19 : 逢いたくても、逢えなくて。3
それは意地なのか、それとも緊張なのか、エリクには後者のように思えたけれども、ロザヴィンの父が建物の中に戻ってからしばらく、ロザヴィンはその場を動かなかった。
きっかけはロザヴィンの叔父、イゼルが作った。
「ほら行くよー」
と、ロザヴィンの腕を掴むとずるずると引っ張って行った。
いきなりだったので、エリクは取り残されてしまって、シャンテに苦笑された。
「一緒に行くか?」
と、シャンテには訊かれたけれども、どうすればいいのかはわからなかった。だから沈黙したら、シャンテが「おいで」と優しく言ってくれた。
「ここは父が管理する書庫の一つでね。イゼルはその補佐をしている。わたしは休憩がてら、ここに眠っている本を読みにくるんだ」
だから揃っていたんだよ、と歩きながら説明される。
「まあ、ロザはわたしが休憩している時間を見計って、来たんだろうがね。臆病者だから、わたしという緩衝剤があれば父に逢えるかもしれないと、思ったんだろう」
「……ロザさまが、臆病者?」
「エリクは知らないのか? ロザはつい最近まで、父はおろかわたしのことも、ずっと避けていたんだ」
シャンテから語られるロザヴィンのそれは、エリクの知らないことだ。
「どうして、兄さまを……」
「臆病者だから」
「ロザさまはかっこいいです」
「エリクにはそうかもしれないな。いや、うん、そうなんだ。わたしも、ロザはかっこいい魔導師だと思うよ。あれの正義は、誰よりも強い」
「正義……」
ああそれで、とエリクは頷く。
ロザヴィンは、己れが人殺しだと、言っていた。それは泣きながらの懺悔だった。嫌悪だった。憎悪だった。
「ロザさまは……どうして、そんなに強く、正義を持つのでしょう」
エリクにとって、目の前にいるロザヴィンがすべてだ。人殺しであろうがなんであろうが、ロザヴィンは愛する人だ。正義感が強かろうが弱かろうが、そんなものは、関係ない。
けれども。
「それがロザさまを、苦しめているように思えるのは……わたしの気のせいでしょうか」
正義感が強いロザヴィンは、そのせいで、苦しんでいる。エリクにはそう見えた。
「そうだな……わたしも、きちんと言えばよかったんだろう」
「言う?」
「ロザを手放す前に、きちんと……ここがおまえの帰る場所だと、おまえの家族はここにいるんだと、そう言ってやればよかったんだろうな」
今だから言えることだけれど、とシャンテはため息をつくように笑った。
「そうすれば、あんなに強い正義を持たなかったかもしれない。いや、正義があることはいいんだ。ただロザは……強過ぎる」
わたしのせいだな、と言いながら、シャンテはある部屋の前で立ち止まり、置いてある長椅子にエリクを促した。エリクが腰かけると、その隣にシャンテは座る。
「ロザさまのそれが、どうして兄さまのせいなんですか?」
「可愛くて」
「へ?」
「弟がね、可愛くて、仕方なかったんだ。今もだが」
くすくすと笑ったシャンテは、あの頃はわたしも若かったからなあと、エリクには頓珍漢なことを言う。
「可愛いあまりに、周りが見えていなかった。気づいたときには、すべてが……なにもかも、遅かった」
「気づく?」
「魔導師の、力の発現」
わたしは発現しなかったがとシャンテは言うが、エリクだって魔導師の力はない。そもそも、エリクはその力がよくわからない。
「わたしは、よく、わかりませんけど……それに気づくのが遅かったから、ロザさまが?」
「たぶんね。わたしはロザを可愛がるだけで、怒ったり、叱ったり、あんまりしなかったから。悪いことも、良いことも、分別をつけて教えられていなかったと思う。だから……ロザは、わからなかったんだ。それが、悪いことだと」
「悪いことって……」
「ロザが街で灰色の魔導師と呼ばれているのは、知っているか?」
「はい。とても強い魔導師で、どんな罪でも断つと……」
「どんな罪でも……か」
ふっと笑みに陰りを見せたシャンテが、きゅっと、強く手を組んで視線を伏せた。
「魔導師を牽制するための魔導師。罪を犯した魔導師を罰する魔導師。罪を犯した者には慈悲なく罰を下す魔導師」
「え……?」
「それがロザに与えられた刑罰」
「……刑、罰?」
なんだそれは、とエリクは息を飲んで瞠目する。
「六歳の頃には、ロザは、そういう魔導師であることを決められたんだ」
「……どうして?」
「人を殺してしまったから」
罪もない人を、それが己れの罪になるとも知らず、気づかず、悪意もなく殺してしまったから。
ロザヴィンが、自分を「人殺しだ」と言ったのは、本当のことだったらしい。
「そしてわたしは、その現実を、拒絶してしまった……駄目な兄さんだ」
力なく笑うシャンテに、そんなことはないと、否定してやることは、できなかった。なぜなら、だからロザヴィンが今でも苦しんでいるからだ。人殺しだから、誰か殺してくれと、泣いたからだ。
ロザヴィンは罪を知っている。
贖罪のために、罪を裁き続けている。
「こんな話、聞かせるべきではなかったかな」
俯いて唇を噛みしめたエリクに、シャンテが申し訳なさそうに言う。
いいや、とエリクは首を振った。
「わたしには関係ないもの……っ」
「関係ない?」
「ロザさまは、わたしが殺すもの……誰にも殺させないっ」
「……物騒な話だな」
「ロザさまはわたしのロザさまだもの!」
叫ぶように言うと、呆気に取られたらしいシャンテが、ぽかんとしていた。
「とんだ惚気を聞かされているな、わたしは」
「だってわたしのロザさまだもの……っ」
今さらだ。エリクはもうロザヴィンに出逢ってしまったし、出逢った頃にも戻れない。あの立ち姿を、見なかったことにはできない。
だから。
関係ない。
ロザヴィンのそれを聞かされても、脅されても、なにをされても、エリクにとってロザヴィンはすべてだ。
それくらいに、エリクはロザヴィンが好きだ。
「なんだ……心配、要らないのか」
「……心配?」
「いや、エリクを疑っていたわけではないが……ロザは今でもわたしにとって可愛い弟だから、生半可な気持ちでは困るなとは、思っていた」
「わたしロザさま好きだもの!」
怒鳴ると、シャンテが「はは」と声を出して笑った。
「きみがそうだから、ロザは父に逢う気になったかな」
「ロザさまは臆病者じゃない」
「いや、うん、今はね」
「かっこいい」
「そうだな……逢いたくても、逢えなくて……それでやっと、逢えたんだから……そうだな」
かっこよくなったのではないか、と笑いながら言うシャンテに、エリクは頬を膨らませた。




