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第一章 荒野の修道院 1

 ルメリアの修道院は小高い山の上にあった。

 赤茶けた荒野のなかに浮かび上がる姿は、来る者を拒む絶海の孤島のようだった。

 頼りない杣道が山上から麓の疎林へと続いているのが見えた。どうやらそれが修道院に通じる唯一の道らしい。

 残照に染まって血のように赤い礼拝堂の屋根を見上げ、クレアはため息をついた。


「なんだってあんなところに修道院を建てたんだ」

 前を歩くエミリアの背中に投げつけるように言った。

「あんなところだからこそ、建てたのよ。俗界との交わりを絶ち、信仰に専念できるでしょ。聖アウレルが教会の堕落を嫌って、この場所で修業したのがルメリア修道院の起こりなの」

 エミリアは歩みを止めることなく言った。

「それはいつの話?」

「五百年前のことよ。でも修道院ができたのはもっと後の話ね。聖アウレルとその弟子たちは、あの岸壁に穿たれた洞窟に寝起きして祈りの生活をおくったの。神にもっとも近づける場所こそ修行にふさわしいと思ったのでしょう」

 山肌に点々と虫が食った跡のような洞窟をみて、こんなところに居れば神様だって退屈で仕方ないだろうなと、クレアは思った。

 早くやっかいな仕事を終えて、ハラスに帰りたかった。人気ない荒野を旅してきたせいか、無性にあの猥雑と喧騒が恋しい。


 聖なる都ハラスは清楚な淑女が表の顔なら、淫靡な娼婦は裏の顔だ。そして楽しみの大半は神の裏庭と呼ばれる下町にあった。

 迷宮のように張り巡らされた狭い路地には露天商たちが所狭しと店を並べている。たっぷりとスパイスをきかせて焼いた鳩の胸肉の香ばしい匂いが立ち込める通りには、公許を持たぬ商人たちが巡礼相手に効能の怪しげな薬を、出処の怪しい古着を、由緒を捏造した聖遺物の欠片を売っている。

 通りの角を曲がると、すこし銀貨をはずめば身体を売る女占い師が、客の袖を引いて隙あらば路地裏に誘い込もうと目を見張らせている。

 そしてその突き当りには、この街の名物である芝居小屋が見えてくる。たわいない筋立ての滑稽な話を歌と踊りを交えてやるのだが、クレアはよくティリミュエルを抜け出して見に出かけた。別に芝居がそれほど観たかったわけではない。丘の上の取り澄ました日常に息が詰まりそうなったとき、新鮮な空気を求めてそこに行くのだ。

 もっとも前を歩く姉にそれを知られたら、また長い説教を聞かされるはめになりそうではあったが……

(一度、エミリアにあの芝居を見せてやるのも悪くない)

 卑猥な仕草をまじえて、教母を揶揄する道化の歌を堅物の彼女がどんな顔で聞くのか、想像するだけでも愉快ではないか。


「クレア」エミリアが低い声で注意を促すのが聞こえた。すでに腰の剣に手をかけていた。クレアは背中の大剣を引き抜くと、前方の疎林を凝視した。すでに日は落ち、林の中は暗くてなにも見えなかった。しかしエミリアは警戒を解く様子はない。彼女は目で捉えることができるより遥か先のものを感知できる。

 やがて疎林の中から二つの人影が現れた。クレアはもう一度大剣を握りなおした。それが粗末な木綿のローブを纏った修道女であるとわかるくらいに近づいた時、「止まりなさい」とエミリアが声をかけた。

 修道女たちは二人のただならぬ気配に戸惑っている様子だったが、すぐにその場に膝を折った。一人は肉付きの良い中年女で、白い顎が何重にも弛んでいた。邪心などこれっぽっちもありませんという雰囲気が、ありありと伺えた。もう一人は傍らの女の娘ほどの歳で、痩せこけていて、ネズミのような黒い瞳を忙しそうに動かしながらクレアとエミリアを交互に見上げている。


「おまえたちは、修道院の者なのか?」

 エミリアが尋ねた。

「はい。私たちはルメリアの修道女でございます。教母さまがあなたがたをお迎えするようにと仰っられたので、こうして参ったのです」

 年嵩の修道女が答えた。

「わたしたちが誰か知っているのか?」

「聖都から来られた異端審問官なのでしょ」

 めったなことでは動じないエミリアの表情に動揺の色が浮かんだ。

「教母さまは日が落ちるまでに、花のように美しいふたりの乙女がやってくるだろうから、お迎えして私のもとへ案内しなさいと仰ったのです。それで私とルチアはあの林であなた方が来るのを待っていたのです」

「教母さまが言われたことはほんとうだったのね。なんて美しい方々なのでしょう」

 ルチアと呼ばれた娘が感嘆の声をあげながら、うっとりとエミリアを見つめた。

「その教母というのはシスターマチルダのことか?」

「そうです。私とルチアはシスターマチルダのお世話をしているのです。さあ、教母さまがお待ちです」

 二人は立ち上がり、元来た方に向かって歩き始めた。


 聖都を発つ前、大教母はシスター・マチルダに会いに行くことはくれぐれも内密にするようにと釘をさした。二人がこの修道院に来ることは、大教母と自分たち以外にはいない。シスター・マチルダはどうやって、今日二人が訪れることを知ったのだろう。

「とにかくシスター・マチルダに会ってみるしかないな」

 まだ得心のいかない顔のクレアにエミリアはそう言うと、修道女たちのあとに続いた。




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