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無関心の神無さん  作者: 薄荷。
神無真央の場合
3/4

3 冷めた家族の崩壊

 次の日も、また次の日も。蟲ケラが見えるようになってから、私の視界にはいやでもその黒い物体が映り込むようになっていた。

 ほら、例えば今まで気にしていなかったものが、それを理解した途端、目の端に嫌でも入り込んできてしまうこと、あるでしょう。

 存在を肯定すれば、蟲ケラはそこに確かに存在する。人間の身体を母体として、少しずつ少しずつ、成長していく。

 やがてやつらは、母である人間さえも食い潰してしまうのだ。


◇◆◇


「神無」


 聞き覚えのある柔らかい声音は紛れもなく佐伯のものだった。


「話があるんだけど」

「私は話なんてない。帰る」


 そう冷たくあしらって、目を合わせずに教室から出て行こうとする私に、佐伯がもう一度私の名を呼びかける。

 ビクリと身体が震える。指先が冷たくなって、両の脚はビリビリと電気が走ったかのように動けなくなる。

 佐伯(こいつ)は嫌いだ。なぜか、見放せない。つい振り返ろうとしてしまう。身体が言うことを聞かなくなる。

 私が動きを止めたことが、彼には話を聞いてくれる気になったととったようで、やや安心したように私の背中に話しかける。


「この前、蟲がどうたらって……あれ、もっと詳しく聞きたくて」

「そんなの、佐伯には関係ない。急いでるの。もう話しかけないで」

「でも……っ!」

「しつこい!」


 一際大きく悲鳴のようにそう叫ぶと、その声に教室のクラスメートや廊下にいた生徒が一斉にこちらに視線を向ける。

 ほら、また、無数の眼が私を。

 息が詰まる。

 見ないで。見ないで。見ないで!


「”こういう時”ばっかり、”構わない”でよ!」


 そう言い残して、私は足早に教室を出る。

 今まで誰も、私のことなんて見向きもしなかったくせに。友達なんて一人もいない。家族にさえ私の存在なんて無いかのように扱われて。

 だから誰にも邪魔されないように、私だけで生きられるように。そうやって過ごしてきたのに。

 こういう時ばっかり、私を見るのはやめてよ。


◇◆◇


 私がいなくなった後の教室は、数秒間ほど時が止まったように静まり返り、そして何事もなかったかのように日常が戻った。


「神無……」

「ほら、佐伯ー。俺らも帰るぞ」

「関。でも、神無が」

「神無?──誰だよ、それ?」

「……は?」


◇◆◇


 私は皆とは違う。

 皆みたいに楽しく人と話すことなんて出来ないし、ましてあんな蟲ケラを引っ付けてなんて歩けない。

 あの子もあの子もあいつらも。様々な蟲ケラとともに生活している。

 金食い虫。泣き虫。ああ、あの子には、本の虫が。

 でも気づいていないんでしょう。それでいいのならいいの。

 私には関係ないんだから。

 なぜって?

 私は皆とは違うから。

 皆と違う私は、誰からも相手になんかされない。今までだってそうだった。だから。

 私は(ムシ)ケラを無視(ムシ)し続ける。


◇◆◇


 気づけば私はいつの間にか家の扉の前に立っていた。全力疾走してきた身体は、息があがり、肩が激しく上下する。鍵を取りだし差し込んで回してみる。普段と同じことを繰り返しているだけなのに、今日は何やら妙に抵抗感がない。


「もう開いてる……?」


 理由もなくざわつく心臓。キリキリと体内が締め上がるこの感じ。

 私はゆっくりと、扉に手をかけた。

 玄関には、きちんと揃えられた見慣れない靴が礼儀正しく佇んでいた。


「ただいま。……母さん」


 部屋の奥で小さく返事が帰って来る。


「おかえりなさい。真央」


◇◆◇


「久しぶりね。こうやって顔を合わせるのは。変わりない?」

「うん」

「そう。ならいいけど。お茶飲む?お湯を沸かすわ」

「うん」


 母と会話したのはいつぶりだろう。久しぶりすぎて、どんな顔をしていいのかわからず、うつむいてぼんやり返事をする。

 本音を言うと嬉しかった。

 この時間は私にとって珍しいことで、唯一母が私を見てくれる瞬間だったから。

 そこではっと瞠目する。この蟲ケラのこと、母になら相談が出来るかもしれない。母だけは、私の話を理解してくれるかもしれない。

 鼓動が一層早くなり、肺いっぱいに息を吸うことが出来ない。けれど、打ち明ければ、何かが変わる気がした。

 変な子だって思われるかもしれない。それでもいい。母が私を見てくれるなら。


「ね……母さん、私、話が」

「私も話があるの。だからこの時間に帰ってきたのよ」


 え、と、まるで予想していなかった返事に顔を上げる。その時の母の顔は、私の母の顔ではなかった。

 いつからそんなに痩せたの。シワも増えて。背も低くなった気がする。髪も白っぽくなってきた。

 私の知らないところで、母は確実に変わってしまった。

 衝撃で言葉に詰まる。

 なんて返事をしてよいのかわからない。耳元で砂嵐のような雑音が始終鳴り響いている。うるさいうるさい。黙ってて。

 私の様子を伺いながら、母は小さく続けた。


「母さんと父さんね、離婚することになったの」


 今まであんなにうるさかった雑音が、今度はピタリと止んだ。まるで聞き逃すなよと言わんばかりに。


「それでね、母さん、今新しい男性とお付き合いしているの。今度はその人と結婚するつもりでいるわ」


 ああ、そういうこと。

 火にかけていたやかんが沸騰を知らせる。

 母は火を止め、私の目を見ないように背中を向けた。以前はあんなに大きかった背中が、今はひどく小さく見えた。


「いい人よ。あの人とは大違い。真央はどうする? 母さんと一緒に来る?」


 その言葉の裏に、来ないで欲しいという本心が見え隠れしている気がした。私は邪魔者なんだと、痛感した。

 それと同時に、私の中で何かが吹っ切れた。


「そっか、うん、そういうこと。母さんは仕事行ってるんだと思ってた。だから我慢してた。一人でもいいって、寂しくないんだってそう思い続けてきた」

「真央……?」

「でも違った。私が信じていたその間、母さんは、……」


 真央、と心配そうに私の顔を覗き込む母の顔は、もはや知らない女の顔つきになっていた。


「虫がいい話よね。子供放ってさ。悪い虫がつかないように、もっとちゃんと甘えておけばよかった」


 彼女は驚いた顔を向ける。

 強がって発した言葉と同時に頬に流れる熱いものが、とめどなく意思に反して零れて止まらない。

 母さんや父さんがいなくても平気だった。私は辛くなかった。

 ───でもちょっと、一緒にいたかった。本当は、寂しかった。


「さよなら」


 一言そう吐き捨てて、私はまた逃げ出すように家を飛び出した。

 家に入る前の、あの胸のざわつきは、きっと虫の知らせってやつだったんだ。

 私にはもう行き場なんてないんだ。視界が滲んでうまく走れない。


次話は明日16時更新予定。

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