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第三章 暁の使徒 5

地下聖域の重苦しい闇を抜け、四人と車椅子のマチルダが地上の礼拝堂へと辿り着いた時、窓の外はすでに薄明るくなり始めていた。

夜明けの光が、ステンドグラスを通して差し込み、冷たい石造りの床に色とりどりの影を落としている。

激しい戦闘と極度の緊張から解放され、ルチアは壁際にへたり込んで静かな寝息を立て始め、ハンスは少し離れた入り口の近くで周囲を警戒しながら休息を取っていた。


静寂に包まれた大礼拝堂の祭壇の前で、エミリアとクレアはマチルダに向き合っていた。

「これでいいのですね、マチルダ様」

エミリアが厳かな、しかしどこか温かみのある声で尋ねる。

「ああ……十分じゃ。こんな朝の光の中で、誰かに話を聞いてもらえる日が来るなんて、思ってもみなかったよ」

マチルダは車椅子の上で小さく微笑み、シワだらけの手を組み合わせた。

「エミリア。お前さんは、教会の異端審問官としてここへ来たね」

「はい。ですが、私の真の任務は、あなたを異端として裁くことではありません」

エミリアは片膝をつき、マチルダと視線の高さを合わせた。

「私に与えられた最も重要な使命は、あなたの『告解』を聴くことです。どうか、長年お一人で抱えてこられた重荷を、打ち明けてはいただけませんか」

マチルダの目が、哀愁を帯びて静かに伏せられた。


「……遡れば、八十年前のことじゃ」

老婆の掠れた声が、朝の礼拝堂に静かに響き始めた。

「私は、暁の使徒の者たちと『契約』を交わした。当時のこの修道院は、復興の真っ只中にありながら、あの中央の教会からは何の後ろ盾も得られず、資材も人手もまるで足りず、まさに極限の飢えと疲労の中にあったのさ。そんな時に、彼らが近づいてきたのだよ」

マチルダは苦しげに息を吐き出す。

「私は、彼女たちが必要とするものを得るのと引き換えに、あの地下聖域を使徒たちに提供した。……最初こそ、彼らはただの学術的な探究者だと言っていた。だが、彼らが次第に死霊術などの禁断の闇に染まっていくのを、私は薄々勘づきながらも……見て見ぬふりをし続けた。この修道院を、見捨てられた皆を守るために」

それは、明確な教義違反であり、異端への荷担という重罪の告白だった。エミリアの顔が引き締まったが、彼女は何も言わず、黙って言葉の続きを待った。


「だが、私が抱える真の苦悩はそれではない」

マチルダの声が震え、その目に後悔の涙が浮かんだ。

「エミリア……私は、恐ろしいのだ。私自身が長年信者たちに語り、教会が絶賛してきたあの『聖女降臨の奇跡』が……本当にあったことなのか、今でもどうしても確信が持てない」

「! ……それは……」

普段なら異端の言葉として即座に打ち消すエミリアも、そのあまりに率直な魂の苦悩を前にして、言葉を失った。

「あの極限の状況下で、私の手にこの聖痕が浮かび上がったのは事実じゃ。癒やしの力も起きた。だが……私を見上げて涙を流し、『奇跡だ』と拝む信徒たちの目を見ているうちに、私は、自分がただ『聖女という役割』を演じているだけなのではないかと……何度も何度も、恐ろしくなったのさ」

マチルダは震える手で、自分の衣の胸元を強く握りしめた。

「けれど、私が真に罪に感じていることは、信仰への欺瞞ですらないんじゃよ」

老婆は顔を上げ、朝の光の中で、エミリアとクレアを真っ直ぐに見つめた。

「八十年前。あの過酷な旅路の果てに、ただ貧しく無力だったというだけで、私たちを見捨てた教会。あの理不尽な世界に対する怒り……そして、教会の権力に抗えなかった己の臆病さ。それが私の抱える最大の罪だ」

クレアが背後で息を呑む気配がした。


「仲間たちは、あの道中で飢え、力尽きて、皆死んでいった。……私だけじゃ。私だけが生き残ってしまった。その重さを背負いながら、私はこの八十年を、ただひたすらに耐えて生きてきたのだよ……」

