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第二章 双子の塔 3

 螺旋階段を踏み下りるエミリアの足音は、石の壁に反響して無数の影のように闇に響いた。

 一歩下りるごとに、黴と血の匂いが濃くなり、鼻を突く。古い石材の隙間からは冷たい湿気が染み出し、頬を刺すように冷たかった。腰の剣に手をかけながら、彼女は慎重に階段を下りていく。


 足元の石段は滑りやすく、踏み外せば奈落の底まで転落しかねない。壁に手をついて身体を支えながら、エミリアは一段ずつ確実に歩を進めた。


 クレアの力の残響が、より強く、より切迫したものになっていく。まるで苦痛に満ちた叫び声のように、エミリアの感覚を揺さぶった。その中に混じって、金属のぶつかり合う音、誰かの荒い息遣いが聞こえてくる。


 ――急がなければ。間に合わなければ――。


 階段の終わりが見えた時、下から金属の激突音が響いた。


「クレア!」


 エミリアは駆け下りた。


---


 広い円形の部屋の中央で、クレアが椅子に縛られたルチアを庇うように立ちはだかっていた。

 その前には、昨夜倒したはずのセリーヌの化け物が、大斧を振りかぶっている。


 部屋全体が薄暗く、壁に設置された松明が不気味に揺らめいていた。天井は高く、影が踊るように動いている。床には古い血痕がこびりつき、長年の惨劇を物語っていた。


 クレアの大剣が化け物の胴体を横一文字に切り裂いていたが、血は一滴も流れていない。切り傷からは黒い膿のようなものがにじみ出ているだけだった。代わりに、強烈な腐臭が部屋中に立ち込める。エミリアは思わず鼻を覆いそうになる。


「なんで死なない!」


 クレアが苛立ちを込めて叫ぶ。昨夜のように首を狙おうにも、化け物は学習したのか、常に斧で顔面を守るような構えを取っていた。


 エミリアが部屋に踏み込んだ瞬間、化け物がその気配を察知する。割れた顔面がぎろりとエミリアの方を向いた。


「エミリア、来るな! こいつは――」


 クレアの警告が響く間もなく、化け物が斧を横なぎに振るう。刃がクレアの頭上を唸って通り過ぎた。クレアは身を屈めて回避したが、その隙に化け物がルチアの方へ向き直る。


「させるか!」


 クレアが大剣を突き出すが、化け物は斧の柄でそれを弾いた。火花が散り、甲高い金属音が響く。


---


 エミリアは冷静に状況を見極める。

 狭い円形の部屋、出入り口は自分が入ってきた階段のみ。ルチアは部屋の中央、クレアと化け物がその周りを回るように動いている。


 ――まず、ルチアを安全な場所に。


「クレア、私が気を引く。その隙にルチアを階段まで運んで」


「でもエミリアが――」


「命令よ」


 エミリアは腰の剣を抜き、聖光を纏わせた。白い光が刃を包み、部屋を照らす。化け物がその光に怯むように身を退いた。


 チャンスだった。

 エミリアは一気に踏み込み、化け物の左側面に斬りかかる。光を纏った刃が腐った肉を焼く音とともに、腕を切り裂いた。今度は黒い血がどろりと流れ出る。


「聖光が効く!」


 エミリアの叫びに、クレアが反応した。ルチアを抱え上げ、階段の方へ運ぼうとする。


 しかし化け物は傷など意に介さず、逆手に持った斧を突き出した。刃がエミリアの頬をかすめ、一筋の血が流れる。


 エミリアは距離を取った。化け物は彼女を追わず、再びルチアとクレアの方へ。


「逃がさない!」


 クレアがルチアを階段口に下ろし、怒りに満ちた瞳で化け物を睨んだ。その瞬間、彼女の全身が淡い光に包まれる。選ばれし者の力が発動したのだ。


 大剣を構え直し、クレアが突進する。

 その速度は人間の限界を遥かに超えていた。床石を蹴る足音が雷鳴のように響き、残像を残しながら一直線に駆け抜ける。化け物が斧を振り下ろすより早く、刃が胸を貫いた。


 だが化け物は止まらない。胸に剣が刺さったまま、斧でクレアの側頭部を狙った。


「クレア!」


 エミリアが聖光を纏った剣を投げる。飛ぶ刃が右腕を切断した。斧が床に落ち、甲高い音を立てる。


 その隙に、クレアが大剣を引き抜いた。黒い膿が刃に絡みつき、悪臭を放つ。それでも怯まず、渾身の力で首筋を狙う。


 大剣が一閃。首が胴体から離れ、床に転がった。切断面からは黒い煙が立ち上る。

 化け物の身体はよろめき、そして崩れるように倒れ込んだ。


---


 クレアとエミリアは荒い息を整えながら互いを見つめた。戦いを終えた安堵と疲労が、二人の顔に浮かんでいる。


「今度こそ、終わりね」


 エミリアが呟いた時、部屋の隅からかすかなすすり泣きが聞こえた。


 ルチアが、縄で縛られたまま震えていた。


「ルチア…」


 クレアが駆け寄り、震える手で縄を解いた。痕は深く食い込み、血がにじんでいる。


「クレア…本当に、クレアなの? 幻じゃないの?」


「ああ、本物だ。もう大丈夫だ」


 クレアは優しく抱きしめる。羽根のように軽く、骨と皮ばかりの身体だった。


 その時、窓の隙間から朝日が差し込んだ。金色の光が部屋を照らす。しかし今度は化け物の骸が消えることはなかった。切断された首と、膿にまみれた躯が現実の証拠としてそこに残っていた。


「とりあえず、この化け物は片付いたな」


 エミリアが安堵する。


---


 ルチアが落ち着くと、クレアが尋ねた。


「ルチア、どうしてここに? 誰がお前を縛ったんだ?」


「院長様です…院長様が私を…マチルダ様のことをお話ししてしまったから…」


「マチルダのこと?」エミリアが身を乗り出す。


「院長様が…儀式を…マチルダ様をお使いになって…」

「儀式?」

「私が見てしまったのです。地下で…マチルダ様が…あのようなお姿で…」


 ルチアは恐怖に震えながら続けた。


「院長様は私を口封じするために…ここに閉じ込めて…セリーヌ様を番人に…」


 エミリアとクレアは視線を交わした。マチルダに何かが起きている。そして院長が関わっている。


「マチルダ様は今どこに?」エミリアが問う。


「地下です…この塔の更に下に…でも、もしかしたらもう…」


 ルチアの言葉は途切れた。しかしその表情が全てを物語っている。


 時間がない。二人は立ち上がった。

 真の戦いは、これからだった。


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