18 : 逢いたくても、逢えなくて。2
金色の髪、土色の瞳、きらきらと光る花を全身から出しているような翼種族の文官に、エリクは目をまん丸にする。髪の色は違えど、シャンテがもうひとりいる、と思った。
その彼は、ロザヴィンを見るなりきらきら光る花をぶわりと増やし、いやそれはエリクの幻覚なのだろうが、とにかく全身を光らせた。
「今日は逃げないんだね、ローザくん!」
いやそうな顔をしているロザヴィンにめげることなく、その人は突進してくる。ぶつかる勢いだったそれの衝撃がなかったのは、その人の襟首をシャンテが掴んで止めていたからだった。
「相変わらずウザいですね」
「ウザ…っ…シャンくん、それひどい!」
「あなたが来てどうするんです」
「だってローザくんが来たんだよっ?」
飛びつかせろと言わんばかりのその人に、シャンテが深々とため息をつく。いっぽうロザヴィンは、エリクを巻き添えにしながら、じりじりと後ろに後退し、背中の翼を少し動かした。
「ああっ、ローザくん逃げないで! ぎゅって、ぎゅってさせて!」
「い……いやだ」
「そんな恥ずかしがっちゃって、もう可愛いなあ! ほら、約十年ぶりの僕だよ! 僕にとっちゃ一日ぶりだけどね! ほらほら!」
おいで、と全身で誘うその人に、ロザヴィンは恐ろしく逃げ腰だ。
いったいこの人は、誰だろう。
ロザヴィンには兄がひとり、シャンテだけのはずであるから、兄弟というわけではないだろう。だとしても、その人は双子かと思うほどシャンテに似ている。
「ロザさま、あの人、兄さまに似てる」
「イゼル・ガルデン……叔父だ」
「叔父さま?」
随分と若い叔父だ。そういえば父方のほうに、弟がいると聞いたことがある。ガルデン伯爵だ。
「兄さまにそっくり……」
「おまえ、それやめろ」
「それ?」
「シャンテのこと、そう呼ぶの」
「どうしてですか? ロザさまの兄さまなのに」
「きもい」
「きも……え?」
ロザヴィンはときどきエリクでも聞かないような俗語を使う。おそらくその手の俗語だろうが、聞いたことがなくて首を傾げていたら、叔父だというイゼルがエリクに気づいた。
「きみはローザくんのお嫁さんだねっ?」
向けられた言葉に、拒絶するようにエリクを隠したのはロザヴィンだった。
「どうして隠すかな、ローザくん!」
「なんであんたがいるんだ」
「そりゃ僕は兄上の補佐をやっているからね。ここにいて当然でしょ。知っているくせに今さらなに言うかなぁ」
ロザヴィンが胸に飛び込んでくるのを待ち続けているイゼルは、にこにこと笑顔を絶やさない。ロザヴィンのほうはじりじりと、着実にその距離を広げていっている。
「やっぱり帰る」
ばさりと、ロザヴィンが翼を大きく広げた。
ふわりと身体が浮きかけたとき。
「イゼル、煩い。おまえの声、奥まで響いているぞ。シャンテも急に部屋を出て……衛兵も騒がしいし、いったいなんだ」
シャンテの後ろから、もうひとり、シャンテにそっくりな人が現われた。
その人を見たとたん、ロザヴィンの翼が動きをとめ、すとんと足が地に着く。
「ロザさま?」
どうしたのだろう、と見上げたロザヴィンの顔は、強張っていた。エリクを抱く腕も、少し震えていた。
「……とーさん」
え、とエリクは、現われたもうひとりのシャンテそっくりな人を、振り向く。
金の髪、土色の双眸、やはり色は違えどシャンテに似ている。いや、この場合シャンテがその人に似ているのかもしれない。
「ロザ……?」
ぽかん、としたその人、ロザヴィンの父親であるらしい人が、こちらを見つめてくる。
「兄上、久しぶりのローザくんですよ! お嫁さんつき!」
「は? 嫁って……は? ロザはまだ……」
「成人しましたよ、とっくに」
「婚約……」
「しましたでしょ、二年前に」
「そんな話……」
