05 : くすぶる怒り。2
「アッシュ!」
大声を上げながら、ロザヴィンは扉を蹴る。中にいた住人は、吃驚した顔で振り向いた。
「まあまあ、ローザじゃないの。久しぶりねえ。あら、その子はだぁれ?」
ちょうど昼餉のときだ。居間で昼餉にしていたらしい老婦人は、ロザヴィンを見るなり首を傾げ、そしてロザヴィンに担がれた子どもに目を見開く。
アッシュ・レクト。
ロルガルーンの妻だ。
「ローザじゃねえ、ロザだ。こいつの怪我、治療してくれ」
「まあ、怪我をしているの? それは大変。すぐに手当てするわ」
「ついでに沐浴も。なんかいろいろ汚ねえ」
抱えた子どもをアッシュの前に差し出すと、その怪我の状態や襤褸を目にしてまた吃驚した様子のアッシュは、慌てて家宰を呼んだ。
「リレイ、リレイ、来てちょうだい。ローザが可愛い子を攫ってきたわ」
「違え!」
なんだその恐ろしい勘違いな呼び方、と文句を言ううちに、ロルガルーンの邸のすべてを取り仕切る家宰リレイリス・マナクが姿を見せた。
「なんとロザヴィンさま……意中のご令嬢がおられたならば、わたくしめにも教えていただきとうございました。謹んでご協力いたしますのに」
「あほかっ」
無表情で意味不明なことを言ってくれたリレイリスは、その口さえ閉じていればそれなりの男前だ。その優しげな栗色の髪や瞳、もの腰や容姿に惚れる女性はたくさんいる。
けれども。
「攫ってくるほど患われておられたなど、わたくしめは知りませんでした。なぜ協力させてくださらないのです」
リレイリスはアッシュと同類の人間だ。
「違えって言ってんだろ! つか、なに患うってんだ!」
「もちろん恋の病を」
「リレイリぃーっス!」
思わず、身に宿っている雷を放ちそうになる。
「いいからこいつの治療しろ!」
雷を放つ代わりに、うっかり子どもをリレイリスに投げてしまった。
「まあローザ! そんな乱暴にしちゃいけません。お食事を抜きにしますよ」
「アーっシュ! いい加減にしろ」
ぱりぱり、と手のひらに火花が散る。それを見てもアッシュは怯まず、あぷっ、と子どもにして見せるようにロザヴィンを睨んだ。
「こら! 危ないでしょ、やめなさい」
「だぁれがおれを怒らせてんだあ?」
「落ち着きなさい。とにかく、この子の治療が先よ」
「さっきからそう言ってんだろっ」
「はいはい。じゃあリレイ、お湯を沸かしてちょうだい。わたしは怪我の状態を見るわ」
強かな老婦人は、実は医師だ。今は引退して隠居の身であるが、医務局からは退いていないので、隠居していながらも現役の頃とさして変わらない。忙しさが減ったというだけのことだ。
「その子、頼んだぞ」
少し熱くなってしまったが、いつものことだと自分を落ち着かせ、ロザヴィンはアッシュに子どもを頼む。
「あら、あなたはどこへ行くの、ローザ?」
その目敏さに、舌打ちしたくなる。
「城」
「なぜ?」
「べつにいいだろ」
「この子の怪我が関係しているのね? なにがあったのか説明なさい」
くそ、と毒づく。
アッシュは、ロルガルーンほどに鋭く、そしてしつこい。
「気になることができた。だから城に行く」
「陛下に訴えるのね?」
事態に驚愕して呆けている子どもの、その怪我の具合を確認しながら、アッシュはロザヴィンの行動を的確に読んでくる。
「あとで診断書を届けさせるわ」
「……ああ」
「この子のほかにはいないの?」
「いる、けど……今は無理だ」
「そう……なら、早く片づけておしまいなさい」
「……わかってる」
「無茶しないのよ」
なんでもかんでも読んでくるアッシュに、どうも居心地が悪いと感じながら、ロザヴィンは足早に部屋を立ち去った。その足で、内緒で作った邸内にある転移門へ向かい、王城の下段にある魔導師団棟へと移動する。
