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第一章 荒野の修道院 3

 ギシギシと音を立てる暗い階段をルチアの持つ蝋燭の灯りを頼りに上がっていくと、狭い廊下を隔てて部屋がいくつか並んでいた。

「山の修道女たちが寝泊まりする以外は、二階の部屋は使わないのです。でも掃除は毎日欠かさずして居ります。シスターセリーヌが口煩いので……」

 ルチアは最後の方は小声で言った。人の好さそうなセリーヌも後輩のシスターには厳しいところがあるのだろう。こんな場所で歳の離れた二人と暮らしていれば、ルチアはさぞかし息の詰まる毎日だろうとクレアは思った。

 ルチアに案内の礼を言い、二人が部屋に入ろうとしたとき、「クレアさん、少しだけお話できませんか?」とルチアが声をかけた。

 誰かの気配を伺うように、周囲に目を走らせながら、そっと囁くような声で彼女は言った。エミリアは頷くと、そのまま部屋に入った。薄暗い廊下に二人だけが残った。

「さっきは不愉快な思いをさせてごめんなさい。私はちょっと浮ついたところがあって、いつもシスターセリーヌに叱られるのです。久しぶりにお客様がみえると知って、すっかり舞い上がってしまって……」

 それまでとは違うしっかりと地に足をつけたような表情でルチアは言うと、頭を下げた。壁の燭台の灯りが彼女の艶のある黒い髪に光の輪を投げかけている。クレアは申し訳無さでいっぱいになった。この少女はずっとさっきのことを気にかけていたのだ。

「いや、謝らなけばならないのは私の方だ。せっかくもてなしてもらいながら、あんな態度をとるなんて……もっと自分を抑制しなさいとエミリアにいつも叱られるんだ」

「いえ、私がクレアさんの気に障ることを口にしたからいけなかったのです。私もシスター・セリーヌからもっと思慮深くなりなさいと小言を言われ通しなんですよ」

ルチアは肩をすくめた。

「あなたが私をレディと呼んだのは礼に叶ったことだし、事実私はそう呼ばれる身分に属している。ただ私自身はそう呼ばれることを不快に感じている。でもそんなのは私の個人的な感情にすぎないし、あなたの預かりしることではないのに、つい過剰に反応してしまったんだ」

「個人的な感情?」

 そう言ったあと、ルチアは慌てて手で口を塞いだ。

「ごめんなさい。私ったらまた余計なことを」

 クレアは首を振った。

「実は私は貴族じゃないんだ。王都の裏通りに育った孤児だ。ただ私には貴族が必要とする力があった」

「選ばれし者が授かる力ですね」

「それを見込まれてある貴族の養女になったんだ。そうするより他に選択の余地はなかった……私には弟がいてね。彼は病気だった。誰の手も借りずに路地裏で生きていくのも限界だったんだ。そんなときにあいつが現れた……」

 その男は力を持ちながら地に埋もれた子供たちを見つけだし、貴族に売ることを生業にしていた。貴族は力を持つ娘を生みだすことで繁栄してきた。そしてその娘がティリミユエルに入ることを許され、聖騎士ともなれば家門にとっての最高の誉となる。逆に三代続けて力を持つ娘が生まれなければ、貴族の称号を剥奪される。彼らにとっては死活問題だ。

 クレアを養女にしたフォルスター家も危機に瀕した貴族だった。

「私は表向きには愛人に産ませた子として、フォルスター伯爵の養女になったんだ。貴族としてのマナーを徹底的に仕込まれ、力を磨くために毎日厳しい訓練を課せられた」

「弟さんはどうされたのですか?」

「わからない。しかし、私が聖騎士に叙任されれば逢わせてもらえるという約束だ。それまではどこでどうしているのかも教えてもらえない。きっと私が役目を果たすまでの人質みたいなものなんだろう」

 いつの間にかクレアの手を二つの小さな手のひらが包み込んでいた。

「なんて酷いことを……自分たちの身勝手な面子のために幼い姉弟を引き離すなんて許せません。クレアさんが貴族を憎む気持ちも当然です」

「仕方ないさ……少なくとも弟も私もこうやって生きている」

「でも、もう目の前じゃないですか! クレアさんはもうすぐ聖騎士に叙任される。そうすれば……」

 ルチアが手に力を込めて言った。

「さあ、それはどうかな……私はティリミュエルに馴染めないんだ。問題ばかり起こしている。我慢して耐えれば済むことに、一々腹を立てて周りに突っかかる。ほんとうならとっくにあそこを放りだされていたんだ。そうならなかったのはエミリアのお陰だ。彼女がいつも私を守ってくれた……」

 今度の旅にクレアを伴えるよう頼み込んだのはエミリアだった。きっとクレア一人を残していくのが心配だったのだろう。妹に甘すぎる、そんな批判を向けられながらも彼女はなりふり構わなかった。自分を守る度に傷だらけになっていく姉のことを思うと、クレアは涙を隠すことができず、その場に膝をついて嗚咽した。

「私なんかを妹にしなければ、彼女は一点の曇もない輝ける存在のはずなんだ」

 ルチアはクレアの頭を掻き抱いた。不思議な抱擁だった。嵐のように昂った気持ちが、夕凪のように安らんでいく。

「私もこの修道院に馴染めていないんです。ほんとうは修道女なんかになりたくなかった。でも父がここに行くように命じたのです。四人も娘が居れば一人は修道女にするのが、神への義務なのです。心の弱い私にはこの修道院の厳しい戒律は辛かった。日の昇る前に起き、日が沈むと眠る。それも薄い寝具しかないので、寒さでほとんど眠れません。起きている間は祈りと手作業だけの暮らしです。おしゃべりすることも、気晴らしにどこかへ出かけることも叶いません。食事は祝祭日以外はパンとスープだけです……こんな牢獄に居るような暮らしが、神様の御心に叶うのなら、神様はなんて偏屈で意地悪な方なんだろうと思いました。だってもし神様が心の広い寛容な方なら、みんなが笑っている方が嬉しいに決っているじゃないですか」

 クレアはルチアの腕の中で、その悲痛な訴えを聴き続けた。

「でもね。こんなことはまだ誰にも話したことはないんです。クレアさんにはエミリア様がいる。それだけでも幸せです」

 ルチアはゆっくりと抱擁を解いた。

「たしかにそうかもしれない。私は恵まれている」

 クレアの呟きに、ルチアは微笑んで頷いた。

「あんな素敵な方の妹になれたクレアさんが羨ましいです」

「私には過ぎた姉だ。ほんとうに感謝している。でも素直じゃないから、一度も本人の前で言ったことはないけれどね」

「じゃあ、私たち二人だけの秘密ですね」

 ルチアはいたずらっぽく笑ってみせた。

「さて、そろそろ私も部屋に戻ります。おやすみなさいクレアさん」

「ルチアの部屋は一階にあるの?」

「マチルダ様の隣の部屋です。シスターセリーヌと相部屋なんですよ」

 きっとマチルダの世話をするために隣の部屋に控えているのだろう。彼女がどういうい経緯で別院に詰めるようになったのかはわからないが、ここでもそれほど自由を与えられていないことにクレアは同情した。

「あのクレアさん……」

 ルチアが少し背伸びをして、クレアの頬に口元を近づけた。吐息が頬を撫でて、心臓が大きく鼓動を打った。

「おやすみになるときは、必ずドアに鍵を掛けてください。そして誰が来てもけしてドアを開けないこと。夜明けまでは」

 ルチアはそれだけ言うと、すっと立ち去った。

(どういう意味だろう……)

 クレアは白い修道服の背中をしばらくみつめていた。


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