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第一章 荒野の修道院 4

 燭台の灯りが狭い部屋を寒々と照らしていた。粗末なベッドが二つあるきりで、それ以外に調度と呼べるようなものなにもない。

 祈りと労働以外の一切のものを排除しているかのようだった。蚤や虱にたかられることを別にすれば、街道の安宿ですらここよりは安らぎを与えてくれるだろう。

 同じ相部屋とはいえティリミュエルの寄宿舎には暖炉もあれば、明るい照明もある。柔らかいベッドは毎日まっさらなシーツに取り替えられた。簡素ではあるが上質の木を使った調度品も揃っている。

 同じように望まぬものになることを強いられたルチアと自分だが、彼女が残りの生涯をこんな場所で過ごすのかと思うと、クレアは胸を突かれる思いがした。


「明日は早い。早く眠りなさい」

 エミリアは少し顔を上げて、それだけ言うと壁際の方に寝返りをうった。

 泣き腫らした目に気づかなかったはずはないのに、何も聞かなかった。クレアは弁解めいたことを言おうとしたが、止めた。

 適当な事を言ったところで、エミリアには何事もすべてお見通しなのだ。

 寝支度を済ませて、すぐにベッドに潜り込もうとしたが、去り際のルチアの忠告を思いだし、ドアに鍵を下ろした。


「珍しく用心深いわね」

 エミリアがこちらを見ていた。

「修道院にも盗賊が押し入るご時世だもの。丸腰だと何かあった時に対応できないだろ」

「良い心掛けだ。いざとなれば力があるとはいえ、咄嗟のこととなると集中できないこともある。鍵が掛かっていれば多少の時間は稼げる」

 修道院には武器は持ち込めない決まりになっている。別院といえどもそれは変わらない。二人の剣はホールにある長持ちに仕舞ってあった。盗賊程度の相手なら、二人は素手でも戦える。それ以上の脅威がこの別院にあるとは思えない。しかし、クレアにはなぜか心に引っ掛かるものがあった。


 ――そして誰が来てもけしてドアを開けないこと。夜明けまでは――

 ルチアはそういった。

 まるで誰かがやって来ることを知っているような口ぶりだった。この別院には他にもまだ誰かいるのだろうか。

 考えてみるとこの別院というのも奇妙に思える。教母マチルダはどうしてここに居るのだろう。女が二人しか居ないところに、どうして修道院の象徴のような教母を置いておくのだろう。山の上の寒さは年寄りに堪えるというが、暖をとる方法はあるはずだ。マチルダがこの別院に居るのは何か他に理由があるのではないかとクレアは思った。


「マチルダってどういう人なの?」

 クレアはエミリアに尋ねた。

 彼女は今回の任務については何も聞かされていない。仕方なく着いて来ただけで、ここに来るまで、興味もなかった。それに聞いたところで、エミリアは答えなかっただろう。クレアはまだ正式な審問官ではないからだ。わかっているのは、極秘の任務であるということだけだった。


「彼女は聖女降臨を体験した最後の生き残りなんだ」

 やや間をおいてエミリアが言った。

「八十年近く前、ロアールにある小さな村で、三人の少女の前に聖女が姿を現した。聖女は少女たちに三つの修道院を再建するよう命じたんだ」

「聖女もやっかいなことを押しつけたもんだ。それで少女たちはどうしたの?」

「あなたと違って、彼女たちは信心深かったのよ。すぐに村の教会に行き、そのことをシスターに話したんだ」

 クレアは腹ばいになり、エミリアの方に顔を向けて聞き入った。


 ―― 驚いたシスターは少女たちをロアーヌの教母のもとに連れていったが、教母にもほんとうに聖女が降臨したのか判断がつかなかった。

 記録によれば、聖女の降臨は長い歴史の中で三度あっとされている。もし少女たちが出会ったのがほんとうに聖女であるなら、教会を揺るがすほどの大きな出来事になる。自分の手に余ると考えたロアーヌの教母は聖都に手紙を書いた。聖都からの返事は少女たちを審問するから連れてくるようにとのことだった。


 それが永遠の別れとなることも知らずに、三人の少女たちは故郷を後にした。

 聖都に上った三人の少女を待ち受けていたのは、大教母自らが臨席する審問会だった。高位の聖職者たちの疑惑の目に晒されながらも、少女たちは何ら臆することなく、そのとき起こったことをありのまま伝えた。聖都には過去の聖女降臨を調査した記録がある。彼女たちの語った聖女の様子はそれらの記録とほぼ一致していた。貧しい農民の娘がその記録を目にした可能性は皆無といっていい。


「それで彼女たちが言ってることがほんとうだと証明されたの?」

「それだけでは不十分だったんだ。過去の聖女降臨はいずれも信仰と教会が危機にさらされたときに起きている。四度目の聖女降臨を真正なものとすることは、今現在信仰が危機にさらされていることを認めることになるからね」

