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晴れた空が嫌いでした。  作者: 津森太壱。
【晴れた空をきみに捧ぐ。】
18/23

16 : 魔導師に恋した。2





 悪戦苦闘しながら作った蕎麦なるものを、ロザヴィンがやはり無言で食したのは、昼を少し過ぎてからのことだった。初めて作ったものだから一言でも感想が欲しかったのだが、なにも言ってくれない。しかもロザヴィンは、本当に昼食を摂りに来ただけで、食後にのんびりすることもなく食べ終わるとすぐ出かけていった。


「美味しかったかな……」


 綺麗に食べてくれたから、食べられないものにはなっていないと思う。ロザヴィンに出す前にエリクは自分でも食べてみたし、アッシュも食べてくれた。美味しいわ、と言ってもらえている。エリクも、なかなか美味しい、と思った。

 ロザヴィンはどうだったのだろう。

 そういえば、注意して手許を見ていたのだが、エリクが渡された銀細工の指輪は見えなかった。あれ、と首を傾げているうちにお礼も言い損ねたエリクは、片づけながら少々落ち込んだ。


「あら? もう片づけているの?」

「はい……ロザさま、もう行っちゃいました」

「せっかちな子ねえ。こんなに早かったのでは、指輪があったのかも見てないわね?」


 そのとおりだ、とエリクは項垂れる。


「お礼、言いそびれてしまいました」

「それはいいのよ。ローザが口にしたときでも遅くないもの」

「はい。でも……嬉しいから」

「今夜は泊まるのでしょう? なら、そのときでもいいわ」


 そうする、とエリクは頷く。夕食の時間は過ぎると言っていたが、遅くなってもいいから、起きて待っていようと思う。


「じゃあエリク、それが終わったら治療院に行きましょうね」

「はーい」


 午後は大抵、治療院の手伝いに、アッシュと一緒に行く。

 アッシュはもともと治療院の医師であったそうで、現役を引退したものの、乞われて手伝いには顔を出している。エリクはそれについて行き、難しいが多少は役に立てるよう少しずつ医療を学んでいた。おかげで今では文字を読めるし、薬草の種類もいくつか憶え、薬の調合や怪我の手当ても、簡単なものならできるようになった。


 たった二年、されど二年、たくさんのことをエリクは憶えたと思う。たくさんのことを、知ったと思う。

 それらはすべて、ロザヴィンとの出逢いが、そうさせたことだ。


 そうして、この日の午後も治療院を手伝ったあと、夕食をアッシュと二人で取った。ロザヴィンはまだ帰ってこない。


 沐浴を終えて、眠るばかりになってもロザヴィンは帰ってこなくて、仕事で来られなくなってしまったのだろうかと諦めて眠ろうと思った頃、漸くロザヴィンは姿を見せた。


「あ? まだ寝てなかったのかよ」

「はい。お帰りなさいませ、ロザさま」

「……ただいま」

「遅かったですね」

「飛んだからな」

「飛んだ?」

「レウィンの村までな。さすがに徹夜明けには疲れた。背中痛ぇ」


 レウィンの村とは、この王都から丸二日はかかる村だ。そこまで飛んで行って帰ってきたとは、翼とはすごいなと思う。

 翼種族ではないエリクの背に翼はないが、生粋の翼種族であるロザヴィンには背に翼がある。灰色の、綺麗な翼だ。ふだんは消されていて、使うときに現われる。どうやってそれをやっているかは、ロザヴィンも説明ができないようなので、エリクにはわからない。けれども確かに、ロザヴィンの背には一対の翼がある。


「お疲れさまでした」

「ああ。……なあ」

「はい?」

「飯、ある? 食ってねぇんだ」


 暇なくて、と言ったロザヴィンに、エリクは慌てて返事をし、食堂へとロザヴィンを促す。しかし、厨房へ向かったエリクにロザヴィンはついてきて、そこにある作業台を机にし、近くの椅子に座ってしまった。


