異邦者
午前9時、目を覚ますと、帝さんがベッド脇に座ってこちらを見ていました。
「おはよう、眠れたか?」
「はい、おかげさまで。ですけど」
「けど、なんだ?」
問いかける帝さんの顔は、寝る前と比べてかなり疲れた顔をしていました。一目で疲弊していることがわかる、やつれた顔。
「ひどい顔ですよ。まさか寝ずにいた、訳じゃないですよね……?」
「ん?いや、さすがにそれはないぞ。ただちょっと、嫌な夢を見てな」
「夢ですか?」
「ああ、昔の夢だ」
帝さんが「この部屋は好きに使っていい」との事だったので、着替えを探し始めました。クローゼットの中を物色していると、昨日は気にならなかったあることが目に止まります。この家には帝さんしかいないと言っていましたが、この部屋は
「どう見ても女性の部屋ですよね。それも、帝さんと変わらないぐらいの歳の」
一体誰の部屋なのでしょう。でも帝さんの経歴から察するに、気軽に聞いてはいけない気がする。と、机の上にある写真立てが目に入りました。
「これは……」
そこには、まだ幼い帝さんと、灰色の髪をしたオッドアイの少女が写っていました。写真には[みかど りあな]と文字が書き込んであり、2人の仲が良い事を伺わせる写真でした。
何故か見てはいけないものを見た気持ちになり、足早にシャツとズボンを着るとリビングに向かいます。帝さんが現在把握している情報を話すためです。
それにしても広い家です、油断すると迷ってしまいそうな。今度地図でも作って貰いましょうか。……それじゃ、居着く気満々ですね。
教えられたリビングに着くと、既に帝さんが座っていました。真っ黒のロングコートは脱いで黒のアンダーウェア姿でしたが、左手の手袋はそのままのようです。
改めて見ると意外と細身なのですね。とても、まともに対物ライフルを扱える体には見えません。
その帝さんは視線を私の足元に落としたまま、平坦に呟きました。
「足はもう良いみたいだな」
「なるほど私の生足を凝視してた訳じゃないんですね、安心しました」
「……まあ席に着け」
帝さんが砂粒を噛み砕いたような顔で着席を促しました。テーブルの上にはティーカップが2つ置かれていて、中で緑茶が湯気を立てていました。4人掛けテーブルの帝さんの正面に着くと、話が始まります。
「まずは俺が現在把握している事を話す。中央の地下28層に安置されていた新月の遺物、災罪の箱を開くと、令華、君が中で眠っていた。いや、封印されていたのか。ここまではいいか?まあ、なんにせよ信じて貰うしかないんだが」
「はい、わかっています」
簡潔な説明、つまりは、それ以上はよくわかっていないということ。どの道これを前提にしないと始まらない。私は静かに頷き、カップのお茶に口をつけました。
「んで、ここからなんだが。令華、今は西暦何年だ?」
やはり、この質問が来ることは予測できました。何かがおかしい原因、私の知っている限り新月はまだ存命なのに、遺物と言われるのは
「……2053年です。あくまで私の感覚では、ですが」
「53年、か。だとすると、いや、しかし」
帝さんは一通り唸ってから私が居ることを思い出したようで、こちらにもう一度向き直り言いました。
「悪い、簡潔に結論を言う。さっき令華の言った年号は、今から23年前に終わっている。今は、令華の知っている世界から23年後、2076年の11月19日だ」
「……何が原因ですか」
「災罪の箱の封印式[箱庭]には、時間に干渉する仕組みが組み込まれていた。恐らく、時間の進行をゼロ、または限りなくゼロにする式だ。内部の時間は外部よりも遅く進み、結果として内外の時間に23年の差がついてしまった。全く、信じられないな、時間ごと封じ込めるなんて……」
何かおかしいと思っていましたが、時間旅行ときましたか。大変なことである事は理解していますが、私の気持ちは落ち着いていました。単に実感がわかないからでしょうか、それとも、私が壊れているのでしょうか。
