2.天然令嬢の勘違い
着飾ることは大好きだ。だから、夜会も好き。
あの賑やかな雰囲気も、ちょっと陰謀めいた雰囲気も。
そしてなにより、隣に立っているひとを眺めるのが好きだった。
「シェリー。今日は一段と綺麗だ」
まるで花の妖精のようだよ、と穏やかな笑みに少し照れくささを交えて、ルークはシェリーを見つめて言った。
シェリーはそれに微笑みを返す。
(わたしもよりも、ルークさまがいちばん綺麗で、かっこいいわ)
シェリーの婚約者であるルークは常に穏やかな笑みを浮かべる美青年である。
シェリーよりも2つ年上の18歳だけど、くしゃっと笑った顔はそれよりもずっと幼く見える。
普段は穏やかで冷静な彼はシェリーや兄王子であるリチャードの前では表情が豊かになる。きっとそれだけ信頼してくれているのだろうと、シェリーは思っている。
だからシェリーも二人の前ではありのままの自分でいられた。自分がちょっと世間よりもずれていることは自覚している。そんな自分でも二人の幼馴染みの王子は受け止めてくれた。
とても大好きなひとたち。そんな大好きなひとの片方の婚約者になれて、自分は本当に幸せ者だと思う。
彼らと一緒に並ぶために一生懸命、自分にできうる限りの努力をした。その結果、淑女の鑑とまで言われ、ルークの婚約者に相応しいと認めて貰えるようになった。
「ルークさまこそ、とても素敵です」
心からそう思ってルークを褒めると、彼は少し顔を赤くして「ありがとう」と微笑んだ。
年上なのにそういうところはとても可愛いと思う。
彼の隣に立ててしあわせ。心から、そう思っている。
「さあ、行こうか。僕のお姫様?」
「はい」
ルークにエスコートされて会場内を歩くと、皆がルークを注目しているのがわかる。
彼は世継ぎの王子。彼の上には兄がいるけれど、その兄の母親の身分が低いため、ルークが世継ぎの王子になった。
この国では家の出自がなによりもものを言う。そのことにルークは思うところがあるようだけれど、表立って口に出すことはしなかった。
一通りの挨拶を終えて一息ついたころ、シェリーは近くに人がいないことを確認して、ルークに話しかけた。
その内容はもちろん、先日話したお告げのことである。
「ルークさま」
「ん? なに、シェリー」
彼は公の場でする笑みを張り付かせたまま、シェリーを見つめた。
近くに人はいないとはいえ、ルークは注目の的。公の場であるこの場所ではいっさい気を緩ませることはない。公私をきちんとわける彼をシェリーは心から尊敬している。
「先日の件なのですけれど…」
「…シェリー。あの日も言ったけど、僕は婚約破棄なんてしないよ。例え君が望んだとしても、だ。これは国の決定だし、ただお告げがあったからといって覆るような決定じゃない。お告げはそこまで力のあるものじゃないんだ」
捲し立てるように言うルークに、シェリーはぱちぱちと大きく瞬きをした。
「わたし、ルークさまとの婚約破棄を望んでいませんわ」
「え?」
シェリーの言葉が予想外だったのか、ルークは穏やかな笑みを張り付かせたまま固まった。
こんなに驚いている時でさえ徹底して表情を変えないのだから、本当にルークはすごいと思う。
「…本当に?」
「はい。ですけれど、わたし、あなたを縛り付けるつもりもありませんのよ」
「は…?」
とうとうルークは言葉を失った。
けれども表情は微笑みを保ったまま。ここまで徹底させる必要があるのだろうか、とシェリーは内心首を傾げた。
実際は、ただ驚きすぎて表情が固まっているだけなのだが、そんなことをシェリーが知る由もない。
「どうぞ好きな方ができましたらわたしに言ってくださいまし。わたし、悪役を演じてみせますわ」
今読んでいる本で、そういうシーンがありますの、とシェリーはのほほんとした口調でルークに告げた。
のほほんとしたシェリーとは対照的に、なぜかルークは焦ったような口調で話し出す。
「シェリー。なにか誤解をしているようだけれど―――」
「ああ、わかっていますわ、ルークさま。なにも言わなくても、わたしにはわかっております。お告げにありましたの。ルークさまが真に愛する女性と出会い、その女性と結ばれると。そのために婚約破棄をするのですわ。婚約破棄をするとわたしも幸せになれてルークさまも幸せになれるのです。素晴らしいでしょう?」
ふふっと無邪気に笑うシェリーにルークは頭を抱えたくなった。
しかし人の目があるこの場でそんなことなどできない。
それからもしきりに婚約破棄のすすめをしてくるシェリーに、ルークの繊細な心はずたずたになった。しかしルークにとっては不幸なことに、シェリーはまったくそのことに気づかなかった。