「食堂で待っていてください、ロザさま」

「いいよ、ここで。運ぶ手間省ける」


 いいから早くなにか食わせろとロザヴィンはエリクをせっつくので、仕方ないとエリクは夜食にしようと作っておいた食事を温めた。


「用意してたのか」

「夜食にどうかと思って」

「……ふーん」


 興味もなさそうにロザヴィンは相槌を打ったが、温め直した夜食はやはり無言で食し、綺麗にしてくれた。夜食にしては多く作り過ぎたかも、と思っていたが、夕食も摂っていないというロザヴィンはぺろりと平らげ、ついでに籠に入っていた果物も寄越せと言って、けっこう食べた。その細い身体のどこに入るのだろう、というくらいの量だった。


「……あ」

「ん?」


 ふと、その指に、光るものを見つけた。それでエリクはハッとし、どうしようかと思って首飾りにしていた指輪を胸元から引っ張り出した。


「指輪、ありがとうございます。すごく綺麗で、気に入りました」

「……ああ、それか。アッシュが適当な理由つけて誤魔化すから、まあこういうことだろうなと思ってたし」

「こういうこと?」

「明日誕生日だし」

「え?」


 エリクは首を傾げた。


「誕生日って……」

「おれの」

「ロザさまの……ロザさまのっ?」


 嘘、とエリクは驚愕する。そういえば考えてみたら、この時期はロザヴィンの誕生日がある。正確な日を教えてもらっていなかったので、うっかりしていた。


「んなに驚くことか?」

「だって……だって、わたし、知らなかったっ」

「あ? アッシュに聞いてねぇのか」

「ロザさまに訊きなさいって……でも、ロザさま教えてくれなかったから」


 エリクはロザヴィンに、いつが誕生日か、訊いたことがある。この時期だというようなことは聞き出せたが、誤魔化したのかそうでないのか、曖昧に答えられて、けっきょく教えてもらえずにいた。

 どうしよう、と焦る。

 贈りものも、なにも、用意していない。


「べつに嬉しいことでもねぇからな……歳取るだけで」

「大事です!」

「そうか?」

「だって、ロザさまが産まれてきてくれた日……どうしよう、わたし、なにも用意してないです」

「それやったじゃねえか」

「わたしがロザさまからもらってどうするんですか」

「要らねぇの?」

「要りますけど!」

「じゃ、いいだろ」


 よくない、とエリクは首を左右に振る。


「わたしもロザさまになにか贈りたいです」

「……おれ、けったいなもん、贈られるんだけど」

「けったいな?」


 なにそれ、と首を傾げたら、ロザヴィンはなんだか、言いたくなさげに顔を逸らした。


「おまえ、指輪の意味、知らねぇの?」

「指輪の意味……この細工ですか?」

「違ぇよ」

「え……と、図形?」

「違え。ほんとに知らねぇのか?」


 銀細工の指輪の、その彫刻には意味があるだろうとは多少なりとも思っていたが、指輪そのものに意味があったとは知らない。


「それ、左手の薬指につけろ」

「はい?」

「つけろ」

「は、はいっ」


 首飾りにしていた指輪を、慌てながら外して指に、指定された場所につける。すっぽりと収まった。


「手、寄越せ」

「はいっ」

「……大きさはちょうどいいか」

「ぴったりですっ」

「なんで緊張してんだよ」

「べ、べつにそういうわけでは……」


 ロザヴィンがいきなり命令口調になったら、少し緊張しただけだ。

 指輪が装着されたエリクの左手をまじまじと見ながら、ロザヴィンはさっと、エリクには聞き取れないほど小さな声で、なにかを口にした。


「ロザさま、なにを……」


 しているんですか、と訊こうとしたら、ロザヴィンがふと真っ直ぐ、エリクを見つめてきた。その灰褐色の双眸に、どきりと、胸が高鳴る。


「エコ」


 と、ロザヴィンが言った。


「えこ?」


 それはなんだ、と目を丸くすると、ロザヴィンはまた「エコ」と口にした。


「返事しろ」

「え?」

「おまえだ、エコ」


 それは、どういう意味だろう。


「返事しろ、エコ」

「は……はい」


 その瞬間だった。

 指輪が、きゅっと、エリクの指を緩く締めつける。


「……っ」


 吃驚して大きく震えたら、エリクが手を引くと思ったらしいロザヴィンに、強く引っ張られた。


「ロザさま……っ」

「逃げんな」

「逃げてなんか……」


 少し恥ずかしいだけだ。手を引っ張られたせいで、ロザヴィンとの距離が短い。二年前はあまり感じなかったのに、今は、とてもその距離が恥ずかしくてたまらない。このどきどきを、ロザヴィンに知られたくない。