「しました。聞いてなかったんですか」
「ロザはまだ子ども……」
「いつまでも子どもじゃないんですよ、兄上。ローザくんだって、もう立派な青年です」
「……ロザ?」
まじまじと、彼は見てくる。エリクは緊張したが、同じくらいロザヴィンも緊張しているようで、どくどくと早い鼓動が伝わってくる。
「……ひ、さし、ぶり……とーさん」
「久しぶり。なに、おまえ、結婚したの?」
「あ……うん」
声が震えていた。なにかに怯えるようなその態度は、イゼルに対するものやシャンテに対するものとは、だいぶ違う。だが父だという彼は、こちらもまた随分と若く見えるが、ロザヴィンの常がそうであるように飄々としていた。
「え、もしかしてその報告? いつのまに婚約したの」
「二……年、前」
「とーさんびっくり……おまえまだ子どもでしょ」
「成人……したし」
「嘘うそ。だっておまえ、とーさんよりちっちゃいじゃん」
「う……うるせぇな。身長止まっちまったんだから、仕方ねぇだろ」
「止まっちゃったの? まあどちらにせよ、おまえまだ子どもだけど」
はははは、と笑う父親の、そのあまりにふつうな姿に、ロザヴィンは気が削がれたようでほっと小さく息をこぼしていた。
しかし。
「で? おまえ子どものくせに、結婚する気?」
「は……?」
「とーさん許した憶えないんだけど」
にこにこと笑みを浮かべたまま、なにかさらりと、言われた気がする。
ふと、シャンテが笑いともつかないような顔でエリクを見やってきて、ハッとした。
手強いとは、こういうことだろうか。
「ねえロザ、とーさん、許してないよ?」
「え……だ、って……ロルゥとアッシュが」
「聞いてないし」
「シャンテとイゼルから」
「聞いてない」
あくまで、聞いていない、とロザヴィンの父は知らぬふりをする。いや、ふりなのかそうでないのか、よくわからない。
「ロザはまだ子ども。その子どもがなにしてんの」
「成人した!」
「それは国が定めた年齢に達したってだけでしょ」
「成人は成人だろっ?」
「そんなの知ったこっちゃない。とーさんには関係ないね」
「国に逆らうってあんたどこの王サマよっ?」
「とーさんの法律だよ」
「あほか!」
「親に向かってあほとは……十二年もとーさんから逃げているくせに、久しぶりに逢ってその口を叩くか」
「あ……」
睨まれてびくりとロザヴィンは震え、顔を強張らせる。
どうなってしまうのだろう、とエリクは冷や冷やしながらふたりを見守るが、それくらいしかできないことが悔しい。なにせ、ロザヴィンの父は、エリクをちらりとも見ようとしないのだ。
もしかして、逢いにこないほうが、よかっただろうか。
「ロザさま……」
そっと呼ぶと、ハッとしたロザヴィンが、その双眸を揺らしてエリクを見る。泣きそうだ、と思った。
「ロザさま、だいじょうぶ。だって、義父さまだもの」
「……エコ」
「だいじょうぶ。わたし、ロザさま好きだもの」
頬を撫でると、ロザヴィンはくしゃっと顔を歪め、すり寄ってきた。それはあまりにもロザヴィンらしくない仕草だったが、それほどまでにロザヴィンにとって父親という存在は大きく、また難しいものなのだろう。一挙一動に、どうしても、怖気づいてしまう。
「まあとりあえず、ローザくんを中に入れたらどうかな、兄上」
「そうだね。じっくり話し合わないと」
「国の法律は覆せないよ、兄上?」
「そんなの知らないって、言ってるだろ」
「頑固だねえ」
「おれは柔軟だよ。さあロザ、おいで」
にこ、と再び笑みを取り戻したロザヴィンの父は、しかし逃げ腰のロザヴィンを無視して、中へ戻っていった。
ロザヴィンが中に入りたくないと言った理由があの父なら、わかる気がすると、エリクは今頃になって理解した。そして、シャンテが「手強い」と言った理由も、頷けた。