04 : くすぶる怒り。1
*描写がグロいかもしれない部分があります。ご注意ください。
ロザヴィンの主な仕事は、ふつうの魔導師とは違う。どこが違うかといえば、その凶暴性を秘めた力によるところがある。
「よお、よくもまあ散々逃げ回ってくれたなあ」
不敵に笑い、ロザヴィンは蔑むようにそれを見下ろす。
その犯罪者は、投げ込まれただだっ広い牢にひとり、不貞腐れた姿で座っていた。しかし、ロザヴィンが目深に被っていた頭巾を取り払うと、その顔も引き攣る。
「灰色……雷雲の、魔導師?」
「ああ、知ってんの? おれのこと」
「ば、かな……なんで……なんでてめぇがくんだよ!」
犯罪者の怒鳴りに、ロザヴィンは笑む。
「おれの刑はてめぇがくるほどの重罪じゃねえぞ!」
「ばか言え。ここに入った時点で、てめぇの刑は軽かねぇんだよ」
「ひっ……!」
自分と犯罪者の間を隔てる鉄格子に触れ、ばちばちっと、火花を散らせる。
雷のようだ、と言われてから、ロザヴィンはその雷を独自に学び、身にまとえるくらいにまでなった。その雷は、こういうところで役に立つ。
つまり、ふつうの魔導師と己れを隔てることになった、凶暴性の強い攻撃系の力だ。
「じゃあな」
そう言って、雷を膨張させると、犯罪者めがけて指先で放つ。
「ぎぃ…っ…ぎゃああぁあああ!」
悲鳴が、牢獄に響く。
火花の音が、飛散する。
雷が陽光のごとく、輝く。
焼けた蛋白の異臭が、鼻を突く。
それでも。
実兄を苦しませたときのようななにかを、感じることはない。
「壊れてんのな、ほんとに……おれ」
呟いたとき、犯罪者は見る影もない黒炭と化していた。
それを見ても、罪悪など感じない。
誰かを殺したという感覚もない。
ただ、己れが壊れていく音だけが、どこからか聞こえてくる。
「ここはおまえの八つ当たり場所ではないと、いくら言うたらわかるんじゃ。シィゼイユ殿下が旅立たれてすぐこれはと……」
獄舎を出ようとしたところで、ふと光りのほうから声がする。ロザヴィンが街を騒がせた犯罪者のもとへ行ったという、その報告を受けてここまで来たのだろう師、ロルガルーンだ。
「殿下は関係ねぇし、八つ当たりでもねぇよ。ちゃんとした刑だ」
「やらんでいいと言うとるじゃろうが。おまえは」
「おれは魔導師の牽制をしていればいい、か? べつにいいじゃねぇか。犯罪者なら、一般人も魔導師も変わんねぇんだから」
はん、と鼻で笑い、背中に流していた外套の頭巾を目深に被り直すと、ロルガルーンが立つ光りのほうへと足を進める。その横を通り過ぎ、外に出ると、明るい陽射しに目が焼かれそうになった。
「ちっ……曇ってろよな」
「ロザヴィン」
「んだよ」
「わしはおまえに、あのような真似をさせるために、弟子としたのではない」
あのような、と言ってロルガルーンが見ていたのは、ロザヴィンが一暴れした牢獄だ。片づけを任せた看守員が、行ったり来たりしながら掃除をしている。ロザヴィンが見ていることに気づいた看守員たちは、まるでバケモノでも見たかのように顔を引き攣らせ、素早く視線を逸らす。
「……片づけてやったってのに、大層な態度だな」
「やり方というものがある」
「誰がやったって同じことだろ」
「慣れるな」
「……べつに慣れちゃいねぇよ」
ふいと視線を逸らし、ロザヴィンは晴天の下を歩く。
晴れた空は好きではない。
焼ける目が、焼ける肌が、陽を浴びてもいないのに痛むから。
「ロザヴィン」
後ろで、ロルガルーンが呼んでいる。あえてそれを無視して、ロザヴィンはまっすぐ敷地を出た。
行く宛ては特にない。
魔導師に下される地方派遣任務は、まだ若いロザヴィンには滅多に回ってこず、ロルガルーンからの直接命令がない限りは王都の周辺にいる。ゆえにロザヴィンは、犯罪者を見つけない限りは周辺をただぶらついていることが多かった。それも飽きれば、趣味の呪具作りに専念する。没頭する、と言ったほうが正しいかもしれない。呪具を作っている間だけは、なにも考えずにいられるからだ。