マチルダは両手で顔を覆い、枯れ果てたとさえ思われた老体から、絞り出すような泣き声を漏らした。

「ああ……私は臆病者だ。全てから目を背け、ただ生き延びてしまった……!」


礼拝堂に、老婆の慟哭だけが木霊していた。

クレアは、胸の奥が焼けるように痛むのを感じていた。

マチルダの『逃げられなかった過去』の言葉が、自分自身の今の状況と鋭く重なったからだ。

遠く離れた王都で、フォルスター伯爵のもとに「人質」として囚われている弟。自分一人の力ではどうすることもできず、権力にいいように使われながら、教会の理不尽な仕組みの中でただ弟の無事を願い、戦うことしかできない無力な自分。

(……なんだ。八十年経っても……この世の理不尽な構造は、何も変わっていないじゃないか)

クレアは込み上げてくる感情を必死に押し殺し、強く奥歯を噛み締めた。拳を握りしめ、爪が食い込む痛みに耐えながら、クレアらしく、決してその怒りと惨めさを表に出さないように立ち尽くしていた。


マチルダの嗚咽が少しずつ落ち着いていくのを待ち、エミリアはゆっくりと口を開いた。

異端審問官としてではなく、ただ一人の人間として、マチルダへと向き直る。

「マチルダ様……」

エミリアの声は、静かで、どこまでも透き通っていた。

「八十年前の教会が犯した過ち、そしてあなたが結んでしまった契約について。私には、それを教義の定規で完全に計り、裁く権利はありません」

エミリアは、自分の膝の上の手をぎゅっと握り締めた。

「罪の裁きは、私の権限を超えています。……けれど」

エミリアは、マチルダの震える両手を、自分の両手で優しく包み込んだ。

「あなたが今日、ここで、これほどの痛みと涙と共に語ってくださった言葉は……あなたの八十年間という途方もない忍耐は、確かに神に届いたと、私はそう信じます」

それは、規則と教条に縛られて生きてきたエミリアという人間が、教会の権威を離れて、初めて自らの心から紡ぎ出した「許し」の言葉だった。

マチルダは目を見開き、やがて大粒の涙をこぼしながら、エミリアの手をきつく握り返した。

「エミリア……。おお、なんという……」

老婆の顔から、長年取り憑いていた暗い影が、朝の光に溶けるようにスッと消え去っていくのを、クレアは確かに見た。


告解が全て終わり、マチルダはすっかり穏やかな顔を取り戻していた。

「エミリア、そしてクレア」

マチルダが車椅子の上から、二人の顔を交互に見つめ、優しく微笑む。

「お前さんたち二人は、本当に良い姉妹だね。お互いを支え合い、そして真っ直ぐに前を向いている。……美しいものを見せてもらったよ」

「……べ、別に支え合ってなどいない。私はただの護衛で――」

照れくさそうにそっぽを向くクレアを見て、エミリアはくすりと声を立てて笑った。クレアが不満げにエミリアを睨むが、その瞳にも敵意は微塵もない。

「ありがとうございます、マチルダ様。彼女はこう見えて、とっても頼りになる妹ですから」

「エミリア、お前……」

大聖堂に、久方ぶりに穏やかな空気が流れた。


そこへ、離れて休んでいたハンスが歩み寄ってきた。

「邪魔してすまない。エミリア様、先ほど地下から持ち出したあいつらの実験記録と帳簿だが」

ハンスは分厚い革張りの本を軽く叩いて見せた。

「少しばかり目を通させてもらったが、こいつは本当に上玉だ。暁の使徒に関わっていた修道院や貴族の名前が、暗号とは言えかなり詳細に記されている。これがあれば、上層部も言い逃れはできないだろうぜ」

「ええ。この資料の扱いは、今後の教会内部の動きを大きく左右する切り札になります。……慎重に持ち帰らなくては」

エミリアは表情を引き締め、ハンスから数冊の書類を受け取った。


礼拝堂の入り口の扉が、外からゆっくりと開かれた。

小鳥の囀りとともに、眩しいばかりの完全な朝日が、ステンドグラスを通さずに直接四人を包み込んだ。

長く、あまりに長すぎたルメリア修道院の夜が、ようやく明けたのだ。


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