シェリーが外の空気を吸おうとバルコニーに出ようとしたとき、誰かの視線を感じた。
何かを訴えかけるような視線が気になって、シェリーはゆっくりと周りを見回す。
そして目が合ったのは、可憐という形容詞がぴったりな令嬢だった。
彼女はシェリーと目が合うと途端にそわそわと挙動不審になった。
なにかしら、とシェリーが首を傾げていると、彼女がシェリーの視線から逃げるようにくるりと体の向きを変えた。
そしてそのまま立ち去ろうとして、誰かとぶつかった。
思いっきりぶつかって彼女はしりもちをついた。そんな彼女の様子を見ていた周りの人たちが「まぁ…」とくすくすと意地の悪い笑みを零す。
明らかな侮蔑の込められた笑いに彼女は顔を真っ赤にして、目にはうっすらと涙が滲んだ。
シェリーは見ていられなくなって彼女に話しかけようと一歩足を踏み出した時、心地の良い穏やかな声が彼女に掛けられた。
「僕がぼうっとしていたせいで、すまない。怪我ないだろうか」
彼女がぶつかった相手はどうやらルークだったらしい。
自分がぶつかった相手が王太子であることに気付いた彼女はさっと顔を青ざめた。
「も、申しわけありません…!」
「君が謝る必要はないよ。僕がよそ見をしていたのが悪いのだから。どうやら怪我はないようだね。レディ、起き上がれるかな?」
相手を安心させるように微笑み、そっと手を差し出したルークに、彼女はぼーっとしたままその手を取り、立ち上がった。
やがて我に返り、「あ、ありがとうございます、ルークさま…」と顔を真っ赤にして俯きながら礼を述べる。
「感謝の言葉よりも君の笑顔が見たいな」
笑って、と彼女に囁いたルークの言葉に、彼女はさらに顔を真っ赤にさせた。
それでもなんとか、ルークの希望に添おうとぎこちない笑みを浮かべて見せた。
「うん、やっぱりレディは笑っているのが一番だ。君に怪我がなくて本当に良かった」
それでは僕はこれで、とルークは彼女の手を取り、挨拶の口づけをする。
その光景はまるで物語のワンシーンのようで、シェリーは思わず魅入ってしまった。
(…あぁ、神様。彼女が、ルークさまの運命の方なのですね…! 運命の方に出逢ったのだもの、必ず婚約破棄をしていただかなければ…!)
ルークが婚約破棄をしないと言ったのは、幼馴染みであるシェリーの体面を気にしているため。
婚約破棄をされた令嬢がその後まともな婚姻をすることは難しい。その相手が王族となれば尚更である。
ルークはとても優しいから、きっと自分の心を押し殺してでも、シェリーとの婚約破棄を望まないだろう。
だからシェリーはルークを説得するしかない。わたしは大丈夫だから、と。
お告げは婚約破棄をすればルークもシェリーも幸せになるというものだった。だから婚約破棄をしたところでシェリーが不幸になることはないのだ。
なにがなんでも婚約破棄をして貰わねばならない。その方がルークのためでもあるのだ。
この先ルークの隣に今までのようにいれなくなるのは寂しいけれど、それは仕方ないのことなのだ。だからこの寂しさは我慢をするべきものなのだ。
(あのご令嬢もルークさまのことをお慕いしているようだし…ちらちらとルークさまを見ているものね。二人は両想いなのだから、わたしのせいで離ればなれになってはいけないわ…!)
シェリーが使命感に燃えていると、いつの間にか傍に来ていたルークが不思議そうにシェリーを見ていた。
そんなルークにシェリーはにっこりと、渾身の微笑みを浮かべた。
その微笑みにルークはとても嫌な予感を感じて、思わず一歩後ろに下がった。
「シェ、シェリー…?」
「ルークさま。わたし、必ずあなたを幸せにしてみせます」
「え…?」
ルークは戸惑った声を上げてシェリーを見つめる。
顔はいつもの微笑みのままだが、その目は戸惑いで揺れていた。
「だから、安心してくださいまし」
「え…? いや、それは僕の台詞だと思うんだけど…シェリー? 聞いている?」
自分の使命にごうごうと燃えるシェリーに、残念なことにルークの言葉は届かなかった。
しかし次の日になって、ちょっと冷静になったシェリーは考えを改めた。
(考えてみれば、お二人が恋に落ちたという決定的な場面を見ていないわ。もしこれでお二人が恋に落ちてなくて、あるいはどちらかの片思いで、はたまたどちらかに想い人がいたらわたしのすることは迷惑どころか、お二人を不幸にしてしまうわ)
婚約破棄をして貰うのはきちんと二人の気持ちを確かめてからにしようとシェリーは考え直したのであった。




