それは災罪の
11月の夜風は骨身に染みて冷たく、19時近くともなると出歩く者は皆無だ
そんな中、路駐してあるキャンプカー
本来は居住スペースであるはずの荷台の中には、異様な光景が広がっていた
底面に敷かれた二畳程の鉄板には多重の同心円が彫りこまれていて、そこに無数の直線、数字、言語が青いインクで描かれており、作図に使ったのか、コンパスやら定規やら糸が散乱している
壁面を覆い尽くすモニターは黒い背景に白い文字を延々と映し出していて、呪式の準備をする帝を薄暗く照らしていた
「座標を確認、シミュレート、対象固定、呪式再構築…」
確認はこれで三回目だが、やりすぎる事はない。今から俺は中央呪式研究局、この国の呪力研究の最奥に不法侵入するのだから
中央呪式研究局、政府の非公式機関でこの国の呪力研究の最奥。しかしその実態は、呪術の軍事転用を研究する国家レベルの機密機関、そのためなら拉致監禁人体実験も躊躇わない危険地帯
その地下28層にそれがあると知ったのは、1週間程前の話だ。いつものように禁忌の呪式に関する情報を当たっていると、全くの偶然であったが、それの在処がわかった
[災罪の箱]、かの天才新月の遺した、何か。見た目は一辺3mほどの黒い金属質の立方体、継ぎ目が入っており、開くらしい。表面に刻まれている封印式は未解明、材質、中身共に不明、中央呪式研究局地下28層に保管。百鬼夜行の後、新月の研究室から発見された、何か
中身についてはいろいろと憶測が渦巻いているのだが、俺は、秘匿された禁忌の呪式が封じられているのではないか、と推測している
俺が探している禁忌の呪式、人体変質がその中にあるかもしれない
まあ、中身が存在するのかも不明なのだが
今回の目的を再確認し、三度目の確認作業も終了、現在19:00
行くか
呼吸を整える
「起動、[門]、対象指定、目標、中央地下28層」
起動の為の呪力を送り込むと、床に描かれた図形、呪式が淡く輝き始める
空間干渉式[門]、呪力で空間を歪め、離れた二点間の距離をゼロにする呪式。平たく言うと、ワープを可能にする呪式
今回は、下に敷いてある鉄板も一緒に[翔ぶ]仕様だ
最終段階、最後のワードを口にする
「転移」
瞬間、体が上下に引き伸ばされるような感覚と共にコンテナ内部の風景が消え、一瞬の浮遊感の後、別の場所に降り立つ
座標を間違えると体積ゼロで壁のなかにブチ込まれる危険もあったが、どうやら成功したようだな
打ちっぱなしのコンクリの壁、そこいらに検査機器が置いてあり、手狭な部屋をさらに狭くしている。しかし最も存在感を放っているのは、やはりというか、部屋の中央に鎮座する[災罪の箱]だ
表面に浮かぶ複雑な図形は水色に薄く発光しており、未だその機能を失っていないことがわかる
図形は封印の式、この箱の鍵の役割をしていて、過去幾人もの呪術者達が挑戦したにも関わらず未解析。ついには爆薬で壊そうとしたが傷一つつかなかったという
…そこにある焦げ跡はそういうことか
最終的な見解としては、呪式の原本がなければ解けない、という結論に至ったそうだ
「これは…原本がなかったら解く気も起きないな…」
そういう俺は原本を持っている。小脇に抱えた紙束がそれだ
この封印式[箱庭]を新月と共に開発したとされているのは、生前の俺の両親
この原本は父親の研究室に置いてあったもので、複雑過ぎて意味不明なこれは長年放置されてきたのだが、ここにきて役に立つ時が来たようだ
呪式の解き方は簡単
呪式の中に幾つかの空欄(封印式には必ず出るものだ)があり、そこに何かの文字、記号等を入れて開けと命じる、それだけだ
だが[箱庭]については、通常10前後のこの空欄が541個もあり、鍵を見つけ出すまでの経由式も何倍も複雑。もはや開ける事など端から想定されていないかのような、鬼畜レベルのムリゲーである
しかし原本があればその難易度は著しく下がる。541個の空欄のうち520個は経由式を解かずとも解が出る。残りは21個、一つ1時間として21時間、これだけあれば解くことが出来る
「さぁ、始めようか、耐久レース」
原本を床に広げ、21ある空欄の一つ目に取りかかる。持ってきたノートPCに在中の式解除プログラムを見ながら、手動での解除
この原本には、空欄21箇所の記載が無い、恐らく意図的に無くしているのだろう。だから実物を見ながら補完しなければならなくなり、こうして忍び込むに至った
まぁ、結局開けるときには忍び込むんだけどね
現在19:25、長い夜が始まる
―――――
(ここは、どこ?)
そこは刻の無い部屋
(何故ここに居るの?)
そこは記憶の無い部屋
(何故、ここに閉じ込められたの?)
永い微睡みは終わろうとしている
―――――
現在21:38(ただし翌日の)、長い夜の明け
箱庭の鍵は、最後の一つが解かれようとしていた
「これで…ラスト!」
式を完成させ最後の文字を書き込むと、呪式[箱庭]が光を失う。機能を停止したのだ
これはもう、単なる黒い箱に過ぎない(ただし材質不明)
要した時間は26時間とちょっと
予定よりかなり遅くなったが、問題ない
「さて…少し休んだら開けるとしよう」
職員の見回りはこんな下層には滅多に来ないため、侵入を見咎められることはない
実際のところ、一番危ないのはここからだ
中身が何かわからない以上、その危険は未知数、見回りなんかとは比べ物にならない。万が一致命的な物が出てきたら[門]で即刻離脱し、外側から部屋ごと[箱庭]で封じてしまう手筈になっている
噂にあるような、例えば魔徒など封じられていなければいいが…
荷物を纏めたらしばし瞑目、息を整え
「解錠」
瞬間、カシャカシャと軽い音と共に無数の継ぎ目が動き出す。あれだけ外側からの衝撃を受けながら、歪みを感じさせない精密な動き、いや、実際に寸分の歪みも無いだろう
[箱庭]には、異常な仕掛けがしてあったからな
警戒しながら見つめること数秒、半ばまで開いた箱の中身を、帝は信じられない思いで見ていた
それは真っ白な肌を持ち、絹糸を織り込んだような髪も、身体中見える限り全てが白い
「…これが新月の遺した……君は、一体何なんだ…?」
箱の中、眠る少女に問い掛けたが、当然、返事は無かった