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帽子屋の日常


 帽子屋は小さく嘆息すると、シルクハットを目深にかぶり直した。

 いつもと同じ場所、いつもと同じメンバー、いつもと同じ紅茶。真新しいことなど一つもない。

 帽子屋は切れ長の碧眼を細めた。シルクハットからのぞく金髪が、そよ風になびいて彼の頬を撫でていく。不思議の国に住まう人たちの中でも随一の容貌を誇る彼は、たとえふてくされた表情をしていても、絵になる。

 テーブルには帽子屋の他に、三月ウサギや白ウサギ、眠りネズミがいる。彼らは何やら食べた食べていないでモメているようだった。


 ふたたび、溜め息を一つ。


 帽子屋は退屈そうに頬杖をついた。マナー違反は重々承知していたが、気だるすぎてこうでもしないと席を立ってしまいそうだった。


「つまらない……」


 今まで、この永遠に終わらないだろう気違いのお茶会に参加するのが当たり前だった。何せ、することが見つからないのもあったし、三月ウサギの庭は帽子屋の邸からほど近かったからだ。

 だが、それもあの少女が現れるまでのこと。

 不思議の国の常識なんて彼女には通用しない。いつも気ままに帽子屋を引っ張り回す。最初こそ戸惑っていた帽子屋だったが、二週間くらいすると馴れてしまった。


(そういえば、裁判のときは骨が折れたな)


 つい先日、少女がハートの女王の怒りに触れて捕らえられたおり、あわてて弁明をしに行ったことを思い出しながら、茜色に染まっていく空を眺めていた。


 このようにお茶会に参加するのは久しぶりだ。いつもなら、必ず朝から少女は帽子屋の邸へやって来て、『今日は湖のほとりでゆっくり本を読みたいわ』やら『帽子屋さん、今日は海に行きたいわ』やら、目を輝かせて口にするのだ。


「そういや、帽子屋。今日はアリス、来ないのかい?」


 ショートケーキを頬張りながら、今頃気づいたのか三月ウサギが訊いてきた。


「………………まあな」


 ふい、と三月ウサギから顔をそらして帽子屋は答える。

 "アリス"。その名前を耳にした途端、今朝のできごとがフラッシュバックしてしまい、眉間にしわが寄る。

 そんな彼を見て、三月ウサギと白ウサギ、眠りネズミはキョトンとした顔をする。


「どうした? 誕生日パーティーなのにそんな顔して。おまえらしくないぞ」


「…………」


 帽子屋は沈黙を守った。

 三月ウサギたちはしばらく首をかしげていたが、考えることに飽きたのか、帽子屋を放ってスコーンを食べ始める。話題はもっぱらアリスのことだ。


(……僕らしくもない)


 帽子屋はティーカップを手に取り、紅茶を飲んだ。


(今朝のことは、忘れてしまおう)


 帽子屋は、いまいましいできごとを無理矢理記憶から消去することに決めた。


 ――今朝、いつものようにアリスが帽子屋を訪ねてきた。そして彼女は言ったのだ。


『今日はハートの女王さまと遊ぶ約束をしたの。だから、昨日言ってたお茶会は、また今度出席するわ。ごめんなさい』


 満面の笑顔で。

 あふれんばかりの笑顔で。

 彼女は言った。


 皆に好かれるアリス。

 彼女がこの国に受け入れられるのは大いに喜ばしいことだ。


 しかし。


 もしも、自分のもとに訪れてくれなくなったら――と不安が帽子屋の胸によぎった。


(嫉妬、か)


 今まで、美しい少女や貴婦人から声をかけられたことは幾度もあった。

 だが、それに応えたことは一度もなく。


 たんたんと物事を見て、進めてきた。

 唯一の楽しみは三時のお茶会だけ。


 それが一人の少女が現れた途端、このざまだ。

 帽子屋と同じ髪と目の色を持つ、青いエプロンドレスの女の子。

 ふわふわの巻き毛は思わず触れたくなるくらいに柔らかそうで。

 彼女の笑顔はどんなお茶菓子より甘く思える。


「ああ、つまらない」


 アリスがいないと、こんなにも。

 明日は自分と遊んでくれるだろうかと思い巡らせながら、バタークッキーに唇を寄せる。

 いつの間にか、なつかれていた立場から逆転し、帽子屋がアリスを追う立場になっている。



 帽子屋はこれほどまでに心乱される存在に出会えた奇跡を神に感謝しつつ、少しだけ呪った。


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