今日はどうしたものか、と考える。
王都を騒がせた強盗犯、先ほどロザヴィンが黒炭に変えた犯罪者も消え、今のところは突発的に発生しない限り騒がれている事件もない。ロザヴィンが久しぶりに直接手を下したという先ほどのことが看守員から流出すれば、しばらく王都も静かだろう。雷雲の魔導師が犯罪者に刑罰を下した、となれば、いやでもその噂は立つのだ。
「おれは刑務官みたいなもんだからな」
魔導師を牽制するための魔導師。
罪を犯した魔導師を罰する魔導師。
罪を犯した者には慈悲なく罰を下す魔導師。
雷雲の魔導師には常に、罪と罰という言葉がまとわりつき、また死という言葉がまとわりついている。
それが、六歳を迎える頃にロザヴィンが犯した罪への、刑罰だった。
だからロザヴィンは断罪する。
その罪を、忘れないために。
その罪から、許されないために。
罪を犯した人間を壊し続ける。
それがロザヴィンの刑罰、そして平時の仕事だ。
「あー……くそ、眩しいなぁ」
今日の空は晴れやか過ぎる。陽光を遮断する結界の中にいたほうがよさそうだ。
ここから一番近い、結界の張ってある場所は、数日前に旅立った王弟シィゼイユが好きに使っていいと言ってくれた小さな邸だ。そこへ行って休もうかと、ロザヴィンはそちらへと足を進めた。
できるだけ日蔭を歩き、その陽光を浴びないようにと気をつけていると、自然、どうしても裏道を歩くことになる。そうやって歩くから、ロザヴィンはたまに見つける。
その罪を。
その罰を。
「寄越せ、この餓鬼がっ!」
ばしっ、と殴る音。
人が人を傷つける音だ。
俯きがちになっていた視線を上げれば、路地の片隅で男が、子どもを殴っていた。
ああ、気分が悪い。
せっかく気分を晴らしてきたところなのに、またこれか。
そう思うと、子どもを殴り続ける男に腹が立ち、消し去りたい衝動に駆られる。
「おい、子ども相手になにしてんだよ」
「ああっ?」
振り返った男は、その手に麺棒のようなものを握っていた。ところどころには、それで殴ったのだろう子どもの血が付着している。視線を男から子どもに移せば、襤褸をまとった子どもはその腕に麺麭を抱えていた。
「はっ……商売道具もただの凶器かよ。最悪だな」
「あんだてめぇ……、ああ?」
「見りゃわかんだろ。通りすがりの魔導師だ」
言いながら、ロザヴィンは目深に被っていた頭巾を背中に流し、本日二度めとなるその吃驚顔を拝むことになった。
「灰色の……まさか、雷雲の魔導師、さま」
ロザヴィンにも棒を振ろうとしていた男は、ロザヴィンの髪と双眸を見るなり蒼褪め、よろめきながら後退した。どうやらひとり歩きしている雷雲の魔導師の噂について、少しはわかるようだ。その髪と双眸が、灰褐色であることを。
男から戦意が喪失したことを確認すると、ロザヴィンは目を走らせ、すぐ隣の表路地を見やる。露店が広がり賑わっている路地は、ロザヴィンもよく歩く道だ。子どもを殴っていた男は、路地に露店を出している麺麭屋というところだろう。
ロザヴィンは表路地から、再び男に視線を戻し、そして傷だらけの子どもを見やった。
「……そこの餓鬼が、盗みでも働いたか」
「あ……は、はい」
それまで威勢のあった男は、ロザヴィンに対し委縮し、目を彷徨わせながら持っていた麺棒を背に隠した。
「よく、盗まれるもので……今日こそはと、捕まえた次第で」
盗みを働いた子どもを捕まえた男に非はないだろう。だが、そこからの思考する方向を間違えている。
ロザヴィンは舌打ちすると、懐から銀貨を一枚取り出し、男に投げた。
「それで帳消しにしろ」
「はっ? え、あ、よ、よろしいんで?」
「なにがだ」
「い、いえ」
「さっさと行け」
「はいっ!」
男は慌てて表路地へと走って行った。それを見るともなしに眺めて、再び子どもを見やる。殴られた痕があちこちにあった。乾き切らない血が額を切り、唇を切り、腕や足には青痣がある。