「それでどうなったの」 

 いつの間にか身を乗り出して聞いている妹に微笑むと、エミリアは先を続けた。

「奇跡が起きたんだ。審問を終えて、あとは決議を待つだけとなった少女たちは、ハラスの大寺院に向かい、自分たちの証言に嘘偽りがないことを広場の聖女像に誓ったんだ。その時、彼女たちの額に光輝く聖痕が現れた。それを目の当たりにして、大教母をはじめ居並ぶ聖職者たちは膝を折った。なかには感動のあまり泣き出す者もいたという」


 クレアはハラスの寺院の広場に、聖女の像を背にして立つ三人の少女の姿を想像した。ハラスの抜けるように青い秋の空の下に、燦然と輝く聖痕を見上げる人々。

 神や信仰に関心を持たないクレアにとってすら、それは荘厳な光景に思えた。


「大教母様みずからの手で洗礼を受けた彼女たちは、シスターとなり、聖女の命を果たすべく、それぞれが三つの修道院に旅立った」

「そのひとりがシスターマチルダだったわけね。それで彼女たちはたった一人で向かったの?」

 エミリアは頭を振った。

「聖女降臨の噂はハラスの街にあっという間に広がり、感動した人々が同行したんだ。老いも若きも、富める者も貧しい者も、男も女も、様々な人たちがね。途中の町や村でも人が加わり、その数は数千人にも達したと言われている」

「じゃあ、彼女たちは無事聖女の命令を果たせたんだね」

 妹の言葉にエミリアはその先を言いよどんだ。

「彼女たちが向かった修道院はどれも僻遠の地にあったんだ。このルメリアのようにね」

 クレアはここに来るまでの一ヶ月の旅のことを思い出した。聖都ハラスを出て、ウィルシャーの港から船に乗り、いくつかの港を経て、ボアスの港に着いた。そこが町と呼べるようなものの最後で、そのあとは人影ひとつ見ないような荒野を姉と二人で歩いたのだ。そしてようやくたどり着いたルメリアも灌木の茂みがところどころにあるだけの赤茶けた土地だった。


「困難な旅の途中で熱情も冷め、次第に人が去っていき、任地に着いた時には当初の十分の一ほどの人数に減っていたらしい。そして待ち受けていたのは廃墟と化した修道院の残骸だった。それでも彼女たちは石を集め、木を切り、再建に務めた。しかし厳しい環境の中の労働で病に倒れる者も増え、やがて食料さえも底をついたんだ」

「大教母様は手助けしなかったの?」

「彼女たちを送り出した大教母様はほどなく亡くなられ、新たな方がその地位に着いたのだけど、修道院の再建には関心を持たれなかったんだ」

「そんなばかな! 見捨てられたようなもんじゃないか」

 クレアは憤慨して声を上げた。

「彼女たちの最後はいずれも悲惨なものだったという。一人は運命を共にしたシスターたちと礼拝堂の聖女像の前で固まるように餓死し、もう一人は修道院を襲撃した蛮族に捕らえられて、殺された……」


 彼女たちはどんな思いで死んでいったのだろうとクレアは思った。

 きっとルチアみたいに牢獄のような暮らしに絶望しながらも、逃れることの叶わない運命を呪ったのかもしれない。

 聖女なんかに出会わなければ、農婦として平凡な一生を終えることができたのかもしれないのに……


「結局、再建に成功したのはシスターマチルダだけだった。彼女はその功績で聖都にしかるべき地位を用意されだが、一修道女として此処に留まる事を選んだ」

 クレアにはそのときのマチルダの気持ちがわかる気がした。きっと友達を見捨てた連中を許せなかったんだとクレアは思った。

「でもなぜシスターマチルダだけが再建に成功したの? 此処だってかなりひどい所じゃない」

「私にもわからないわ。明日、御本人に聞いてみればどう?」

「そういえば、今度の旅の目的は何なの?シスターマチルダに会ってどうするの?」

「明日になればわかることだし、話してもいいでしょう。シスターマチルダは大教母様に手紙を書き、告解を望んだのよ。自分はもう老齢で、聖都まで旅することはかなわない。だから審問官を派遣してくれとね」

「そんな大切な役目をどうしてエミリアのような成り立ての審問官に任せたの?」

「あくまでも私の想像だけど、大教母様はあまり問題を大きくすることを望まれなかったんじゃないかしら。本来ならあなたの言うようにもっと大物の審問官を派遣してしかるべきなんだろうけど……さてもうそろそろ眠りましょう」

 エミリアは立ち上がり、着ていたウールの胴着を脱ぐと、妹の肩にかけてやった。

「今夜は寒いから、これを着ておきなさい」

 そういってまだ興奮の冷めやらない妹の額におやすみのキスをした。

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