「腕環の意味は、婚約だ」


 唐突に、ロザヴィンは言った。


「腕環、が……婚約?」

「相手を護ることを誓う」

「護るって……」


 エリクの手首には、ロザヴィンからもらった腕環がある。それはこの家と、ロザヴィンの住処がある魔導師団棟を繋ぐ転移門の鍵だ。


「これ、転移門の、鍵じゃ……」

「その役割もある」


 だがそれだけの意味ではない、とロザヴィンはエリクの手首から、するりと腕輪を外した。


「あ、だめ!」

「もう必要ねえ」

「ロザさまからもらったものだもの!」


 返して、とエリクは訴えたが、ロザヴィンはさっと、懐のどこかに隠してしまう。


「ロザさま!」

「指輪があるだろ」

「これはこれだものっ」

「必要ねぇよ。指輪があんだから」

「でも……っ」


 ロザヴィンからもらったものは、すべて大事だ。失くせない。

 泣きそうになったら、ロザヴィンが「ちっ」と舌打ちした。


「指輪の意味は婚姻だ」

「それでも……っ、え? 婚姻?」

「だから、おまえを嫁にもらうって言ってんだよ」


 ロザヴィンの言葉を解釈するのに、しばらく時間を有した。


「……お嫁、さん?」

「おまえを寄越せ、エコ」

「え……っ」


 なにかを考える暇も、思う暇もなかった。


 がぶり、と。


 噛みつかれるように、エリクはロザヴィンに唇を塞がれた。


「おまえがおれへの贈りもんだ」


 噛みつくような口づけのあと、ロザヴィンが言った言葉に、やはり解釈に時間を要したのは言うまでもない。


 エリクが顔を真っ赤にしたとき、すでに身体はロザヴィンの腕の中にあった。

 わたしが恋した魔導師は、なにを考えているかよくわからない。

 そうエリクが思ったのは、翌朝のこと。

 それでも魔導師に恋したことを、エリクは後悔しない。

 ロザヴィンが好きだと、どうしようもなく好きなのだと、腕の中で訴えたら、ロザヴィンが笑っていたから。


「頭だいじょうぶかよ、おまえ」


 おれのどこがいいんだ、と言うロザヴィンに、あなたしかいない、とエリクは泣いた。











 失礼します、と言ったロルガルーン邸の家宰リレイリスが、きちんと足を畳んでロザヴィンの隣に座る。


「ご報告申し上げます」

「なにかしら、リレイ?」

「エリクさまが立ち上がれ……いえ、起き上がられません」


 ロザヴィンとリレイリスの前に仁王立ちしたアッシュは、リレイリスのその報告を聞いた瞬間に、拳をロザヴィンの頭に落とした。


「ってぇな! なにすんだよ!」

「エリクはまだ成人していないのよ? ローザ、なにしたのかしら?」

「ロザだ! つか、なにやったかなんてリレイリスが言ったとおりじゃねぇか。わかってんじゃねぇか、アッシュ」

「だめねぇ……はい、重し追加ね」

「! いってえ!」


 やれやれ、と困った様子のアッシュに、容赦なく分厚い魔導書を膝に乗せられる。すでに首許までその本は積み重ねられていて、ロザヴィンの足を痛めつけていた。


「なんでおれお仕置きされてんのっ?」

「エリクを起きれないようにしたのは、だぁれ?」

「おれだよ! だから、わかってんだろっ?」

「エリクはまだ成人していないのよ? どうしてもう少し待てないの」

「おれは成人してんだろ!」

「そうよ、ローザはもうおとななんですもの、もう少し待てたわよね? はい、リレイ、ローザに重しを追加して」

「やめろ! って言うこと聞いてんじゃねぇよ、リレイリス!」


 容赦ないアッシュは、忠臣なリレイリスに命じて、ロザヴィンの膝に乗せる分厚い本を追加していく。手でその山を崩そうにも、実は魔導師の力があるらしいリレイリスによって、両手首を後ろで拘束されている。おまけに身動ぎもできないよう、その固定は椅子にある。