いったいどれだけ殴られたというのか。
「……最悪だな」
襤褸をまとった子どもは、盗みを働いたにしても、それは生きるためであっただろうとすぐにわかる。この近くには孤児院があるのだ。そこの子どもだろうと思われる。
「おい、餓鬼」
ロザヴィンは子どもに近づき、視線を合わせるべく膝を折る。麺麭を抱えて蹲っていた子どもは、びくりと身体を震わせて、怯えた眼でロザヴィンを見つめてきた。
「ご、ごめ、なさ……っ」
「ああ? なんでおまえがおれに謝んだよ」
「ごめんなさい……っ」
麺麭をぎゅっと抱きしめて俯いた子どもは、身体を固くしていた。それはまるで、おとなからの虐待から身を護るようだった。
「……おれが怖いならべつにそれでもかまわねぇけどな、おまえ、立てんのかよ?」
「ごめんなさ……っ、え?」
「その怪我、院に戻りゃ治療してもらえんのか?」
「ち、りょう……?」
「ああ。その麺麭、自分だけで食うつもりじゃねぇんだろ? 喧嘩になったりすんじゃねぇの? そしたらまた怪我すんだろ。治療してもらえんのか?」
子どもが生きるために取った行動を、それがたとえ罪になろうとも、強く咎める気はない。
ただ、いけないことだと覚らせなければならない。
生きることに必死な子どもは、おとなより性質が悪い。狡賢くない分だけ、純真なだけ、無垢なだけに、なにが悪いのかという分別を持っていないことが多い。
ロザヴィンが、そうやって人間を壊したように。今も、壊し続けているように。
この子どもと違うのは、ロザヴィンの執着が生ではなく、実兄にあるというだけのことだ。
「おい、どうなんだ」
「えっ……と……た、たぶん」
「曖昧だなぁ……はっきりしろよ」
「わ、わかんない!」
ぼろっ、と子どもの双眸から、襤褸をまとっているわりには綺麗な藍色の瞳から、涙がこぼれる。今頃になって緊張感が解けたのか、それとも逆に緊張し過ぎたのか。
はあ、とため息をつくと、ロザヴィンは子どもに手を差し伸べた。
「立てるか」
「うっ……うぅ」
「立て」
子どもは泣きながらも、ロザヴィンの手に掴まった。どうやら緊張感が解けただけのようだ。引っ張ってやると、ふらつきながらも立つ。
子どもだと思っていたが、立たせるとそれなりに身長があった。ただ栄養が足りてないのだろう。華奢な身体は、まだ子どもの部類に入れられるロザヴィンより肉づきが薄い。
「おまえ、近くの院の子どもだろ」
「うぅ」
「治療、してもらえるか、わかんねぇのな?」
「わ、わかんな……っ」
「その麺麭、誰かと食うつもりだったのか?」
「ちいさい、こたち……っ」
「小さい? うわ……最悪だな」
この近くにある孤児院は、まともではなさそうだ。この子ども、いや少年、いや少女か、とにかくこの子がこの状態で、自分より小さい子たちのために盗みを働いたのなら、孤児院はその役割を放棄している可能性が高い。
「あの親仁、よく盗まれるとか言ってやがったな……ちっ」
よく通る表路地、そしてこの裏路地で、まさかこの事態に気づけないでいたとは不覚だ。腹立たしさがより強まる。
「おれの縄張りでよくもそんな真似ができたもんだ……餓鬼だからって舐めんじゃねぇぞ」
くそ、と悪態づくと、ロザヴィンは握った子どもの手を引っ張り、外套の頭巾を目深に被り直すと歩を進めた。
「え、わ…っ…あ」
「治療してやる。ついでにその麺麭、おれが買ってやったんだから大事に食え。銀貨一枚分の美味さだ」
「え、え、え」
「口閉じろ」
ああくそ、とまた毒づく。
怪我をしている子どもは動きが鈍く、引っ張っても躓いたりするので、途中からロザヴィンは子どもを肩に抱えた。その重みはやはりなく、骨ばっている。この子がこの状態では、ほかの子たちも同じような状態になっているだろう。
それを考えると、もっと、もっと、腹が立った。
いらせられませヒロイン!
漸く出て参りました。