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晴れた空が嫌いでした。  作者: 津森太壱。
【晴れた空が嫌いでした。】
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06 : くすぶる怒り。3





 思わず吃驚した。


「え? あの汚ぇ餓鬼?」


 貧相な体つきは変わらないにしても、手当てをされてきちんと綺麗にしてもらった子どもは、アッシュの隣に並ぶとまるで貴族の娘だ。というか、やはり少女であったことにも驚きだ。けっこう可愛いじゃないか、と思ってしまう。


「可愛いでしょう? お隣のフィーリンに、小さい子の服をいただいたの。ちょうどよくてよかったわ。ねえ、エリク?」

「えりく?」

「この子、エリクっていうのよ。エリク、あれはロザヴィン。わたしの孫なの」

「孫じゃねえよ。なに適当な紹介してんだ」

「口は悪いけれどとってもいい子なのよ。仲良くしてあげてね、エリク」

「無視かよ!」


 ロザヴィンの話など八割ほど聞かないアッシュは、エリクという名であったらしい子どもの背を押し、ロザヴィンの前に立たせる。エリクは、戸惑いながらもロザヴィンに微笑んだ。


「……怪我は?」

「手当てを、して、もらいました。ありがとうございます、ロザヴィンさま」

「ロザでいい。おまえは……」

「エリクです。エリク・ヴィセックと」

「……孤児院?」

「はい……お父さんと、お母さんが」


 エリクは問題の孤児院の、院長夫妻の娘であるようだ。院長夫妻の娘でありながら、あんな盗みなどしていたらしい。

 いったいどれほど劣悪な環境なのだと、ロザヴィンは小さく舌打ちする。


「……ヴィセック孤児院には、国の監査が入るぞ」

「え?」


 ハッとしたように、エリクが目を見開く。


「今日のことと、おまえの状態を陛下に報告した。同じような餓鬼を同僚も見てたんでな、話はすぐに通った。明日にでも監査は入る」


 おまえの両親には悪いが、とは言わなかった。エリクが自分より小さい子どもたちのために盗みを働いたのなら、院長夫妻が自分たちにどんな仕打ちをしているか、わからないはずがないのだ。


「……それは、あそこにいる子たちを、護るものですか?」


 少し間を空けてエリクが口にした言葉に、ロザヴィンは「やはりな」と軽くため息をつきながら頷く。

 エリクは両親のことを、院長夫妻のことを、きっと諦めている。それは親を親として見ているのではなく、人間として、個人を見ているということだ。

 つらいことだろうなと、ロザヴィンは思った。親の愛情に、飢えていないわけがないのに、強い子だなと思った。


「罪は暴かれ、裁きを受けるものだ。それが結果的に、院の子どもたちを護ることになる」

「救われるんですね、あの子たちは」


 エリクの双眸は、切実に、それを願っているように見えた。


「国がやろうとしていることが、救いになるかはわからねえ。今を幸せだと、思ってる連中だっているからな」


 エリクが、首を左右に振って否定した。


「あそこは、子どもたちにとって、地獄でしかありません」


 唇を噛みしめ、俯いたエリクの表情は窺えない。それでも、その瞳から涙がこぼれ落ちたのだけは、見えた。


「女の子を泣かせちゃいけませんよ、ローザ」

「って、おれかよ。つかローザって呼ぶな。おれは男だ」


 アッシュからの突っ込みに、思わず項垂れる。


「そうよ、あなたは男の子。だから泣かせてはいけないの。女の子も、男の子も……子どもを泣かせるものではないわ」

「……おれは泣かせてねぇよ」

「責任を取りなさい」

「だから、国が監査に入るって言ってんだろ。おれが見つけた責任だ。監査にはおれも行く」

「エリクをお嫁さんにしなさい」

「あのな……って、は? 嫁?」

「エリクを泣かせたのはあなたよ、ローザ。その責任は取りなさい」


 思わず目が点になる。


「その責任の取り方意味わかんねぇんだけどっ?」


 ときどきアッシュはわけのわからないことを言う。いや、ロザヴィンの言葉など八割以上聞かないアッシュは、自分の言葉には納得してそれをロザヴィンに押しつけてくる。昔からそういう人だから、言葉にはいろいろ気をつけていたのだが、今回は少し失敗した気がしなくもない。