孤児院の悪制について、女王ユゥリア陛下に直訴するつもりだった。
のだが。
「雷雲?」
魔導師団棟から王城の上段、王宮へと入り、その足を女王陛下の執務室へ向けて歩いていたところで、その部屋から出てきた同僚の魔導師、カヤと再会した。
「ああ? なんでいんだよ、堅氷」
行く、と言っていたから、てっきりまた放浪に出たのかと思っていた。
「仕事だ」
「あんたが仕事って……なに珍しいことしてんだ」
放浪していて帰ってこないことのほうが多いくせに、むしろ魔導師のくせに魔導師らしくなく任務を受けずして任務を遂行させるくせに、まともに仕事だと言うなどとんでもなく珍しい。
「気になることがあった。おまえと獄舎へ行ったときに」
「なんだそれ?」
「おまえこそ、どうした?」
「おれは……」
おまえの奥さんに直訴に来た、と言おうとしたら、カヤの視線がロザヴィンの手を見ていたので、なんだと思って視線を下げた。
「ああ……悪い。あんたに向けてるわけじゃねえよ」
「それはわかる。随分と気が立っているようだな」
手のひらに、まだ火花が残っていた。ぱちぱちと、小さな雷光が飛散せんとしている。
「悪い。落ち着かせらんねぇんだ」
燻る怒り。
罪に対する、その怒り。
落ち着かせようにも、それは無理なことだ。きっかけがなんであれ、あまりにも腹が立つと、それまで存在を潜めていたこの火花は飛散する。
「なにかあったのか」
「……陛下に逢いたい」
「その状態ではユゥリアに逢わせられない。結界がおまえを敵と判断し弾く」
「悪意はねえ」
「それはわかると言っている。話せ、なにがあった」
ちっ、と舌打ちし、どうにか火花を消せないものかと心を落ち着かせようとしたが、あの路地で感じた不甲斐なさを思い出すと無理だった。
「なにがあった、雷雲」
「……子どもが」
「子ども?」
「怪我を、してた」
「……どこで?」
「ルスカン通りの裏……近くに、ヴィセック孤児院があるだろ。そこの子どもだ」
ああくそ、と思う。これでは、カヤに助力を求めているようだ。いや、実際に自分以外の魔導師の力も必要であるし、女王陛下にだって詳細を報告し動いてもらわなければならない。
しかし。
「そう、か……おまえも気づいたのか」
カヤは、予想外なことにそう言った。
「気づいたって……」
「この前、おまえとあの通りを歩いただろう。そのときに、やけに貧相な子どもがいた」
「……じゃあ」
「いや、おれが見かけた子どもは孤児院にはいなかった。だが、だからそこで、見つけた」
ロザヴィンが感じ、思ったことは、カヤも気づいたことらしい。まさか同じことに首を突っ込もうとしていたとは驚きだ。それで「仕事だ」などとまともなことを口にしたのだろう。
「おまえはなにを見た?」
「孤児院には行ったわけじゃねぇけど……子どもが殴られてた。麺麭を盗んだって」
「……簡単な問題ではないな、これは」
はあ、とため息をついたカヤは、ロザヴィンにくるりと背を向けると、先ほど出てきたばかりの部屋に向かって歩き出した。
「おれと一緒であれば、結界は反応しない。ユゥリアにおまえが見たものを報告しろ」
どうやら女王陛下への直訴はできるらしい。未だ手のひらには火花が残っているが、それは女王陛下への悪意ではなく、ましてその感情でもないため、カヤは同行することで謁見を許してくれるようだ。
「悪い」
謝ると、ちらりと振り返ったカヤは小さく首を傾げた。
「おれと同じものをおまえが見つけた。それだけのことだが?」
「面倒をかける」
「同胞の言葉だ」
火花が悪意ではないと信じてくれるカヤに、知らずほっと安堵する。ロザヴィンが女王陛下を護る結界に弾かれないよう、その気遣いまでしてくれることにも感謝だ。