 なぜ朝からこんな責め苦を受けなければならないのだと、不甲斐なく涙が溢れそうだ。


「最初の優しさが肝心とか、応援するようなこと言ってたくせに」

「はい、重し追加」

「だからやめろ!」


 足が痺れてきた。いや、それ以上に痛くてどうしようもない。


「ねえローザ?」

「あん?」

「口が悪いわ。重し追加」

「いい加減にしろ! もう遊んでんじゃねぇか、アッシュ!」

「……ねえローザ、エリクが好き?」

「ああ?」


 仁王立ちしていたアッシュが、膝を折って、その視線をロザヴィンに合わせてくる。空色の双眸は真っ直ぐで、綺麗で、どうしてこの人はこんなに真っ直ぐでいられるのだろうと、そうロザヴィンに思わせた。


「エリクが好き?」


 問いに、ロザヴィンは唇を噛む。睨むようにアッシュを見やったが、アッシュは怯まない。


「どうなの? エリクが好きなの?」


 どうしてそんなことを答えなければならないのだと、ロザヴィンは苦々しく思う。

 エリクが好きかどうかなど、婚約させられた時点で、もう関係のないことだ。家柄と地位、立場から、その話を断ることなどできやしなかったのだ。

 ロザヴィンの気持ちなど、関係ない。


 それでも。


「……あいつが、言ったんだ」

「なにを言ったのかしら」

「……おれを、殺すって……自分以外に殺されるなって……言った」


 関係ないと言ったのは、エリクが先だった。ロザヴィンが人殺しであろうと、なんであろうと、そんなものは関係ないとエリクが言った。殺して欲しいと願ったロザヴィンに、わたしが殺すと言ってきた。

 そして、真っ直ぐに、ロザヴィンが好きだと訴えてきた。こちらの気持ちなど、エリクには関係なかった。

 昨夜だって。

 今朝だって。

 ロザヴィンが好きだと、エリクは泣いた。


「おれだって人間だ……っ」


 あんなに思われて、嬉しいと思わないほうが、おかしい。


「……あてがわれたからもらったというわけでないようね」

「ふざけろ! 誰が好きこのんで手ぇ出すかよ!」

「そうね……ローザは、そんなに器用ではないものね」


 膝の上に乗せられていた重しが、一つずつ、取り除かれていく。徐々に楽になっていく足にほっとしつつ、またなにかされないかと警戒するのは、アッシュがロザヴィンの話を八割は聞かない人種だからだ。


「母さま」

「まあエリク、起きて平気なの? まだ休んでいていいのよ?」

「いえ、あの、ごめんなさい。寝坊、して……」

「いいのよ、ローザが悪いんですもの」

「ろ、ロザさまは悪くないです! ……、ロザさまっ?」


 起きてきたエリクが、縛りあげられたロザヴィンに吃驚して、慌ててよたよたと駆け寄ってくる。

 エリクに場所を譲ったリレイリスが、最後の仕上げとばかりに後ろ手の拘束を解いてくれた。


「な、なんでこんな?」

「さあな」

「痛かった、でしょう? だいじょうぶですか?」

「立てねえ」


 手も足も痺れて、まともに動かせない。座り込んだままでいると、エリクまで床に座り込んだ。


「あ、あの、母さま」

「なぁに、エリク?」

「ロザさま、悪いこと、してない……です」

「そうねえ……でも、エリクはまだ成人してないの。ローザは我慢できなかったのよ。悪い子でしょう?」

「そっ……そんなこと」


 真っ赤になったエリクは、居た堪れなさそうに俯く。その頬を、ロザヴィンはそっと、指で撫でた。


「……ロザさま」


 まだ残っている涙の跡を消すように、ごしごしと頬を拭う。

 それからアッシュと、その横に並んだリレイリスを、見やった。


「エコはおれのだ」


 まだ痺れの取れない腕の中にエリクを引き寄せ、抱き込んで宣言する。

 アッシュとリレイリスが、顔を合わせて「ふふ」と笑った。


「誕生日おめでとう、ローザ」

「おめでとうございます、ロザヴィンさま」


 祝言に、ロザヴィンは「ふん」と鼻を鳴らした。







*指輪はリアルと一緒の意味にしました。腕輪は魔導師世界の意味になっています。

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