の基盤になってる街のひとつなんだ)

 そう考えたら、胸が少し高鳴った。初めて来た街なのに、どこかで嗅いだことのあるような香りがふんわりと鼻腔で広がった気がした。

 そんな風に感じてしまう自分の心は、やっぱりこの男の子に惹かれているのだろうか。

 芙美と同じ色合いのダッフルコートに身を包んだ秀昭は、以前よく目にしていた野球部のユニフォーム姿と比べて遥かにオトナっぽく見える。こんな格好もできるんだ、と感じた。たったそれだけのことで、知らない秀昭の一面を垣間見たような思いがする。

「それで、今日はどこに──」

 尋ねかけた芙美の手を、まるで躊躇するそぶりも見せずに秀昭は手に取る。驚いて肩を跳ね上げた芙美を見て、秀昭は嬉しそうに告げた。

「モノレール乗ろう、藤井!」

「モノレールって?」

「すぐそこを走ってる多摩都市モノレールだよ! 来る時に見なかったの?」

 見ていない。だいたい立川自体が芙美には初見だ。

「どこ行くかはもう決めてあるから、藤井はついて来てくれたらいいよ。んじゃ、行こう行こう」

「ま、待ってよっ!」

 慌てて芙美は叫んだ。歩くペースが早い、油断するとそのまま引きずられそうになる。

 けれど、こういう強引で豪胆なところは、やはり秀昭らしい。


 芙美の視界の端に、あの大きなショーウィンドウが入った。

 引っ張る秀昭と引かれる芙美の姿が、何だか滑稽に見えた。けれど、しっかりと結ばれた二つの手は、こんな二人のことも恋人みたいに映してくれる。秀昭の手は温かくて、その顔は心底楽しそうで。

 こんな人になら引っ張られてもいい、と思った。

 (今日、この街でどんな経験をすることになるのか、私にはまだ分からないけど──)

 それでも笑顔を絶やさない秀昭のように、自分も笑って、わくわくして、幸せな気持ちに浸ってみたい。秀昭に連れられて街を歩けば、そんな願いも叶えられる気がする。




 賑やかで暖かな冬の色に染められた、クリスマスイブの立川の街中へ。

 手を繋いだ芙美と秀昭は、一緒に駆け出した。








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