「だから、エリクをお嫁さんに」

「ちょっと待て! ややこしくなるから黙れアッシュ!」


 とりあえずアッシュは黙らせておかなくては、家宰リレイリスを呼ばれてもっと面倒な展開が招かれそうで恐ろしい。


「わたし、とってもいいお話をしていると思うのだけれど」

「いいから黙れ! とにかく黙れ! おれはこの餓鬼と話してんの!」

「餓鬼じゃないわ。エリクよ。あなたのお嫁さんの」

「アーっシュ!」


 黙ってくれ、と頼んだところでアッシュが黙ってくれたことなどない。

 やはり帰ってくるべきではなかったかと思いながら、ロザヴィンはエリクを無造作に抱き上げるとその場を早足で逃げ出した。


「こら、ローザ! 初夜にはまだ早いわよ!」

「誰が手ぇ出すか、あほ!」

「丁寧にね、ローザ! 優しさが肝心よ!」

「応援すんのかよっ?」


 やっぱりアッシュは意味不明だ、と思いながらも、ロザヴィンは部屋を飛び出し、とにかく邪魔の入らない場所を捜して以前自室として使っていた部屋に走った。

 この邸で唯一落ちつける部屋に飛び込むと、漸く一息ついて、抱えたままにしていたエリクを寝台に放り投げる。怪我人であることは考慮して、力加減はしておいた。


「おまえ、今日はここで寝ろ。どうせ院には帰れねぇんだ」

「え……帰ります。小さい子たちが」

「監査が入るって言っただろ。帰せねぇんだよ。おまえは証人だからな」

「帰ります!」

「やめとけ。そんな恰好で帰って、どうなると思ってんだ?」

「あ……」


 エリクは改めて己れの恰好を見やり、困惑した表情でその服を摘む。着せられた当初は嬉しかっただろう。襤褸しかまとえなかった少女は、少女らしい服を手にして、僅かながらも幸せを感じたかもしれない。