「要はコールドスリープですね」
「あまり、驚かないんだな」
「はい?」
「いや、自分で話していてなんなんだが、俺なら絶対に信用しないと思って。君は20年以上眠っていて未来に来ているんだ、なんて言われて飲み込める自信がない」
何故でしょう、こんな突拍子も無い話を信じる気になれるのは。実感が沸かない、という事ではない、確固たる何かを持って、帝さんが言っていることが真実だと言える。落ち着いていられるのはそのせい。
私はそれを知っている、気がする。
「さて、一応俺が知っていることはこれだけなんだが、あれから何か思い出せることはあるか?」
帝さんが首を傾げながら聞いてくる。
次は私が答える番。ですが
「すみません、何も思い出せないんです。ただ」
「ただ、なんだ?」
「私はそれを知っているという事を知っている、とでも言うんですか。思い出せないのに、時間の止まった箱に入れられたのは知っているんです。上手く言葉に出来ないんですけど……」
帝さんが目を瞑り、しばらくしてから何事か呟くと目を開け、言いました。
「知っているが思い出せない、わかった。んでこの後なんだが」
「え、いいんですか?」
あまりに抽象的な表現なのが自分でもわかっていたから、こうもあっさり承服されると拍子抜けしてしまった。
何より、彼は呪術者なのに。
当の帝さんは事も無げに言います。
「いいんじゃないか?本人しかわからないことってあるし」
「呪術者を名乗りながら、それでいいんですか?」
「俺は世界の真理なんてものに興味はない。大昔の錬金術師か、馬鹿馬鹿しい。世界を全部理解しようなんて傲慢な絵空事だ」
呪術者の目的は人それぞれですが、世界の真理を解き明かすと言うのは、割とポピュラーな最終目的です。それを否定するこの人は、一体何のために呪術者になったのでしょうか。
「話を戻すぞ。午後、令華には研究所に来て貰おうと思う」
「研究所、ですか。一応聞きますが、なんのためにですか?」
「20年の間、未知の呪式にかけられていたんだ、体への影響が気になる。それに、封印に至る理由がわかるかもしれないからな」
「あ……」
忘れていました。私はただ閉じ込められていた訳じゃない。何者か、恐らく新月に、封印されていたのでした。
「取り敢えず、俺が話そうとした事はこれだけだ。何か聞きたいことはあるか?」
一つ聞きたいことがあった。
「何故、私を助けたんですか。私の正体が知れれば、あなたもきっと無事では済まない。面倒を抱え込むことがわかっているはずなのに、何故助けようとしたのですか」
「そう、だな……」
帝さんはしばらく考え込み、やがて、言葉を一つ一つ探すように答えました。
「似ているから、かな、令華が。箱から出てきたときは驚いたが、ある人の姿が重なって、な。その人は俺のせいで、今、冷たい氷の中にいるんだ。この子も同じだと考えると、どうにも放って置けなかった」
訥々と語る口調には懐かしさと苦痛が入り交じったような響きが重なり、胸中の複雑さを表しているようでした。そして私には、あの人、というのに心当たりがありました。
「写真立ての人、ですか」
「元はその人の部屋だったんだ、あの部屋は。まあ、使わないのも勿体ないしな、好きに使ってやってくれ、多分彼女もそう言う」
「では、しばらく使っても?」
「いいんじゃないか?その服もピッタリなようだし」
そう言って、私の着ている物を指差す。ジーンズに白い長袖Tシャツ、適当に選んだ物ですが、背格好が似ていたのか遜色なく着られました。
そしてこの瞬間、しばらくこの家に居座る事が決定したようです。
「さ、朝飯食ったら家を案内しよう。午後になったら出発だ」
「はい!」
自分が知っている、または自分を知る人はこの世界に居ないかもしれない。でも、この人が居れば大丈夫だと思う。そう安心する一方で私の第6感とも言うべき場所は、チリチリとした焦燥のようなものを感じていました。まるで、これから良くない何かが起こるような。