そうして、有り体に言えば、女王陛下への直訴は成功した。女王陛下にとって夫たるカヤの言を押すロザヴィンの報告は、聞き届けられたのである。それは、カヤだけでは動かせなかった貴族院や司法を納得させた、とも言える。魔導師がふたりもその現場を目撃したのだ。調査には早い段階で入ることができる。
「おまえが見たっつう子どもは?」
帰り途で、ロザヴィンは明日からまた共に行動することになったカヤへ、その問いを投げた。
「どうやらおとなに混じっている。どこにいるかまでは把握できていないが、あの辺りにいるだろう。力を感じた」
「力?」
「あれは魔導師だ……力が発現している」
「……おい、それ」
無自覚の発現者か、とロザヴィンは瞠目する。
それはまるで、自分のようだ。
そして、カヤのようだ。
「どうもアリヤの力の質に似ている。だからわかるんだ」
「どうすんだよ」
「引き取る」
「いや、それはいいが、どうやって? 孤児院にいんならできるだろうけど、いねぇんだろ?」
「そのときは名前でも出す。ガディアンかユシュベルか、どちらかの名を聞かせれば、上手くいくだろう」
ふだんは、その名称たる王公の名を出したがらないくせに、見かけたと言う無自覚の発現者の子どもを引き取るためには、利用するつもりでいるらしい。
「いい脅しにはなるだろうが……陛下の意見は聞いたのかよ?」
「おれが弟子を設けることに異論はないそうだ」
「弟子……なるほど。しかし早ぇな、その歳で弟子かよ」
「そうだな」
弟子を取るなど、カヤの歳ではまず早い。しかし、バケモノじみた力を平然と使うカヤだ。弟子がいてもおかしくはない。むしろ国の方針としては、カヤに弟子を取らせたいと思うかもしれない。その技術を、能力を、受け継がせたいと考えることだろう。たとえカヤの息子、第一王子たるアリヤ殿下がカヤと同等の力を持つ魔導師であろうとも、彼を王子に留めおくためにそういった考えは出てくるに違いない。
「弟子か……ちゃんと面倒看ろよ」
「おまえこそ。怪我をした子どもをロルガルーンの邸に連れて行ったんだろう?」
「治療が終わって孤児院がどうにかなれば、戻すさ」
「拾った責任は取るものだ」
「いや拾ってねぇし」
「それでも、おまえが見つけた子だ」
面倒を看ろ、と逆に言われてしまった。拾ったつもりであの子どもをロルガルーンの邸に連れて行ったわけではないのだが、怪我の治療のため連れて行ったことは確かなので、その辺りはきちんとしておくべきだろう。孤児院の現状について話も聞かなければならないし、国の対応も話しておくべきだ。あの子が年長者とは限らないが、まず話は通じるだろう。
「まあ……アッシュがどうにかしてくれるとは思うけど」
「自分から手を出したことだろう」
「それは、まあ……言われると痛ぇな」
すべてをアッシュに任せるつもりはないけれども、ああいった子どもはロザヴィンのような魔導師より、アッシュのような優しげな夫人のほうが安堵するのではなかろうか。ロザヴィンはそうだった。幼い頃は師であるロルガルーンより、アッシュに懐いたものだ。人を壊し、それが殺すという行為であったことに慄き泣き叫んだ時期、アッシュには随分と世話になったのだ。あの安堵感はそれがなくなった今でも憶えている。
「今日は邸に帰れ。おれも家に帰る」
「んー……ま、そうだな」
帰りたいとは思わないが、様子を見に行くことはしておかなければならない。そのついでに泊まればいいかと、ロザヴィンは頷いた。
「またな」
「ああ」
「あ、そうだ。一つ訊きてぇことあんだけど」
「なんだ?」
以前から訊いておきたかったことを確認すると、カヤとはその場で別れ、ロザヴィンは久しぶりに長らくお世話になっている邸へと、里帰りを決めた。