「服を……わたしが着ていた服を」

「アッシュが捨てただろうよ」

「そ、んな……」

「アッシュが捨てなくても、リレイリスが捨てただろうな」


 エリクをロザヴィンの嫁にしようとしたアッシュのことだ、エリクがそれまで着ていた襤褸を保管しておくわけがない。

 エリクをここに連れてきた選択は、間違いだっただろう。アッシュが医師だからと思って、それだけで連れてきたのがそもそもの間違いだ。あの性格を見落としていた。


「どちらにせよ、おまえはここにいたほうがいい。国の監査が入ることは、そろそろ院に連絡がいくはずだ。そのあとの院が、おまえになにかするとも限らねえ」

「……なんで、わたしが」

「おまえがおれに密告した、とか……考えつきそうだろ。そんな恰好してりゃあな。実際はおれがおまえを見つけて、それに気づいただけのことだが」

「小さい子たちはどうなるんですか」

「今はまだだいじょうぶだろ」


 とにかくおまえはここにいろ、と言うと、エリクはその可愛らしい顔を不安げに歪めた。


「わたし、あの子たちを、護らないと……お父さんとお母さんが」

「心配ねぇよ。国が動きだしたんだ。今さら繕ったところで、その罪は隠せねぇし消えねぇ」

「でも……っ」

「罪を犯せば裁かれる」


 ロザヴィンは、睨むようにしてエリクを見やり、黙らせる。


「罪なき者に裁きは必要ない。子どもらは、護られる」

「……それでも、心配です」


 ロザヴィンの睨みに怯まず、エリクは胸元でぎゅっと拳を握り、目に涙を溜める。今にもこぼれ落ちそうな涙に、ロザヴィンため息を押し殺した。


「そんな、心配するほど……やばいところなのかよ?」

「……わ、かん、ない」

「怪我の治療、してもらえるかかわんねぇって、そういや言ってたな? それ、病気のときもか?」

「治療費は、高くて、支払いができない……から」

「自分たちで治療は?」

「薬は、よっぽどのことがない限り、使えない……貴重だから」

「……おまえたちみたいな餓鬼に、治療院は優しいはずだが?」

「知らない……行ったこと、ないもの。行くには、お父さんとお母さんの許可がないと」


 押し殺したため息が、そうできなくて、はあ、と長く吐き出される。

 想像はしていたが、ヴィセック孤児院の環境は思った以上にひどい状態なのかもしれない。


「虐待とか、あんの?」

「ぎゃくたい?」

「あー……殴ったり蹴ったり、暴力を振るわれたことは?」

「殴られたり、蹴られたりするのは、たまにある。お父さんの機嫌が悪いと、お母さんもぴりぴりしてるから。でも、殴られたり蹴られたりしたほうがまだいい」

「……なんで?」

「食事、あるから……殴られたり蹴られたりしたあとは、機嫌がよくなることが多いの。だから、食事もちゃんと出て、みんな食事できる」


 最悪だな、とロザヴィンは顔を歪め、舌打ちする。

 まだ、そんなことが横行している孤児院があるなんて、それも王都にあるなんて、知らなかった。いや、気づかなかった。


 ああくそ、と悪態づくと、ロザヴィンは踵を返した。


「ど、どこに行くのっ?」

「おまえには関係ねえ」

「わたしも連れてって! 小さい子たちが心配なの!」

「おまえはここにいろ」

「いや! わたしが護らないで、誰があの子たちを護ってくれるの!」


 ちらりと振り向いて見えたのは、おとなを信じない子どもの双眸。

 おとなを信じられなくなった少女は、まだ子どもの部類にはいるロザヴィンには、その気持ちを明け透けにできるのだろう。


「おれは罪を許さない」


 呟くように、口にした。


「え?」

「おれは罪を許さない。罪は、裁かれるものだ」


 許さない。

 親の愛情にも、おとなの優しさにも、温かなものに触れることができなかった少女に、罪はないというのに。

 そこにある罪は、少女のものではないのに。

 少女に、ひどく荒んだ瞳をさせた世界が、許せない。


「おまえはそこにいろ」


 ロザヴィンは正面に向き直ると、足早に部屋を出た。エリクが「待って」と叫んでいたが、無視した。


 部屋を出てすぐには、アッシュになにか言われたのだろう家宰リレイリスが、静かに控えていた。


「監禁ですか」


 開口一番の言葉には青筋が浮き出そうになったが、今はそれどころではない。


「明日まで外に出すな。まあ、おれが使ってた部屋だし、餓鬼が簡単に出られるとは思えねぇが……まだ動くんだろ、ここの結界は」

「そうですね。あなたが逃げ出さないように、大旦那さまが作られた特殊な結界ですから……力もない人間には破れないでしょう」

「任せる」

「……任されましょう。ロザヴィンさまの、未来のお嫁さんですからね」

「違え!」

「捕まえておかないと」

「だから違えって言ってんだろっ?」

「未来の奥さまに嫌われる前に、さっさと片付けてきてくださいね、いろいろな問題を」

「リレイリぃーっス!」


 いったいどうして、エリクをロザヴィンの嫁にしたいのか。

 アッシュの考えもリレイリスの思惑も頭を抱えたくなるほど不思議でならないが、いつまでも相手にしていられないので、ロザヴィンはぎりぎりと拳を強く握りながらもリレイリスに背を向けて歩き出した。


「あ、ロザヴィンさま」

「なんだよ!」

「掃除に邪魔でしたので、空間転移装置の呪具は移動させました」

「! あるの知ってたのかよっ?」


 内緒で作って置いておいたのに、とロザヴィンは吃驚して振り向く。リレイリスは涼しげな顔をしていた。


「大奥さまの書斎にありますので」

「なんでアッシュ!」

「面白がられておりましたので」

「……、まさか使ったのか」

「もちろん。楽しゅうございました」

「おまえも使ったのか! つか使えんのか!」

「はい」


 律義に頭を下げたリレイリスに、今度こそロザヴィンは拳をお見舞いすることにした。







ヒロインの名前が漸く出ました……ほっ。

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