03 : 欲しいのは無関心。3
人間を壊したその日に、ロザヴィン自身もどこか、壊れてしまったのだと思う。
いやに眩しい陽光が、身体中に痛みを与えるようになったのは、人間を壊してからのことだ。
人間を殺したのだ、とわかったのは、その痛みに耐えるようになってからだったと思う。
「無礼講だ! わたしの旅立ちを祝ってくれ!」
晩餐の席で、シィゼイユが高らかに声を上げる。ごく身近な者たちだけの宴となったので、緊張する必要はない。
それでも、ロザヴィンは緊張していた。
実兄がいる。
あの日、ロザヴィンがやったことを恐れ、護り庇い切れなくなり、苦しんだ兄が、今は王佐として女王陛下に仕え、そのそばに侍っているから、どうしても顔を合わせることになる。
シィゼイユとの一時の別れを少々寂しく思う一方で、その宴の席で顔を合わせた兄の近くにいたくなくて、ロザヴィンは宴に酒が回り始めてすぐ席を離れた。
シィゼイユへの別れは、明日の朝、伝えればいい。
会場の露台から、外に出た。
とたん。
「ロザ」
呼び声に、身体が震える。
忘れることなどできない声音に、振り返ることができなかった。
久しぶりに、愛称で呼んでもらった。
「ロザ」
再び呼ばれる。
気づかれないように外へ出たのに、どうしてわかったのだろう。心臓をばくばくと高鳴らせながらゆっくり振り向くと実兄が、シャンテが露台に立っていた。
「シャンティン……」
実兄を見ると、昔の自分を思い出す。
シャンテと同じ色を持っていた小さな己れが、優しいシャンテに護られるその姿が、否応なしに甦る。
あの頃の自分は無知だった、愚かなほど無垢だった、それでもあのときが一番幸せだったのかもしれない。
「戻りなさい、ロザ。大事な席だ。シィゼイユ殿下にはお世話になっただろう」
あんたがいるから居心地が悪いのだ、と言えたらいいのに、言えない。言ったら、きっとシャンテは不愉快な気持ちになる。それはロザヴィンの本意ではない。
「殿下には、昼に……伝えた、し」
「それでも。これは別れの宴なのだから」
「明日の、朝にも、言う。今日は……」
「今このときに、どんな意味があるかを考えなさい」
シャンテは、昔から変わらない。ものごとを教えるとき、じっと人の目を見て話す。こちらが目を背けても、追いかけるように見つめる。
昔は怖くなかった。
自分を見てくれることが嬉しかった。
それなのに、今は怖い。
兄のもとを、家族のもとを、貴族という枠から外れたそのときから、長く離れているせいで、その恐怖を感じるようになってしまった。
兄のように思うシィゼイユは怖くないのに。
実兄のシャンテは怖い。
また自分が、シャンテを苦しめてしまう気がして。
「おいで、ロザ」
声音は優しい。ロザヴィンを拒絶してなどいない。
けれども。
怖い。
怖くて、そばに行けない。
怖くて、その優しさに触れられない。
「陽に、当たったせいで、気分が悪い。今日は、帰る」
「ロザ」
「痛ぇんだ……っ」
そう叫んで、シャンテに背を向けると走った。転移門がある場所を目指して、振り向くことなく走り続けた。
「待ちなさい、ロザ!」
遠くでシャンテの声がした。それでも、ロザヴィンは立ち止まらない。
自分はシャンテのそばにいてはならない。弟だと思ってはならない。それはシャンテを、苦しめるだけなのだ。
息を切らせながらひたすら走り、王宮と魔導師団棟を繋ぐ転移門に飛び込むと、シャンテは慣れ親しんだ古巣に帰った。中層にある自室に入ったあとは、勢いに任せて寝台にごろりと転がる。
しばらく、うつ伏せのまま瞼を閉じ、心臓を落ち着かせた。
「ロザ」
魔導師としての渾名でもなく、ロザヴィンというちゃんとした名でもなく、幼い頃からの愛称で呼ぶその声が、ロザヴィンの気分を降下させ、逆撫でし、そして不機嫌に苛立たせる。とはいえ、そんな顔もしないし声にも出さないだけ、よっぽどいやなのだなと、自身でも思う。
実兄シャンテを、自分のことで苦しめることが。
不愉快にさせることが。
悲しませることが。
さまざまな感情を、起こさせることが。
だから、兄からは無関心という心が欲しい。
そうすればどれだけ、自分は楽になれることだろう。