00 : 今でも思いだせる。
ようこそおいでくださりました。
読もうかな、と思ってくださりありがとうございます。
しょっぱなから流血描写があります。
ご注意ください。
昔、人を壊したことがある。
知り合いでもなんでもない、ただそこにいた人間だ。
ああ、ついにやってしまったか。
思ったのはそれだけだった。
血まみれになったその人間を見ても、血だまりの床を見ても、雨のように降り注いもので真っ赤になった己れの手のひらを見ても、特になにか感じることはなかった。
ただ、自分はついにやってしまったのだと、それだけ思った。
なにをやってしまったのかは、わからなかった。
「ロザヴィン……っ」
駆け込んできた兄に呼ばれて振り向いて、その顔が恐ろしさに歪んでいるのを見て初めて、それがやってはいけないことだったのだと知った。
けれども。
それでも。
それ以上になにか感じることはなかった。
「ロザ……おまえ……」
そろりと、探るように手を伸ばしてきた兄の手を振り払った憶えがある。そのときの自分は赤いものでとても汚れていたから、兄を汚してしまうと思ったのだ。
だが、兄は顔を引き攣らせた。悲しげな目で、見つめてきた。
触れることを諦めたらしい兄に「おいで」と促されて、鉄錆の匂いが充満する汚れた部屋から外に出たとき、いやに晴れた空に目が眩んだ。
痛いな、と思った。
「ロザ、聞きなさい」
歳の離れた兄は、後ろ背を向けたままそう言ってきた。
「おまえはもう、ここにはいられない」
言われている意味はわからなかった。なにせその当時、まだ十にも満たない歳の頃だったのだ。
「……わたしではもう、おまえを護りきれない」
自分が、兄に護られていることは、知っていた。
庇われていることは知っていた。
人を壊したように、動物を壊すことなどは日常茶飯事で、そのせいで周りの者たちによく思われていないと感じていたから、兄はそれらの視線から護ってくれていたのだ。
それができない、という意味の、ここにはいられない、ということなら、答えは一つなのだとあとから知った。
王立魔導師団の新任師団長ロルガルーン・ゼク・レクト。
壮年のその貴族が目の前に現われたとき。
「わたしのところにおいで、ロザヴィン」
そう言われて。
「魔導師になるんだよ」
その生が決められたとき、兄が、ほっとした顔をしていた。
その顔を見たから、ここにはいられない理由を知った。
「……おれをすてるのか」
呟きは、兄に届いた。
兄は瞠目し、けれども否定せず、唇を噛んで顔を逸らした。
だから、笑った。
「ありがとう、兄さん」
兄はハッと顔を上げた。
「ロザ……っ」
「ありがとう」
もうあんたを苦しめなくて済む。
おれを庇って、護って、苦しむあんたを見なくて済む。
だから、ありがとう。
捨ててくれて、ありがとう。
その日、初めて心からの笑みを、浮かべることができた。
今でも思い出せる。
誤字脱字、その他なにかありましたら、こっそりひっそり教えてください。
うっかり気に入ってしまった脇役(シリーズにあります『あなたと生きたいと思うのです。』の脇役)を、主人公にしてしまいました。
よろしくお願いいたします。
津森太壱。