1 蟲ケラ殺しの代償
ご無沙汰しております。
今回は最後まで延々と暗いお話です。
虫の描写については、私自身が苦手ということもあり、あまり深く気持ち悪さは出しませんでしたので、虫嫌いな方も読める作品です。
よろしければ、読んでいただけると幸いです(*^^*)
突然だが、一つだけ伝えておこうと思う。
私が神無真央という名前だということも、高校二年生であることも、そんなことはてんで些細な情報に過ぎない。
どうやら、もっとユニークでナンセンスな非日常が起こっているらしい。
つまり、私には、他の人に見えないものが見えるのだ。そして私はそれを、「蟲ケラ」と呼ぶことにしている。
◇◆◇
それが見えたのは偶然だった。
私のクラスメートの背中側の肩に、何か黒いものが付着していた。一際綺麗好きな彼女にしては珍しいなと感じた。
その少女について語ろうにも、関係が浅すぎるのであまり詳しくはまとめられないのだが、一般論として、明るく笑顔を絶やさない、皆から慕われる存在だったのは確かだった。
そして何よりも、彼女の取り柄の大食いは、周知の事実だった。
何かとお腹をすかせては、ひょっこりと友人の元へ行き、お菓子なんかを分け与えてもらっているのが印象的だった。
私も何度かねだられたことがある。鞄の中にあったチョコレート菓子を目敏く見つけたようだった。私は観念して、外装のフィルムを剥がし、甘ったるい銀紙に包まれたそれを一粒彼女の手のひらに落としてやるのだった。
だからといって、決して嫌なヤツではなかった。
「授業中、お腹が鳴って困る」
それが彼女の口癖だった。そして今日も、そう言って私の元にやってきた。
「なんかついてる」
「え? とって、とって?」
彼女の承諾を得て、肩に乗った米粒大のその黒いものをつまんでみた。
人差し指と親指の間でプチリとそれが弾ける感じがした。グミのように弾力のある触り心地が、少し力を加えただけで一変し、いくらのように簡単に潰れてしまう。ほっぺたまで鳥肌の立つような、ゾッとする感覚が指先から広がる。
恐る恐る指を確認してみると、跡形もなくなっていた。
「とれた?」
「うん、とれたはずなんだけど……」
「けど?」
「……ううん、なんでもない」
私は何も無い指を見せないように、後ろの方でぽんぽんと払うふりをして、彼女に笑顔を向けた。
「良かった、ありがとね」
そういって何事もなかったかのように席に戻る彼女の背中を眺めながら、それに違和感を覚えるまで少し時間がかかった。
「あれ? お菓子は?」
そう尋ねると、彼女は暫くぼけっとして、それからああ、と自分でも不思議なように首を捻った。
「なんか、お腹すいてなかったみたい」
まさか。いやしかし、そんな日もあるのだろうか。
私はその答えに軽く頷いて席に着く。それ以降は特に不思議がることも、心配に思うこともなかった。
なぜなら私には、関係のないことだったから。
◇◆◇
次の日も次の日も、彼女はあまり空腹ではないと言って昼飯を抜くことが増えていった。そしてついに学校に来なくなる日が増えた。心配した学友たちが、彼女の家に訪ねたらしいが、その身体は痩せて、頬はこけていたそうだ。当たり前かもしれない、きっと食べ物を受け付けないのだろう。
そこで私は不意に思った。
もしかして、あの黒いものが原因?
その考えが頭を過ぎった瞬間、私はゾッとする光景を目の当たりにした。
「何……、これ」
ただでさえ狭苦しい教室に犇めくクラスメートの肩や腕や背中に、実に様々な大きさでこびり付く無数の黒い物体。それはさらによく見ると、モゾモゾと蠢いていた。
それぞれの人間に、気味の悪い細い毛に覆われた六本の脚を食い込ませながら、落ちないようにバランスをとっているように見えた。
それはまるで、子が離れないように必死に母にしがみつくかのように。
私は驚きと嫌悪感に身を強張らせていた。身体中から冷たい汗が流れ落ちる。
皆には見えないのだろうか。
誰もそれに気づくことはなく、昨日見た夢や夕食の話、また恋愛相談などたわいないことに花を咲かせている。
唇に力を入れる。少しでも気を緩めたら、気持ち悪さに発狂してしまいそう。皆には見えていないのだ。私にだけ彼らは映っている。疲れているのだろうか。
首元までせりあがった悪寒を振り切るように軽く首を振る。
授業開始まで後八分ある。いける。
そう考えて、席を立つ。それと同時に教室中が一瞬にして静寂に満ちた。クラスメート一人ひとりが談笑を停止してこちらに視線を向ける。無数の目が私を捉える。黒いものも、私を静かに見つめている。
呼吸が止まりそうだ。心臓が高鳴る。ああこれが「心臓が口から飛び出しそう」って事なのか。なんて、変に頭は冷静で、私は引き攣る顔を見せないように、俯いて教室からそそくさと立ち去った。
◇◆◇
トイレの個室に入るなり、勢い良く身体のあちこちを調べ上げた。
「ついてない、……ついてない」
何故、蟲をつけておいて、誰も気づかないの。
悲鳴にも似たその嘆きは、私の荒い呼吸に吞まれて掻き消えた。
「なんで皆、あんな……っ! 気持ち悪い」
背中や腰、首元まで丹念に確認したが、私にはどうやら奴らはついていないらしい。張り詰めた一本の綱に片足で乗っかっているような、そんな緊張感の中に少しだけ安堵が生まれる。爪が食い込み血が滲みそうなくらい握り締めた拳を眺めると、小刻みに震え、ひどく冷たくなっていた。暫く手のひらを開いたり閉じたりを繰り返していると、やがて温かな血潮が指の先までやってくるのがわかった。
少し心が落ち着いたところで、はっと我に返る。
「あっ、授業」
私は慌ててチャイムすれすれに教室に飛び込み、難を逃れたのだった。
次話は明日16時更新予定。